文=下野康史/撮影=荒川正幸

ホンダ・ビート(PP1型)を京都で試乗。下道の運転が楽しい、シティ・トランスポーター #21

自動車ライター・下野康史の旧車試乗記
下野康史

ホンダが1991年から96年まで販売していたホンダ・ビートに試乗。軽自動車ながらミッドシップかつフルオープン2シーターという唯一無二のコンセプトが話題となり、今でも愛好家に愛されるクルマとして知られています。

そんなビートを、元オーナーでもある自動車ライターの下野康史さんが借り受け、走りをレポートします。

目次

下野さんが唯一、発売前に注文したクルマ。それがビート

自動車ライターをやっていると、たいていの新型車には仕事で乗れる。マイカーを買うとき、これはたいへん大きな “役得”である。
だが、過去に一度だけ、乗るどころか、カタチも知らない発売前に、注文を入れてしまったクルマがある。それがビートだった。軽の、ミッドシップの、オープン2シーターというスペックを聞いただけで、近所のホンダディーラーに向かったのだ。プライベートでも仕事でもよく使ったあとは、免許取りたてのヨメさんのファーストカーとして活躍してくれた。
汚れの目立たないシルバーを選び、トランクが超狭いので、純正のトランクキャリアを付けたあのビートを手放してから30年。なんと「わ」ナンバーのビートがあると聞いて、京都へ向かった。

ビートのフロント7:3

「ニコニコレンタカー 京都上鳥羽口駅店」でお借りしたビートは1991年式。スリーサイズは全長3295mm×全幅1395mm×全高1175mmで、車検証に記載された車両重量は760kgだった
●画像クリックでフォトギャラリーへ

ビートのリア7:3

91年に行われたビートの新車発表会には、ホンダの創業者・本田宗一郎氏も出席した。その3か月後に宗一郎氏はこの世を去る。ビートは本田宗一郎氏が見届けた最後の新車となった

●画像クリックでフォトギャラリーへ

エンジンに馬鹿力はないが、サクサク小気味よく回る

ニコニコレンタカー京都上鳥羽口駅店には3台のビートが用意されている。同社独自のV(バラエティ)クラスのクルマで、料金は一般の軽よりは高いが、それでも24時間8000円とリーズナブルだ。
1991年生まれのビートより明らかに若いスタッフに、出発前、「ビートの運転は初めてですか?」と聞かれたので、「持ってました」と答える。実際、元オーナーの年配者から、一度乗ってみたかったという若い人まで、人気は高い。この店はちょっとした“ビートの聖地”になっているそうだ。
ソフトトップを付けたままの車内にもぐり込む。オープンカーのせいか、ニオイはなかった。鼻でなつかしさは感じなかったが、エンジンをかけた途端、背後から伝わる音と振動に「おお、これこれ」と思う。
試乗車はぼくのと同じ91年型。走行距離は12万8000km。外装には年式相応のヤレも見えるが、内装はきれいだ。シマウマ柄みたいな純正のシートにはビニールレザーの黒いカバーがかけてある。
パワーウィンドウとエアコンは標準装備である。絶好のオープン日和だったので、すぐに上を開ける。左右のロックを外して、左手で幌を後ろにはぐる。マツダ・ロードスターと同じ、最もシンプルなソフトトップである。ボディーサイズはひとつ前の規格だから、今の軽より全幅は8cm狭く、全長は10cm短い。とくに室内幅はコンパクトだが、上を開けちゃえば気にならない。
パワーステアリングではないので、据え切りのハンドル操作は手ごたえがある。でも、この程度で済んでいるのは、ノーズに重いエンジンがないミッドシップならではだろう。トゥデイ用のエンジンを吸排気チューンした656cc3気筒SOHCは、軽の自主規制値いっぱいの64ps。ノンターボで初めて64psを出したエンジンである。その自然吸気12バルブ3気筒は、馬鹿力こそないが、サクサク、実に小気味よく回る。ぼくのより軽く回る感じがした。

ビートのインパネ

ステアリングホイールが大きく見えるビートのインパネ。パワーステアリングは装備されていないものの、据え切りをしなければ重さは感じない
●画像クリックでフォトギャラリーへ

ビートのシート

ビートはゼブラ(シマウマ)柄の運転席・助手席のシートが付いているが、試乗車にはビニールレザーのカバーが取り付けられていた
●画像クリックでフォトギャラリーへ

コンセプト通りシティ・トランスポーターとしての性能も高い

変速機は5速MTのみ。96年の終了時までATは出なかった。しかし、ビートはこのMTがすばらしい。シフトフィールは新車時と変わっていない。ギアチェンジは手首の動きだけで確実にキマる。クラッチペダルは軽く、発進時のクラッチミートもなんらコツいらずだ。ヨメさんのクルマはビートのあと、ローバー・ミニに代わったが、最初のころ、重くて急につながるミニのクラッチペダルに戸惑っていた。
淀川沿いを走ったあとは、高速道路に乗った。100km/hだと、5速トップでも5300rpmまで回ってしまうが、さしてストレスは感じない。このまま東京まで乗り逃げできるぞと思った(笑)。
とはいえ、ビートはやはり下道(したみち)のクルマである。登場時、ホンダはけっしてこれを“スポーツカー”とは呼ばなかった。「まったく新しいシティ・トランスポーター」と説明した。いま乗ってみると、その開発コンセプトには納得がいく。というか、気の置けないシティ・トランスポーター性能が21世紀のいま、ますます際立っていた。
外国人観光客であふれた京都の市街地でも、赤いビートは大人気だった。信号待ちでも、走っていても、歩道からスマホを向けられた。撮ってからサムアップをしてくる人もいる。思わずし返しちゃいましたよ。30年ぶりのセンチメンタルジャーニーは、楽しかった。
仕事柄、長年クルマの進歩を見てきたはずなのに、筆者はハイブリッドもEVもぜんぜんほしくならない。今回その理由がわかった。ビートが足りなくなっているせいだ。クルマからビート(鼓動)が失われているのである。
ビート、いいなあ。家に帰ってから、中古車サイトを調べてみた。エーッ……! 程度のよさそうなのは、登場時の新車価格(138.8万円)よりはるかに高い。
こんどはヨメさんも連れて、また京都へ乗りに行こうかな。

ビートのエンジン

E07A型・0.66リッター直列3気筒SOHCエンジンは、自然吸気エンジンながら多連スロットルと2つの燃料噴射制御マップを切り換えるMTRECを採用することで、最大出力64ps/8100rpm、最大トルク6.1kgm/7000rpmを発揮する。トランクリッドからはエンジンの姿をほとんど見ることはできない。十字レンチが入っている部分がラゲッジスペースで、容量はごくわずか
●画像クリックでフォトギャラリーへ

走り去るビート

京都を走るビートは、シティ・トランスポーターとしての持ち味を存分に生かしつつ、ライトウェイトスポーツカーのような軽快な走りをみせてくれた。

ビートのフォトギャラリーは、こちらをクリック!

#20 スズキ・ジムニー(JA22)の試乗記はこちらから

下野康史

かばた・やすし 1955年、東京都生まれ。『カーグラフィック』など自動車専門誌の編集記者を経て、88年からフリーの自動車ライター。自動運転よりスポーツ自転車を好む。近著に『峠狩り 第二巻』(八重洲出版)、『ポルシェよりフェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)など。

この記事はいかがでしたか?
この記事のキーワード
あなたのSNSでこの記事をシェア!