特集

ユーノス ロードスター、シティカブリオレ、マーチカブリオレ…20世紀末に登場した懐かしの国産オープンカー11選

こんな車もオープンだった!? レア車もたっぷり紹介!

2024.04.10

構成=ダズ / 文=高橋陽介

2024.04.10

構成=ダズ / 文=高橋陽介

  • トップ
  • 自動車
  • 特集
  • ユーノス ロードスター、シティカブリオレ、マーチカブリオレ…20世紀末に登場した懐かしの国産オープンカー11選
この記事のキーワード
この記事をシェア
1年点検を受けると、だれにでもチャンス

暖かい季節が見えてくると、ついついドライブに出かけたくなる。そんな時に、オープンエアを感じられたらどんなに気持ちいいだろうか。そんな憧れを持って、一度はオープンカーを運転してみたいと思ったことありませんか? 今回は20世紀末に登場した懐かしの国産オープンカーを振り返ります。

見て美しい、走って気持ちいい
20世紀末は国産オープンカー全盛期

1991年登場のホンダ・ビート。5速マニュアルのみの設定と、走りにもこだわった本格的オープンスポーツカーだった

1991年登場のホンダ・ビート。5速マニュアルのみの設定と、走りにもこだわった本格的オープンスポーツカーだった

強力なエンジンパワーや豪華な装備類などに頼らずとも、ドライバーはもちろん同乗者までハッピーな気分にさせてくれるクルマといえば? その答えはズバリ、オープンカー。一度でもオープンカーに乗った経験がある方ならおわかりの通り、普段から見慣れているはずの風景も、トップを下ろした車内から眺めるとなぜか新鮮な印象に。青空のもと海岸線や山あいのワインディングをのんびり走らせたときの爽快感は格別!

ちなみにこの「オープンカー」という言葉はまったくの和製英語。海外ではカブリオレ、コンバーチブル、ロードスター、スパイダー、ドロップヘッドクーペ、バルケッタなど、生産国やメーカー側の意向などによりさまざまな呼称が用いられている。

国産車におけるオープンカーの歴史も古く、1950年代から60年代には日本オートサンダル自動車のオートサンダルや岡村製作所(現・オカムラ)のミカサツーリングといった小規模メーカー車の他、トヨタ・パブリカ コンバーチブルやダットサン・スポーツDC-3(フェアレディの前身)、ホンダ・S500〜800、ダイハツ・コンパーノ スパイダーなどさまざまなフルオープンモデルが存在していたが、70年代に入るとその流れはいったん途絶えることに。70年代末期にはトヨタ・セリカが国産車初のサンルーフ(手動式)を採用し、その約8か月後にはホンダ・プレリュードが電動式サンルーフで追随するも、フルオープン車の出現には至らなかった。

オープンボディーが復活の兆しを見せ始めたのは80年代から。まず80年には日産がフェアレディZにTバールーフという分割脱着式ルーフパネルを備えた車を設定。84年にはホンダがシティ カブリオレを、翌85年には日産が100台の限定生産ながらパルサーエクサ コンバーチブルを発売。さらにその翌年にはマツダからファミリア カブリオレが登場。いずれもセンターピラー位置付近にアーチ状のロールバーが残されていたことから、完全なフルオープンとは言えないものの、頭上を囲むルーフパネルを取り去ることで得られるワクワク感は十分過ぎるほどのインパクトを与えた。

そして近代国産車史において数々の名車の大豊作期(※)とされる1989年には、ユーノス・ロードスター(現マツダ・ロードスター)が発売。手軽に、気軽に楽しめるオープンカーの魅力を国内のみならず、世界にも発信。多くのフォロワーを生み出すこととなったのは周知の通り。

というワケで、ここでは同車が大ブレイクする前後に登場した個性あふれるオープンモデルの面々をご紹介。各メーカーが知恵を絞った斬新&ユニークなルーフパネルの開閉方式にもぜひご注目を。

(※出典)
一般社団法人 日本自動車工業会発行 自動車ガイドブック2023-2024(vol.70)

いかついボディーなのにかわいらしい

ホンダ・シティ カブリオレ(1984年登場)

ホンダ・シティ カブリオレ(1984年登場)

ホンダ・シティ カブリオレ(1984年登場)

ブルドッグのサブネームを持つターボIIのブリスターフェンダー付きボディーをベースとしたオープンモデル。ソフトトップを下ろすとセンターにはロールバー(ホンダではオーバーヘッド・バーと呼称)が残るが、当時のメーカー広報資料には「国産唯一のファッショナブルなフルオープンカー」と記されている。エンジンはシティR用の1231cc 4気筒OHCの1種類のみだが、車重の増加分を考慮してスプリングやスタビライザーはターボII用が使用されていた。

幌(ほろ)部分の設計やオープン化に伴う車体周りの補強対策などについてはイタリアの名門カロッツェリアのピニンファリーナに依頼。センターピラーには同社のロゴもあしらわれている

幌(ほろ)部分の設計やオープン化に伴う車体周りの補強対策などについてはイタリアの名門カロッツェリアのピニンファリーナに依頼。センターピラーには同社のロゴもあしらわれている

世界で100万台売れている2人乗り小型オープンスポーツカー

マツダ・ユーノス ロードスター(1989年登場)

マツダ・ユーノス ロードスター(1989年登場)

マツダ・ユーノス ロードスター(1989年登場)

もはや説明不要。50歳前後のクルマ好きに「オープンカーと言えば?」と尋ねると、その多くがこのカタチを思い浮かべるほどの象徴的存在がユーノス ロードスター。スカイラインGT-Rやセルシオ、NSXなど、同時期に発売されたクルマが豪華さやハイパワーを前面に押し出していたことからロードスターのシンプル&フレンドリーなキャラクターがより一層際立つ結果となり、世界的な大ヒットとなった。オープンボディーの爽快さに加え、車重の軽さがもたらす運転の楽しさは現行モデルにも受け継がれている。

フルオープン時の姿に負けないほどスタイリッシュだった純正ハードトップ

フルオープン時の姿に負けないほどスタイリッシュだった純正ハードトップ。SスペシャルやJリミテッドなど、定期的に投入される限定車も好評を博した

憧れのハイソカーに500台限定のメタルトップ

トヨタ・ソアラ エアロキャビン(1989年登場)

トヨタ・ソアラ エアロキャビン(1989年登場)

トヨタ・ソアラ エアロキャビン(1989年登場)

1987年の東京モーターショーに参考出品されたモデルをほぼそのままのカタチで市販(ベースは前期型だった)。オープンへの操作は電動式で、メタル製のルーフパネルとリアガラスはトランクとリアシートの間に設けられた専用スペース内に格納。このためキャビン形状も後方部分が狭められたデザインとなり、乗員も2名に。本来リアシートがあった場所はストレージボックスに改められていた。

極めてレアな存在ながらハイソカー(当時流行ったハイソサエティカーの略語)の王道だったこともあってか、意外と現存率が高いのもこのモデルの特色と言える

極めてレアな存在ながらハイソカー(当時はやったハイソサエティカーの略語)の王道だったこともあってか、意外と現存率が高いのもこのモデルの特色と言える

お洒落パイクカーはソフトトップだった

日産・フィガロ(1991年登場)

日産・フィガロ(1991年登場)

日産・フィガロ(1991年登場)

1989年の東京モーターショーで披露され、91年のバレンタインデーに正式発表となったフィガロ。Be-1、パオ、エスカルゴに続く日産パイクカーシリーズの第4弾モデルで、2万台の限定生産台数を3回の抽選に振り分けて販売するという異例の方式が取られた。ガラス製リアウインドーを持つビニール製トップは手動でキャビン後部に格納。エンジンはマーチターボ用MA10ETを搭載。ミッションは3速ATのみの設定だった。

内外装ともにクラシカルなテイストで統一。全長は3740mmに過ぎないが、ミニマムながら3点式シートベルトを備えたリアシートも設置されていた

内外装ともにクラシカルなテイストで統一。全長は3740mmに過ぎないが、ミニマムながら3点式シートベルトを備えたリアシートも設置されていた

軽乗用車初のフルオープンモノコックのMRスポーツ

ホンダ・ビート(1991年登場)

ホンダ・ビート(1991年登場)

ホンダ・ビート(1991年登場)

ルーフがないことに起因する剛性面への影響を徹底的に排除したモノコックボディ、3連スロットルや2つの燃料制御マップを備えたMTRECエンジン、ミッドシップ方式による前43:後57という理想的な重量配分(1名乗車時)など、クルマとの一体感のある走りの楽しさにこだわったビート。性能面においても極めて本格的なスペックが与えられていたにもかかわらず、メーカー資料には「スポーツカー」という言葉は見当たらず、「ミッドシップ・アミューズメント」というサブコピーが用いられていた。

軽自動車の寸法的な制約を一切感じさせない躍動感が漂うフォルムは発売から30年以上が経過した今も新鮮な印象を受ける。生産期間は1991年から96年までの5年間

軽自動車の寸法的な制約を一切感じさせない躍動感が漂うフォルムは、発売から30年以上が経過した今も新鮮な印象を受ける。生産期間は1991年から96年までの5年間

国産オープンカーは90年前からあった!

日産・ダットサン12型フェートン(1933年登場)

フェートンとは基本的に4人乗りの幌型車体を表すが、厳密なものではなく2人乗り車にも用いられることもあった。近年ではフォルクスワーゲンがクローズドルーフの大型サルーン(2002年発表・日本未導入)にその名を使用している

フェートンとは基本的に4人乗りの幌型車体を表すが、厳密なものではなく2人乗り車にも用いられることもあった。近年ではフォルクスワーゲンがクローズドルーフの大型サルーン(2002年発表・日本未導入)にその名を使用している

1916年のアロー号、1924年のオートモ号など、折りたたみ式の屋根を備えた国産車は他にもいくつか例があるが、その黎明(れいめい)期において最も多くの台数が製造されたのがダットサン12型フェートン。4気筒サイドバルブ式エンジンは最高出力12馬力を発生。今回はオープンカー企画ということで多少強引とは思いつつ(笑)登場いただいたが、舗装整備も十分とは言えなかった当時の道路事情を考えると、オープンカー的な爽快感を楽しんでいる余裕はなかったかも?

ぶった切ったようなフラット感が強烈だった

ダイハツ・リーザ スパイダー(1991年登場)

ダイハツ・リーザ スパイダー(1991年登場)

ダイハツ・リーザ スパイダー(1991年登場)

愛らしいタマゴ型フォルムや前席スペースを優先させた室内レイアウトを特徴としていたリーザをベースに、フルオープン化が行われたリーザ スパイダー。1989年の東京モーターショーで披露された試作モデルは4人乗りだったが、市販モデルは折りたたんだ幌を収める場所を確保するため2人乗りに。エンジンも90年1月の軽自動車規格の変更を受け550ccから660cc(ターボ付きのみ)に拡大された。ダイハツとしてはコンパーノ スパイダー以来、久々のスパイダーのネーミング復活となったが販売面では苦戦が続き、2年足らずで生産中止となった。

剛性を高めるためサイドウインドーにはピラーが追加され、三角窓状に分割。人工皮革シートやMOMO社製ステアリングもスパイダーの専用装備品だった。写真は未発売のNA仕様

剛性を高めるためサイドウインドーにはピラーが追加され、三角窓状に分割。人工皮革シートやMOMO社製ステアリングもスパイダーの専用装備品だった。写真は未発売のNA仕様

すべては、ルーフパネル一枚のために

ホンダ・CR-Xデルソル(1992年登場)

ホンダ・CR-Xデルソル(1992年登場)

ホンダ・CR-Xデルソル(1992年登場)

FFライトウエイトスポーツとして高い人気を誇ったEF8型CR-Xが路線を大転換。デルソル(スペイン語で「太陽の」という意味)なるサブネームが与えられ、軽快なオープン2シーターとして登場。最大の注目ポイントとなったのがトランストップ電動オープンルーフ。メータークラスター右側のスイッチ操作によりトランクが垂直に立ち上がり、細長いピンがルーフパネルをキャッチ。ユニット内へとパネルを引き込んだ後、トランクが下降する。開閉手順に要する時間は約45秒とされていた。

2本の支柱により垂直に立ち上がるトランクパネル部の動きは、合体ロボさながらの精巧さ。「もっと普通でいい(笑)」という顧客のために、手動脱着式も用意されていた

2本の支柱により垂直に立ち上がるトランクパネル部の動きは、合体ロボさながらの精巧さ。「もっと普通でいい(笑)」という顧客のために、手動脱着式も用意されていた

スバルブランド40周年記念の特別仕様車

スバル・ヴィヴィオ T-top(1993年登場)

ルーフがひょっこり飛び出したようなユーモラスなスタイルが特徴のT-top。MTとCVTを選ぶことができたが、駆動方式はFFのみだった

ルーフがひょっこり飛び出したようなユーモラスなスタイルが特徴のT-top。MTとCVTを選ぶことができたが、駆動方式はFFのみだった

ヴィヴィオの3ドアハッチバック車をベースに、マルチトップと名付けられた独特のオープン機構を採用したT-top。クローズド状態を基本に、リアウインドーを収納した「リアオープン」(操作は電動)、アルミ製ルーフパネルの中央部を残し、左右部分を外した「Tバールーフ」、中央部を取り去った「オープントップ」という4つの形態を楽しむことができた。93年に3,000台が限定販売された後、翌年には同様のルーフ機能に加え、スーパーチャージャーによる性能強化が図られたGX-T が登場。こちらは1,000台の限定発売となっていた。

タルガトップのクーペSUV

スズキ・X-90(1995年登場)

丸みを帯びた小さなルーフ部には同社のカプチーノの面影も漂うが、X-90のリアウインドーは固定式。トランク部のスポイラーは標準装備だった

丸みを帯びた小さなルーフ部には同社のカプチーノの面影も漂うが、X-90のリアウインドーは固定式。トランク部のスポイラーは標準装備だった

初代エスクードの3ドアモデルをベースに、独立したトランクを備えた3ボックスボディが与えられたX-90。オールアルミ製1600cc SOHC4気筒エンジンや強固なラダーフレーム、トランスファーを備えたパートタイム式4WD機構などもエスクード譲りながら、定員は2名となっていた。Tバー状に脱着可能なガラスルーフパネルはトランク内に収納。他には見られない斬新なコンセプトゆえ発売時は注目を集めたものの、販売台数は芳しいものとは言えなかった。

コンパクトなのに4人乗れる電動ソフトトップ

日産・マーチ カブリオレ(1997年登場)

日産・マーチ カブリオレ(1997年登場)

日産・マーチ カブリオレ(1997年登場)

1995年の第31回東京モーターショーに参考出品されたモデルをベースに、2年後に発売されたマーチカブリオレ。ベージュのソフトトップは電動開閉式だが、緊急時用としてトランク内に手動に切り替るスイッチも設けられた。内装カラーのアレンジもカブリオレ専用で、参考出品車の特徴だったパリの街並みをモチーフとしたプリント柄は見送られたが、ドライブマップ風のカラフルなパターンを採用。マーチの車体形状をデフォルメしたキーも、ルーフ部分がカットされたカブリオレ専用だった。

乗車定員は4名。リヤルーフレールと呼称されたキャビン中央のロールバーなど、入念な剛性対策も行われていた

乗車定員は4名。リヤルーフレールと呼称されたキャビン中央のロールバーなど、入念な剛性対策も行われていた

レア過ぎるミドルSUVのソフトトップ

トヨタ・RAV4 J ソフトトップ(1997年登場)

トヨタ・RAV4 J ソフトトップ(1997年登場)

トヨタ・RAV4 J ソフトトップ(1997年登場)

都会的なデザインや豊富なカラーバリエーションなど、女性ユーザーからの人気も高かった初代RAV4の97年9月に行われたマイナーチェンジ時に追加されたソフトトップ。そのネーミングの通り、センターピラーから後方部分を手動による折りたたみ式ソフトトップに変更。後部座席の乗員がフルオープン気分を楽しめるだけでなく、前席のルーフパネルも外枠部分を残しつつチルトまたは脱着が可能となっていた。

ソフトトップを折りたたむ際にはジッパーで固定されたウインドー部分を取り外すひと手間を要したものの、開口部の広さから開放感はバツグンだった

ソフトトップを折りたたむ際にはジッパーで固定されたウインドー部分を取り外すひと手間を要したものの、開口部の広さから開放感はバツグンだった

【特別編】
国内未発売だけど逆輸入で人気に。
斬新過ぎたLサイズSUVでフルオープン!

日産・ムラーノ クロスカブリオレ(2011年登場)

日産・ムラーノ クロスカブリオレ(2011年登場)

日産・ムラーノ クロスカブリオレ(2011年登場)

世界初のAWDクロスオーバーオープンという大胆なコンセプトのもと、2010年のロサンゼルスオートショーにおいてデビューを飾ったムラーノ クロスカブリオレ。2代目ムラーノのルーフパネルを電動開閉式のソフトトップに変更。さらに専用の2ドアボディを製作するなど、ムラーノの名前は持つものの、別物の新型車と言えるほどの力の入れようだった。極めて異色な存在ながら、後年ランドローバーやフォルクスワーゲンからも同様のモデルが発売されている。

上質なレザーシートやBOSE製スピーカーなどラグジュアリー志向でまとめられたインテリア

上質なレザーシートやBOSE製スピーカーなどラグジュアリー志向でまとめられたインテリア

オープンカー企画、いかがでしたでしょうか? かくいう筆者もTバールーフのトヨタ・MR2を8年、BMW・Z3を同じく8年、マツダ・ロードスターを10年と、それなりに長い期間オープンカー生活を送ってきました。使い勝手は季節や天候に左右されるし、街なかでは時折冷めた視線を浴びるなど(個人の感想です)、世の中的には無駄なモノの部類に入るのかもしれませんが、無駄だからこそ楽しい面もたくさんあります。ちょっと変わったクルマに乗ってみたいな、とお考えの方は、その選択肢にオープンカーを加えてみてはいかがでしょう?

高橋陽介

たかはし・ようすけ 雑誌・Webを中心に執筆をしている自動車専門のフリーライター。子供の頃からの車好きが高じ、九州ローカルのカー雑誌出版社の編集を経て、フリーに。新車情報はもちろん、カスタムやチューニング、レース、旧車などあらゆるジャンルに興味を寄せる。自身の愛車遍歴はスポーツカーに偏りがち。現愛車は98年式の996型ポルシェ911カレラ。

この記事のキーワード
この記事をシェア

この記事はいかがでしたか?

関連する記事Related Articles

  • トップ
  • 自動車
  • 特集
  • ユーノス ロードスター、シティカブリオレ、マーチカブリオレ…20世紀末に登場した懐かしの国産オープンカー11選