マークⅡ、レパード、クラウン、ブルーバードSSS…第1回日本カー・オブ・ザ・イヤー全ノミネート車の魅力を再検証!
第1回日本カー・オブ・ザ・イヤー全ノミネート車をモータージャーナリストが振り返る【後編】
バブル前夜の1980年、自動車生産台数世界一を達成した日本。その年に創設された「第1回日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)」では、マツダ・ファミリアが栄冠に輝いたが、ノミネート車両も個性豊かだった。高級志向とセダン全盛の時代を映すマークⅡ/チェイサー/クレスタ、レパード、クラウン、そしてスポーツマインドあふれるブルーバードSSSやギャランΣ……。当時の時代背景とともに、モータージャーナリスト・高橋アキラさんが各車の魅力を掘り下げていきます。
セダンが主流の時代
好景気で高級路線が人気だった
jaraku / PIXTA(ピクスタ)
1980年は日本の自動車生産台数が世界一になった年でもある。のちのアメリカとの貿易摩擦の要因になっていくのだが、それほど日本の自動車産業は活気があり、一家に1台の時代が到来してきた時だ。
当時、僕が生まれ育った町の近所を見渡しても、自家用車の所有率は年々向上していて、カローラやサニーというより、クラウンやマークⅡ、スカイラインといった高級セダンが増えていった印象だった。
第1回COTYはハッチバックスタイルのマツダ・ファミリアが受賞したが、世の中はセダンが主流。トヨタ・クラウン、日産セドリック、グロリアを筆頭に高級セダンが垂涎の的へと変化していた。1983年に発売された7代目クラウンのTVCMで「いつかはクラウン」のコピーが使われたように、クラウンのオーナーになることはひとつのステータスだったのだ。
ヒエラルキーで言えば、クラウンの直下にポジショニングしたマークⅡ/チェイサー/クレスタの3兄弟も人気があった。兄弟車は販売店の都合から誕生した歴史があり、マークⅡはトヨペット店、チェイサーはトヨタオート店、クレスタはトヨタビスタ店で販売。つまり販売店が違うとラインアップしていないモデルが存在することから、兄弟車が必要だったわけだ。
一方、日産にはセド・グロの直下にローレルとスカイラインが兄弟車として存在し、十分に人気はあったが、3兄弟にしたかったのだろう。ローレルとスカイラインのさらなる兄弟としてレパードが1980年にデビューしている。ローレルは日産モーター店(通称:ローレル販売)、スカイラインはプリンス店、そしてレパードはブルーバード店での展開だった。さらに、この年COTYにノミネートしているレパードTR-Xはチェリー店で販売していたレパードの派生車だ。
トヨタの3兄弟は類似系で作られたのに対し、日産3兄弟は個性的でもあった。とくにボディデザインがまったく違うわけで、世間的に兄弟車だということをどれほど認識されていたのだろうか。しかし、プラットフォームは共通であり、レパードはスカイラインとローレルとの共通部品も多く、足して2で割ったらレパードになったという、まるでレオポン(ヒョウとライオンの雑種)なのだ。
この高級路線のセダンだけではなく、大衆クラスでもセダン型が人気であり、日産ブルーバードや三菱のギャランΣ、そしてマツダ・ファミリアにまでセダンをラインアップしていた。つまり、クルマ=セダンという時代なのだ。
デザインの特徴は直線基調でスクエアなデザインがはやっていた。流線型でなだらかなシルエットを持つモデルはなく、四角なのだ。印象的だったのは910型ブルーバードで510型以来の大人気になった。やっぱり四角フェチがトレンドだったに違いない。
突然思い出したが、この頃のセダンのシートには、背もたれの中間まで、レースのハーフカバーをかけるのがはやっていた。今でも霞ヶ関あたりのハイヤーにはありそうな気もするが、なんでこんなことをしていたのか、今も皆目見当がつかない……。
そして愛車は毎週洗車をすることが当たり前の時代。僕の隣に住んでいたお兄さんも毎週日曜日に洗車をしていた。趣味は洗車なの? というほどクルマはいつもピカピカで奇麗だったが、走っている姿は印象にない。
いつの時代もクルマは愛車であり、大事に、大切に扱いたいと思うものだ。そうした溺愛のカタチがレースカバーや毎週の洗車という姿で現れていたのかもしれない。
第1回COTYのノミネート車はほぼセダン
ファミリアのライバル車9台を紹介
トヨタ・マークⅡ/チェイサー/クレスタ
4ドアハードトップの人気が高まった
高級志向の3兄弟車
クレスタが新たに追加されマークⅡ/チェイサー/クレスタの3兄弟となったモデル。2ドアの設定はなくなり、4ドアのセダンとハードトップ(クレスタはハードトップのみ)となる。3車は販売店の違いに加え、ヘッドライトやテールランプ、フロントグリル、エンジンなど仕様に違いがあった
トヨタ・マークⅡ(ハードトップ2800グランデ)
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4640×1690×1425㎜
ホイールベース:2645㎜
車両重量:1260kg
駆動方式:FR
車両価格(発売当時):214万5000円
販売期間:1980年〜1984年
日産レパードTR-X4ドアハードトップ
スタイリッシュなハードトップの
新高級スペシャルティカー
レパードTR-X(トライエックス)は、角型4灯ヘッドライトなど、レパードとの違いを設け、新高級スペシャルティカーとしてチェリー店で販売。当時国産最大のスラント角26.5度を持つスラントノーズやバンパー一体型のエアダムスカートなどを備え、Cd値0.37を実現したスポーツフォルムや世界初のマルチ電子メーターを採用するなど先進的だった
日産レパードTR-X 4ドアハードトップ(280X SF-L)
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4630×1690×1345㎜
ホイールベース:2625㎜
車両重量:1300kg
駆動方式:FR
車両価格(発売当時):266万3000円
販売期間:1980年〜1986年
マツダ・ファミリア4ドアサルーン
ハッチバックに加えセダンもノミネート
1980年6月の3ドアハッチバックに続き、同年9月に登場したファミリアの4ドアセダンもCOTYにノミネートされていた。4ドアサルーンと呼ばれ、3ドア同様のシンプルなスタイリングに加え、逆スラントのフロントグリルなどがフォーマルな印象を与えた
マツダ・ファミリア4ドア サルーン
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4155×1630×1375㎜
ホイールベース:2365㎜
車両重量:790kg
駆動方式:FF
販売期間:1980年〜1985年
三菱ギャランΣ(シグマ)/エテルナΣ
直線基調で個性的なスタイルを持つ
スポーティな4ドアセダン
三菱の主力セダンであったギャランΣ/エテルナΣ。110PSの2Lエンジンや95PSの2.3Lディーゼルターボなどハイパワー化を図ったモデルで、電子制御式の燃料噴射装置やドライブコンピューター、後席パワーリクライニングシートなど先進装備も備えていた。ギャランΣはギャラン店、エテルナΣはカープラザ店で販売
三菱ギャランΣ(2000ロイヤル)
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4570×1680×1370㎜
ホイールベース:2530㎜
車両重量:1190kg
駆動方式:FR
車両価格(発売当時):172万円
販売期間:1980年〜1983年
トヨタ・クラウン
“鬼クラ”と呼ばれた
迫力のあるフェイスが特徴
1979年に登場した6代目クラウン。直線を基調とし、正統な高級セダンらしいスタイルだが、押し出しの強いフロントグリルなどから“鬼クラ”と呼ばれた。トヨタ初のターボエンジン、運転席パワーシートやクルーズコントロール、電子チューナー付きオーディオなど、当時としては最新の装備を搭載。4ドアセダン、4ドアハードトップ、2ドアハードトップ、ワゴン、バンとボディーも多彩
トヨタ・クラウン(4ドアハードトップ ロイヤルサルーン)
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4860×1715×1410㎜
ホイールベース:2690㎜
車両重量:1500kg
駆動方式:FR
車両価格(発売当時):280万7000円
販売期間:1979年〜1983年
ダイハツ・ミラ・クオーレ3ドアハッチバック
軽乗用のクオーレより売れた
物品税がかからない軽商用車
1980年に登場したミラ・クオーレは、軽乗用車クオーレの商用車モデル。当時、贅沢品や嗜好品に対してかけられた物品税は商用車が対象外だったため、乗用のクオーレよりも商用のミラ・クオーレのほうが人気があった
ダイハツ・ミラ・クオーレ
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:3195×1395×1375㎜
ホイールベース:2150㎜
車両重量:535kg
駆動方式:FF
車両価格(発売当時):49万3000円
販売期間:1980年〜1985年
1980年(昭和55年)はどんな年だった?
1980年(昭和55年)はどんな年だったんだろう? って個人的に調べてみると、大きなトピックがたくさんあったことに驚いた。まずは山口百恵の引退。結婚して歌手活動を終了、ラストステージでマイクをそっと置く姿は印象的だった。確か21歳の百恵ちゃん、大人だった。僕の21歳は女子が大好きということしか記憶にない、脳が足りん生活をしてた。
そしてジョン・レノンの暗殺。驚いたなぁ。会ったことも話したこともないけど足りない脳が震えたことを覚えている。もうひとつ悲しかったのはモスクワオリンピックのボイコット。JOC前会長の山下泰裕が現役の選手で行かせてほしいと訴える姿がTVに映し出されたのを覚えている。
良いニュースは日本の自動車生産台数が1100万台を超え世界一になった。それがどういう意味なのか? こうして執筆していることが信じられないが、当時の僕には意味不明のニュースだった。
- 内閣総理大臣:大平正芳氏/鈴木善幸氏
- ゲーム&ウォッチ、ルービックキューブ、チョロQの発売がスタート
- 竹の子族が出現
- モスクワオリンピック開催。日本は出場をボイコット
- ホワイトデーが全国規模で広まる
- ポカリスエットの発売がスタート
- 日本の自動車生産台数が世界第1位に
1980年に開催されたモスクワオリンピック。日本は出場をボイコットした
A.Knyasev / Sputnik
タカラ(現タカラトミー)が発売していたチョロQは1980年に正式発売
ルービックキューブはツクダオリジナル(現メガハウス)が1980年に発売開始。写真は2024年に発明から50周年を記念して登場した「ルービックキューブ レトロ」
日産ブルーバード ターボSSS セダン
SSSターボが人気を誇った
大衆車のスポーツモデル
小型乗用車としてラインアップされていたブルーバードの6代目は1979年に登場。とくにSSS(スーパー・スポーツ・セダン)と名付けられた上級グレードは人気が高く、1980年には4気筒エンジンとしては国内初のターボエンジンを搭載したターボSSSを追加した
日産ブルーバード ターボSSS セダン
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4510×1655×1385㎜
ホイールベース:2525㎜
車両重量:1100kg
駆動方式:FR
車両価格(発売当時):150万1000円
販売期間:1979年〜1983年(ターボは1980年から)
ホンダ・クイント5ドアハッチバック
美しいスタイリングをもった
5ドアハッチバック
1980年に発売されたクイントは、アコードとシビックの中間に位置するモデルで、シャープな直線を基調に大きなウインドーで機能美を表現。端整で軽快な5ドアハッチバックだった。エンジンは1.6L(90PS)で、車重が軽いため走りも軽快。10モード燃費は14.5km/Lと経済的でもあった
ホンダ・クイント5ドアハッチバック(TE)
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4110×1615×1355㎜
ホイールベース:2360㎜
車両重量:895kg
駆動方式:FF
車両価格(発売当時):117万8000円
販売期間:1980年〜1985年
日産スカイライン ターボGT
「ジャパン」と呼ばれた5代目スカイライン
国内初のオートマターボも登場
通称「ジャパン」と呼ばれた5代目スカイラインは、1977年から発売されていたが、1980年に145PSを実現した2Lターボエンジン搭載車「2000ターボGT」を追加設定。ターボーチャージャー付きとしては国内初のオートマチックトランスミッション車設定した
日産スカイラインハードトップ 2000ターボ(GT-E)
SPECIFICATION
全長×全幅×全高:4600×1625×1390㎜
ホイールベース:2615㎜
車両重量:1210kg
駆動方式:FR
車両価格(発売当時):160万1000円
販売期間:1977年〜1981年(2000ターボは1980年から)
1980年代は、日本国内はもちろん海外でも日本車の需要が伸び、自動車業界は活気があった。そんな時期に始まったのが日本カー・オブ・ザ・イヤー。当時の主流はセダン。COTYのノミネート車両を見ても、ほとんどはセダンやハードトップであり、日本全体がセダン推しだったことがわかる。そんな中で3ドアハッチバックのファミリアが受賞したのは、かなりのトピックだった。その時代における変化のひとつだったのかも。

高橋アキラ
たかはし・あきら モータージャーナリスト、公益社団法人自動車技術会 モータースポーツ部門委員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、日本モータースポーツ記者会会員。やんちゃなチューニング全盛期の自動車専門誌編集者時代を経て、技術解説、試乗レポートなどに長けた真面目なジャーナリストに。Y30グロリアワゴン、マスタングなど愛車遍歴にはマニアックな車も多い。
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