関根勤さんキービジュアル
取材・文=平辻哲也(ENCOUNT)/ 撮影=鈴木大喜 / スタイリスト=高野いせこ(ジャケット=THE SHOP TETSU s.p.a / セーター=VULCANIZE LONDON / シューズ=ALKA / 他スタイリスト私物) / ヘアメイク=岩井マミ(M)

関根勤の人生を豊かに彩った愛車たち。カローラ1100からポルシェ・カイエン、そして現在の一台へ

日大自動車部時代から、孫娘を送迎する今日までの幸せカーライフ

バラエティー番組を中心にテレビ、ラジオ、CM、舞台、さらにはYouTuberとしても活動するタレントの関根勤さん(71)。大学時代は自動車部に所属した本格的なクルマ好きです。毎日のように5歳と9歳の孫娘を幼稚園、小学校へ車で送迎しているそうです。愛車遍歴だけではなく、大学生時代の自動車部の秘話、愛犬との思い出、若さの秘訣をお伺いしました。

目次

日本大学の自動車部は超ハード!
パワステ禁止で手の皮が擦りむけ…

千葉真一のモノマネをする関根さん

――クルマ好きはいつからですか?

子供の頃から電車には興味がなくて、クルマが好きでした。小学生の頃はジャガーEタイプ、キャデラックのミニカーで遊んでいました。自動車免許取得は高3のときです。その時はクルマを持っていなかったので、クルマを運転できる環境がいいなと思って、日大の自動車部に入りました。

――自動車部ではどんな活動をしていたんですか?

法学部のキャンパスは水道橋なんですが、1年生は大宮校舎。その頃、埼京線はなくて、自宅から2時間くらいかかりました。自動車部の拠点は八幡山で、授業はあまり受けてなかったな。車庫には6、7台あったかな。先輩たちが乗らなくなったクルマを寄付してくれるんですが、ろくにエンジンオイルの交換もしていないから、すぐに壊れるんです。

いくつか大会があって、整備大会、ラリー、フィギュアがありました。僕は整備はやりませんでした。ラリーはスピード勝負ではなくて、45分間ぴったりに運転ができると点数が高いんです。僕がやったのはフィギュアという競技です。S字コースみたいな狭い道を障害物に接しないようにして、タイムを競う。小型貨物の選手で、1年生の時には新人大会に出場し6人中3位だったかな。クルマはセダンからトラックまで全車種を運転しました。

――練習は大変でしたか?

合宿に行くと、空気を抜いて、タイヤを重くして、パワステも切っているものだから、ハンドルがものすごく重いんです。手の皮が擦りむけ、リンパ液を出しながら、プルプルしながら運転しました。軽井沢での合宿では、朝練でランニングも。法政大の自動車部と一緒に走ったんですけど、彼らがメチャ速かった。負けたら先輩に怒られると思って、必死で走ったら、彼らは2㎞くらい走った折り返し地点で、休憩するんです。あ、助かった、と思いました(笑)。

――自動車部の上下関係は厳しかったですか。

完全に体育会系でしたよ。1年生は2年生としか話せない。4年生には2年生を通して話すし、合宿では4年生の布団を敷くのが役目。「1年の関根です。入ってもよろしいでしょうか」と言って入るんです。行事に一人でも遅れると、すぐに連帯責任で、ビンタ。軍隊と同じですよ。ただ、こんなバカなことはここでしか通じないし、「どうぞ体育会系ごっこをやってください」と冷めて見ていたので、何も感じなかったです。3年までいたんですけど、すぐ上の学年のだらしなさに耐え切れなくて、辞めてしまいました。それで、その年10月に『ぎんざNOW!』(TBS)に出て、芸能界に入ることになるんです。だから、ちょうどよかったんですよ。

碓氷峠の出来事がきっかけで
BMW、ボルボ、そしてポルシェ・カイエンへ

外を眺める関根さん

――最初のクルマは何でしたか?

兄貴が頑張って、カローラ1100の中古を買ってくれました。色は黄色。19歳のときです。自動車部の整備がうまいやつにカツ丼をおごって、タコメーターつけてもらったんだけど、メーターが回るのがうれしくて、ガンガン回転させたら、4気筒うちの1つのピストンが壊れてしまって……。次はグレーのカローラ1400SL。これは4、5年乗りました。3台目は25歳のときに買った初代サニーカリフォルニアです。サイドにウッドパネルのあるステーションワゴン。アメリカっぽい感じで、荷物をたくさん載せられるのがよかったです。娘の麻里が生まれた33歳まで8年半乗っていました。

――8年間、結構長く乗られたんですね。

厳しい排ガス規制の時代で、サニーカリフォルニアには日産NAPSという排ガス規制に対応したエンジンが載っていました。サニカルは車重が軽いので、街中の走りはいいんです。でも、ある時、妻と軽井沢に行ったんです。碓氷(うすい)バイパスでは10トントラックが登坂車線に入って、道を譲ってくれました。でも全然パワーがなくて抜けない。それが後にポルシェを買うきっかけにもなったトラウマになるんですよ(笑)。

――次のクルマは?

ホンダアコード2000cc。色は紺色です。2000ccというのは、若い頃の憧れだったんです。8年半、出力を抑えた1400ccに乗っていたから、クルマの技術の進歩にはビックリしました。走りはスムーズで、ハンドルは軽いし、パワーもある。次は、ウイングターボが搭載されたホンダ・レジェンドです。これは速かったです。

――クルマのパワーが少しずつ大きくなったんですね。

芸能界にいますと、みんなが「ベンツやBMWがすごい」と言うんです。僕はベンツには興味なかったけど、BMWには乗ってみたかったんです。3シリーズの2.5リッターがよかったのですが、右ハンドル仕様がなく、左ハンドルだとマンションの駐車場の壁の関係で乗れなかった。それで、右ハンドルの紺色の2リッターを買ったんです。ちょっとパワー不足でした。多分、ホンダのウイングターボがすごかったんだと思いますね。その頃、ゴルフもやっていたんですが、トランクにもあんまり入らないんですよ。それで、ボルボの赤のステーションワゴンに乗り替えることにしました。

――ボルボはいかがでしたか?

でしゃばらない雰囲気が気に入りました。ボルボは3台乗りました。ステーションワゴンも乗ったし、T5というスポーツタイプのグリーン・ブルーにも乗りました。クルマはどんどん速くなっていくけれど、僕には実はそこまでのスピードは必要なかった。でも、僕は排ガス規制エンジンのトラウマがあったんです。

――それで、ポルシェへ?

クルマ好きとしては昔から憧れがあったんです。でも、「今さらポルシェ911 とかスポーツカーを買ったら妻に怒られるだろうな。犬もいるし、子供もいるし、ゴルフバッグも入らないし」と思ったら、カイエンが出たんです。「SUVだ。犬も乗せられるし、ちょうどいい」と思ったんです。

――カイエンは2002年発売のポルシェ初のSUVでした。

ポルシェは少しピーキー(高性能ゆえに扱い使いにくい)かなと思ったら、そんなことは全然なかった。昔、「ランボルギーニに乗ってみたい」と言ったことがあって、テレビ番組の『浜ちゃんと!』(読売テレビ)の企画で実現したことがあったんですけど、乗りにくかった。運転しにくいし、クラッチは重いし、もう二度と乗らない、と思いましたよ(笑)。そのイメージがあったのですが、カイエンはSUVで快適に運転できる。そこから3、4台乗りましたが、全部ターボ車で、色はシルバーでした。

――碓氷バイパスのトラウマですね(笑)。

そうなんです。カイエンは少し大きいかなと思っているときに、ひと回り小さいマカンが出たんです。8、9年前かな。色は濃紺。ディーラーの提案に乗って、いろいろオプションを付けてしまい、結局、金額も張りました。「スポーツタイプのカーボンセラミックブレーキはどうですか。足回りが良くなって、よく利きますよ」と言われるんです。僕は装飾品にはお金を出す気はないんですけど、「安全のため」と言われると、付けたくなってしまう。でも、これが間違い(笑)。ちょっと踏むだけで、利きすぎて、頭がガクンと揺れるほど。妻からも「勘弁して」と言われました。これって、サーキット走行用の装備なんです。もともとポルシェのブレーキはよく利くので、僕には要らない装備でしたね。

――今の愛車は何ですか?

白のレクサスNX350です。麻里が「友達がレクサスに乗っているので、紹介してもらえば」というので、そうだよな。さすがに70歳過ぎて、ターボはないよな、と思い直したんです。ポルシェぐらいになると、クルマが「もっと行きましょうよ」と誘ってくるんですよ(笑)。でも、その力も発揮させてあげられないので、クルマにも気の毒かな、と。

初めてハイブリッドにしましたが、燃費は倍以上いいです。安全装置も充実していて、駐車時にはアラウンドビューモニターもあって、よく見えるし、周囲に人がいたら、自動ブレーキもかけてくれる。走行支援機能もすごいんです。「信号が変わります」「救急車が来ます」とか教えてくれる。ちょっと使い切れないくらい。乗り心地も良くて、試乗の時から妻と麻里は後ろの席で寝ていましたから(笑)。マカンは出足が良かったので、遅かったら、イヤだなと思っていたんですけど、出足もスムーズで遜色ないんです。

――関根さんは8年くらい乗られて、乗り替えるのが多いようですが、クルマ選びのこだわりは?

特別なものはないです。クルマは快適に移動するためのアイテムだと思っています。僕は旧車には興味がないです。きっと旧車を愛する人は、芸術的な感覚ですよね。それに旧車は故障のリスクもあって僕にはちょっと怖いです。

――歴代の愛車で特にお気に入りはありますか?

お気に入りとは違うかもしれませんが、一番驚いたのは、ホンダ・アコードです。8年半、排ガス規制のエンジンに乗っていたので、その間、僕は浦島太郎状態だったんで、進化に驚きました。ボルボからポルシェに乗り替えたときも、そこまでの差は感じなかったんです。やっぱり、たまにはアップデートしていかないと、その進化にも気づきませんね。携帯電話も、スマホはいらないと思っていましたが、実際に使ってみると、やっぱり便利。アプリで孫娘の写真を受け渡ししたり、決済アプリも手放せません。

クルマは人生を豊かにしてくれるアイテム
友達みたいなものかな

椅子に座る関根さん

――スマホも使いこなして、いつまでも若々しいですね。

こないだ、買い物にでかけたとき、歩くのが遅い人がいて、追い抜いて、家まで帰ったんですけど、自分でも「71歳っていう意識がないよな」と思いました(笑)。

――若さ、健康の秘訣はなんですか?

ゴルフは大きいです。50歳のときは体調を崩して、トレーニングに通っていた頃もありました。その頃、犬を飼っていたことも大きいかな。

――オスのゴールデンレトリバーのライル君ですね。

毎日、散歩で90分歩いていました。どんなトレーナーよりも厳しいですよ。トレーナーだったら、「今日は調子悪いです」と言ったら、「では、ちょっと軽いトレーニングにしましょうか」と言ってくれるけど、うちの犬は雨でも台風でも外に出て、必ず排便する。容赦してくれませんから(笑)。

――飼うことになった経緯は?

ずんの飯尾和樹君が住んでいた一軒家に、チワワとゴールデンレトリバーの子犬を連れて行ったらどうなるのか、というテレビ番組の企画で登場した犬だったんです。企画が終了したときに、高校生だった麻里が「飼いたい」といったんです。でも、飯尾君が7か月になるまで甘やかして育てたものだから、大変でした。

最初の散歩は腕がちぎれそうなくらい力が入りました。結婚指輪が歪んじゃって、2つ買い直しましたから。これでは、体がもたないと思って、2歳のときに訓練を受けさせたんです。訓練士さんから「やり方を教えるので、一緒にやりましょう」と言われ、3か月間、週1、2回訓練しました。訓練士さんは「膝から前に歩かせないでください」と言うんですけど、犬にしてみれば、「2年間自由にやってきたのに、何をいまさら」ですよね。全然、言うことを聞いてくれない。僕はへこたれちゃって、最後は「もういいよ。自由に行け」と諦めました。

ところが、犬は妻の言うことを聞くんです。妻は長女なので命令慣れしているんですかね。ある時、近所の人から「関根さんの家は大きな犬2匹も飼っていて、大変ですね」と言うんです。おかしいなと思ったら、犬は、僕と妻で全然違う対応してみたいで……(笑)。麻里にも同じ対応で、僕と一緒のときだけ前に行きたがる。人を見ていたんですよ(笑)。カイエンに乗せて、お台場海浜公園まで連れていったり、雨の日は高速道路の高架下で散歩させたり……。2015年に亡くなりましたけど、アイツには鍛えられました。

――ドライブライフはどんな感じですか?

結婚する前はよく軽井沢に行きました。後は芦ノ湖カントリークラブの平日会員だったんで、妻とよくゴルフに行きました。結婚前は妻の職場、銀座まで迎えに行って、食事してから江東区の家まで送るという毎日でした。僕ら世代にとっては、クルマはモテるためのアイテム。だから、免許も取って、クルマを買うのが当たり前でしたね。

――JAFには加入されていますか。

以前は入っていました。カローラ1400で高速道路を走っていたとき、ボンネットから煙が出まして、ちょうどJAFのレッカー車が走っていて、トヨタの工場まで運んでいただいたこともあります。助けられましたね。

――今はどのように乗っていますか?

日常的に使っています。朝は年中組と小3の孫娘を幼稚園、小学校に送り届けたり、夜はお迎えに行ったり。クルマではJ-WAVEを聴いていますね。別所哲也さんの『J-WAVE TOKYO MORINIG RADIO』がお気入りで、最近、モノマネもできるようになりました。

――関根さんにとって、車はどんな存在ですか?

人生を豊かにしてくれるアイテム。友達みたいなものかな。年齢のこともあるので、いつかは自動車免許を返納しないといけないと思っています。妻や娘から「もう返納したほうがいいよ」と言われたら、素直に受け入れます。目安として、80歳までは。でも、急にクルマに乗らなくなると、ボケが始まるらしいですね。運転はものすごく脳を使いますから。孫を乗せているので、安全運転を心がけています。それがボケ防止にもなっているかもしれませんね。

関根 勤さんがドライブで聴きたい5曲

  • トム・ジョーンズ「It's Not Unusual」…僕は中学時代からトム・ジョーンズが大好きで、「カンコンキンシアター」のオープニングにも使っています。曲を聴くと、テンションが上がるんです。
  • 尾崎紀世彦「また逢う日まで」…1971年リリースの日本レコード大賞・大賞曲ですね。先にトム・ジョーンズを知ってしまったから、パワフルな人が好きなんですよ。
  • 松崎しげる「愛のメモリー」…チョコレートのCMで一斉を風靡しました。力強い歌声がいいですよね。
  • 布施明「君は薔薇より美しい」…こちらは化粧品のCMソングでした。布施さんもパワフルな人ですよね。元気が出ます。
  • 矢沢永吉「止まらないHa~Ha」…1986年発表のロックンロール・ナンバー。プロスポーツ選手が登場曲に多く使われています。那須川天心さんも使っていますが、これがかかると、会場も盛り上がります。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

JAF会員限定 関根 勤さん直筆サインプレゼント

サインを持つ関根 勤さん

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・プレゼント内容:関根 勤さん特製サイン色紙
・当選者数:3名(発表は発送をもって代えさせていただきます)
・応募締切:2024年11月17日

  • オークションサイト、フリマアプリなどでの転売を禁止します。

関根 勤

せきね・つとむ 1953年8月21日生まれ。東京出身。TBS「ぎんざNOW!」の素人コメディアン道場で初代チャンピオンとなり1974年12月に芸能界入り。デビュー後1975年には「ラビット関根」の芸名を桂三枝師匠よりいただく。1982年にANB(現テレビ朝日)「欽ちゃんのどこまでやるの!?」レギュラー出演の際、番組内容により本名「関根勤」に戻し活動、現在に至る。バラエティ番組を中心に、テレビ・ラジオ、CM、舞台など幅広く芸能活動を行っている。

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