エンジン音を愛する国生さゆりの愛車遍歴。ベンツのスポーツセダンからユーノス・ ロードスターと多彩な相棒
乗り物やメカがとにかく大好き。「エンジンが付いてるものはご飯のおかずになります(笑)」アイドルとしてデビューし、女優としてドラマ、バラエティーに出演し、小説家としても活躍する国生さゆりさん。芸能生活40周年を迎えた今も、「エンジン音だけでご飯が食べられる」と語るほどの乗り物好きです。ベンツのスポーツタイプやロードスターを乗り継ぎ、おニャン子クラブ時代には全米バイク横断企画にも挑戦した経験も。クルマは「孤独になれる空間」と話す国生さんに、愛車の思い出や芸能生活などを伺いました。
取得に苦労したバイク免許の思い出
レブル450&ナイトホーク450でアメリカ横断旅
──国生さんはクルマ・バイク好きですが、きっかけは?
私は何より「駆動するもの」が大好きなんです。戦闘機や戦車、バイク、自転車まで。父は車検のたびに新車に買い替えていました。今考えるとぜいたくですけどね。物心がついた頃に乗っていたのはギャラン(三菱)。その後は日産ローレルとかスカイラインに。私はローレルの後ろ姿が特に好きでした。お尻フェチなんです(笑)。
──子供の頃のドライブの思い出は?
夏休みは家族で車中泊しながら、実家のある鹿児島から福岡まで行きました。後部座席に布団を敷いて寝たり、高速のサービスエリアでご飯やおもちゃを楽しんだり。それが大きなイベントで、移動が全然苦じゃなかったんです。
乗り物に乗っていると、周りが動いているのに自分は静止している感覚。F1のアイルトン・セナを見たとき、車体に空気が流れるのを見て「風が見える」って感動しました。
──おニャン子クラブ時代は、全米をバイクで旅する企画をやりましたね。
当時のマネジャーさんに「何かやりたいことある?」と聞かれました。おニャン子の皆さんは自分の好きな企画で写真集を作っていたのですが、私は映画『汚れた英雄』(1982年)でバイクの後ろ姿を初めて見て、これだ、と思いました。
主演の草刈正雄さんもすてきでしたが、ヤマハワークスに所属していたスタントマンの平忠彦さんがすごいハンサム。バイクの開発にも携わるぐらいメカに強くて、もちろんレーサーとしても強かった。膝を擦りながら、コーナーを曲がる姿、角度、仕草、動作がものすごくきれいで、私も乗ってみたいと思ったんです。
──バイクの免許取得は大変でした?
苦労しました。昔のことだから、あまり覚えていませんが、まず学科試験でつまずきました。私はそれまで勉強らしい勉強をしたことがなく、免許にも「練習問題集」というものがあることを知らなかったんです。当然対策もしないで試験を受け、落ち続けました。マネジャーに呆れられて「問題集やってるの?」と言われ、「何それ?」って(笑)。そこから問題集や蛍光ペンと赤い下敷きを買って、勉強したら、すぐ合格できました。
──実技のほうは?
こちらも苦労しました。特にシフトダウンのタイミングがわからなくて、手足を同時に反応させなきゃいけないのが苦手でした。急制動で転んでしまって、廃タイヤで作ってあるタイヤの壁にぶつかったり、一時停止からの押しがけで失敗したり。一本橋も苦手で、何度も落ちました。教官の方々には随分ご心配をおかけしました。
──念願のバイク旅はどうでしたか?
ホンダさんが提供してくれたレブル450とナイトホーク450の2台でルート66を走って、アメリカを横断する旅でした。スタッフのおじさんたちは『イージー・ライダー』世代だったので、ノリノリだった思います。
ニューヨーク五番街を出発して、いきなり右折で転び、クルマへ当たりそうになりました。寸前のところで、バイクコーディネーターの方が身を挺して守ってくれました。最初から転ぶなんて、私の人生みたいでしょ?(笑)。「言ったじゃないですか!」って後で怒られたけど、楽しい思い出です。そしてアメリカって風景も文化も違うんだなって思いました。
途中で写真集の撮影をしながら、バイクで走り、日が暮れたら、近くのホテルに宿泊しました。川の近くで撮影したら、目の前にワニがいた、なんてこともありました! サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを渡ったとき、風でジャンパーがバタバタして飛びそうになり危なかったことも、今ではいい思い出です。
──帰国後は?
事務所に内緒で250ccのレブルを買いました。また同じように転び、次の日に仕事でマネージャーさんから「どうしたの?」って聞かれて「階段から落ちた」と言い訳しました(笑)。
愛車のエンジンがかからないトラブルも経験
「JAFさんとはすごく仲良くなりました(笑)」
──自動車免許を取ったのは23歳のときと伺いました。
世田谷区の少し入り組んだ地域に住んでいて、クルマがないと生活しにくい場所で、細い道も多く、まだ田園風景も残り細い道もありました。私はけっこう気を使うほうなので、仕事のときに送り迎えしていただくのが申し訳ないなと思って。ただ、事務所からは反対されました。
──初めてのクルマはメルセデス・ベンツのスポーツセダン「190E 2.5-16」でしたね。
斜め45度から見たフロントの姿が美しいスポーツカーでした。フロントの面構えやお尻のライン、リアウイングなどの造形が好みで、一目惚れでした。当時は新車がほとんど出回っておらず、たまたま世田谷通りの中古車店に飛び込みで入り、探してもらいました。実は今でもそういう癖があって、気になる店があると洋服屋でも雑貨屋でも飛び込みで入っちゃうんです。
──買う際に印象的だったことは?
担当者の方から「部品は輸入頼みで、あるかどうかもわからない。だから大切に乗ってください」と言われました。実際、水温計がすぐに上がるなどトラブルもありました。でも低く重厚なエンジン音を聞いた瞬間に感動してしまって、その言葉は気になりませんでした。その後もバイクや車を選ぶときは、トルク感や音に惹かれることが多いです。
──最初にドライブした場所はどこですか?
河口湖です。東京から100kmちょっとという距離感も練習にぴったりでした。中央道がまっすぐで走りやすく、とても気持ちよかったです。ユーミン世代なので、「中央フリーウェイ」も聴いていましたから。
──都内の道は覚えるのが難しいですよね。
私は地図を読むのが苦手だったので、まず国道246号を基準にして、そこから目黒通りなど少しずつ道をつなげて覚えていきました。ナビがない時代でしたから、自分で得意な道を広げるようにして、少しずつ方向感覚を養っていったんです。その結果、地図も読めるようになりました。
──運転を通じて得たものは?
「自分で解決する力」を身に付けました。地図も読めなかった私が、自分の力で道を覚え、問題を解決できるようになりました。人生も同じで、自分で乗り越えるしかないと思いました(笑)。
──どれくらい乗ったんですか?
3年ぐらい乗り、そしたらタイミングベルトが切れました。なるべくブレーキを強く踏まないような人が運転上手な人だと思うんですけど、私は踏んじゃうからブレーキパッドもすぐ減って、最後はバッテリーが弱くなって……。数日乗らないとエンジンがかからなくなることもありました。
──その時はどうされたんですか?
JAFさんとはすごく仲良くなりました(笑)。当時は今みたいにケータイもないし、カスタマーセンターのシステムも整ってなかった時代でした。来ていただいた隊員さんが、クルマ同士をつなぐブースターでエンジンを復活させてくれ、しばらく走って充電したりしていました。
──2台目も同じモデルにされたんですよね?
本当に気に入っていたんです。車内の独特の香りも好きだったし、メーターやペダルのコンパクト感も良かった。バックするとき、サイドミラーが下を向いて足元を見やすくする機能もあって、自分の手足のように操れる感覚でした。視界がぴったり合っていたんでしょうね。それで2台目も10年くらい乗りました。
──どのくらい走られたんですか?
4~5万㎞だったと思います。メンテナンスにお金もかかるようになって、普段使いが難しくなってきたので泣く泣く手放しました。査定してもらったら値段がつかないと言われました。
──その後はユーノス・ロードスターでした。
街で見かけて、深い緑のボディーにキャメル色の内装がすごくかっこよかった。ヘッドライトがパカッと上がるのもかわいい。当時飼っていたダックスフンドとよくドライブしました。やっぱり、河口湖方面が多かったです。関越道や常磐道はちょっと怖いんです。
──クルマは欠かせない存在だったんですね。
東京を離れたり鹿児島に住んだりして、一時はクルマを持たない時期もありました。戻ってからはフェアレディZ(日産)に。お尻のラインが堂々としていてラテン的だなと思って、色もマルーンという色で青のラメをオーダーして乗りましたが、10年くらい前からプライベートで運転するのは控えているんです。
──どうしてですか?
何かあったときにやっぱり迷惑をかけてしまうなと思って。仕事用にアルファード(トヨタ)を内装からオーダーメイドして、白と赤のダイヤモンドステッチにしたり、次のヴェルファイアも内装にこだわりました。だけど、次第に断捨離の気持ちが芽生えて、こだわりをなくしてシンプルにしようと思い、運転することを手放し10年ほどは経ちます。
芸能生活40周年での「おニャン子」への思い
「自分の原点として外すことはできません」
──今はバイクも乗っていないんですね。
バイクはしばらく乗ってから、売りに出しました。免許も、クルマの免許を取る前にわざと失効させたんですよ。持っていたら、乗りたくなってしまうんで。思い返せば、もったいなかったですね。
──最近はクルマにも乗っていないのですか?
その代わりではないですが、自転車を買ったんですよ。バットマンが乗るようなタイヤが太い自転車に乗りたい、と思ったのですが、自転車店で、「自転車には17歳の頃から乗っていない」と言ったら、「そんな人が乗ったら危ないです」と言われたので、もう少しスピードが出ないタイプの自転車にしました。それでも、風を切る感じが気持ちいいんです。私は自転車ですれ違うのが怖いから、すぐに道端で止まってしまうんです。待っていると、すれ違う皆さんがペコッてあいさつしてくれて、私もペコリ。その一瞬がものすごく楽しい。小さな気遣いをすごく肌で感じて、ものすごい新鮮です。
──今は運転する機会はないそうですが、今でもクルマがお好きなんですね。
エンジンの付いたものは全部好きです。もうエンジン音だけでご飯が食べられるくらい。今もF1は観ていますし、マン島TTレースも一度は生で観てみたい。『トップガン マーヴェリック』は観ましたか? 戦闘機を観るのも大好きですし、トム・クルーズがニンジャ(カワサキ・GPZ900R)で登場してくるのを観て、「うわ、また乗りたい!」と思ったくらいです。乗り物やメカがともかく好きで、ガンダム、巨神兵も! 赤い彗星のシャアが乗っていたザクも玄関に置きたいくらい(笑)。エンジンが付いてるものはご飯のおかずになります(笑)。
──今年、芸能生活は40周年を迎えました。今のお気持ちは?
長かったようでもありますし、短かったとも思います。あまりに一生懸命だったので、振り返ることは少ないのですが、30~40代の頃は少し大変だった気もします。
──どのような点が大変だったのでしょう?
やはり時代の雰囲気や、ドラマの現場の空気が変わっていったことです。それに加え、『ロンドンハーツ』の「格付けしあう女たち」などのイメージがどうしても先行してしまいました。私自身はもっと天然な人なのに(笑)。
──芸能界から離れたいと思った時期はありましたか?
いつも離れたいと思っていました。芸能界はいつまでも椅子取りゲームをしているような感覚で、厳しい場所ですから。でも、他にできることがあるのかわからなかったんです。18歳でデビューして、アルバイトすらしたことがなかったので、この仕事にしがみつくしかありませんでした。
──でもこの世界が好きだった?
そうだと思います。好きだから続けられたし、向いている部分もあったんだと思います。高校卒業後は資生堂の美容部員になることが決まっていました。もしそのまま進んでいたら、まったく違う人生を歩んでいたかもしれません。ご縁に恵まれて幸せに暮らしている友人たちもいるので、それも一つのパラレルワールドとして存在していたと思います。
──40周年を記念してのイベントなどの予定は?
今のところ、考えていないです。やるとしたら「おニャン子クラブ」としてがいいと思います。私は地方から上京しておニャン子に入れてもらった恩があります。だから自分の原点として外すことはできません。おニャン子として、イベントができたらファンの方々に一番喜んでいただけると思います。ただ、実現は難しいかもしれません。秋元康先生が声を上げてくだされば、多くの方が賛同しやすいんじゃないかなと思っています。
──最後に国生さんにとってクルマとはどういう存在ですか?
クルマは孤独になれる数少ない場所だと思います。人間って孤独を嫌がるけど、孤独って大切にしたほうがいい気がします。人間は他人の感情を探って合わせたり、バランスを取る。孤独になると、自分と向き合うことができる。それが私にとってはリセットする時間、自分を取り戻す時間になっていました。
国生さゆりさんがドライブで聴きたい5曲
- ジャスティン・ティンバーレイク「SexyBack(feat.Timbaland)」…小説の主人公がランニングマシーンで聴いていた曲です。真似てみたら気持ちよく、驚くほど距離が出せました。勢いをつけたいときや気持ちを上げたいときに欠かせません。
- King Gnu「逆夢」…映画『劇場版 呪術廻戦0』のエンディングテーマです。推しキャラ・五条悟さまを通じて出会った曲です。夢が現実と交差する皮肉や人生の切なさを感じさせてくれる。出だしの美しさもお気に入りです。
- ケツメイシ「さくら」…春に散歩するときによく聴く曲。センチメンタルな気分になったときにぴったり。桜の情景とともに心に響きます。
- 小田和正「時に愛は」…中学時代にはカセットに録音して友達と回し聴きしていました。あの頃の友情や切なさを思い出させてくれます。
- krage「夏の雪」…アニメ「後宮の烏」のエンディングテーマ。雪や桜が舞い落ちるような映像と重なって心を打ちました。静かな始まりが特に印象的です。
(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)
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国生さゆり
こくしょう・さゆり 1966年鹿児島県生まれ。1985年、フジテレビ系『夕やけニャンニャン』から「おニャン子クラブ」会員番号8番としてデビュー。翌年のソロ曲『バレンタイン・キッス』が大ヒットし、国民的アイドルとして人気を博す。グループ卒業後は女優としてテレビドラマや映画に出演。バラエティーや小説執筆でも活躍する。趣味は音楽、映画鑑賞、シュノーケリング、ラン。焼酎アドバイザー、鹿児島県お茶大使、鹿児島県鹿屋市バラ大使、本場大島紬大使、鹿児島県薩摩大使。
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