取材・文=平辻哲也(ENCOUNT)/撮影=鈴木大喜/ヘアメイク=曽我和彦・佐々木大輔(TRINE)/スタイリスト=松田綾子(オフィスドゥーエ)/衣装=ファージレ・DUE deux/ピアス=アビステ

高島礼子、車と並走の半生「車に見合った人間になりたいと、自分を奮起させてきました」

会社員からレーサー、俳優への道のりと愛車遍歴を語る
目次

映画、ドラマ、舞台、CMと幅広い活躍を見せる俳優の高島礼子さん(59)は、異色のキャリアの持ち主です。自動車会社の会社員、アマチュアレーサー、レーシングチームのキャンペーン・ギャルを経て俳優に転身。16歳で原付免許を取得したのを始めに、21歳のときにAライセンス、37歳で大型自動二輪の免許を取得し、ハーレーダビッドソンにも乗っていました。高島さんはなぜ、車やバイクに魅了されてきたのでしょうか。

16歳で原付バイク免許、18歳で普通免許、
そして19歳でレースの道へ。当時の戦果は…

微笑む高島さん

――レーサーから女優への転身という珍しいキャリアをお持ちですが、バイク好き、車好きはいつからでしたか。

横浜市の実家は、どの駅へ行くにもバスを使わないといけなかったんです。閑静な住宅街ではあったんですけれど、不便でした。だから、周りの子たちは早くから乗り物に目覚めるんです。友達にはバイク好き、車好きが多くて、私も16歳になった夏に原付免許を取りました。

――原付バイクでは、どんなところに行きましたか?

休日は横浜の山下公園に行ったり、湘南や箱根の方まで遠出したり、一気に行動範囲が広くなりました。当時の私にしたら、一番大事なのが運転免許でした。免許を取って、乗り物に乗って、自由にあちこち行きたいっていう気持ちが強かったんです。

――普通免許の取得も18歳だったそうですね。

17歳のうちに仮免許まで取っておいて、18歳になったのと同時に免許を取りました。母が免許を取ったというのも大きかったんです。それで、車を買って、親しむきっかけになりました。母も免許を取ることを応援してくれました、

――アマチュアレースに参加したきっかけを教えてください。

自動車会社で働いていた19歳の時でした。車好きの友達が多くて、富士スピードウェイで開催されるフレッシュマンズ・レースや筑波サーキットでの走行会に誘われて、ハマりました。

――レースにはお金もかかりそうですね。

何百万円も使っていました。私は高校のときからアルバイトで結構、稼いでいたんです。多分、普通の方よりも多かったんじゃないかな。それで、少し自由になるお金もあって、親も補助してくれたので、それを全部つぎ込んで、使い果たしました(笑)。

普段の練習はサーキットでの走行会。自分で2トントラックを借りて、車を運んで、メンテナンスして、走行費、ガソリン代、手伝ってくれた人たちのお食事代、宿泊費など払わなきゃいけない。1か月の給料分は軽く飛んでしまいます。

――レースはどれくらい出場されたのでしょうか。

レース活動は正味2年、出場したのは2回です。チームに所属して、1年くらい、みなさんの車のメンテを手伝う期間があって、その後自分のレースのときにも手伝ってもらいました。出たのは、レディースが出場する(いすゞ)ジェミニのワンメイクレースと男女混合の富士フレッシュマンの2戦。結果は散々たるもの。ひどいもんでした(笑)。

――最初のレースは緊張しましたか。

先輩たちがいろいろと指導してくれたんですけど、船頭がたくさんいて大変です(笑)。下見と言って、コースの外周を回ってみたりもしたんですが、実際は凹凸や坂もあったり……。

ジェミニのワンメイクレースは一種のお祭りでした。いすゞとフットワークがクライアントだったので、車が全損しても15万円だけ払えば免責。少し擦っても、ひっくり返ろうが、関係ないんです。レースに出るような女性って、すごいんです。みんなぶつかりながら、抜いていくので、私も最後は車が走行不可能になって、リタイアでした(笑)。

女性はどこか感情的になるところがあるんでしょうね。野田樹潤(じゅじゅ)さんのように女性レーサーで頑張っている人もいますけど、男性の方が向いているのかなと思いました。

――キャンギャルになったのはレースを続けるためだったそうですね。

キャビンレーシングがキャンギャルを募集しているという話を聞いたんです。「結構、ギャラもいいらしいよ」って。応募してみたら受かっちゃって……。80年代前半はカーレース絶頂期でした。キャビンレーシングはGTとF3000に参戦していて、毎週のようにレースがありました。チームの方からは「あなたがレースをやりたい気持ちはわかるけど、(けがをしたら)キャンギャルの仕事ができなくなるのでレースはやめてください」と言われ、平日は(広告代理店の)第一企画が運営する事務局に勤め、週末にキャンギャルをやりました。

――キャンギャルのお仕事はいかがでしたか。

本当に理想的な環境でした。キャンギャルの同僚は一般公募の子ばかりで、楽しかったです。レースは勝てばいいですけど、やっぱり負けちゃうこともあるので、そんな時は暗い雰囲気にもなりました。そんな中、時代劇ドラマ『暴れん坊将軍』出演のお話をいただけて、芸能界に入ることになりました。

命の次に免許が大事!
30歳のときにはベンツに乗ると決めていました

窓辺に座る高島さん

――少し話は戻りますが、車遍歴についてお聞かせください。最初は日産ラングレーでしたね。

18歳の時に、母が買ってくれました。中古車で18万円。当時の私にしたら、大金でした。スカイラインに憧れていて、ラングレーはスカイラインの妹分と言われていました。白のマニュアル車で、2年くらい乗りました。小さい車(1,500cc)で、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)。免許取り立てにとってはすごく運転しやすい。練習にはぴったりの車でした。

――2台目の車はトヨタ・チェイサーですね。

20歳のときに母が亡くなり、愛車のチェイサーを譲り受けました。母の形見だったというのも大きかったですし、チェイサー(追撃者)という名前も気に入っていました。当時はチェイサー、マーク2、クレスタがはやっていて、仲間内で私一人がチェイサーだったというのも優越感がありました。ホイールとタイヤだけかっこよく決めて、後はノーマルで乗っていました。

――3台目もチェイサーだったんですね。

22歳のときでしたが、ここから自分で買い始めました。スポーツカーはあまり好きではなくて、箱型のボディーが好きだったんです。

――ドライブも楽しみましたか?

若い頃は、たこ焼き食べに大阪に行って、そのまま帰ってくるといったことをよくしていましたね。遠いところでは仙台にも行きました。今まで一番遠かったのは神戸でしたね。

――芸能界に入ってからはアウディ80、BMW 3シリーズと外国車が続きますね。

当時の私からすると、車は一種のステータスだったんです。だから自分の収入よりもいい車を買うことにしていました。それで、車に見合った人間になりたいと自分を奮起させていたんですね。18歳の頃から、30歳のときには絶対ベンツに乗ると決めていました。

――それで、30歳のときにメルセデス・ベンツ E320を手に入れました。うれしかったのではないでしょうか。

うれしいというより、当たり前だと考えていました。当時は車にお金を使うことが当たり前、車がステータスの時代です。ブランドや服に興味もなかったですし、私も周りの友達も、“服はTシャツ、ジーパンで食事は質素でも、車だけはいいものを”と思っていました。だから、最初の2台だけは中古車で、後はすべて新車を乗り継いできました。

――ベンツは35歳でSクラス、40歳でS55 AMG。45歳のときにG550 ロング。そして、49歳のときにG63 AMG。Gクラスは「ゲレンデ」の愛称で知られるSUVタイプのクロスカントリー車ですね。

ゲレンデは明石家さんまさんが乗っていると伺って、初めて知ったんです。ベンツの頂点がGだったので、乗りたいと思っていました。Gは計3台乗って、色は黒、白、白。10年くらい乗っています。一度気に入ると、そればかり乗ってしまうんです。初めて乗った時は最高だなと思いました。目線が高くて、見晴らしがよかったです。

でも、運転をマネージャーに任せるようになって、後部座席に乗ってみると、全然乗り心地が違うんです。前にはシートヒーターがありますが、後ろには充実した装備が何もないんですよ。

――以前はご自身で仕事先まで運転していたのでしょうか。

横浜に住んでいた30代は自分で運転していました。でも、ロケ先、スタジオに通うのが大変だったんです。朝は渋滞するじゃないですか。だから、深夜に出発し、ロケ先の近くのトイレが使える場所で車中泊したこともありました。車の方が集中できて、セリフも覚えられるんです。その頃はすごく忙しかったんで、そうでもしないと本当に仕事が追いつかなかったんです。

――車中泊とは驚きました。

今は、仕事先への移動はマネージャーに任せています。いくつもドラマを抱えながら、寝る時間もなく、このままでは無理だと思ったんです。万が一、大きな事故を起こしてしまったら、命の次に大事だと思っている免許もなくなってしまうし、仕事先にも迷惑がかかってしまいますから。

――今の愛車は?

ゲレンデとヴェルファイア(トヨタ)の2台持ちです。車はだいたい3年で乗り換えることにしていて、ヴェルファイアも既に4台目です。タイヤとホイールを替えて、スポイラーも付けてもらいました。車だけはきれいでかっこよくいたいんです。

ヴェルファイアはこれまでの3台とも10万㎞走っています。自宅から仕事先まで、365日働いていたので、そのくらいの距離は簡単に行きました。

――新型ヴェルファイアの乗り心地はいかがですか。

ヴェルファイアはマネジャーに運転をお任せしているので、エンジンのかけ方もわからないかも(笑)。でも、10分いただけたら、エンジンやシフトなどを確認するので、後は任せてください!

今のヴェルファイアはコロナ禍の部品不足で、なかなか納車されなかったんです。ホイールは前の純正品を使いたかったのですが、仕様変更で規格に収まらなかったのは残念でした。後部座席も仕様が変わっていて、スマホを置く場所に困っています(笑)。肘当てのところに、滑り止めシートなどを付けないといけないですね。安全装備は充実しています。今もハイブリッド車なのですが、これが最後のガソリン車になるのかなと思っています。次に乗り換える時は電気自動車になるかもしれませんね。水素エンジンはどうなるのかも気になります。

車は「昔は家族であり、親友」
今でも一番安らぐ場所

物憂げな高島さん

――これまでにJAFに加入されていたことはありますか。

ずっと加入して、お世話になっています。もちろん今も会員です。一番忘れられないのが3、4年前の出来事です。ヴェルファイアで都内を走っていたら、突然、タイヤがバーストしてしまったんです。運良く、安全な路肩に止めることができたので、すぐにJAFさんに連絡したんです。「ヴェルファイアは大きいので、車載できる車がないので、3時間かかります」と言われてしまったのですが、1時間くらいで駆けつけてくださったんです。

JAFさんの牽引車に乗せていただきながら、道中、いろんな興味深いお話をたくさん伺うことができました。これまでに体感したことのない車内から見える高い目線も新鮮でした。車はちょうど乗り換えを考えていた時期で、きっと、車もひねくれるんでしょうね。一度もバーストすることはなかったのに……(笑)。この時は本当に助かりましたね。

――高島さんはバイクもお好きですよね。

中型自動二輪免許は若いときに取って、大型の免許を取ったのは37歳のときです。若いときは400ccのバイクに乗っていて、大型を取ってから、ハーレーダビッドソンを買いました。

1,400ccあるので、重いんです。立ちゴケしたら起こせないんですよ。だからカスタムして、軽くしてもらったのですが、高速道路では、フワフワするので、「怖い」と思いました。手放してしまって、今は手元にありません。ただ、友達ができたり、視野が広がった気がします。

――ハーレーではツーリングに行きましたか?

よく茅ヶ崎(ちがさき)にはでかけていました。横浜から横浜横須賀道路で横須賀に出て、海沿いで湘南、茅ヶ崎を回って、横浜新道で帰ってくるのがお決まりのコースでした。

――車を運転する上で心がけていることはありますか?

若い頃は免許がとにかく大事だったので、違反してはいけない、飛ばしてはいけないと思っていました。運転ができなくなると、どこにもいけなくなってしいますから。安全運転は心掛けていましたね。車は必ず駐車場に止めるようにしていました。

――高島さんにとって車はどういう存在ですか?

昔は家族であり、親友でした。一番癒やされる場所で、よく寝泊まりもしました。今、求めるのは快適性や機能性。年々求めるものは変わっていきましたが、でも一番安らぐ場所であることは変わらないですね。かわいがってあげないといけないという思いがあって、車は家よりもきれいにしています。

窓辺に立つ高島さん

2024年2月6日(火)から3月3日(日)まで明治座創業150周年ファイナル公演舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』がスタート。1981 年の発表以来、爆発的な人気を博し、時を超えて愛され続けている『キャッツ・アイ』。本作で高島さんは藤原紀香さん、剛力彩芽さんとともに麗しき女泥棒・キャッツアイ三姉妹の来生泪を演じます。

高島礼子さんがドライブで聞きたい5曲

  • ジプシー・キングス「インスピレーション」
    大好きなドラマ『鬼平犯科帳』のエンディング・テーマとして知られています。ギターの旋律がとても印象的です。
  • ナット・キング・コール「モナ・リザ」
    往年のジャズ歌手でピアニストによる名曲。車に乗っているときはテンションが上がってしまうので、気持ちを落ち着かせるのにいいのかな。
  • フランツ・シューベルト「アヴェ・マリア」(Ruth Ziesak、Ulrich Eisenlohr)
    「歌曲王」として知られるシューベルトの作曲。いろんな方が歌われています。仕事の本番前にゆったりとした気持ちにさせてくれます。
  • 秦 基博「ひまわりの約束」
    最近のお気に入りです。「ドラえもん」が大好きです。映画「STAND BY MEドラえもん」の主題歌をはじめ、CMソングとしても使われています。
  • 渡辺真知子「好きと言って」
    車好きの仲間と遊んでいたときにアルバム「そっとふりむいて」をよく聴いていました。最初はラジオで聴きました。車に乗っていると、思い出の曲として記憶が蘇ります。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

JAF会員限定 高島礼子さん直筆サインプレゼント

サインを持つ高島さん

高島礼子さん直筆の「インタビュー My Garage」特製サイン色紙を、抽選で3名様にプレゼントします。
・プレゼント内容:高島礼子さん直筆特製サイン色紙
・応募方法:下記応募フォームをクリックしてログインIDとパスワードを入力。
※応募にあたってはJAFマイページと同じID・パスワードでのログインが必要です。
・当選者数:3名(発表は発送をもって代えさせていただきます)
・応募締切:2024年2月17日

※オークションサイト、フリマアプリなどでの転売を禁止します。

高島礼子

たかしま・れいこ 1964年7月25日、神奈川県出身。1988年『暴れん坊将軍Ⅲ』でデビュー。映画『さまよえる脳髄』(1993年)で初主演を果たす。『陽炎』シリーズ2、3、4(1996年~1998年)にて主演を務め、『極道の妻たち 赤い殺意』以降のシリーズ(1999年~2005年)でも主演を続投する一方、舞台、ドラマ、CMでも活躍。ドリームワークス製作のアニメ『マダガスカル』シリーズ(2005年~2012年)の日本語吹替版の声優にも挑戦。2001年、映画『長崎ぶらぶら節』(2000年)で、第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。

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