稲川淳二さんキービジュアル
取材・文=平辻哲也(ENCOUNT)/ 撮影=藤岡雅樹

ルーチェ、パンサー、コブラにシェビーバン…怪談の語り部・稲川淳二の多彩な愛車遍歴!

知人のおじいちゃんの霊に守られた⁉不思議な実体験も回顧

33年目を迎える毎年恒例の「ミステリーナイトツアー2025 稲川淳二の怪談ナイト」が今年も7月12日から11月16日にかけて、全国各地で計52公演が行われます。怪談の語り部として知られる稲川淳二さんですが、じつはクルマにも深い情熱を持っています。マツダ・ルーチェから始まり、パンサー、コブラにシェビーバン……。多彩な愛車遍歴とともに、思い出のドライブ、奇妙な心霊体験などを語ってくれました。クルマを通して浮かび上がる、“人間・稲川淳二”の素顔とは……。

目次

初のマイカーはマツダ・ルーチェ!
お祓いでエンジンルームに塩を撒き…

ソファに座る稲川淳二さん

――夏が来ると、怪談ナイトです。稲川さんの季節という感じがします。

まさに私のことを歌った曲があるんですよ。「夏が来れば思い出す」って(笑)。うれしいですよね。今年の怪談ナイトも楽しみですよ。よく余生を楽しむというけれど、芸能の世界は退職がない。タレントは一応55歳で引退したつもりなんですが、今は77歳。まだまだ現役です(笑)。

――77歳には全然見えないです。若さの秘訣は?

若い人が周りにいてくれるし、人とよくおしゃべりしてるから、それが気持ちの健康につながってると思うんですよ。体の健康も大事だけど、気持ちの元気がないとダメですよね。もしかすると、すでに妖怪に近づいているのかもしれないですけどね(笑)。

――稲川さんはクルマが大好きと聞いています。

小さい頃は恵比寿に住んでいましたが、米軍に関係する弁護士さんやお医者さんが住んでいる立派な西洋館があって、よく私の姉や姉の知人など、米軍の関係の娘さんに誘われて中へ行けるのがうらやましかった。

その中で何が一番悔しかったって、クルマですよ。うちの町内で唯一のクルマがダットサンで、矢印のウィンカーが車体の横からパンッと出るやつ。雪の日などは急な坂道を押してあげたこともありました。でも、アメ車はスーッと坂を上がっていく。かっこよかったですね。

それで、クルマへの憧れが強くいつかクルマを造ってみたくて、私は工業デザインの道へ行ったんです。クルマは造れなかったのですが、「車止め」は作りました。

――稲川さんはタレントと思われる人も多いけれど、工業デザイナーとしてもご活躍されていましたね。1996年にはグッドデザイン賞も。

「車止め」で受賞することができました。あれはうれしかったですね。

――免許を取ったのは何歳ですか?

29か30のときですね。遅かったです。当時はクルマも買えなかったし、置き場所もなかったから。結婚を機に、子供を乗せたいと思って免許を取りました。

――最初に買ったクルマは?

マツダ「ルーチェ」の中古です。白いボディだったけど、ちょっとブルーがかった白でしたね。厚めのタイヤを履かせて乗っていました。値段の交渉もせずにそのまま買いました。

――運転のエピソードは?

当時はよくトラブルもありました。ベルトが切れたときに、女性のストッキングをもらって応急処置したことも(笑)。買ったときはうれしくて、神社でお祓いするような気分でボンネットを開けて、エンジンルームに塩をまいたら、錆びちゃってね(笑)。ルーチェは一番楽しんだクルマかもしれないですね。

――どれくらい乗りましたか?

2年くらいですね。それから、テレビの仕事で忙しくなってあまり乗らなくなりました。その後、フォードのコルチナ、アウディ、ジャガーXJのチューニング車、いろいろ乗りましたよ。でも、あんまり自分で運転しなかったですね。趣味と仕事用で使い分けていました。

性能よりもデザイン派!
かっこよければ多少のことは許せます

クルマ愛を語る稲川淳二さん

トークに熱が入る稲川淳二さん

愛車を思い出す稲川淳二さん

――特に印象的なクルマは?

クラシックタイプが好きで、モーターショーで見た「パンサー・リマ」のシルバーを中古で買いました。

そのクルマは、修理するために預けたら、クルマ雑誌に勝手に写真を載せて売りに出されたこともあります。ひどい話ですよ。エンジンがかからなくて180万円かけて交換してもダメで、「修理したけど、また80万円」と言われて……。友達から「6回エンジン替えるなら、ポルシェ買えるんじゃないか」と言われましたよ(笑)。でも、私が好きなのはやっぱりポルシェじゃないんですよね。

――パンサーは英国製のクラシックタイプのオープンカー。乗り心地はいかがでしたか?

風を浴びながら走るのは気持ちよかったです。でも、パワステもショックアブソーバーもなくて、ボディが低いクルマでしたよ。だから駐車場に入れるのには苦労した。レストランに入ろうとして、斜めに入れないといけないのに、真っすぐ入れようとして「下手だ」と言われたけど、そうじゃない。クルマの構造上、腹をすっちゃうんです。

高速道路を走った時も怖かったな。フロントが浮くんですよ。目黒方面に向かうカーブで、何度も空中に浮いて「これはヤバいかも」って思ったくらい。それに茨城に行ったときも、突然高速でガソリンが切れて、市川の料金所でガス欠になり、そのまま惰性で坂を降りて駐車場に滑り込んだこともあります。

――その後、コブラにも乗られたと?

後輩から「ブリティッシュグリーンのコブラがある」って言われて、400万円くらいで買いました。その後、修理に400万円近くかかって、家に届いたときはうれしくて、で、海パン姿でランニングシャツを着て飛び出して試乗したんですよ。けど、早稲田通りで左折した瞬間にエンスト(笑)。ランニングシャツと海パン姿で恥ずかしかった。しかも女性4人がたまたまそこで騒いでいて、知らない人が見たら「稲川は何をやってんだ?」って思われるじゃないですか……もう恥の上塗りでした。

――クルマ選びで大事にしていることは?

私は性能よりもデザインです。かっこよければ多少のことは許せます。性能が多少劣ってても全然OK。きれいな形より、ちょっとワルっぽい、やんちゃな感じのデザインが好きですね。マフラーが横に出てるような、アメ車のムードあるクルマとか。そういう意味ではマツダのクルマも好きですよ。昔のクルマはいいですよね。自分でいじれましたから。

――クルマらしいクルマがお好きなんですね。

今のモデルにはあまり興味ないですね。私は古い時代の、自動車らしい自動車が好きです。あと「シェビーバン」も持ってました。親父は健康で病気なんかしたことがなかったんですが、突然入院してしまい、退院したら好きなところへ連れて行くために買ったんです。日本ではほとんど見かけなかったですね。シェビーバンは4台乗り継ぎました。大きくて駐車場所がなくて困りました。舞台の仕事で地方に行くにも苦労したし、運転してくれる人も年齢的に無理が出てきてね。

――特に印象に残っているクルマは?

ルーチェ、パンサー、シェビーバン、コブラですね。

エンジンの大きな、モンスターみたいなクルマが好きです。ルーチェはガソリン食いまくりでしたね。リッター2.7㎞くらいしか走らなかった(笑)。

――現在はクルマに乗っていないんですか?

ええ、72歳の時に免許返納しました。今77歳ですから、5年前ですね。私はクルマに乗ると性格が変わるんですよ。運転中に新宿の直線を飛ばしたくなったりして、これは危ないなって思って。それに私は酒が好きで、付き合いで飲むこともあるので、ファンにも迷惑かけたくなかったから、潔く返納しました。

――JAFは利用しましたか?

私は使ったことはないけど、周りはお世話になってました。特にうちの居候がね、ろくでもないやつで、しょっちゅうクルマを壊して。自分で後始末をせず、私が直してたんです。貸してもないのに勝手に乗ってぶっ壊してくれる(笑)。

知人のおじいちゃんの霊が守ってくれた?
工房での不思議な体験

不思議な体験を語る稲川淳二さん

――茨城に所有されている工房でのエピソードもお持ちとか?

毎年4月と5月に怪談のまとめをするために茨城の工房へ行ってます。今年は3月半ばから例年より長めに滞在していました。そこが出るんですよ……亡くなった知人のおじいちゃんの霊がいるんです。

――不思議なことが?

2年間くらい行かなかった時期があったんです。その間に4回泥棒が入ったのに、何も盗まれてないんです。鍵は開いてるし、ガラスも割られてるのに、バイクも金も全部無事でした。

――その泥棒は捕まったんですか?

捕まりました。他の場所で盗みをしてね。でもその時、「稲川さんの家には、4回とも人がいたからやめて逃げた」って言ったらしいんですよ。実際、誰もいなかったんですけど。泥棒にはおじいちゃんの霊が見えたんだと思います。

――霊が守ってくれた……と。最後にクルマという存在はどう思いますか?

何しろクルマは大好きです。私にとっては最高にワクワクさせてくれる存在です。夢があって、ロマンがあって、レースも観に行くし、かっこいいクルマは今でも好きですよ。

――どんなレースをご覧になるんですか?

鈴鹿にも行きました。オートバイの鈴鹿8耐では監督をやったこともありますよ。ゴーカートでサーキットを走った学生時代に、連れてってもらったスタジオ70(セブンティ)でマクラーレンの映像を観たときは感動しましたね。

――ここまでさまざまなクルマに乗ってこられましたが、やはり今の自分を形づくっている要素でもありますか。

あの時にクルマの世界へ行ったからこそ、今の自分があるんです。今は息子が運転するフィアット・チンクエチェント(500)くらいしか乗ってないけど、以前は一番大きいクルマから小さいのまでいろいろ楽しみました。

東京の町を眺める稲川淳二さん

稲川淳二さんがドライブで聴きたい5曲

  • デビー・レイノルズ「タミー」…昔からオールディーズが好きで、この曲には特に惹かれました。映画は観ていないけど、音楽の美しさが心に残っています。舞台でも使ったくらいお気に入りで、どこかロマンチックで、自分の理想の“タミー”像を重ねたこともありました。今でも心をくすぐられる名曲です。
  • ポール・アンカ「ダイアナ」…中学の頃から夢中になった曲。当時これを聴くと気分がグッと上がって、レコード屋で手に入れたときの嬉しさは今でも覚えています。ツイストを踊るのも好きで、六本木のケントスなんかでよく踊ってましたね。日本語版を歌った山下敬二郎さんとも会えて、感動しました。
  • 柳ジョージ「青い瞳のステラ、1962年 夏…」…柳ジョージさんの歌は同世代として共感するところが多いんです。「フェンスの向こうのアメリカ」という曲は世界観が、子供時代に見た米軍住宅の風景と重なって、懐かしい気持ちになります。夏と風というキーワードも、自分の原風景とつながっていて好きなんです。
  • ワイルドワンズ「思い出の渚」…まさに青春時代の一曲。湘南ボーイに憧れてたけど、泳げなかった(笑)。若い頃はこの曲を聴くと胸がキュンと締め付けられるような気持ちになったものです。70を過ぎて一度はその感覚が薄れたけど、最近またこの曲を聴くと、「ああ、いいな」と感じるようになりました。
  • 井上陽水「少年時代」…映画も本も見ましたが、この曲は情景が映像のように浮かんでくるんです。少年同士の微妙な感情、疎開先での出会いと別れ、そして静かに流れる時間……。心の奥深くに染み込むような、デリケートな世界が描かれていて、本当に素晴らしい曲だと思います。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

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稲川淳二

いながわ・じゅんじ 1947年8月21日生まれ、東京都渋谷区恵比寿育ち。怪談家、工業デザイナーとして活躍する一方で、ファンのみなさんに喜んでいただきたくて、近年はチャレンジ精神でYouTubeでも活躍するなど、多彩な顔を持つ表現者。桑沢デザイン研究所でデザインを学び、卒業後は工業製品や車のボディ設計などに携わる。1996年には公共物の車止めデザインでグッドデザイン賞を受賞するなど、実力派のデザイナーとしても知られる。1976年に芸能界入り。ラジオ番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティとして人気を博し、俳優・タレントとしてテレビ・映画にも多数出演。毎年恒例の「ミステリーナイトツアー2025 稲川淳二の怪談ナイト」 が今年も7月12日からスタート。11月16日まで全国52公演を行う。

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