本並健治さんビジュアル
取材・文=平辻哲也(ENCOUNT)/撮影=藤岡雅樹/ヘアメイク=中原ありさ(is Inc)/スタイリスト=岡村春輝(FJYM inc.)

スカイラインから始まった愛車遍歴…乗り継いだクルマは60台超! 元サッカー日本代表・本並健治のクルマ愛

現役時代は安全重視のクルマ選び「ベンツが一番しっくりきます」

日本代表としてゴールマウスに立ち、Jリーグの黎明期を支えた名ゴールキーパーの本並健治さん。現在は高校サッカーの指導に情熱を注ぎ、TBS系『ラヴィット!』などバラエティー番組では妻で元サッカー女子日本代表の丸山桂里奈さんと仲むつまじい姿を見せています。初めて乗ったクルマは18歳の春に手に入れた日産スカイライン。以来、60台を超えるクルマを乗り継いできたという本並さんのカーライフの奥にある思いを語っていただきました。

目次

免許取得前に手に入れた初愛車は
親に買ってもらったスカイライン

元サッカー日本代表GKの本並健治氏。愛車遍歴60台以上を語るインタビュー時の上半身アップ写真。

元サッカー日本代表の本並健治氏。クルマ好きとして知られ、愛車の話をする際にジェスチャーを交えているカット。

Jリーグの黎明期を支えた本並健治。現役時代と現在のクルマ選びの変遷を語る表情。

──本並さんといえば、サッカー界きってのクルマ好きとして有名です。「乗り継いだクルマが60台以上」というのは、ちょっと桁違いな数字ですね。まずはその原点、クルマ好きになったきっかけから教えていただけますか。

僕が子供の頃は、日本中がスーパーカーブームに沸いていた時代でした。ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリ、ポルシェといったきらびやかなクルマたちに、当時の男の子はみんな夢中になりましたよね。消しゴムを集めたり、カメラを持って追いかけたり。僕もその中の一人で、「いつかはフェラーリに乗ってやる」と目を輝かせていました。もちろん、子供心にもあの価格を見れば「これは高すぎて買えないな」というのはなんとなくわかっていましたが(笑)。それでも、あの原体験が今の僕のクルマ好きの根底にあるのは間違いありません。

──免許を取得されたのはいつ頃ですか? 最初に乗ったクルマのエピソードも教えてください。

高校を卒業してすぐ、18歳のときに免許を取りました。最初の愛車は、日産のスカイライン(R30型)、通称「ニューマン・スカイライン」です。当時は大学生で、サッカー漬けの毎日でしたからアルバイトなんてしたことがなくて。親にお願いして買ってもらったんです。なぜスカイラインだったかというと、単純に友達から「スカイラインがいいんじゃない? かっこいいし」と勧められたから。深いこだわりがあったわけではないんですが、当時の若者にとってスカイラインはやっぱり憧れの存在でした。

ただ、そのスカイラインはマニュアル車(MT)だったんです。免許取り立ての僕には、坂道発進やクラッチ操作が煩わしくて……。「もっと楽に乗りたい」と思って、すぐにホンダのインテグラ(初代DA系)に買い替えました。リトラクタブルヘッドライトがかっこよかった時代です。それ以来、僕のクルマはずっとオートマチック(AT)ですね。

──そこから現在に至るまで60台以上。一体どのようなペースで乗り替えてこられたのでしょうか。

本格的に台数が増え始めたのは、Jリーグが開幕してプロになってからです。特に50代になってふと振り返ってみたとき、「あれ、これ自分の年齢の数くらい乗ってるんじゃないか?」と気づいたんです。現役時代は派手な生活だったので、欲しいと思ったらすぐに乗り替えていましたから。一時期は「年齢の数だけ乗ろう」なんて目標めいたことを言っていた時期もありましたが、もう数えるのはやめました。とても数えきれる台数ではなくなってきたので(笑)。普通は車検を通して長く乗るものだとは思うんですが、僕の場合、車検が来る前に「あ、次はあれに乗りたいな」「違うクルマを試してみたいな」という気持ちが勝ってしまうんです。根っからのクルマ好きなんですよね。

──頻繁な乗り替えとなると、費用面も大変そうですが……。

実は、新車を買っていたのは現役時代の最初の1、2年だけなんです。それ以降は、ほとんど中古車を選んでいます。友人にクルマ業界の信頼できるプロがいて、彼に頼むと走行距離が少なくて状態の極めていいクルマを探してきてくれるんです。状態がいいクルマというのは、リセールバリュー(買取価格)も下がりにくい。だから、頻繁に乗り替えているように見えても、下取りに出して差額を払う形にすれば、そこまで莫大な費用がかかっているわけではないんですよ。これは長年クルマを楽しんできた僕なりの知恵ですね。

60台超の愛車遍歴…最も多いのはメルセデス
「何物にも代えがたい安心感」

ベンツへの揺るぎない信頼を語る本並健治氏の真剣な表情。安全性を重視する理由。

──これまでの愛車遍歴の中で、特に印象に残っている時期や車種はありますか?

Jリーグの頃は、本当にいろいろなクルマに乗りました。20代後半から30代にかけてですね。たとえば、ドイツ車ならアウディ・クワトロやメルセデス・ベンツの190E、280E。アメリカ車にもハマって、シボレーのカマロやコルベット、アストロなんかも乗りました。一番多いときで、同時に3~4台所有していたこともあります。「練習用のSUV」「遊び用のスポーツカー」「移動用のベンツ」「家族や荷物用のワンボックス」といった具合に、用途によって完全に使い分けていました。その日の気分や目的に合わせてキーを選ぶ瞬間が、僕にとっての最高のぜいたくでしたね。

──数ある愛車の中で、本並さんが「これぞ」と選ぶ一台は?

間違いなく、メルセデス・ベンツですね。これまでSクラスは10台近く、Eクラスも3~4台は乗りました。僕のカーライフの中心には常にベンツがありました。これには深い理由があるんです。僕は1993年、試合中に相手選手と激突して腎臓が破裂するという大けがを負いました。本当に生死をさまようような経験でした。あの事故以来、僕の中で「身体を守る」という意識が強烈に高まったんです。プロのアスリートにとって身体は資本ですから、移動中の交通事故でけがをするわけにはいかない。

「もしぶつかっても、絶対に負けない頑丈なクルマに乗らなければならない」。そう考えたときに選んだのが、メルセデス・ベンツでした。当時のベンツ、特にSクラスの重厚感やドアを閉めたときの「金庫のような」密閉感は、何物にも代えがたい安心感を与えてくれました。「これなら守ってくれる」という信頼感ですね。だから、現役時代は特に大型のドイツ車にこだわっていました。

──スポーツカーへの憧れも持ち続けていらっしゃったようですね。ポルシェもお好きだと伺いました。

そうですね。ポルシェ911、特に空冷時代の964型や993型は、僕らの世代にとっては永遠の憧れです。あの独特のエンジン音やフィーリングは最高でした。ただ、やっぱりスポーツカーは足回りが硬いんです。現役を続けていくなかで腰を悪くしてしまって、あの振動が少しきつくなってしまった。クルマとしては素晴らしいんですが、自分の身体のコンディションと相談して、泣く泣く手放すこともありました。

──輸入車だけでなく、国産車に乗られることもあるんですか?

もちろんです。たとえばトヨタのプリウスには驚かされました。高校サッカー部のコーチをしていた頃、自宅から千葉県の白井市まで片道2時間ほど通っていた時期があったんです。その通勤用として乗っていたんですが、とにかく楽で、燃費も良くて、静か。「移動の道具」として考えたとき、これほど完成されたクルマはないなと思いました。高級車の良さもありますが、日本の道路事情にマッチした国産車の良さも、長く乗ってみて改めて実感しましたね。

──テレビ番組『ラヴィット!』では、トヨタ・スポーツ800(通称ヨタハチ)の購入を真剣に検討されていましたね。

あれは本気で欲しかったんです。丸っこいフォルムもかわいらしいし、歴史的な名車ですから。でも、実際に番組で実車を用意してもらって座ってみたら……運転席が狭すぎて、僕の身体が収まらなかったんです(笑)。さすがに運転姿勢がまともに取れないのでは諦めるしかありませんでした。車庫スペースさえ確保できれば、乗りたいクルマはまだまだたくさんあります。たとえば、光岡自動車の「オロチ」。あの唯一無二のデザインは、一度街中で見かけたときに興奮しました。「なんだこのクルマは!」って。スーパーカー世代の血が騒ぐデザインですよね。

──最近はEV(電気自動車)にも乗られたそうですね。

ジャガーのEV、I-PACEに乗っていたことがあります。デザインも走りも未来的で面白かったんですが、当時はまだ充電インフラが今ほど整っていなかった。「次の目的地で充電できる場所はあるだろうか」、「ここで電欠になったらどうしよう」という不安が常に付きまといました。性格的に、そういう心配事を抱えながら運転するのが合わなかったんです。だから、比較的すぐに手放してしまいました。ただ、EV特有の静粛性や加速感は魅力的なので、もう少しインフラ環境が整ったら、また乗ってみたいですね。

JAFには現在も加入中
スペランツァ監督時代にBMWでインロック…隊員に救われた過去

妻・丸山桂里奈とのドライブや家族のエピソードを語る元サッカー日本代表の本並健治。

車検前に乗り換えるほどの根っからのクルマ好き、本並健治氏。

──奥さまの丸山桂里奈さんとドライブに行かれることも多いと思います。変化はありましたか?

独身時代は自分の好みだけで選んでいましたが、今は子供もいますから、選び方が変わりましたね。チャイルドシートを装着しやすいか、子供が快適か、という視点が第一になります。遠出はあまりしないですが、妻と和歌山まで行ったことがあります。妻も運転が好きなので、途中で交代しながら運転しました。

──お子さんを乗せるときの注意点はありますか?

子供はチャイルドシートのハーネスを嫌がって泣くこともありますが、そこは安全のためにしっかり装着させています。運転中は「かもしれない運転」を徹底しています。最近は自転車や電動キックボードなどが急に飛び出してくることも多い。常に「○○が起こるかもしれない」と、予測しながら運転しています。最近のクルマは自動ブレーキなどの安全装備が充実していてありがたいですが、レーンキープアシストのようにハンドルを勝手に制御される機能は、逆に怖く感じることもありますね。最終的には自分の感覚でコントロールしたいという、古いタイプのドライバーなのかもしれません。

──将来、お子さんにはどんなクルマに乗ってほしいですか?

やはり安全性重視で、ドイツ車を勧めたいですね。ベンツ、BMW、アウディあたりでしょうか。頑丈で、守ってくれるクルマ。親としてはそこが一番気になります。もちろん、本人が何を好きになるかはわかりませんが、最初のうちは安全なクルマに乗ってほしいですね。

──JAFについてのエピソードもあれば教えてください。

JAFにはずっと加入しています。昔、スペランツァ大阪の監督時代に、乗っていたBMWでインロックをしてしまったことがあるんです。鍵を車内に置いたままロックがかかってしまって。練習場の駐車場で途方に暮れていたら、それこそ、妻も心配そうに見に来ていました。外車のインロック解除は難しいらしく、JAFの隊員さんが来てくれてから開くまでに1~2時間かかりました。あの時は「入っていて本当によかった」としみじみ思いましたね。

──最後に改めてお伺いします。本並健治さんにとって、クルマとはどんな存在ですか?

僕にとってクルマは、単なる移動手段ではありません。「自分のスペース」であり、「落ち着けるもう一つの部屋」ですね。一人で運転している時間は、誰にも邪魔されずに考えごとができる貴重な時間です。サッカーの指導のこと、仕事のこと、家族のこと。ハンドルを握りながら頭の中を整理する。好きな音楽を聴いたり、ラジオを流したりして、自分のリズムを取り戻す場所。だからこそ、その空間にはこだわりたいし、これからも自分にとって心地よいクルマに乗り続けていきたいですね。

車検前に乗り換えるほどの根っからのクルマ好き、本並健治氏。

本並健治さんがドライブで聴きたい5曲

  • back number「高嶺の花子さん」…back numberが大好きで、なかでも特に気に入っている一曲です。メロディが軽やかで、気分を切り替えたいときにもぴったりです。
  • 沢田聖子「走って下さい」…大学時代、サッカーの練習で走らされていた時期に聴いていた思い出の曲です。あの頃のしんどさまで一緒に蘇ります(笑)。
  • B’z「ultra soul」…テレビ番組で歌う“おはこ”で、カラオケでよく練習しています。走り出す瞬間の気分をグッと上げてくれる、まさに“エンジンをかける一曲”です。
  • 10-FEET「第ゼロ感」…映画『THE FIRST SLAM DUNK』のエンディング主題歌。フジテレビ『オールスター合唱バトル』で歌ウマアスリート合唱団として出場したときに猛練習をした思い入れのある曲です。
  • 吉幾三「酒よ」…スナックで父や母が歌っていた思い出の曲です。その影響で僕も基本、昔は演歌が好きでした。ベンツの中から演歌が流れている、そんな時代もありました。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

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  • オークションサイト、フリマアプリなどでの転売を禁止します。

本並健治

ほんなみ・けんじ 1964年6月23日大阪府枚方市生まれ。清風高校から大阪商業大を経て、1986年にガンバ大阪の前進チーム「松下電器産業サッカー部」に入団。Jリーグ発足後はガンバ大阪の守護神として活躍した。1994年には日本代表として国際Aマッチに3試合出場した。1997年ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ移籍。2001年に現役を引退。引退後は海外サッカーの解説などメディアで活躍する一方で、京都産業大学、東海大仰星高校でコーチを歴任。2012年8月から出身地でもある大阪を拠点とするなでしこプレミアリーグ゙「スペランツァ大阪」の監督に就任し、指導者として活躍、2016年退団。186cm。趣味クルマ。

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