クレイジーケンバンド横山剣さんキービジュアル
取材・文=福嶋 剛(ENCOUNT)/ 撮影=鈴木大喜

横山剣、歴代の“相棒”は50台超! ベレット、キャデラック、クラウン……クラシックカーを乗り継いだ愛車遍歴

クラシックカーに故障はつきもの。「これまでJAFさんには何度も助けていただきました」

「タイガー&ドラゴン」「GT」など、数多くのクルマをテーマにした楽曲を制作してきたクレイジーケンバンドの横山剣さんは、大のクルマ好きとして知られています。18歳で普通自動車免許と国内A級ライセンスを取得し、65歳の現在まで50台を超えるクルマと出会うなど、輝かしい愛車遍歴となっています。今回は“クルマのある日常”をテーマに横山さんのカーライフに迫りました。

目次

父親譲りのクルマ好き
モーターショーに熱中した幼少期

ポーズを決める横山剣さん

椅子に座り、ポーズをとる横山剣さん

ダブルピースのポーズ決める横山剣さん

ポーズを決める横山剣さん
椅子に座り、ポーズをとる横山剣さん
ダブルピースのポーズ決める横山剣さん

――剣さんはクルマについての著書も出されるほど、大のクルマ好きとして知られています。

僕よりもクルマ好きの方がたくさんいらっしゃるなかで、皆さんにそう言っていただけるのは光栄です。JAFさんとも、18歳のときにA級ライセンスを一度取得して、そこからの長いお付き合いになります。僕はクラシックカーとか特殊なクルマに乗ることが多いものですから、バッテリーが上がったり、エンストしたり……。これまでJAFさんには何度も助けていただきました。

――転ばぬ先の杖でしょうか。

そういうことですね。でも、そんなダメなクルマほど愛情が湧いてくるんです。どこか憎めないというか、やっぱり好きなクルマは故障が多くてもかわいいんですよね。

――今回はそんな剣さんとクルマとの関係についてお聞きしたいと思います。初めにクルマとの出会いについて教えてください。

僕の幼少の記憶の中で初めて出会ったクルマは実父が乗っていたプリンス自動車工業(現・日産)の1961年式のスカイライン1900DXでその時の写真が残っているんですよ。1960年代はモータースポーツが盛んで、福澤幸雄さん、黒澤元治さん、北野元さん、高橋国光さん、生沢徹さん、ジャズピアニストでレーサーだった三保敬太郎さん、そしてシンガーでいすゞの契約ドライバーだったミッキー・カーチスさん……。昭和のクルマ好きなら誰もが知っているそんなレーサーがスターだった時代がありました。両親ともクルマが好きだったもんだから、幼い僕を連れてよくサーキットやレーサーが集まる場所に遊びに行っていたそうです。

――剣さんのクルマ好きはお父さま譲りなんですね。

影響は大きかったと思います。叔父も長距離運転が好きで、いすゞのフローリアンというクルマに乗せてもらい、よくドライブに連れて行ってもらいました。それもあって、子供の頃からモーターショーが大好きで、当時は晴海の会場でやっていて、最初は叔父に連れて行ってもらったんですが、小学4年にもなると一人で船に乗って晴海の会場まで通いました。当時、まだ実用化されていない試作のコンセプトカーや、デビュー間もないクルマばかりでしたから雑誌やカタログで事前にチェックしてワクワクしながら会場まで行ったのを覚えています。

――「いつか乗りたい」と思いながら。

高価なクルマなんか買えるわけないのに「大人になったらこのクルマを買うぞ」って雑誌に丸を付けて妄想していましたね。今でも子供の頃の目線のままです(笑)。

――そして剣さんの音楽にも大きな影響を与えた横浜という土地もクルマ好きになるきっかけだったそうですね。

大きいですね。本牧(ほんもく)は「陸の孤島」なんて呼ばれているみたいですけど、電車や地下鉄が走っていないからこそ、クルマ社会として文化を育んできた街なんです。横浜には米軍のベースがあって子供の頃は、駐車場にキャデラック、シボレー、オールズモビル、フォードといった当時は珍しいアメリカ車が止まっていて、他にもYナンバー(駐日アメリカ軍関係者の所有車両に付けられるナンバープレート)のブルーバードの510とかいすゞのベレット1600GTなどが、僕のクルマ好きを加速させていきました。今でも近所の本牧をドライブすると先輩や後輩としょっちゅうすれ違い、そのたびにタクシー会社みたいにお互いにあいさつするんですよ。

――運転免許の取得はスムーズにいきましたか。

それが苦労しましたね。

――その答えは意外でした。

一日も早くレースをやりたくて18の誕生日が来る少し前から教習所に通い始めました。ただ僕はどんなことも自分でやり方を見つけていくタイプだったので、人に教わるのが苦手なんです。よく教官に怒られましたね。特に縦列駐車とバックが苦手でした。学科もギリギリだったので楽勝ではなかったですね。

免許取得で責任と緊張感
初の愛車はレース仕様のサニークーペ

こちらに視線を送る横山剣さん

――晴れて免許を取った日のことを覚えていますか。

もちろんです。うれしい気持ちもありましたけど、路上に出て行くわけですから社会人としての責任というか、うれしさと同じくらい緊張感もありました。

――免許を取ってご家族を乗せた思い出は?

2人目の父親がトヨタで働いていたので運転を教えてもらいました。免許を取ってすぐに隣に乗ってもらったんですが、ブレーキを踏むのが遅いとか早いとかいろいろ言われましたね(笑)。

――免許を取って最初に乗ったクルマは何でしたか。

最初はレースをやりたかったので当時5万円でレース仕様のサニークーペ(日産サニー 1200GX-5)を買いました。ただ、何も考えずに買ってしまい、街乗りができなくて、「どうやってサーキットまで運ぶんだろう?」って(笑)。街乗りのクルマはオートマのカトラス・サロン(オールズモービル)というでっかいアメ車を最初に買いました。

――クレイジーケンバンドの代表曲の一つとしても有名なベレット1600GTとの思い出も教えてください。

23、4歳の頃に初めて乗りました。最初は1600GTに乗ってその次は1600GTRで、最後に1800GTと3種類のベレGに乗りました。個人的には1800GTが好みでした。イギリス車っぽい乗り味なんですが見た目はイタリア車っぽい個性的なクルマです。サーキットではすごく快調でヒットする感じがあるんだけれど、街乗りでは運転しづらくて、ハンドルが重くてUターンとかする時は何回も切り返さないと曲がらないので「スポーツカーを街乗りするってこういう感覚なんだ」って初めて体験したクルマになります。

――街乗りがとても快適だったクルマはありましたか。

まったくストレスフリーだったのはクラウンですね。僕は1970年式のコラムシフトと1995年製に乗っていたことがあって移動の手段としては「こんなに楽な車あるのか」と思うくらい便利で乗りやすさは一番でしたね。まさにジャパンプライドを絵に描いたようなクルマだと感じました。

――ミュージシャンの観点から歴代の中で音が良かったクルマは何でしょうか。

キャデラックのコンコースです。これは大瀧詠一さんがキャデラックは車内の音響環境が一番いいという理由で乗っていたそうで、大瀧さんをよく知る音楽評論家の湯浅学さんに教えてもらいました。ただ、大瀧さんの乗っていたフリートウッドはめちゃくちゃデカかったので、僕はやや小ぶりの2000年式コンコースにしました。そしたらカーオーディオが標準装備なのにめちゃくちゃ音が良かったんです。さすが大瀧さん、目の付けどころが違うと思いました。

――剣さんのクルマ選びは時代や最新の性能に左右されない独自の視点がすてきですね。

ありがとうございます。周りからは「何でそんなクルマに乗るの?」って言われますけど、こればかりはマイブームみたいなもんですから。ハラハラするような趣味のクルマと移動用のクルマといつも最低2種類は持っていて、趣味のクルマと自分が一体化して共鳴する瞬間を探るのが楽しみなんです。

――現在所有されているクルマは。

今は6台です。クラシックカーが4台あって、1956年のオースチン・ヒーレー100/4、1959年のオースチン・ヒーレー・スプライト、1963年のロータス・コルティナ、そしてレース専用の1970年のブルーバード510があります。何か曲を作りたいと思ったら、ヒーレーに乗って気分を変えたりすることもありますね。後は普段乗りのキャデラック ATS-Vと家族用にみんなで使い回してるジープ・コマンダーです。

――全国ツアー中にクルマに乗ることはありますか?

関東近郊の移動のときとかは自分のクルマを使いますね。あとは沖縄公演のときなんかは時間があるとレンタカーを借りてドライブすることもあります。

――海外で運転することもあると思います。

やっぱり本場のアメリカでアメ車を運転すると気分がいいですね。日本と放送局の電圧が違うせいかカーラジオの音が良くて、全米ホット97とかを聴きながらドライブしているとすごく気持ちがいいんです。カリフォルニアのパシフィック・コースト・ハイウェイを走ったときは最高の気分でしたね。何も成し遂げていないのに「遂に俺もここまで来たか」って(笑)。そんな高揚感がありました。

快適な街乗り術は交通ルール厳守
「夫婦喧嘩をした後はクルマに乗らない(笑)」

インタビューに応える横山剣さん

――剣さんならではの快適な街乗り術について教えていただきたいです。

やはり基本的なルールを守るということだと思います。合流では手前で割り込まないで合流地点まで進んで交互に譲り合うこと。高速道路では追越車線をいつまでも走らないことや走行車線から追い越さないこと。あとは、車間距離を空けない人が最近目立ちますね。あおり運転やトラブルの原因にもつながりますし、避けられない事故だとしても車間距離を空けていたことで命が救われることだってあります。長い間運転してきて、当たり前のことを守るということが安全で渋滞や事故の原因を作らない運転にもつながることがよくわかります。少し前にソーシャルディスタンスって言葉がはやりましたけど、クルマ社会にこそ、今その言葉が必要ですよね。

――若くしてレースを体験したからこそ、普段の運転には十分注意しているそうですね。

思い切り飛ばしたいなら歩行者も交差点もないサーキットで走ったほうがいいですね。運転技術も向上しますし、クルマの挙動や荷重移動の原理がわかると街中で無謀な運転ができなくなりますから。とにかく運転する上でも普段の生活でも一番大切なのは寛容な気持ちと相手に譲る気持ちだと思います。

――イライラしないでリラックスした状態で運転することですね。

そうです。だから、うちは夫婦喧嘩をした後でクルマに乗らないことに決めています。運転が荒くなりますから(笑)。本当ですよ!

――そして今はお子さんたちがクルマを運転する年齢になったそうですね。

うちは3人の子供がいて、26歳の長女と21歳の次女が運転免許を取ったときはうれしかったですね。

――娘さんたちの運転するクルマに乗ってみた感想はいかがでしたか。

最初はちょっとアドバイスしたほうがいいかなと思ったんですけど、2人ともちゃんと安全運転できているので安心しましたね。それよりも言葉にならないというか何とも言えない感動がありました。息子はまだ高校生なのでいつか一緒にクルマに乗る日が来るんでしょうね。楽しみですね。

――剣さんにとってクルマと音楽は切っても切れない関係ですね。

あえて曲を作ろうと思って運転していなくてもふとした瞬間に浮かんでくるのがクルマの中なんです。「タイガー&ドラゴン」はまさに横須賀方面をドライブしていた時に歌詞も曲も一緒に浮かんできたんです。「トンネル抜ければ海が見えるから そのままドン突きの三笠公園で」ってね。

――今年9月にリリースした最新アルバム『華麗』にもクルマからインスパイアされた曲が収録されていますね。

1曲目の「Hi」という曲は、今年上映されたブラッド・ピット主演の『F1(エフワン)』という映画にインスパイアされてベテランとルーキーのレーサー2人の追う側、追われる側の思いを書いた曲です。実際に僕は今まで矢沢永吉さん、大瀧詠一さん、山下達郎さん、松任谷由実さんといった先輩たちを追いかけて、気が付いたら藤井風さんをはじめ、若くて才能あふれる方がたくさん出てきました。それをレースに例えると、そういう優れたレーサーたちが走っているサーキットの中では自分も戦っていかなくてはいけないという、そんな覚悟みたいなものを書いた曲でもあります。

――ここ数年は親子ほど年齢が違う若いサウンドプロデューサーと一緒に曲作りをされて、毎年アルバムをリリースして全国ツアーを行っています。とても充実した一年を過ごしているそうですね。

若いプロデューサーは、毎回CKBというクルマをメンテナンスしながら一番走りの良い状態に仕上げてくれるんです。走行距離も長くなってきたバンドですが、そういった次世代の人たちと一緒にやっていくことで「まだまだ俺たちは走れるぞ」って気づかせてくれるんです。ここ数年は、そんな最高のコンディションで全国ツアーを回っているのでとても楽しいです。

――最後に剣さんにとってのクルマとは。

そうですね。当たり前ですけど移動の手段であり、作曲の現場でもあるという感じでしょうか。大きく例えると相棒でもありますし、僕にとって大切な道具ですね。

帽子を被り、ポーズをとる横山剣さん

横山剣さんがドライブで聴きたい5曲

  • 矢沢永吉「流星」…歌詞に「本牧から三崎まで」という言葉が出てくるんですが、僕たち地元の人間にとっては青春のドライブコースなので「よくぞ言ってくれた!」と喜びました。当時の横浜の雰囲気とヴィンテージな車を想像するような松本隆さんの言葉選びが素晴らしく、マニア心をくすぐります。
  • 荒井由実「COBALT HOUR」…歌詞に「白いベレG」という言葉が出てくる思い出の曲です。首都高速神奈川1号横羽線から横須賀へ向かう「港へ続く高速道路」という歌詞で僕たちの地元を歌っている曲なのですが、疾走感やメロディー、サウンド、歌声、そのすべ全てが宇宙に飛び立つ滑走路をイメージしてしまうという、ユーミンさんにしかできないマジックと脇を固めているスーパーミュージシャンたちの演奏が成し得た曲です。
  • ORIGINAL LOVE「夜をぶっとばせ」…田島貴男さんはエルビス・プレスリーを彷彿とさせるパワフルなボーカルとピート・タウンゼンドみたいな大きな存在感があって、ロックをやるために生まれてきた人だと思うくらいのショックを受けて、僕はもう音楽を辞めようかって思うくらい、あまりにも衝撃的な楽曲でした。音楽センスも知識もルックスも、何もかもスーパーな人で大好きです。
  • 葛谷葉子「midnight drivin'」…葛谷(くずや)さんは、僕がおすすめしたい女性シンガー・ソングライターさんです。僕たちが親しんできたシティポップ的な感覚を今の時代にアップデートしたようなすごくセンスのいい音楽をやっていて、ソフトで温かみのある歌声でどこか懐かしくも感じます。夜の首都高速をドライブしているとき時にぴったりです。
  • CRAZY KEN BAND「湾岸線」…僕は東京から家に帰る時は首都高速湾岸線を通るのですが、この曲は、家で家族が待っているのに、真っすぐ帰らずに、そのまま横須賀まで寄り道しちゃうという悪い男の歌なんです。実際は家族に怒られちゃいますからそんなことはできないんですけどね(笑)。でも歌ならできるだろうということでそんな男の冒険を歌っています。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

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サインを持つ横山剣さん

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  • オークションサイト、フリマアプリなどでの転売を禁止します。

横山剣

よこやま・けん 1960年7月7日生まれ、神奈川県横浜市出身。1981年、クールスRCのヴォーカル兼コンポーザーとしてデビュー。職業作曲家を経て、1997年、地元本牧にてクレイジーケンバンドを結成。作詞・作曲家として加山雄三、堺正章、和田アキ子、TOKIO、SMAP等、数多くのアーティストに楽曲を提供。また無類の車好きとして知られ、クラシックカーやバイクを愛好しており、自身でもレースに参加するほどの腕前を持つ。

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