三河大草駅跡は片面ホームの無人駅として利用されてきた。
三河大草駅跡は片面ホームの無人駅として利用されてきた。現在はプラットホームのみ残っている。周囲は木々に囲まれており、一部は民家につながる道として残っていた
写真=徳永 茂 / 構成=高橋祐介

自然の中に残る産業遺構、愛知県の奥三河の文化・産業に貢献した豊橋鉄道田口線跡を巡る

各地に散らばる廃駅・廃線探訪

鉄道をこよなく愛するプロカメラマン・徳永茂さんによる厳選された廃線スポットを紹介! 今回は愛知県の新城(しんしろ)市から北設楽(きたしたら)郡を結ぶ豊橋鉄道田口線をピックアップ。昭和4(1929)年に開通し、奥三河に住む人々の足として活躍したが、わずか約40年でその歴史に幕を閉じた地元密着の路線をたどる。

目次

奥三河の住民の悲願がかなった豊橋鉄道田口線

田口線の起点となる本長篠(ほんながしの)駅は現在はJR東海の飯田線の駅となっている。田口線の分岐線用レールは残っておらず、現在敷地内の通路となっていた

田口線の起点となる本長篠(ほんながしの)駅は現在はJR東海の飯田線の駅となっている。田口線の分岐線用レールは残っておらず、現在敷地内の通路となっていた

奥三河は愛知県の東部に位置し、茶臼山(ちゃうすやま)高原や鳳来寺山などの景勝地や歴史探訪が楽しめる観光名所だ。そんな奥三河エリアは明治33(1900)年頃に鉄道敷設が全国各地で高まるなか、昭和2(1927)年に田口鉄道株式会社(昭和31(1956)年に豊橋鉄道と合併)として田口鉄道が開業する。高校への通学や木材を中心とした物流、観光事業などで活躍した路線だ。

起点となる本長篠駅から山あいに向かう線路跡は、すでに住宅街の舗装路になっている。長篠の河津桜並木が有名で春には桜を見に多くの人が訪れるようだ。本長篠駅から三河大草駅跡までは内金隧道(ずいどう)や大井川橋梁(きょうりょう)の橋台などが残っている

森の中にひっそりと残る三河大草駅跡には当時のホーム部分のみが残り、レールは撤去されていた。路線はハイキングコースや、林業用として活用されているため車両の出入りもある

森の中にひっそりと残る旧三河大草駅跡には当時のホーム部分のみが残り、レールは撤去されていた。路線はハイキングコースや、林業用として活用されているため車両の出入りもある

田口線は全長22.6kmほどの距離に12駅が存在していたが、昭和43(1968)年には急速なモータリゼーションに押され、交通手段がバスに取って代わられたことで、廃線となった。現在では、一部の山間部に線路跡や隧道が残る。特に、現在でも人気のある三河大草駅跡は竹林に囲まれ、苔(こけ)まみれの状態で残っている。この不思議な世界観がフォトスポットとして評価されているようだ。

苔まみれになっているホームには目印のように三河大草の表記板が設置されている。レールが撤去されてから年月が経過しているため、未舗装路のような状態だ

距離の長い隧道があり整地されていない場所のため、向かう際には気を付ける必要がある。ハイキングコースも近くにあるので、歩行者に注意しよう。スポットへの移動は県道32号が田口線とほぼ並行している道になっているのでわかりやすい。

三河大草駅跡付近は隧道が複数あり、手入れをされていない場所も。しかし、経年による神秘的なたたずまいが残る場所も多く、撮影に来る人も多いそうだ

三河大草駅跡から鳳来寺駅跡までの区間は県道をまたぐルートだが、橋梁などは撤去され、崩落の形跡のある隧道が残っている状態だ。すでに危険な場所もあるので入らないように注意しよう。

すでに土に返るほど崩れた隧道もあるが、その廃れたたたずまいに廃虚ファンも多く訪れるようだ

鳳来寺の最寄り駅として利用された跡をたどる

旧鳳来寺駅跡は跡と呼べるほどの形跡はなく、看板が残っているのみだ。しかし、鳳来寺方面への入り口として、当時は多くの利用者がいたとのこと

旧鳳来寺駅跡は跡と呼べるほどの形跡はなく、看板が残っているのみだ。しかし、鳳来寺方面への入り口として、当時は多くの利用者がいたとのこと

県道32号から県道389号へと切り替わり、設楽方面へと進むと鳳来寺山の表参道が現れる。こちらも、鳳来寺駅として当時は宿場もあった場所だ。現在は駐車場になっており、周辺には橋梁などの形跡が少しだけ残っている。

鳳来寺駅跡から先の路線は、短い隧道が複数入り組んでいる。道路に面した隧道は立ち入りできないようになっているので、むやみに入らないようにしよう

田口線の線路跡は山あいに入ると道路として残る

舗装路として利用されている線路跡。山間部のため、日当たりも悪く、苔が崖一面に生えている

舗装路として利用されている路線跡。山間部のため、日当たりも悪く、苔が崖一面に生えている

田口線跡をたどるには、海老川に沿った県道389号を利用するのがスムーズだが、谷平エリアでは、さらに一本山沿いを走る広域農道そのものが線路跡として残っている。利用者もあまりおらず、森林管理の車両や田んぼ間の移動で使われているせいか、すれ違う車両もない道だ。杉並木や隧道も残っているため、当時の車窓からの風景も想像しやすい。

利用者も少ないが、クルマは一台がやっと通れるほどの道だ。橋梁なども車両が通過できるように改装されている

「道の駅したら」に貴重な木製車両「モハ14型」が展示

田口線で活躍していた日本車輌製の木製ボギー車両は、日本で現存する個体はほとんどない。そんな貴重な車両に「道の駅したら」では乗り込むことも可能だ。この車両は廃線後に廃車されたものを田峰駅跡や、旧奥三河郷土館など場所を移動して現在の展示に至る。展示移動は、多くの地元住民が見守るなかでの作業だったという。

旧奥三河郷土資料館にて保存されていた「モハ14型」は令和3(2021)年に「道の駅したら」に移転する際にリフレッシュされ展示されている

旧奥三河郷土資料館にて保存されていた「モハ14型」は令和3(2021)年に「道の駅したら」に移転する際にリフレッシュされ展示されている

内装はキレイに修繕され入ることもでき、室内には資料なども展示されている。運転席なども間近で観察することができる

大正14(1925)年に製造され、当時は豊川鉄道で走っていたが、田口線に移動し廃線になるまで使用されてきたものだ。座席数は44席、定員100人の木造車両。平成20(2008)年には近代化産業遺産と認定され、屋根付きの場所に展示されている。

設楽ダム建設によって田口線の終着駅はまぼろしに

町道122号に入る橋は田口線を利用した道路として利用されている。撮影した当時は、設楽ダム建設に伴い看板が掲示されていた

「道の駅したら」から国道257号沿いに進むと豊川を渡る橋からさらに路線をたどることができる。
しかし、町道122号の道幅は狭いため移動には注意が必要だ。また、三河田口駅跡は設楽ダム建設によって埋め戻しされるため、すでにアクセスできない。道中は豊川沿いを進む道だが隧道が残っている箇所も。道も工事エリアになるため、途中で行き止まりになるので注意を。

鉄道線路だったままの幅で道路として残っている。工事車両も通過するため、道は荒れている

鉄道線路だったままの幅で道路として残っている。工事車両も通過するため、道は荒れている

豊川沿いまでは山あいの木々が鬱蒼(うっそう)とした道が続く。すれ違いも難しくなる部分あるので、注意が必要だ

今回訪れた豊橋鉄道田口線は、山間部に住む人々の往来で栄え、輸送の要となった時代に多くの人を運んだ路線だ。終着駅の三河田口駅跡は設楽ダムのためにアクセスすることもできない。しかし、愛知県の奥三河を支えた路線だからこそ、道の駅での保管車両の展示や、有志による廃駅の管理されたエリアも残っているのも事実だ。今後も開発によって路線へのアクセスが困難になるスポットが増える可能性もある。奥三河を訪れた際には、ぜひ訪れてみてほしい場所だ。

今回訪れた廃線の場所はMAPで確認を

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