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FJクルーザー、エレメント、テラノ、エクリプス…どこか違う、この日本車。北米で“育った”異色モデルたちのKV
構成=ダズ / 文=高橋アキラ

FJクルーザー、エレメント、テラノ、エクリプス…どこか違う、この日本車。北米で“育った”異色モデルたち

北米でデザイン・開発・生産され、日本に登場した「アメリカを感じる国産車」たちを振り返る!
高橋アキラ

世界のクルマを比べてみると、アメリカの自動車メーカーが作る、いわゆる“アメ車”は、他国のクルマとはなにかが違う。その独特な雰囲気は、良くも悪くも“アメ車らしさ”とされ注目を浴びる。アメリカには日本の自動車メーカーのデザイン拠点もあり、実は北米のデザイン拠点で作られ、日本国内で売られているクルマも結構多い。そんな逆輸入的なクルマは、どこかアメ車らしい“匂い”がのってくるのだ。そんな北米でデザインされた日本車をモータージャーナリスト高橋アキラさんがピックアップして解説!

目次

北米市場で日本車の人気が高まり、北米開発・生産が増加

ホンダ・エレメントの走行シーン

「アメ車っぽさ全開! セドリック、クラウンエイト、グロリア…1960〜70年代“アメリカ風”な日本車たち」では、若き日の僕がアメリカナイズされていく姿に触れたが、今回は日本のカーメーカーにとってもアメリカの存在が大きくなっていく話。80年代になると日本のメーカーは北米市場を重要視し、現地に拠点をつくり現地開発、生産をするようになる。

安くて、壊れない、そして燃費が良い日本車は人気になり、アメリカ車からの乗り替えが増えていく。当然開発のベクトルは北米市場に向き、アメリカ人に好まれる姿へとなっていく。その影響は国内にも出始め、逆輸入される日本車も出てくる。

その背景には北米での人気の他に、日米貿易摩擦への対応といった政治・経済的理由もあった。1985年のプラザ合意まで1ドル240円前後での取引だったわけで、それは貿易摩擦の要因になっていった歴史がある。ただ、そうした背景とは別に「アメリカ車の匂い」のする日本車は話題にもなったのだ。

さらに国内ではスキーやサーフィン、アウトドアといったアメリカンな娯楽もブームになった。大きな波を求めてビーチを転々とするサーフバム、パウダースノーを求めてさまざまな山を転々とするスキーバムといったワードも出てくる。サーフィン映画『ノース・ショア』や『ビッグ ウェンズデー』がヒットし、スキー映画ではエクストリームスキーがはやる。実在するスコット・シュミットやグレン・プレイクはムービースターで、来日したとき、僕は仕事を一緒にやらせてもらう幸運もあった。

またアウトドアブランド「パタゴニア」の創業者イヴォン・シュイナードはスプリンター・カリブを愛車にし、ビジネスが成功しているにもかかわらず、カリブをファーストカーにしていた。屋根にはロングボードやシーカヤックを積み、トランクにウェットスーツが投げ入れられているサビだらけのカリブがカッコよかった、という話を直接インタビューした友人のライターから聞いたことがある。

でも、ネットで調べて出てくるイヴォンの愛車はスバル・アウトバックであり、カリブの名前は出てこないから、見間違えたのか、定かではない。が、大事なのはライフスタイルに見合うクルマ選びをしていたことであり、それを使い込むスタイルがカッコよかったと自己流解釈をしている。

こうした情報が日本にもたらされると、日本にもそのライフスタイルは入り込み、アメリカの匂いがするファッション、スポーツ、食文化、そしてカーライフがはやっていったのだ。

時代は一変し、現代になると欧州車志向に変わっている。クルマ好きは元々欧州車志向ではあったが、一般ユーザーの間でも欧州車は高い評価・人気につながり、アメリカ車はほとんど見かけなくなっている。ただ、サーファーやスキーヤー、ボーダー&スケーターなど一部の間では、アメリカ車の存在は今でも影響しているようで、根強いファンがいるのも事実だ。

ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング

1982年、日本の自動車メーカーとして初めてアメリカで四輪車生産を開始したホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリング(写真は2007年当時)

日産テラノ(1986年登場)

3ドア5人乗りという個性的クロカン

日産テラノのフロント

カリフォルニアにある日産のアメリカにおけるデザイン拠点、日産デザインインターナショナル(現:日産デザインアメリカ)にてデザインされた

1986年に日産から「個性あふれるライフスタイルを提唱する新感覚4WD」として「テラノ」がデビューする。それまでダットサン・トラック(ダットラ)がサーファーたちに人気で、なかにはキャノピーをカスタムする人もいた。そうしたスタイルを実車化したのがテラノだ。日産はレジャーの多様化とアウトドア志向の高まりへのひとつの回答としており、まさに、イヴォン・シュイナード式ライフスタイルだ。テラノは乗用車ライクな乗り心地など、確かに新感覚の4WDだった。

日産テラノのリア

デビュー当時は5人乗りながら3ドアというアメ車のSUVによくあるスタイルで登場。後に5ドアタイプも追加された

トヨタ・エスティマ(1990年登場)

国内で爆売れした“天才タマゴ”。実は北米デザインだった

トヨタ・エスティマのフロント

初代エスティマは、“EGG ON A BOX”をスタイルテーマとした、カリフォルニアにあるトヨタの先行デザイン開発拠点Calty Design Research,Inc(キャルティ)によるデザインをベースに作られた

日本のミニバンブームの先駆け「トヨタ・エスティマ」。じつは80年代にアメリカでミニバンが流行している。ダッジ・キャラバンやクライスラー・タウン&カントリーなどがヒットし、これにいち早く反応したのがトヨタだ。それまで商用車ベースしかなかったキャブオーバーバンを、乗用車ライクに仕上げるために北米のデザインスタジオで開発。「天才タマゴ」のキャッチフレーズで話題になった。カリフォルニアの叔母を訪ねたとき、確かに愛車はボイジャーで、子供たちを野球の練習に連れていくときに使っていたことを思い出した。日本では、その数年後にホンダ・オデッセイがデビューしミニバンブームが巻き起こり、ミニバン専門雑誌も多数創刊されるほどの加熱っぷりだった。

トヨタ・エスティマのリア

すでにミニバンというジャンルが確立されていた北米では「プレビア」という車名で販売されていた

ホンダ・アコードワゴン(1991年登場)

北米で本格的に開発・生産されたワゴン

ホンダ・アコードワゴンのフロント

スタイリッシュなフォルムと高品質な内装、広々とした居住空間に加え、北米アンナ工場製2.2Lエンジンを搭載した北米産の日本車

USアコードと呼ばれ、コンセプトの立案からデザイン、設計、開発をホンダR&Dノースアメリカ、金型など生産設備をホンダ・エンジニアリング・ノースアメリカがそれぞれ担当。ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチュアリングが生産した本格的な北米開発・生産モデルだ。日本では2000cc以下と超で自動車税が異なるが、エンジンが2.2Lと中途半端なのは、北米仕様のまま国内販売されたという証だ。ちなみに正式な諸元上の車名・型式の表記も「ホンダオブアメリカ・E-CB9」型となっているアメリカ車なのだ。

ホンダ・アコードワゴンのリア

4代目となるアコードで初設定となるステーションワゴンは、北米はもちろん、日本国内でも人気の車種となった

三菱エクリプス(1995年登場)

販売終了後に大ヒット映画への登場で一躍人気に

三菱エクリプスのフロント

2代目エクリプスは北米では1994年に発売され、日本国内には1995年から逆輸入がはじまった。1999年に3代目へとモデルチェンジしたが、2001年の映画『ワイルド・スピード』に登場し、再度人気を得た

1995年に、米国ダイヤモンド・スター・モーターズ(DSM)が生産している 2 ドアスポーツスペシャルティ「エクリプス」のフルモデルチェンジに伴い、 新型車を 『NEW エクリプス』 として輸入すると三菱自動車が発表した。DSMはクライスラーとの合弁会社で、エクリプスは北米で展開していたスタリオンの後継モデルとして1989年に初代を開発。北米ではポニーカーとして注目され、三菱車の中では最も人気があり、廉価ながらパフォーマンスが高く評価されていた。写真は2代目のエクリプスで、2012年の4代目まで発売されていた(※日本での販売は3代目まで)。また逆輸入の経緯は日米貿易摩擦への対応と言われている。

三菱エクリプスの内装

日本で販売されていたエクリプスも左ハンドル。逆輸入車であるという証だ

トヨタ・プリウス(1997年登場)

世界初の量産ハイブリッド車も実は北米デザイン

トヨタ・プリウスのフロント

世界を驚かせた革新的な市販ハイブリッド車のスタイリングは、カリフォルニア州にあるトヨタのデザインセンター、Caltyによるもの

世界初の量産型ハイブリッド車「プリウス」が1997年12月に発売された。「21世紀に間に合いました。」というフレーズとともに215万円で発売。ハイブリッドとは? が新鮮で、複雑な機構への興味と信じがたい省燃費性能により、次世代環境車両であることが世間に伝わり、発売当初は文化人を中心に人気が出たものの、浸透には時間がかかった。しかし1998年の第18回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、第3世代、現行第5世代のプリウスも同賞の栄冠に輝いた。ハイブリッド車のパイオニアであり、現在のHEVブームの火付け役でもある。また環境車の開発技術の足枷(あしかせ)にならないように特許を公開し、使うことも認める対応をしている。

トヨタ・プリウスのサイド

空気抵抗の減少を突き詰めたボディーデザイン。空気抵抗を表す係数Cd値は0.30と4ドアセダンとしては低かった

ホンダ・エレメント(2003年登場)

中古車市場でコアな人気が続く個性的な逆輸入SUV

ホンダ・エレメントのフロント

エレメントは北米の開発拠点であるホンダR&Dアメリカにて開発され、オハイオ州のイーストリバティ工場で生産された逆輸入車

2003年、新価値SUVとして「ホンダ・エレメント」が発売された。エレメントは北米カリフォルニア州の研究・開発拠点で誕生し、生産された逆輸入車だ。特徴には10フィートのロングサーフボードが搭載できるとされ、またアメリカの若者にとって自由な生き方の象徴とされる憧れの対象「ライフガードステーション」をモチーフにした。対象のターゲットが狭かったこともあってか日本では2年間の販売で終了している。が、近年、そのデザイン性やセンターピラーレス構造の使い勝手の良さが見直され、またアウトドアブームも相まって、中古車市場では注目のモデルになっているという。

ホンダ・エレメントのサイド

開放的な観音開きのドアや、バンパー、フェンダーなど広範囲にわたる未塗装の樹脂パーツなど個性際立つクルマだった

トヨタ・FJクルーザー(2010年登場)

名車40系ランクルを思わせるレトロなデザインが人気

トヨタ・FJクルーザーのフロント

北米デビューから4年遅れで日本に正規導入されたFJクルーザー。40系ランドクルーザーを彷彿(ほうふつ)とさせるデザインが特徴。日本には右ハンドル仕様が正規導入された

2006年から北米で販売されていた「FJクルーザー」は、2010年から国内の正規販売が開始された。トヨタの北米デザインセンターで若手デザイナーを中心に開発され、2003年のデトロイトモーターショーでコンセプトカーとしてお披露目。その後わずか3年で量産デビューをしている。車名の由来は「ランドクルーザー」と「FJ40」の造語。40系ランドクルーザーを思わせるレトロなフェイスが特徴で、国内では今なおカルト的な人気モデルとされており、特に正規販売前の左ハンドル仕様はコレクターズアイテムになっているという。

トヨタ・FJクルーザーの内装

シンプルで武骨なデザインは確かにアメ車っぽい。V6 4Lガソリンエンジンというのもいかにもだ

マッチョなボディーにハイパワー
アメリカを感じさせる国産マッスルカー

マッスルカー。70年代のアメ車に使われる呼称で、とくにスポーツカーのカマロやマスタングのポニーカーサイズが徐々に大きくなった時代のモデルで語られることが多い。当時のアメ車のエンジンは大排気量で、シボレーで言えば350cu.in (約5700cc)を境に「スモールブロック」と「ビッグブロック」に分かれている。5.7Lでスモールなのは「恐るべしアメリカ」で、ビッグブロックのエンジンは8.2Lまであった。中でも7.4Lの454cu.inはドラッグレースにも使われ、またV8エンジンの大トルクは僕自身をはじめ、多くのクルマ好きを虜(とりこ)にした。

日本にもマッスルカーと言われたモデルがある。トヨタ・スープラ(4代目A80型)は3.0L直列6気筒の2JZ-GTEツインターボエンジンを搭載。日本仕様は280PSでマッスルと呼ぶにはインパクトに欠けるが、このエンジンはチューニングへの耐久力がすさまじく、1000PSに改造しても壊れず、直線の速さはまさにマッスルだったのだ。

90年に登場した三菱GTOはアメリカ車の直線番長的マッスルとは異なり、本格派スポーツカーだった。3.0LのV6ツインターボエンジンに、AWD(全輪駆動)とAWS(4輪操舵)を搭載し、4輪ABSと組み合わせてAWC(オールホイールコントロール)を具現化したコーナリングをするスポーツカーだった。

またネーミングのGTOは1970年代に初代ギャランGTOが発売されており、復刻ネームとしてGTOと命名されている。僕が最初に購入したクルマがギャランGTOなので、三菱GTOがデビューしたときは、あまりの違いに驚いたことを覚えている。そして日本版マッスルカーには反応できない僕がいるのだった。

トヨタ・スープラ(1993年登場)

4代目となる80系スープラは1993年に登場(※初代・2代目はセリカXXが北米でスープラとして売られていた)。排気量こそアメ車ほど大きくはないが、グラマラスなボディー、パワフルなターボエンジンにより北米でも人気だった

三菱GTO(1990年登場)

1990年に登場した三菱GTO。ワイド&ローで迫力満点のシルエット、3Lツインターボの4WDスポーツという他にはないパッケージでコアな人気を得た。北米では3000GTとして販売するともに、クライスラーにOEM供給していて、ダッジ・ステルスとしても売られていた

日本の経済成長にアメリカは欠くことのできないピースであり、その成長過程で育ったクルマ好きの多くはアメリカ臭がきっと好きなんだと思う。

いまでこそ、アメリカに対する憧れは少なくなったものの、家は平屋でバスケットゴールがあり、道路から家までのアプローチに芝生があり、玄関横には2台収まるガレージがある。裏庭にはプールがあり、大型犬もいるのがアメリカの一般家庭として僕の脳裏に刷り込まれ、サクラメントに住む叔母の家は、まさにそれだった。そんなライフスタイルを富の象徴に位置付け、アメリカを追いかけたのは僕だけではないと思う。

高橋アキラ

たかはし・あきら モータージャーナリスト、公益社団法人自動車技術会 モータースポーツ部門委員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、日本モータースポーツ記者会会員。やんちゃなチューニング全盛期の自動車専門誌編集者時代を経て、技術解説、試乗レポートなどに長けた真面目なジャーナリストに。Y30グロリアワゴン、マスタングなど愛車遍歴にはマニアックな車も多い。

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