アメママンの在庫を抱えた間寛平と息子
聞き手・構成=張江浩司 / 編集=中野藍人 / イラスト=本 秀康

「連帯保証人には絶対なるな!」…間寛平、借金と子育ての記憶〈間慎太郎 / ボクが歩く道の途中とキミが歩く道の途中〉

間寛平さんが語る、クルマと音楽と芸人人生
間 寛平

今月選曲を担当するのは、お笑い芸人の間寛平さんです。第4回はミュージシャンとして活動しているご子息の慎太郎さんとの思い出や、当時乗っていたクルマ、借金を増やすことになってしまった「アメマバッジ」の苦い思い出を語っていただきました。

音楽好きの著名人たちが、月替わりで自動車やドライブにまつわる音楽との思い出とともに至高のドライブミュージックを4曲紹介します。

目次

4. 間慎太郎 / ボクが歩く道の途中とキミが歩く道の途中

息子・慎太郎との思い出の曲

アースマラソンから帰ってきた後、2011年にサイパンマラソンの「50km寛平コース」を僕がプロデュースすることになったんです。吉本芸人をたくさん呼んでツアーもやって。テーマソングも作ってほしいとお願いされたので、息子の慎太郎に頼んでできたのがこの曲です。現地でライブもやってくれましたね。

慎太郎の曲には、僕との思い出から作ったのもあるんです。「いつかのボール」という曲は、慎太郎が子供の頃に僕とキャッチボールしてて、なかなか真っすぐ投げられへんから「なんで投げられへんねん!」と言ったらそのままボールとグローブを放り投げて帰ってしまったんです(笑)。その時の曲です。

子供らが小さいときにはR31スカイラインGTSに乗ってました。スカイラインが大好きで。中学生の頃に隣に住んでた兄ちゃんが乗ってたんですよ。「間くん、仕事行ってくるわ」とスカイラインでブンブン出発する、その後ろ姿に強烈に憧れました。

ただ、家族でドライブに行った思い出はほとんどないんです。子供が小さかった頃は借金に追われて毎日大変だったこともあって。基本的に流される性格なんですよ。「ここに判子押して」と言われたら押してしまうし。それで連帯保証人になってしまって、大変な目に何度も遭いました。

その借金を返そうと、当時出ていた番組でやっていたキャラ「アメママン」のバッジを10万個作ったんですよ。そしたらすぐにその番組が終わって、全然売れなくて。さらに6000万円の借金だけが残りました。バッジを作った業者と裁判になって、裁判官が「アメマとはなんですか?」と聞いてくるから「『アメマ〜』です」とギャグをやると、「いや、だからそのアメマとはなんなんですか!?」って。裁判所でめちゃくちゃウケました(笑)。

あとは子供が受験の頃に阪神大震災があって。住んでた家が潰れちゃったから、吉本に再建費を借りに行ったら「間くんに出せるのは100万円かな」と。それじゃなんの家も建てられませんわ(笑)。

とにかく僕が言いたいのはね、「絶対、連帯保証人にはなるな!」。これだけです。

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間寛平さんのプレイリスト

間 寛平

はざま・かんぺい 1949年7月20日生まれ。高知県出身。本名・間重美(しげみ)。1970年、吉本新喜劇の研究生になり、1974年に座長に就任する。1978年に新喜劇の座員だった光代さんと結婚。89年に東京進出し島田洋七とのコンビ結成などでも話題になる。35歳頃からマラソンを本格的にはじめ、2008年12月から2011年1月にかけてヨットとランだけで地球一周する「アースマラソン」を完遂する。「ア~メマ!」「かい~の」などヒットギャグ多数。吉本興業からの強い要請を受け、吉本新喜劇のGMに就任した。

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