ふかわりょうが「沈黙の音」を求め向かったポルトガルの小村での思わぬ出会い〈Lemon Jelly / '75 aka Stay With You〉
ふかわりょうが綴(つづ)る、心に染みる記憶をたどる「旅と音楽」エッセー
選曲・執筆を担当するのはお笑い芸人、ミュージシャン、DJ、エッセイストと多才ぶりを発揮する、ふかわりょうさん。今回は「沈黙の音」が聞こえると有名なポルトガルの小村、モンサラーシュにドライブ旅行をした際の思い出を綴ります。
音楽好きの著名人たちが、月替わりで自動車やドライブにまつわる音楽との思い出とともに至高のドライブミュージックを4曲紹介します。
4. Lemon Jelly / '75 aka Stay With You
「沈黙の音」を求めモンサラーシュへ
ポルトガルを訪れたのは、「沈黙の音」という表現に惹(ひ)かれたから。
それは、モンサラーシュという、スペインとの国境付近に位置するポルトガルの小さな村。丘の上に石造りの白い建物が並び、ポルトガルで最も美しい村の一つとされるこの場所では、夕方になると、沈黙の音がするという。その音を聞くために、私は日本を発(た)った。リスボンで車を借り、キリスト像を通過すると、オリーブ畑やコルク樫(がし)の林、廃屋や放置されたプロペラ機が車窓を彩る。小さな町に立ち寄って炭酸飲料を喉に流し込んだり。そうして、赤いセダンは目的の場所に到着した。
「ここか」
丘の上に聳(そび)える城壁の中は、眩(まぶ)しいほどの白い建物が青空に浮かび、その前を黒装束の婦人が歩いている。スーツケースを揺さぶる石畳の凹凸が、靴の底からも伝わってくる。小さな宿にチェックインすると、中庭のレモンの木が伸びる2階のバルコニーで、炭酸オレンジを飲みながら、その時を待っていた。しかし、夕方になっても沈黙どころか、ずっと鳥の囀(さえず)りが響いていた。
夜、宿を出て散策することにした。白い壁をオレンジ色の灯(あか)りが静かに照らしている。むしろ沈黙の音は夜中に聞こえるのかもしれない。そう思ってホテルに戻ると、入り口の木戸がオートロックで入れなくなっている。宿のご婦人を起こすのは憚(はばか)られるので、私は再び散策することにした。
日中はTシャツ一枚でちょうどよかったが、夜はグッと冷え込み、突風に弄(もてあそ)ばれる。せめて上着を羽織っていればと、途方に暮れる私の目に留まったのは、城壁を照らす照明。吸い寄せられるように近づくと、石垣に埋め込まれた照明に悴(かじか)んだ手をかざした。微(かす)かに熱を回復する指先。背後に気配を感じて振り向くと、猫が石畳の上に座っていた。
その猫は鳴きながら冷えた私の身体を撫(な)でるように回り、照明の前に座った。私と猫の影が、村の城壁に大きく映し出されていた。
ようやく空が明るくなってきたので宿へ向かおうとすると、猫もついてくる。部屋に入れるわけにもいかないので、しばらく教会前の広場で別れを惜しんだ。
宿をチェックアウトし、サグレスというポルトガル南端の港町に向かった。航海士になった気分で大西洋を眺めるつもりだった。モンサラーシュからクルマで数百㎞。いざ、大海原を目にすると、港町に泊まるつもりだった私の中で、何かが芽生えていた。
「うそだろ……」
あの猫に会いたいという気持ちだった。そんなわけないと気付かぬふりをしても駄目だった。私はサグレスを去り、再びモンサラーシュに向かった。あの猫に会うために。
海に沈む夕日に見守られ、ひたすら北上する車内で流れていたのは、イギリスのアーティスト、Lemon Jelly の「’75 aka Stay With You」だった。
今朝チェックアウトとした青年を、婦人は目を丸くして迎えてくれた。暗闇に沈む白い村。昨晩共に過ごした照明の前にも、教会前の広場にも、あの猫の姿はなかった。
「ムイト・オブリガード(どうもありがとう)」
婦人に2度目の別れを告げて宿を出た私の足が止まった。石畳の凹凸の上にちょこんと猫が座っている。あの猫に違いない。私はスーツケースを揺らしながら駆け寄った。猫はわかっているだろうか。わからなくてもよかった。教会の鐘の音が、丘を滑り降りていった。
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ふかわりょうさんのプレイリスト

ふかわりょう
1974年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学在学中の20歳でお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いへア・ターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレイク。後の「あるあるネタ」の礎となる。以降、テレビ・ラジオほか、ROCKETMAN名義でのDJや執筆など、その活動は多岐にわたる。近著に『日本語界隈』(ポプラ社)、『スマホを置いて旅したら』(大和書房)、『ひとりで生きると決めたんだ』(新潮社)などがある。
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