迷彩柄カイエンに、次の一台はサイバートラック!? 元日本代表DF槙野智章の車愛
羨望の車をカスタムで楽しむ、独自の車哲学とはサッカー元日本代表の槙野智章さんは現役時代から車好きとして知られ、自身のYouTubeチャンネル「槙野智章の俺じゃけん」でも愛車を紹介してきました。槙野さんの“愛し方”は、次々と新しい車へ乗り替えるのではなく、一台の車に長く乗り愛情を注いでいくというもの。夢を叶えた1台目からの愛車遍歴を振り返りながら、ボディーカラーを変えることに楽しさを見いだした背景と、すでに予約済みの新車について語ってくれました。
初マイカーはBMW
「ノリのまま買った」けれど…
――車に興味を持ったきっかけを教えてください。
高校生の時、サンフレッチェ広島のユースチームに所属していたのですが、練習はプロチームと同じ施設を使っていました。そうするとJリーグで活躍する選手たちが、カッコいい車に乗って颯爽と練習場に登場するんです。駐車場にずらりと並んだ外車を見てカッコいいな、あの車に乗りたいなと興味を持ち始めました。「自分もプロになったら、そういう車に絶対に乗りたい」と、かなり意気込んでいましたね。
――槙野さんは高校卒業後の2006年にサンフレッチェ広島のトップチームに昇格します。運転免許は、どのタイミングで取得されましたか。
19歳で取りました。高校を卒業したプロ1年目のときに、同年代のチームメイトと一緒に自動車学校へ通って。練習がある日も終わった後に通うなど、結構真面目にやっていました。だから試験も全部一発合格です。
――念願の1台目の車は何歳のときに購入しましたか。
サンフレッチェ広島にはプロ入りから1年間は車を持ってはいけないというルールがあったので、初めて車を買ったのはプロ2年目のとき、20歳でしたね。左ハンドルのBMW3シリーズを買いました。
――初めての車がBMWだったのですね。それなりの価格がしたのでは?
中古で買ったので、全然そんなことはなかったです。当時、サンフレッチェ広島でプレーしていた先輩が、ある会食に僕を誘ってくれて、そこにいたBMWディーラーの社長さんに「将来ビッグになる奴なんで、BMWを買わせたほうがいいですよ」と話を振ったんです。そうしたら、その社長さんが「じゃあ納車します」と言って即購入が決定。外車や左ハンドルへの憧れが僕自身にあったのは確かですが、絶対にBMWが欲しいというわけではなく、会食のノリのまま買った感じでした。
車に乗り始めた頃は、楽しみしかなかったですね。自分がプロ選手として1つの階段を上ったというか、高校生の頃に憧れていた外車で練習場に行くという生活が実現して、すごくうれしかったんです。でもこの車、半年もしないうちにエアコンが効かなくなったり、ドアの窓がストンと落ちて上がらなくなったり……。もうこれはダメだなと思って、すぐに2台目への買い替えを検討しました。
――2台目はどんな車を購入したのですか。
メルセデス・ベンツのMLです。1台目のBMWを半年で手放した教訓もあって、やっぱり自分が乗りたい、買いたい車が一番だよねと、しっかり調べてたどり着いたのがこの車だったんです。買った後はホイールやライト、マフラーを替えたり、結構いじりましたね。車高の高いSUVのベンツMLは乗っていて心地良かったし、とにかく運転がしやすかったので5、6年くらい乗りました。
――2010年まで所属したサンフレッチェ広島時代は、ほぼベンツMLと過ごした感じですね。お気に入りのドライブコースはありましたか。
みんなでキャンプへ行ったり、ゴルフに行く機会はありましたけど、ほとんどが自宅と練習場の往復と市内を走るくらい。でも、そうした何げない運転の時間が自分は好きなので、お気に入りの音楽をかけたりして過ごす車の中は特別な時間でした。選手を引退した今もそうですが、現場へ行くまでの車で過ごす20分、30分は自分自身にスイッチを入れる時間になっています。
ポルシェ・カイエンを迷彩柄に
チームメイトの反応は
――ドイツのケルンで1年間プレーした後、槙野さんは2012年にJリーグの浦和レッズに加入します。その後、ベンツMLから乗り替えた車は何ですか。
ポルシェ・カイエンです。プロサッカー選手をやっているなかで、いい車に乗りたい、そのためには選手として結果を残さなきゃいけないという思いは常に持っていて、1つの憧れというところでポルシェは気になっていました。そのなかでも大きな車、四駆がいいなと思っていたのでカイエンに決めました。
――ご自身のYouTubeチャンネルでも紹介されていますが、カイエンに乗ってからボディカラーを変えるようになりましたね。ハマったきっかけは?
カイエンに1年くらい乗ってみて、ものすごくいい車だけど、周囲と同じだと少しつまらないなと思い始めて。気に入っている車をどうやってアップデートするかを考えたときに、ボディーカラーを変えるのが面白いかなと思って始めました。新しい車に乗り替えるのって、お金もかかるし、結構パワーを使うじゃないですか。自分が乗りたい車を調べて探さなくてはいけないし、いざ注文しても納車まで待たされたりもする。それに比べてボディの色を変えるのはお手軽だし、お気に入りの車自体を替えずに自分の色に染められる、世界に1台しかない車を生み出せるのは、すごく楽しいです。
――カイエンのボディーカラーを何度か変えていますが、最初に挑戦した色は?
赤を差し色にしたマットブラックでしたね。もともとマットブラックにしたいというのがあって、そこに差し色として赤を使いました。サイドのところに赤のラインを入れて、ホイールの内側も赤にしましたね。
――その次は何色にしたのですか。
全体の色は同じマットブラックなのですが、赤のときよりもブラックを少し濃くして、差し色に黄色を使いました。これが奇麗な色で、めっちゃカッコよかったんですよね。サイドミラーとリアにあるポルシェのエンブレム、ホイール全体も黄色にしました。
――歴代でこれが最もこだわったカラーリングでしたか。
いや、最もこだわったといえば迷彩柄。一番思い出深いですね。僕は服や時計が好きで、その時々のファッションやカラーのトレンドに敏感なのですが、当時ちょうど迷彩柄が流行していたので、車のボディに取り入れても面白いかなと思ったのがきっかけです。業者さんと一つひとつデザインを考えながら、何度も話し合いとテストを繰り返していく過程を含めて楽しかったです。
――当時の浦和レッズのチームメイトなど、迷彩柄を見た周囲の反応は?
まあ、僕のことを普段から見ていて、どんな人間か知っている人は、別になんとも思わないという反応ばかりで(笑)。この迷彩柄のポルシェ・カイエンには2年くらい乗りましたが、カスタマイズをすることで他にはない唯一無二の一台になりました。
――車のボディーカラーを変える面白さに目覚めた槙野さんですが、2017年にテスラ・モデルXを初めて購入されました。BMW、ベンツ、ポルシェとドイツ車を乗り継いできて、この車に惹かれた理由を教えてください。
もともと僕はビジネスに関心があって、イーロン・マスクにも興味を持っていました。時代の最先端を走る人物がテスラという車を展開していて、周りに乗っている人も当時はほとんどいませんでした。気になっていたタイミングで、ちょうどモデルXが日本に初上陸することになったので、購入を決めました。
惹かれたところはたくさんありますが……「ファルコンウィング」と言って、リアのドアがぐわっと上がるのもそうですし、EVとして地球に優しいこと、そしてテスラの常にアップデートされて機能が追加されていく楽しさがある部分にも惹かれました。
――1台目のテスラには7年乗られたとのことですが、今まで乗ってきたなかでも特に思い入れの強い車ですか。
思い入れはかなりありますし、乗っていてとにかく居心地がいい。車の中で何でもできるのが魅力で、大型のタッチパネルを操作しながら停車中にNetflixやYouTube、ゲームも楽しめる。自宅のようにくつろぎながら、Zoomを使って会議もできるので1分1秒を無駄にしない。これ以上に便利な車はないなと実感していたので、7年乗った後に新型のモデルXに乗り替えました。
――昨年末に購入されたと、YouTubeチャンネルでも紹介されていましたね。そして早速ボディカラーを緑色に変えています。
1台目のテスラも、もともと通常の黒だったボディをマットブラック、マットシルバーと2回変えました。新型も白で購入したのですが、納車してすぐにマットグリーンに変えたので、ほとんど元の色では走っていないんです。今年1月にサッカーのアジアカップがカタールであり、仕事で現地へ行っていたので、納車してすぐに業者に出して作業をしてもらい、帰国した時にはもう色が変わっていたという感じですね。
――マットグリーンを選んだ理由は?
グリーン自体がトレンドカラーになっていたので、どこかで取り入れたいなと思っていて。でも、じつは今のボディカラーから変えようかなと思っているんですよね。
――えっ!? もう変えるんですか。
はい。もう、いつでも変えようかなと思っています。たぶん、緑は緑でも、人によっていろいろな緑色があるじゃないですか。それと一緒で、マットグリーンも人によってその色合いが違うというか。また違う姿を見たいなと思っています。
――すでに次のボディカラーは決まっていますか。
アウトドアやキャンプがはやっているので、ちょっとサビっぽいデザインをボディに入れるのも面白いかなと。それこそトヨタ(ランドクルーザー)の60や70など、旧車を含めたものがどんどんはやってきているなかで、サビっぽいデザインを車に入れるのも遊び心があっていいかなと思っています。
発表直後にサイバートラックを予約
「気長に待っています」
――現在乗っている2台目のテスラ・モデルXも、長く乗りたいですか。
いや、次は新しい車をもう予約しているので、それがいつ入るか次第ですね。サイバートラックというテスラの新しいモデルで、アメリカではすでに走っているんですけど、これが日本にはたぶん来年か、再来年に入ってくると言われていて。そのタイミングでモデルXから乗り替えると思います。
――サイバートラックの画像を見ると、未来的というか、今までにない斬新なデザインの車ですね。
めちゃくちゃでかいし、めちゃくちゃカッコいいですよ。ガンダムみたいなロボットのような車です。後ろに原付バイクが乗せられるのが売りで、窓ガラスも石が当たっても、銃で撃たれても割れないというものなんです。3、4年くらい前にイーロン・マスクが発表した時に、一目見て買いたいなと思って、先行で予約受付をしていたので、すぐに予約しました。コロナの影響もあって発売が遅くなり、ようやくアメリカで走り始めているのですが、日本には毎年入ってくると言われながら、その都度「来年になります」と連絡がきてずっと待たされているので、予約したときよりも車への期待感は高まっていますね。
でも日本だと、あまり売れないんじゃないですかね。車体がとにかく大きすぎて、日本の普通の駐車場には停められない。それに日本の公道を走るにはクリアすべきハードルがあるようなので、1年後なのかいつになるのかはわかりませんが、楽しみにしながら気長に待っています。
――槙野さんがこれまで車を運転してきたなかで、経験したトラブルや失敗談はありますか。
1台目のテスラを購入した時、ガソリン車も1台持っておこうかなと人生で唯一の2台持ちを決意して、僕が以前からスポーツカーに憧れていたのもあってポルシェのケイマンを買ったんです。でもサッカー選手としてゴリゴリに体を鍛えていたので、車高の低いスポーツカーはハンドルに自分の脚が引っかかるんですよね。だから乗り降りも相当しづらかったですし、ハンドルを回すときに自分の太ももに腕が引っかかる感じがあったので、買ったけどあまり乗らなかったですし、1年くらいで手放してしまいました。スポーツカーに憧れていたので残念でしたね。
――当時のように、再び車を2台持ちたいという願望はありますか。
全然ないんですよね。2台持ちしたのはあの時だけですし、僕は結局、1台の車に愛を持ってずっと乗りたいタイプの人間なんだなって。
――これまでJAFに加入、または利用されたことはありますか。
JAFさんといえば、故障を含めてトラブルになったときに助けてもらえるイメージがありますし、僕の回りでも利用した話も聞いたことがあります。ただ自分は幸いにも事故に遭ったことも、走行できなくなるほどの大きな車両トラブルもないんですよね。外車に乗っているとエンジンが壊れて動かなくなったとか、そういう話も聞きますが、1台目のBMWの時もそれはなくて。現状では利用したことも、加入もしていないのですが、今後万が一、何かあったときには……ぜひ利用させていただきます!(笑)
――最後に、車とは槙野さんにとってどのような存在ですか。
車とは「人生そのもの」ですかね。どこへ行くにも車があり、車に乗ってきたからこその出会いもありましたし、たくさんのいい思い出や悪い思い出と一緒に過ごしてきたので、人生そのものかなと思います。現役時代、サッカーの試合や練習でいろんな感情を抱きながら、そのたびに車に乗って自宅との間を移動してきました。選手としてうれしいことも悔しいこともあったけれど、行き帰りの風景とともにそれぞれの記憶が思い出になっています。指導者としての挑戦をスタートさせ、メディアでも仕事をさせていただいているなかで、新たなカーライフを過ごしていきたいと思います。
槙野智章さんがドライブで聴きたい5曲
- SPiCYSOL「Coral」…気持ちを上げたいときにも、落ち着かせたいときにも、いろんな時間帯でも聞くことのできる曲です。
- SPiCYSOL「LIFE feat. 槙野智章」…自分も作詞をした曲。思い入れが強いので、ドライブでもよく聞きます
- GOKIGEN SOUND「ドライブ」…題名の通りドライブといえばこの曲です。
- SUPER BEAVER「人として」…歌詞が刺さります。人としてのかっこよさ、リアルを歌っていると感じます。
- SEAMO「Continue」…この曲も歌詞が刺さります。諦めたら終わりなんだというアスリートとしても刺さる内容が入っているのでよく聞いています。
(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)
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槙野智章
まきの・ともあき 1987年5月11日、広島県広島市生まれ。サンフレッチェ広島の下部組織で育ち、2006年にJリーグデビュー。年代別日本代表でも活躍し、07年にはU-20ワールドカップに出場した。11年のドイツ・ケルンへの挑戦を経て、12年に浦和レッズ加入。10シーズン過ごしたなかでAFCチャンピオンズリーグ制覇1回、天皇杯優勝2回などタイトル獲得に貢献した。18年には日本代表としてロシア・ワールドカップに出場。ヴィッセル神戸に在籍した22年を最後に、J1リーグ通算415試合46得点、日本代表通算38試合4得点の成績を残して現役を引退した。現在は持ち前の明るいキャラクターを生かして多方面で活躍する一方、今年から神奈川県社会人1部リーグに所属する品川CCのトップチーム監督に就任し、指導者としての一歩を踏み出している。