取材・文=平辻哲也(ENCOUNT)/撮影=荒川祐史/ヘアメイク=廣瀬瑠美/スタイリスト=上野健太郎(衣装=ジャケット、ニットポロ、パンツ・FUJITO/シューズ=New Balance)

光石研、愛車はキーレスエントリー・インジェクション化した63年製メルセデス・ベンツW111! 還暦過ぎの愛車への思いとは

世界に一台の愛車に、かけた金額は購入費の10倍以上!
目次

日本を代表する俳優・光石研さんは、1963年製メルセデス・ベンツ190C(W111)に乗り続けています。47歳の時に運命的な出会いを遂げ、快適化にかけたお金は十数年で購入費の10倍以上。60年を過ぎた今も名車は輝きを放っています。光石さんが愛車へのこだわりを語ってくれました。

『アメリカン・グラフィティ』への憧れ
最初の愛車はベスパ50S

インタビューに応える光石さん

――車好きはお父さまの影響が大きかったそうですね。

僕の両親は八幡製鉄所(現・日本製鉄)で働いていました。父は昭和8(1933)年生まれで、1960年代に個人が車を買うようになった最初の世代だと思います。僕が物心ついた頃には、車があって、最初はトヨタの大衆車・パブリカ。そこから我が家のファミリーカー人生が始まったんです。父はカローラ、コロナ、カリーナといった車に好んで乗っていて、僕も4ドア車が好きでした。

――自動車免許はいつお取りになったんですか。

18歳のときです。教習所に通わずに一発試験で仮免許3回、本免許2回で取ることができました。

――最初に買ったのは?

車の前に乗ったのは、50ccのスクーター、ベスパ50Sです。ジョージ・ルーカス監督の青春映画『アメリカン・グラフィティ』(1973年)に主人公の一人が白いベスパに乗っているシーンがあって、ずっと欲しいなと思っていたんです。だから、21歳で上京してきたときに、上野の首都高速の高架下にあったバイク街で買いました。

当時の自分としては分不相応だったかもしれない。現場に乗っていくと、「危ないから」と怒られたりするので、こっそり乗り付けたりしました。10年くらい乗って、最後は友達に譲りました。

――最初に買った車はボルボ122S・アマゾンとのことですね。丸目ライトとフロントグリルが特徴的でクラシカルなデザインですね。

21歳のときに近くの町の中古屋さんで見つけました。仕事場に乗って行ったり、よくドライブもしました。当時は若手の俳優が車で乗り付けていくと、生意気だと思われてしまっていました。だから、乗っていかないこともありましたが、スタジオなどは駐車場に停めておけば、目立たないかなと思いボルボで行きましたね。内装は買ったままです。レコードから好きな曲だけを集めて、カセットテープを作って、高速道路で聴くというのが子供の頃からの夢だったので、これをボルボで達成できたのはうれしかったです。

――どうして手放すことになったんですか?

2年半か3年ぐらい乗っていたんですけど、最後は走行中にマフラーが落ちてしまって……。それで引き取ってもらったんです。このボルボは今でも好きな形で、機会があれば乗りたいと思っています。

――その次は24歳のときのホンダ・アコード。アコードは初代、2代目、3代目と乗り継いでいます。

ボルボがダメになって、次に乗る車が必要でした。当時は電車の便があまりよくないところに住んでいたので、お金はなかったけれども、足がないと困るなと思って買いました。近くにホンダのディーラー系の中古屋さんがあって、そこで一番安いのがアコードだったんです。13万円くらいだったと思います。

――当時のアコードは今見てもかっこいいですね。

そうなんですよ。僕が買ったのは4ドア。本音を言うと、選んだのは、たまたま近くにディーラーがあったからなんですけど、ホンダというメーカーは若い感じがして、スタイルもかっこよかったな。

メルセデス・ベンツの魅力を知り、
そして運命の一台との出会いへ

ソファに座る光石さん

――アコードに乗った後は車を持っていない時期もあったそうですね。この間は何があったんですか?

35歳のときに一度リセットしたいと思ったんです。今後10年は電車通いにして俳優業に専念しようと決心をしました。若い頃から現場にはあまり電車で行かず、車に乗っていたので、車だけではなくて、趣味も一切封印したんです。実際には8、9年くらいたった時に、久しぶりに車に乗ってもいいかなと思い、もう一度乗り始めました。

――それで、45歳に買ったのがメルセデス・ベンツW114だったんですね。6気筒ガソリン車で、ヘッドライトが縦目になっているものです。

便利な今どきの車ではなく、古い車に手を出してしまったんです。最初のベンツは1972年製で、安く買ってしまったせいか、あまり調子がよくはありませんでした。それでも、久しぶりの車で本当にうれしかったですし、仕事場、プライベートでは富士山まで出かけたこともありました。ただトランスミッションの調子が悪くなってしまって、ニュートラルでは回っているのに、ドライブに入れると落ちてしまっていました。何度、修理に出してもダメで、どうにか2年乗って手放しました。

――ベンツは誰もが一度は憧れる車ではありますね。

自動車評論家をされていた徳大寺有恒さんの本に「世界一周するんだったら、絶対ベンツだ。ベンツのディーラーは世界中のどこにでもあるから、故障してもパッと飛び込めば、直る」と書いてあるのを読んで、やっぱりベンツだよなと思ったんですよね(笑)。それで、4ドアのベンツを探したんです。これも割と近くにある中古屋さんでした。

――新車ではなく、中古車というのは光石さんなりのこだわりがあるんですね。

一番には新車では高くて買えない、ということはありますが、新車は性に合わないですね。元々古着が好きで、ピカピカしたものより手アカがついたようなものがいいんです。

――そして、今も乗っているのが1963年製、メルセデス・ベンツ190C(W111)。運命的な出会いがあったそうですね。

もう一度車に乗ろうと決めてからは、ずっと探していました。友達から「探していたのがあったよ」と声をかけてもらったんですが、ちょうどW114を買ったばかりのときだったんです。それで、諦めていたんですが、W114を手放した後に車雑誌で見かけて、「わぁー、これだ」と思ったんです。それで、中古屋さんに実車を見に行ったら、「俳優さんですよね。この車をあなたが探していると聞いたことがあったんだけど」と言われて……。やっぱり、この車だと思ったんです。探してから2年くらいたって、巡り合ったので、勝手に運命的なものを感じて、ほぼ衝動買いでした。

――どういった部分が気に入っていますか。

ずっと『アメリカン・グラフィティ』に出てくるような50’sの車には憧れていたんですが、アメ車は少し大きいかなと思ってはいました。この車は「ハネベン」と呼ばれるフィンテールが特徴的で、アメ車っぽい感じがいいなと思っていました。それから、マニュアルのコラムシフトで、後部座席がベンチシートになっているのもいいです。

――確かに『アメリカン・グラフィティ』に出てくるサンダーバードと似た雰囲気がありますね。随分、手をかけたと伺いました。

エンジンこそそのままですけど、一回下ろしてからベアリングなどをオーバーホールしていますし、グレーにオールペン(全塗装)もしています。クーラーもない車だったので、後付けしました。そのクーラーもだいぶ古くなったので、昨年、クーラーからエアコンに付け替えました。シートもファブリック素材だったものを赤い革張りに変えています。ライトもハロゲンから、LEDに変えて、キーレスエントリーになっています。普通に乗れるようにしたいと思って、燃料噴射もインジェクション(電子制御式)にしたり、パワーステアリングも入れています。

――費用もかかったのではないでしょうか。

今までの十数年で買ったときの価格の10倍くらいの金をかけたんじゃないですかね。ちょっとずつお金を貯めて、車検の度に少しずつ変えていったという感じです。車屋さんに相談すると、「それ、付けられるよ」と言われるので、「はい、やります」と(笑)。今まで支払ったお金を考えたら、もっとすごく快適ないい車に乗れたかなと思ったりします(笑)。

――ただ、その分愛着はありますよね。

それは確かに。車の調子がいいと、こっちの気持ちも上がっていきます。その逆もありますが(笑)。運転中、ラジオを聴いていても、エンジンの音は気になるし、時折、ボリュームを落として、エンジンの音を気にするようにはしています。

――徳大寺さんがおっしゃっていた通り、ベンツはしっかりした車ですね。60年以上現役なんですから。

還暦も過ぎていますが、よく走ってくれています。先日も箱根から帰ってきました。行きは運んでもらって、帰りは運転して、渋滞にはひっかかったけれども、快適に走ることができました。

――あれだけ見事な車だと、周囲の目を引くんじゃないですか。

先日、都内を走っていたら、僕の後をずっと走っている車があったんです。信号待ちしていたら、テンガロンハットを被った人が出てきて、「僕も同じ車に乗っているんです。あんまりうれしくて、ついてきてしまいました」と。名刺をいただいたら、帽子を作っている会社の社長さんだったんです。

ジャズピアニストの小曽根真さんからも電話がかかってきて、「オレも光石さんと同じ車の後期型を買ったんだよ」って。2人でいつか取材を受けたいですね、と盛り上がったこともありました。こういうつながりがあると、うれしくて、ますます手放せないなと思ってしまいます。

仕事帰りの車内は
「素の光石研」になる時間

こちらを見てほほ笑む光石さん

――車内では、どんなふうに過ごされますか?

仕事に行くときはセリフを復習したり、帰りは主にラジオで音楽を聴いています。今はサブスクで聴けますが、僕はCDのほうがいいですね。ラジオで聴いて気になった曲があったら、調べて買います。CDのジャケットを眺めたり、ライナーノーツを読んだりするのが楽しいんですよね。ロケ先でスタンバイの場所がない時は後ろのベンチシートでお弁当を食べたりしています。

――今はもう一台、フィアット500(チンクエチェント)にも乗っているそうですね。

こっちは妻と一緒に使っています。中古車で買って、2台乗り継ぎました。フィアットは小ぶりなので、駐車場の場所を考えないといけないときによく乗っています。

――ベンツは今後も長く乗っていくつもりですか。

実は去年、もう手放そうかな、と思って、人に相談していた時期もありました。そんな時に車検になって、パワステとエアコンを付けたら、快適になったので、相談していた相手に「もう少し先延ばしにしたいので、待って」と話したんです。もうちょっと乗るかもしれないですね。

――ほかにも乗りたい車はありますか?

乗りたい旧車はいくつかありますけど、多分もう手は出さないと思います。今は旧車に乗っているような時代でもなくなっている気もしますし、燃費はリッター5~6kmなのでエコではないんです。部品も円安などの影響で高くなっていますし、手に入りにくくなっているようです。だから、都内や長距離でストレスのない車には乗りたいなと思いますね。ベンツをどうするかは全然わからないので、残しつつという感じかもしれないです。いろんな状況が許せれば、3台ぐらい待ちたいです。

――光石さんにとって、車とはどんな存在ですか。

僕ら俳優はフィクションの世界で生きています。ノンフィクションである実生活とフィクションの世界を行き来する道具のような感じがあります。現場では、お医者さんの役をやったりもするのですが、帰ってくるときはラジオを聴いたり、好きな音楽を聴いたりして、リセットできる。帰りの道では、自分についたものを落として、素の光石研になっていくみたいな感覚があるんですよね。「タイムマシン」というと、ちょっと違いますが、自分に戻る時間を作ってくれるような気がします。

光石研さんがドライブで聴きたい6曲

●昼に聴きたい3曲

  • Lenny Kravitz「It Ain't Over 'Til It's Over」…同年代のミュージシャン、レニー・クラビッツが1991年に発表したセカンド・アルバム『Mama Said』に収録されたラブソング。ノリがいいので、気持ちも弾みます。
  • Kool & The Gang「Joanna」…クール&ザ・ギャングは1964年に結成されたファンクバンドです。この曲は1983年発表のアルバム『イン・ザ・ハート』に収録されています。同バンドを代表する一曲なので、聴いたこともある方も多いはず。
  • The Black Eyed Peas「Where Is The Love?」…ブラック・アイド・ピーズはグラミー賞を6度受賞したヒップホップ・ミクスチャーバンド。2003年の代表曲の一つ。9.11の同時多発テロ後に作られたそうで、内容は重め。宗教、人種の違いを乗り越えるには愛が必要だというメッセージソングです。

●夜に聴きたい3曲

  • Niteflyte「If You Want It」…ナイトフライトはサンディ・トレノとハワード・ジョンソンによって、1979年に結成された2人組ファンクグループ。この曲はデビュー・アルバム『Niteflyte』に収録されています。アーバンな感じにリズムが乗っています。
  • Bill Withers「Just The Two Of Us」…ビル・ウィザースはグラミー賞に6度ノミネートされ、3度受賞したシンガーソングライター。2020年3月に心臓の病気で亡くなりました。グローヴァー・ワシントン・ジュニアが1980年に発表したアルバムの収録曲で、邦題は「クリスタルの恋人たち」と言います。
  • Billy Joel「Just the Way You Are」…言わずとしれたビリー・ジョエルの名曲。邦題は「素顔のままで」。大物プロデューサー、フィル・ラモーンと組んだ5枚目の大ヒットアルバム『ストレンジャー』の収録曲。この曲でグラミー賞の最優秀レコード賞も受賞。時代を超えた名曲ですね。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

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※オークションサイト、フリマアプリなどでの転売を禁止します。

光石 研

みついし・けん 1961年9月26日、福岡県北九州市生まれ。高校在学中の78年に映画『博多っ子純情』のオーディションを受け、主役に抜てきされて俳優デビュー。以降、映画やドラマなど映像作品を中心に活躍している。12年ぶりの単独主演映画『逃げきれた夢』は第76回カンヌ国際映画祭 ACID部門へ正式出品、第33回 日本映画プロフェッショナル大賞にて主演男優賞を受賞。最新作には『ディア・ファミリー』(6月14日公開)がある。2022年に初エッセイ『SOUND TRACK』(PARCO出版)、最新第2弾『リバーサイド・ボーイズ』(三栄書房)が発売中。

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