偏愛アカデミー

「辛い登山の先にあるご褒美を求めて」市毛良枝先生の登山論

わたしの推し活語ります【後編】

市毛良枝
2022.07.21
2022.07.21
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お笑い芸人から俳優、ミュージシャン、文化人まで幅広いジャンルの著名人が「今、とくに夢中になっている趣味」をテーマに、まさかと思うような意外な偏愛嗜好について論じます。

第4回の後編は俳優の市毛良枝さんに、より深く登山を楽しむためのポイントをお伺いしました。
前編はこちらから

山中、木々の前に写る市毛さん

登山におけるご褒美とは?

前回、私は「山に登ることは辛いけど、乗り越えた自分に対してご褒美が得られて、ものすごく感動する」というお話をしたのですが、今回はまずこのご褒美についてお話ししたいと思います。

でもこれは読者の皆さんからすると「はぁ?」というようなものかもしれません。とても些細(ささい)なことで、たとえば登山の最中にコマクサを見たとか、ライチョウがちょうど換羽時期で見られたといったものです。

日頃と置かれている環境が違うことで、起きたことに対してとても繊細に反応できる。そのことがすべて喜びに繋がっていく。こういうことこそが私にとってのご褒美です。

「しんどいな。息も苦しいし、足も痛いし」と感じているときに、コマクサを見つけて「季節外れのコマクサがまだある! さすがは高山植物の女王ね!」と、その瞬間に辛かったことが忘れられる。

ひと休みしてお水を一杯飲んだだけで、「水ってなんておいしいんだろう」と思える。そしてそこにまた活力が湧いてきて、「よし。水もおいしいし、コマクサも頑張っているんだから、私も頑張ろう!」という気持ちになる。

そういったご褒美に出会えた瞬間に辛さを忘れられるなんて、人間は本当によくできていると思います。

忘れられないエピソードがあって。以前、後輩の女優さんを山に連れて行ったときのことです。朝、気がついたら彼女が山小屋にいないの。どこへ行ったのかと探して表へ出てみたら、朝日の前で仁王立ちをしてたんです。あまりの自然の美しさに感動して立ち尽くしてたみたい。

山小屋は大体が山頂の近くにあるので、小屋から見る朝日や夕日というのは、都会では絶対見られない映像なんです。そのことがそこに身を置いた自分を含めて感動に繋がる。

これらは小さな達成感の積み重ねなのですが、とてもプリミティブな経験をしているからこそ、喜びの振り幅が大きくなる。だから小さなことでもとても大きく喜べるようになるんです。

このときの彼女の姿に、私が初登山で感じたものと同じ感動を彼女もいま体験してるんだ、ということが重なって、とても嬉(うれ)しかったですね。

青空の下北岳を歩く市毛さん

富士山に次いで高い山、標高 3,193 m の北岳にて。

たとえば山ではお風呂には入れない。3、4日我慢することもある。だから下りてきてお風呂に入ったときに「お風呂ってなんて幸せなんだろう」と思う。それは不自由だったからこそ感じるんです。

なかには温泉のある山小屋もあり、山小屋の小屋主さんが従業員用のお風呂をそっとすすめてくれることもあります。温泉は自然に湧いているものだからいいのですが、人為的に沸かしたお風呂に入れる場合は、やはり環境の負荷を考えて、私はできるだけお断りしています。頑固と思われるかもしれないけれど、ご褒美としても取っておきたいからです。

最近の山小屋は便利さや清潔さを求められ、どなたにでもシャワーサービスを提供しているところもあるようです。あえて不便さを味わい、日常と違う経験をするために山へ登る私のような登山者がいる一方で、「汚いんじゃ、行きたくない!」っていう方もいるので、お風呂サービスも整えておかないといけない。「技術的にできないわけではないけど、環境もあるし難しい問題だよね」と小屋主さんもおっしゃっていましたね。

先入観にとらわれないように

30年ほど山登りをしてきて、昔を振り返ると反省することばかりです。「山に行けば死んじゃう」に始まり、山の人に対して失礼なことばかり言っていたなと。

それまでの私は山ってもう少しフィジカルなものだと思っていた。自分自身をいじめるような、肉体的な作業だと思っていたんです。けれど実際には山にまつわるすべて、山の登り方、山に住んでいる人たち、それは小屋主さんを含む山を職業としている人たち、そのすべてが文化だったんです。

山小屋の小屋主さんって皆さん文化人なんです。一見、厳(いか)つい顔をしていても、絵を描く人がいたり、バイオリンを弾く人がいたり、アルペンホルンを吹く人もいて、芸術家がいっぱいいる。それにあれだけの環境の中に毎日いるから映像を撮るのもとても上手で。皆さんとても文化的で繊細だし、優しくて素敵なんです。

何が言いたいかというと、イメージや先入観でものを見てはいけないということなんです。自分の足で行って、自分の目で見て、自分の感覚で確実に感じたことだけを信じる。そういうことに山に登るようになり、気づいたんです。それからはマスコミやテレビでニュースがあっても、自分の目で見ないことには簡単には信じないようになりました。

雪と氷の岩肌の前で写る市毛さん

エベレストベースキャンプに行く途中のカラパタール(標高5,545mの山)にて。

もし読者の皆さんが少しでも山に登りたいと思ってくださったのなら、行ってみないとわからないので、ぜひ行ってみることをおすすめします。

ただ最初は絶対に山に慣れた人と行ってください。楽しく帰れるか帰れないかはそのリーダーの資質によります。私がハマったのもやはりリーダーがとても素敵な人だったからなので。

私の体力に合わせて隊列を組んでくれて、私に合わせたペースで登ってくれて、私を飽きさせないように、嫌にならないように登らせてくださったので、すぐにハマることができたんです。

山に登るという行動も、登り方は人それぞれです。いわゆるアルピニストと言われるような登り方をする人もいますし、もちろん私にもそれは核としてある。それは、やはりその途中途中のご褒美にいちいち感動しながら歩いていく登り方です。

余談ですが私は歩くことが大好きなので、山を登るときにできれば車では行かずに公共の交通機関で行きたいと思っています。当然のことですが車で行くと車で帰ってこなければいけない。でも私は山に登ったらできれば山を越えた側から下りたいんです。

もちろん同じ道を帰ってきたとしても、登ったときとは反対側を見ながら下りますから、景色は違う。でも私は同じ道を帰ると損をした気持ちになってしまうんです。あくまでも「私は」ですけれど。

もし周りに山に慣れた人がいなければ、少しお金はかかりますが、ガイドさんを頼みましょう。ガイドさんは山が好きで、山で食べていくための手段を考えて、ガイドを仕事として選んだ人たちですから。安全面も含め楽しめるという意味でも、一度ガイドさんと行ってみることをおすすめします。

笑顔がこぼれる富士登山の市毛さん

富士山にて。日本最高峰に私たち素人でも登れるというのは素晴らしいことです。

登山は、同行する人や季節、その日の天候によって異なり、同じ山に何度登っても同じシチュエーションになることは二度とありません。

一緒に行く人が違っていたり、その日に起こることが違っていたりすれば、まるで違うストーリーになるんです。

私の仕事は、人が書いてくれたシナリオに則って演じ、そのストーリーの中に生きます。けれど山というところは、登り立ち向かっていくなかで自分がシナリオを書き、自分がストーリーを紡いでいくところなんです。

山の中で見えるものはすべてが絶対的な美です。だから私のように少し人為的な美を作り出す仕事をしている人間は特にハマったのだと思います。

ぜひ、読者の皆さんもあなただけのストーリーを紡ぎに山に登ってみてください。

市毛良枝

いちげ・よしえ 静岡県出身。映画・テレビ・舞台の他、執筆活動や講演等幅広く活躍。登山が趣味で、日本トレッキング協会理事や環境カウンセラーの活動も行っている。近年の出演作に『越路吹雪物語』『駐在刑事』『無用庵隠居修行』『未来への10カウント』など。今秋、主演舞台『百日紅(さるすべり)、午後四時』を岐阜・東京他各地にて上演予定。
【可児公演】2022年9月26日(月)〜10月2日(日)
会場:可児市文化創造センターala・小劇場
【東京公演】2022年10月20日(木)〜27日(木)
会場:吉祥寺シアター

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