偏愛アカデミー

「純喫茶、譲ります」村田商會が今とブレンドする“昭和レトロ”の思い出

2023.06.14

取材・文=山本 梓 / 撮影=長澤紘斗 / 編集=横田 大、須藤 翔(Camp Inc.)

2023.06.14

取材・文=山本 梓 / 撮影=長澤紘斗 / 編集=横田 大、須藤 翔(Camp Inc.)

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「純喫茶」と聞いたとき、どんなイメージが思い浮かぶだろう。革張りのソファと苦味の利いたコーヒー、ナポリタン、かためのプリン……。どんな街にも一軒はあって、地元住民の憩いの場として愛されていた“昭和レトロな喫茶店”を想起する人が多いのではないだろうか。ここ数年昭和レトロブームの影響か、メディアやSNSでも「純喫茶巡り」がひとつのキーワードとなっており、若い世代の間でもレトロ喫茶は人気を博している。

今回お話を伺ったのは、西荻窪でそんな昔ながらの喫茶店「村田商會」を経営する村田龍一さんだ。しかし、2018年にできたこの店は、ただの喫茶店ではない。店先には味のある木製の椅子やテーブル、店名入りのグラスやカトラリーといったものが、ところせましと並ぶ。実は村田さん、喫茶店オープンの3年ほど前から閉店した喫茶店の家具や食器などを引き取り・販売する事業を営んでおり、村田商會はその実店舗も兼ねているのだ。

村田さんがこうした活動を行う背景にあるのは、年々数が減りつつある「純喫茶」の魅力を現代の人たちにつなぎたいという強い想い。「村田商會」で販売される家具が、並んだそばから売り切れてしまうのは「惜しまれつつ閉店した名店の形見だから」だけではない。村田さんは、なぜこれほどまで喫茶店に魅了され、「村田商會」の活動をスタートさせたのだろうか? 年季の入ったテーブルを囲みながら、家具や食器を通じてそこに宿る人々の思い出をつなぐ、村田さんの活動の根元にある偏愛の源泉を振り返ってもらった。

ようこそ、レトロ喫茶へ

いらっしゃいませ。自家製プリンをおひとつ、ですね。ありがとうございます。

このプリンは材料にもこだわっていて、使うのは平飼い卵に低温殺菌牛乳。砂糖はカラメルと生地で使い分けています。ざるで何度も濾(こ)すので、なめらかな口当たりが自慢の一品です。コーヒーといっしょにお持ちしますね。

……ああ、あそこにある招き猫ですか? かわいいですよね。

この店は以前、「POT」という喫茶店だったんです。招き猫はそのときからここにあるんですよ。

ある日、人づてに「POT」が閉店してしまうことを聞き、すぐにマスターに会いに行ったんです。閉店した後は、内装はすべて捨ててしまうとのこと。それはもったいない。

でも、もうすこし詳しく話をすると、後を継ぐ人がいればこの空間がなくなることはない、ということだったんです。そこからすぐ、「ここを継がせてください」と手を挙げました。引き継ぎをして、今のカタチになったのは、2018年のことです。

私はここで喫茶店を営業しながら、長く喫茶店で使われていた家具や食器を引き取ってきて販売する「村田商會」を営んでいます。

レトロを通り越して異世界。「喫茶店」の原体験

小さいころは絵を描いたり、自分で何かものをつくるのが好きでした。喫茶店にはじめて出会ったのもそのころ。祖父母や両親が買い物に出かけた帰りに連れて行ってくれた近所の喫茶店で、クリームソーダをごちそうしてもらった思い出は今でも忘れません。

本格的に喫茶店に魅了されるきっかけとなったのは、中野にあった「クラシック」。当時大学生だった私は、区民プールの監視員のアルバイトをしていたのですが、いっしょに働いていた先輩があらゆるカルチャーに造詣が深くて、日々いろいろなことを教えてもらっていました。ある日、先輩が「おもしろい店があるからいっしょに行こう」と誘ってくれたんです。

「クラシック」の店内に入った瞬間に、衝撃を受けました。今から20年前の当時にしておそらく50〜60年は経っている建物ということは、戦後すぐに建てられた店で、店内は照明も暗く、床が傾き、歩くとギシギシと音がしました。開店当時から使われていたのでしょう、ソファもクッションがつぶれてカバーはビリビリ。レトロを通り越して異世界に迷い込んだような雰囲気に圧倒されました。

古いレコードがかかる空間のなかで、私ははじめて肌で感じる喫茶店の世界に興奮すると同時に、とても穏やかな時間を過ごせたんです。

子ども時代に家族と過ごした喫茶店の思い出がよみがえり、懐かしい気持ちにもなっていたのかもしれませんね。

そんなことがあってから、今まで行ったことがなかった自宅近くの純喫茶や遠くの喫茶店にも行くようになりました。あのころは、インターネットで情報を集めるということはできませんから、雑誌や書籍で「喫茶店」や「純喫茶」の文字を見つけては買い、手帳にメモしていたんです。沼田元氣さんの喫茶店の連載記事を楽しみに読んでいたなあ……。

学生時代によく訪れたのは、石神井公園の「シュベール」です。実家から近かったこともあり、大学在籍中の4年間は多くの時間をここで過ごしました。

「シュベール」は石神井公園駅南口を出てすぐの建物の2階にありました(現在は閉店)。ガラス張りの窓から駅前のロータリーを見下ろすことができ、行き交う人々や電車を眺めているだけでも時間が過ぎていきました。

当時「シュベール」でもらったマッチは、いまもたいせつにとってありますよ。このマッチを見ると、当時のことがありありと思い出せる気がします。

「椅子とテーブルをいただけませんか」

喫茶店の家具が自分ごとになったのは、25歳のころです。それは家の近所でたまたま入った喫茶店「コロムビア茶房」の雰囲気がとてもよく、「これから足繁く通おう」と思ったときのこと。壁に「今月いっぱいで閉店」という貼り紙を見つけてしまったんです。せっかく出合えたすてきなお店だったので、それはもうがっかりしました……。

帰り際にマスターに話を聞くと、閉店後、椅子やテーブルなどはすべて捨ててしまうということでした。そのときとっさに「椅子とテーブルを僕にいただけませんか」という言葉が出たんです。

椅子やテーブルが欲しかったというよりも、自分が見つけた好きなものが跡形もなく消えてしまうというのが、惜しかったし、嫌だった。この気持ちが先に言葉になって出たんだと思います。

コロムビア茶房の椅子とテーブル

こうして、店で活躍していた椅子とテーブルを自宅に引き取ることになりました。「コロムビア茶房」の椅子とテーブルは、今も自宅で大事に使っています。

ですが、やはりそのあとも時代の流れとともに歴史ある喫茶店の閉店のニュースが耳に入ることが増えていきました。私に喫茶店の魅力を教えてくれた中野の「クラシック」もとうとう閉店となり、今では建物も残っていません。そうした喫茶店閉店のニュースを聞くたびに、心にぽっかり穴が開いたようになっていったんです。

そんなある日、自宅で使っている「コロムビア茶房」の椅子とテーブルを見て、ふと「閉店してしまう喫茶店の家具を欲しがる人がいるのではないか?」と思ったんです。私自身、この椅子を使うごとに愛着が湧き、今でもお店のことを思い出せることに救われていたのかもしれません。

「村田商會」への扉は突然ひらいた

当時、私が勤めていた会社は、日本全国で古本や中古家電、服や雑貨をリサイクル販売していました。でもここでは「古すぎて扱えない」と引き取りを断っていた商品があった。ただそういう商品も、アンティークショップでは需要があるものも少なくなかったんです。

一方、喫茶店の家具は、そんなアンティークショップでも扱いがほとんどなかった。「喫茶店の家具を引き取り、販売する」ということは、ちょうどその中間をいくような、ニッチな需要があるんじゃないかと。今の「村田商會」につながる構想に結びついていきました。

会社を退職し、すこしゆっくりしようと思っていた矢先、江古田の喫茶店「歩歩(ぶぶ)」が閉店するというニュースが飛び込んできたんです。ここから突如、思い描いていた「村田商會」の開業が現実となって動き出しました。

すぐにママさんに事情をお話しし、椅子とテーブルを引き取らせてほしいとお願いに行きました。もちろん最初は驚かれましたが、経緯や想いをお話しするうちにママさんもご快諾くださり、第一号の仕入れが決まりました。9月に家具を引き取りに行き、12月5日にはネットショップ「村田商會」がオープン。ええ、ほんとうにトントン拍子で進んでいきましたね。

喫茶店から引き取った家具をトラックに積みこむ村田さん。写真は池上にあった喫茶店「十三画」の引き取りの際のもの。

2tトラックを借りて、「歩歩」の椅子を20脚引き取らせてもらいました。当時は、まだ右も左もわからない状態ですから、値段も次の仕入れ先ももちろん何も決まっていない。「歩歩」の家具が売り切れてしまって、次の仕入れ先がなければ、商売として続けていくことができませんよね。あるいは、商品が余ってしまうおそれもありました。軌道修正をしながら進めていくつもりでスタートしました。

「歩歩」で使われていた椅子

公開した当初は本当にドキドキしましたね。というのも、最初は倉庫もないものですから、20脚の椅子を実家にすべて運び込んでしまっていたんです。「売れなかったらどうするんだ」と家族も不安だったかもしれませんね(笑)。

でも、いざはじまってみれば幸いにも反響があってすぐに注文が入り、販売、仕入れともに現在に至るまで継続することができています。

(店の扉が開いて、お客さんが入ってくる)あ、いらっしゃいませ……! ごめんなさいね、ちょっと失礼します(グラスを購入したいというお客さんの対応で席を外す村田さん)。

……お待たせしました。オープン前でも、外に商品を並べていると興味をもってくださるお客様もすくなくないんですよね。どこまで話しましたっけ?

そこからしばらくは、ときどきポップアップショップを出したりしつつもネットを中心に活動していましたが、最初にお話ししたように、2018年にこの場所に実店舗として構えた、というわけです。

お店を構えるようになって、家具だけではなくカトラリーや食器などの小物も扱うようになりました。じっくり椅子に座ってみて検討されたり、カップの取っ手やスプーンの持ち心地をよく確かめて購入されるお客様もいますよ。

わからないから喜びがある。「村田商會」が引き継ぐ想い

「好きなことを仕事にしていてうらやましい」ってよく言われるんですけど、いい面だけじゃないんです。喫茶店の営業もしていますから、良くも悪くも、商売をする側の目線も培われてしまった。

だからなのか、喫茶店を訪れると、知らなくていいこともいろいろとわかってしまうんですよね。メニューにある価格とこのお客さんの入りで、一日の売上……大丈夫かな、とか。引き取るわけでもないのに、この椅子を引き取ったら売れそうだな、とか。

純粋に喫茶店巡りができなくなってしまった、というのはさみしいですね。楽しい一辺倒ではなくて、お金を稼がないと商売を続けていけないわけなので。まあ、「村田商會」をはじめるときから覚悟していた部分ではあるんですけどね。

一方で、もちろん仕事にするからこそ知れた喜びもあります。やはり長い間多くの方に愛されてきたお店の思い出のこもった品々が、今度は若い方の元へ引き継がれて使われる、その架け橋になれていることが何よりもうれしいんです。

今の時代、「昭和レトロ」というものが家具やファッションの中でもキーワードになっていますが、そのこと自体は良いことだと思っていて……。「いい時代だった」とただ過去を懐かしんだり憧れるだけでなくて、古いものに新たな価値を見いだす、世の中の流れもありがたいですね。最近では、「新しくカフェやホテルをはじめたい」という方からご連絡をいただき、そこで使う家具を選ばせていただく機会も増えてきました。

神奈川県・藤沢にある「COFFEE HOTEL Soundwave」の一室。椅子とテーブルのほか、テーブル上の小物も村田さんが選んだ。

「COFFEE HOTEL Soundwave」の椅子とテーブルは、もともと静岡県・新清水にあった喫茶店「富士」で使用されていたものを村田さんが引き取ったもの。

そうした変化はあるなかでも、私が喫茶店を「好き」でいる理由は変わりません。私はお察しの通り、シャイで積極的にしゃべれないことも多いんです。喫茶店に行っても緊張して、マスターと一言もしゃべらずに帰ってくることもあります。けれども、自分が居心地いいと感じたり、好きだなと思う喫茶店には二度三度と足を運びます。

そうすると、一度行っただけではわからないマスターのおもしろさや常連さんの人柄なんかがわかってくるんです。シャイな人がマスターをされている、なんてことも往々にしてありますから。何度か行くうちに話しかけてもらったりすると、それはもううれしいですね。

妻とよく行く喫茶店があるんですが、はじめて行ったときに出してもらったカップが気に入って「かわいいですね」とマスターに伝えたんです。そうしたら、二回目にその店に行くと、同じカップでコーヒーを出してくれる、なんてことがありました。「うわあ、覚えていてもらえたんだ!」って。言葉をたくさん交わさなくても心が通じたなと思う瞬間があるんですよ。そういうことがあるので、今も喫茶店通いはやめられません。

行ってみるまで、どんなマスターがやっていて、どんな人がいて、どんなメニューがあるのかわからない。喫茶店の魅力って、こういう足を踏み入れるまでお店の空気が見えてこないところにもあると思うんです。

今はSNSである程度は想像することはできますが、こと喫茶店においては実際にメニューを口にするとか、マスターとお話ししてみないとわからないことのほうが多い。

だからこそ、入る前にこちらが戸惑ったり、不安に思っていた分、お店の魅力がわかったときに大きな喜びに変わる瞬間があるんです。それは、店主さんと心が通じたときや、好きなメニューを見つけることだけではありません。流れている音楽や使われている家具・食器、また空間そのもの……ほかにもたくさん魅力がありますよ。

喫茶店はそれぞれに個性があり、その空間をつくる人がそこにいるから成り立つんだと思います。だからこそ、私はその空間が持っていた魅力を、新しい時代にも引き継いでいきたい。でも、本当の意味で「扉を開けるまでどんな喜びが待っているかわからない」という体験は、実際にいまある喫茶店に足を運んで、お気に入りのお店を見つけることでしか味わえないんです。これまであまり喫茶店に関心を持たなかった人も、ぜひ勇気を出して、新しい「好き」の扉を開いてほしいなと思いますね。


喫茶店への愛を原動力に、なくなってしまう喫茶店の思い出を新たな世代に引き継いできた村田さん。次回(7月更新)は村田さんイチオシの喫茶店と、彼が実際に家具を選ぶことで過去と今をつないだお店をご紹介します。どうぞお楽しみに!

村田龍一

むらた・りゅういち 1981年東京生まれ。「村田商會」店主。学生のころに喫茶店の魅力に目覚め、全国の喫茶店を巡るようになる。大学卒業後も、会社員として働きながら日本各地の喫茶店を巡りつづけ、訪れた喫茶店は1,000店以上で、集めたマッチが400個以上にのぼる。2015年8月に11年勤めた会社を退職し、同年12月、閉店した喫茶店の家具を引き取り販売する「村田商會」を立ち上げた。2018年には、西荻窪にあった「POT」という喫茶店を引き継ぐかたちで喫茶店兼実店舗として「村田商會」をオープン。著書に『喫茶店の椅子とテーブル ~村田商會がつないだこと~』(実業之日本社)。

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