お湯につかってほぐれた生き方。銭湯図解 塩谷歩波の好きと長く付き合う方法
夢だった建築家、銭湯番台を経て、画家・イラストレーターになった彼女の偏愛遍歴1933年の創業から90年にわたって、高円寺で営業を続ける老舗の銭湯・小杉湯。この老舗銭湯の番頭として働きながら全国各地の銭湯を訪ね、その構造や楽しみ方、そこにいる人々を「銭湯図解」としてイラスト化してきたのが、今回お話を伺った塩谷歩波さんだ。昨今の銭湯ブームの中心的人物である彼女の活動は、これまで『情熱大陸』(TBSテレビ)に取り上げられたほか、2022年には『湯あがりスケッチ』としてひかりTVにて配信。さらに、2023年2月に公開された小山薫堂さん脚本の映画『湯道』では、塩谷さんの人生が橋本環奈演じるキャラクターのモチーフにもなっている。
銭湯を愛し、そこにいる人を愛し、それらをイラスト化することを愛してきた彼女の生き方。銭湯を中心に、さまざまなものに偏愛を注いできた彼女の等身大の言葉に触れていると、まるで湯船につかったように気持ちがあたたかく癒やされる。
現在は、小杉湯を退職し、フリーのイラストレーターとして活動をしている塩谷さん。いったい、彼女にとって「偏愛」とはどのような意味を持つのだろうか? 「周りが見えなくなるまで愛してしまう」という彼女の偏愛は、年を重ねることによって少しずつ変わってきているという。北千住の名湯・タカラ湯の縁側で、まずは小杉湯時代の銭湯に対する偏愛のカタチから振り返ってもらった。
実は肉体労働! 銭湯でのお仕事
銭湯の番台って、なんとなくおばあちゃんがやってるイメージがありませんか(笑)? 実は、私が高円寺の小杉湯で働きはじめるときも、「おばあちゃんにできるんだからゆったりとした仕事なんだろうな」って思っていたんです。
でも、実際に番台に立ってみると全然違った……。「ゆったり」なんていう言葉はまったく当てはまらず、まるでスーパーのレジのように次から次へと入浴客をさばかなきゃならない。それに、営業中には飲み物を買う人、ドライヤーを使うために両替を求める人、下足札をなくす人、お風呂でのぼせて倒れる人など、ひっきりなしにお客さんからの要望が舞い込んでくる。
のんびりとお茶をすすりながら番台に座っているなんて、幻想に過ぎなかったですね(笑)。
しかも銭湯では、番台での接客だけでなく、毎朝の掃除もとてもたいへん。冬の寒い日は掃除をしていると身体の芯まで冷え込んで死にそうになるし、夏は夏で暑すぎて死にそうに(笑)。夏の場合、女の子はブラトップ、水着、手ぬぐいはちまき、首に保冷剤というスタイルで汗を流しながら掃除をして、掃除が終わるころには2Lのスポーツドリンクを飲み干しちゃうんですよ。まさか、銭湯がこんなにも肉体労働だったなんて思いもよらなかった。
でも、それに勝るのが銭湯に来てくれるお客さんのあたたかさ。常連さんはほぼ毎日やってくるから顔も覚えてもらえるし、「知り合いにもらったから」「パチンコで勝ったから」といって、野菜や日用品を差し入れてくれることも。年齢が離れた人と毎日のように顔を合わせて、関係を深めていく。今まで、生活の中でそんなコミュニケーションを味わったことはなかったのでとても新鮮でした。
私が小杉湯の番台に立っていたのは、2017年から2022年までの5年間。その間、毎日いろいろなお客さんがやってきましたが、とくに印象深いのが、足が悪く杖(つえ)をついている常連のおばあちゃん。毎日のように小杉湯に来るんですが、杖をついてやってくるから、その音で「あ、来た!」ってわかるんです。そうして、すこしだけ話をしてお風呂に入っていく。ある日、このおばあちゃんが「あなたの顔を見ると、足が軽くなるのよね」と言ってくれたことがあって。番台で接客をしていることが、誰かの役に立っている。それを実感したこの言葉は本当にうれしかったし、銭湯という仕事に誇りを感じた瞬間でしたね。
2つの偏愛からあたらしい人生がはじまった
今でも銭湯が大好きだし、銭湯に関連したお仕事も数多くいただいていますが、実は以前は銭湯に対してすっっっごくネガティブな印象を持っていたんです。子供のころにはじめて行った銭湯が薄暗くて怖かったのと、大学時代に訪れた銭湯がたまたま不衛生で、そのときの悪い印象が残っていたんですよね……。そんなイメージを変えてくれたのが、中目黒の光明泉でした。
まだ銭湯の魅力を知る前、私は建築系の大学院を出て、設計事務所で仕事をしていました。でも、「早く自分の力だけで建物を設計する」という目標に急ぎすぎたあまり、頑張りすぎて機能性低血糖症を発症したことから3か月休職してしまって。それからは、毎日何もすることができず、「夢だった設計のエリートコースからドロップアウトしてしまった……」という気持ちに苛(さいな)まれながらベッドで寝ているだけ。
そんな私を、同じく休職していた大学の先輩が食事に誘い出してくれたんです。そのとき、先輩が銭湯にハマっていて、「今から行こう!」って連れて行かれたのが光明泉でした。
いざ、足を踏み入れてみると驚きました。建物も浴槽も新しくてピカピカだし、窓からは光が入ってきて気持ちいい! 「わたしが知ってる銭湯と全然違うじゃん」って。そして、熱いお風呂と水風呂に交互に入る交互浴を初体験したり、湯船につかっていたら「今日寒いわよね〜」と、見知らぬおばあさんから突然話しかけられたり。これまで味わったことのない体験に、おもしろいものを見つけた! って好奇心をかき立てられ、そこから先輩とともに東京中のあらゆる銭湯を巡るようになったんです。
そんななか、銭湯の魅力を知らなかった友達に、どうにかして銭湯の魅力を届けたいと思って描いたのが「銭湯図解」でした。アイソメトリックという建築の描画図法を用いれば、立体的に銭湯の空間が持つ魅力が伝わるはずと思いついて、目の前にあったスケッチブックにサラサラと描いて、SNSに投稿した。はじめて描いたのは上野の寿湯でしたね。すると、友達だけじゃなく銭湯ファンの方々がたくさん反応してくれて。そのときは自分の友達に向けて発信したつもりだったので、まさかまったく知らない人に自分の絵が受け入れられるなんて、考えてもみなかったんです。
そこからはもう、銭湯に対する愛が止まらなくなりました(笑)。
「銭湯図解」のきっかけとなった寿湯の図解
その後も全国を巡りながらたくさんの銭湯を図解し、SNSに投稿していると、いくつかの媒体からイラストの掲載を打診されるようになりました。ちょうどそのころ「新しいパンフレット用に銭湯図解を描いてほしい」と連絡をくれたのが小杉湯三代目の平松佑介さん。「交互浴の聖地」と呼ばれる小杉湯から声をかけられるなんて、飛びあがるほどうれしかったですよ。そしてパンフレットを描くだけでは全然足りず、「もっと小杉湯に関わりたい」と、店頭に貼るPOP制作などもお手伝いするようになりました。
そうこうしているうちに、だんだんと体調も整ってきて、設計事務所に復職することになったんです。時短勤務で、仕事内容も以前よりもはるかに軽いもの。当初は「全然余裕じゃん」と思っていたんですが、すぐに激しい疲れに襲われ、集中力が続かず、まったく仕事にならない。「もう限界なんだ……」と学生時代から憧れていた「建築家」の道を諦めなければならないことを自覚した瞬間でした。
そんな自分の状況を平松さんに相談すると、なんと彼は「それなら小杉湯で働かない?」と向こうからメンバーに誘ってくれたんです。「小杉湯で塩谷さんは輝くと思う」っていう言葉は、ちょっとわからなかったけど(笑)。設計事務所を辞めた私には、すこし形態が違う設計事務所に行くとか、スキルを生かしてCADオペレーターをするという選択肢もありました。
だから、「銭湯」という新たな仕事場は魅力的ではあったけど、すごく迷いましたね。ただ、その一方で、私はハマると止まらなくなって他の選択肢が見えなくなる性格(笑)。それに小杉湯なら、大好きな絵を描くことも仕事になります。そもそも、建築の道を選んだのも、インテリアコーディネーターの母といっしょに建築パースを描くことが大好きだったから。絵を描くことが、私の人生の原点だったことを思い出したんです。
銭湯と絵。私が偏愛する2つが決め手となって、番頭兼イラストレーターとしての人生が始まりました。
「湯冷めしない距離」からの独り立ち
2021年まで小杉湯で働きながら、SNSで続けていた『銭湯図解』を中央公論新社から出版したり、小杉湯×フィンランド「夏至祭」や、JR中央線・高円寺駅西側の高架下で行ったアートフェスティバル『高架下芸術祭』など、さまざまなイベントも開催してきました。当時住んでいたマンションも、小杉湯から湯冷めしないで帰れる徒歩3分圏内。小杉湯を中心に、これまでの人生で最も濃密な5年間を過ごしていましたね。
高円寺に住んでいた5年間は、自分のプライバシーなんてほとんど気にしてなくて、お風呂、洗濯、ご飯と、ほとんどを街の中で済ませていました。プライベートな空間とパブリックな空間の境目がほとんどなかったんです。そんなプライベートが漏れ出ているような生活環境はとても楽しかったけど、30代になると、それだけではやっていけない部分も感じるようになっていきます。
「そろそろ自分ひとりの空間も持ちたい」「仲間に流されるのではなく、自分で決めていくことが必要なんじゃないか」。そんな気持ちから独立を決心し、2021年の夏、小杉湯からも高円寺からも離れて、イラストレーターとして独り立ちしました。
小杉湯から離れてさびしい気持ちですか? もちろん、最初のころはありました。けれども自分の中で銭湯でやりたいことはやりきった気持ちもあるし、今はイラストレーターとして絵を描くことにハマっているからさびしさは薄まりました。もちろん、ひとりでの活動は心細いときもありますけどね。日々新たな技術を身に付け深めていくことが、今は本当に楽しいんです。
銭湯図解だけを描いていると、どうしても必要とする技術が同じで、ほかのものを描く技術が身に付きにくい。だから最近は、銭湯のほかにもホテルや茶室、居酒屋などを図解しながら新たな表現を身に付けるようにしているんです。そうそう、ほかの建物を描いていて気づいたんですが、銭湯と異なってみんな服を着ているんですよね(笑)。今後は、神社仏閣や海外の建物も図解したいし、図解に限らずいろいろな絵を描きたいと思っています。
また、今チャレンジしているのが、空想の建築を図解すること。ほかのイラストレーターさんの場合、世界をゼロから生み出していきますが、私の場合は、まず建物があって、それを図解する。すでにあるものからイラストを生み出していく方法に、「自分はゼロから生み出していないんじゃないか」って、すこしコンプレックスを感じていたんです。
そこで、ゼロからの挑戦として始めたのが空想建築図解。建物をゼロから設計するので、自分の過去の経験を生かしながら図解の世界を広げられます。空想の中に広がるいろいろな建物を図解していきたいですね。
自分をすり減らさない愛のかたち
このように、毎日絵を描くことが楽しくて没頭する日々なんですが、以前のように一日中机の前に座って没頭している、という感じではありません。
これまで、私にとって「好き」っていう言葉は「全身全霊をささげる」という言葉とイコールだった。だから、大学から始めた建築でも、倒れるギリギリまで課題に打ち込んでいたし、設計事務所に入ってからは結果的に倒れてしまった。今振り返ると、そうやって全身で打ち込むことって、自分自身を消費していたんじゃないかなって思います。自分を追い込んで、消費して、消費し尽くして、その結果、身体も気持ちも壊れてしまったんです。
とはいえ建築への愛も、もちろん銭湯への愛も、まだまだ自分の中にあります。この2つがあったからこそ、いまイラストレーターとして活躍できている自分がいる。だからこそ、今後は私が持っているいろんな偏愛と、上手な距離をつかんでいかなきゃって思うんです。
本当は今も、一日中ずっと描き続けていたい気持ちもあるんです。でも意識的に1日に3〜4時間しか描かないようにしていて。そうして、好きなもののために自分をすり減らすのではなく、好きなものとずっと付き合っていくような関係を目指しているんです。短期間で消費するような偏愛から、長期間じっくりと付き合うかたちへと、愛の深さが変わっていった。つまり、大人になったっていうことなんでしょうね(笑)。
苦しんでいたときに自身を助けてくれた銭湯への愛を原動力に、これまで日本全国の銭湯を訪ね歩き「銭湯図解」として描いてきた塩谷さん。次回(5月更新)は彼女が愛する銭湯を図解とともに紹介いただきます。100年超の文化財から、激ヤバ異世界銭湯まで。塩谷歩波のオシ湯6選、お楽しみに!
塩谷歩波(えんや・ほなみ)
1990年生まれ。画家。早稲田大学大学院(建築専攻)を修了後、有名設計事務所に勤めるも体調を崩し、休職中に通い始めた銭湯に救われた。SNS上で発表した銭湯のイラスト「銭湯図解」が話題を呼び、2014年に中央公論新社より同タイトルの書籍を発刊。2020年に小杉湯を卒業した現在は、画家としてレストラン、ギャラリー、茶室など、銭湯にとどまらず幅広い建物の図解を制作。TBSテレビ『情熱大陸』、NHKドキュメンタリー『人生デザイン U-29』など、数多くのメディアに取り上げられ、2023年公開の映画『湯道』では、物語の舞台となる「まるきん温泉」の図解を担当した。好きな水風呂の温度は16℃。