「初登山は連れていかれた燕岳」市毛良枝先生の登山論

わたしの推し活語ります【前編】
市毛良枝

お笑い芸人から俳優、ミュージシャン、文化人まで幅広いジャンルの著名人が「今、とくに夢中になっている趣味」をテーマに、まさかと思うような意外な偏愛嗜好について論じます。 第4回はキリマンジャロ、ヒマラヤ・ヤラピークなど数多くの登山経験を持つ俳優の市毛良枝さんに、登山の魅力について熱く語っていただきました。

岩肌の前で笑顔で写真に写る市毛さん

登山にハマるとは夢にも思わなかった

山を好きになったのは、今になって思い返してもまったく普通のパターンではなかったと思います。

それは父が入院したときのこと。入院先の病院で、主治医の先生と山の話をしたことがきっかけでした。

病棟の他の患者さんも行き来するような場所の椅子に座っての何気ない雑談でした。先生のお話は、私にとっては授業のひとコマみたいな感じの時間だったんです。1日1テーマで大体40分くらい。肝臓学の話や、多趣味な方だったのでいろんな趣味の話をしてくださいました。その授業の中の一つに登山があったんです。

私はそれまで登山に対してあまり良いイメージがありませんでした。そもそも私たち世代の登山というと冬山での遭難や山岳部のしごき事件で亡くなる人もいて、「山に死にに行きたいのかな。変な人たちだな」と不思議に思っていたくらい。それに「汚いし臭そうだし何が楽しくてあんなことやるんでしょうね」と偏見の塊でした。

ところが、お医者様の登山の話を聞いているととても楽しそうなんです。しかも「この人は生きている」。そう思ったときに「ちょっと待てよ。何度も山に行っているらしい。ということは山に行けば必ずしも死ぬようなものではないのかもしれない。それに何よりもこれほどまでに楽しそうに話すんだったらちょっと行ってみたいかも」と興味が湧いてきたんです。

入院をしていた父は2か月で他界してしまったので、本来はこれで終わってしまう話でした。ただ父が入院したときに、これが亡くなるような病気だとは誰も思っていなかったんです。父は医者だったんですけど、闘病中に嫌がって検査がなかなかできなかったこともあって、はっきりした病状もわからなかったんです。

生前父は、医師として生きたお礼の意味もこめて、自分が学んだ大学に献体を申し出ていました。献体後、2年ほどして、解剖所見が出てきました。その書類が来たときに、60年も医者だった一人の男がこのような身体状況で旅立ったということを、同じ医者である先生にご報告に行こうと思い、そのお礼かたがた2年ぶりにお邪魔しました。

2年も経っているので、私も落ち着いて父との入院当時を懐かしく思い出しました。それで、ふと先生が話してくださった山のことを聞いてみたのです。それで半分は社交辞令のつもりで「今度いらっしゃるとき私も連れてってくれませんか」と言ったんです。

「そのうちにね」なんて言われたらそれはそれでと思っていましたが、すぐに手帳を出されて。「9月の連休は2つあるけど、どっちが良いのかな?」と言われて、あれよあれよと登山の予定が決まってしまいました。

それで「これはスケジュールを空けないとまずいな」と調整して、秋分の日の連休に行くことになりました。そこからはもう矢継ぎ早にいろいろな連絡が止まらない。「こういうものを揃えなさい」や「こういうコースで行くから」などなど。

初登山、燕岳(つばくろだけ)に挑戦した市毛さんの写真

初登山は 1990 年の 9 月。飛騨山脈にある標高 2,763 mの燕岳(つばくろだけ)でした。

「初めて行くんだから山を嫌いになっちゃ困るから、ハイキング程度の山にしたよ」と言われて、「そうなんだ。でも3泊4日のハイキングってあるのかな?」なんて軽い気持ちで納得していました。もう本当にそのくらい無知で。思えばハイキングなのに夜行列車ですよ? 気づきそうなものですよね。

新宿発の中央線の夜行列車に乗りました。駅のホームには山に行く格好(かっこう)をした人がびっしり。その男臭い雰囲気にとにかく驚きながらも、朝に到着して「ちょっと仮眠するからね」と先生に言われたものの、あまり眠れないまま、また暗い中バスに乗り換えさせられ……。「私、どこに連れて行かれるんだろう」って不安でしかありませんでした。

もちろんガイドブックをもらっていますからそれを読めばわかるはずです。でも「山小屋2泊」と書いてあっても、それがどういうことなのかわかっていなかった。

到着してからは、ああしてこうしてと言われるがままに真似をしながら準備をして、まだ薄暗い中、山に登っていきました。登りながらも頭の中は「このまま3日も4日も登って歩けなくなったらどうしよう。絶対に一人じゃ帰れないから、行くしかないんだよね」と泣きそうでした。これが私の初登山です。笑っちゃいますよね。

初めてだからこそ少し辛い山に

山好きの人と知り合うと初登山について聞かれることがあります。私が「初めて登ったのは北アルプスの燕岳です」と答えると「え? 合戦尾根? 北アルプス三大急登(きゅうとう)だから、大変だったでしょう?」と必ずと言っていいほど驚かれます。

でも今、私が山に興味を持った人を初めて連れて行くとしても、あのときのお医者様と同じことを言って連れて行くかもしれません。

それは初めての人を高尾山とか、もうちょっと簡単な筑波山などに連れて行っても、おそらく印象に残らないと思うから。「ロープウェイで行った山とたいして変わらなかったな」程度の感想になってしまうでしょう。でも私が登ったような変化に富んだルートや、少しだけ自分の力以上の山に行けば、一生忘れられない映像が目に焼きつく。そうすればきっとハマります。

それとどうして「ハイキング」とおっしゃったか。燕岳は初心者が行っても十分に楽しめる要素が散りばめられているからです。小さなゴールがいっぱいあるから飽きずに次々と進める山なんです。

ずっと行き先が見えていると、歩いても歩いても辛いだけで、少しも縮まらないなと思ってげんなりしながら登ることになる。これは特にキリマンジャロを登ったときに思いました。けれど日本の山は、曲がり角が多く、道を曲がれば見えるものがすべて変わる。目先の楽しみが変わるので、「きれいだわ」なんて言っているうちに、気が付いたら着いていた、となるんです。

雪と岩肌と一緒に写る、キリマンジャロに挑戦中の市毛さんの写真

初登山から 3 年目の 1993 年にはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロにも挑戦。

途中で辛くて泣きたくなることもあります。だけど泣いてしまうほどに辛かったがために乗り越えた自分に対してご褒美が得られ、ものすごく感動するんです。簡単なところに連れて行くよりも意味があると思います。

私は、初めての登山が燕岳で良かったと思っています。そして生涯を共にできる趣味に出会わせてもらったことに、とても感謝しています。

次回の偏愛アカデミーは、

市毛良枝

いちげ・よしえ 静岡県出身。映画・テレビ・舞台の他、執筆活動や講演等幅広く活躍。登山が趣味で、日本トレッキング協会理事や環境カウンセラーの活動も行っている。近年の出演作に『越路吹雪物語』『駐在刑事』『無用庵隠居修行』『未来への10カウント』など。今秋、主演舞台『百日紅(さるすべり)、午後四時』を岐阜・東京他各地にて上演予定。 【可児公演】2022年9月26日(月)〜10月2日(日) 会場:可児市文化創造センターala・小劇場 【東京公演】2022年10月20日(木)〜27日(木) 会場:吉祥寺シアター

この記事はいかがでしたか?
この記事のキーワード
あなたのSNSでこの記事をシェア!