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1990年代プレイバックJAF Mate② バブルや災害に揺れた10年間

JAF Mateを振り返る

2022.03.25

写真 1995年4月号「阪神大震災。潰された日常、車と暮らす」より

2022.03.25

写真 1995年4月号「阪神大震災。潰された日常、車と暮らす」より

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「JAF Mate」は、前身の「JAFニュース」から数えると今年で60年、JAF Mateに改題してから45年という節目を迎えます。2022年は、そのウェブ版にあたる「JAF Mate Online」がお目見えしました。そんな「JAF Mate」の歴史を3回にわたって振り返り、当時の車社会に思いを馳せます。今回は、絶頂を迎えたバブルとその崩壊、各地で自然災害も起こった1990年代を振り返ります。

1977〜1989年の振り返り記事はこちら
2000年代の振り返り記事はこちら

経済・社会情勢:「バブル崩壊」はクルマ生活をどう変えた?

1991年11月号

1991年11月号

1990年代の出来事といえば、避けて通ることができないのが「バブル崩壊」です。いわゆる「バブル崩壊」期間は、1991年3月から1993年10月までの景気後退期を指すといわれています(諸説あり)。

90年代前半の「JAF MATE」には、バブル崩壊を境にして、実体を伴わないまま異常に膨れ上がる経済とその後の地価や株価などの暴落によって、クルマを取り巻く生活までが大きく様変わりしていく様子が掲載されています。
代表的な記事のいくつかを拾ってみましょう。

「街で見つけた狭い車庫」(1990年12月号)では、バブル崩壊直前の首都圏の厳しい駐車場事情を背景に、狭いスペースでもなんとかクルマを駐車しようとする工夫の数々がフォトレポートされています。
自宅の狭小車庫にマイカーのセダンを駐めるため、車庫の側壁を削ってドアを開閉するスペースを確保するなどの涙ぐましいケースも紹介されています。地価の高騰で、月極め駐車場の料金は値上がりし、東京の「千代田区・中央区は物件ごく僅少、値段つかず」などといわれていた時代だったのです。

「オークション上陸」(1991年6月号)は、億単位でビンテージ物の高級外車が次々に競られていくオークションのルポ。
「2億1000万出た。さあ、もう少しどうだ、2億2000万、2億2000まーん、2億2000万円はいないかあ」などと、それこそ超バブリーなせりふが記述されています。

「青春クルマ考現学」(1991年7月号)は、高速道路のパーキング族、ゼロヨン族、峠のローリング族、駅前のロータリー族など、深夜にたむろする若いカーマニアたちの風俗描写。
クルマに対する思い入れの強さと当時の若者の可処分所得の高さ(現在に比較して)をつくづく感じてしまいます。

と、ここまでが景況感に踊らされる世の中を報告した記事です。これ以降は、バブル崩壊後に伴い記事のトーンがぐっと落ち着き、内省的になっていきます。

「凋落(ちょうらく)…バブル外車」(1991年11月号)は、高級イタリア製スポーツカーを巡るレポート記事。
わずか半年前まで「6000万で売ったのが最終的には1億5000万で買われたそうですよ」だったのが、バブル崩壊直後には「今、正直言って2000万円以上の車はほとんど買い手がつかないよ。不動産業界がダメだしね」になってしまいました。つくづく世界が変わってしまったように感じた人たちもいたことでしょう。

1993年8月号

「駐車場ゴーストタウンPART1:地上げ後の都心再開発地区」(1993年8月号)は、バブル期のウォーターフロント開発計画がバブル崩壊によって頓挫(とんざ)し、地上げされた土地が虫食い状態のまま放置され、課税対策のために利用者も少ない2階建て駐車機ばかりが目立つようになった東京の中央区湊をレポート。更地の中に立体駐車機が建ち並ぶ、無機質な風景の写真が印象に残ります。

「駐車場ゴーストタウンPART2:住宅地のでもしかガレージ」(1993年8月号)は、地上げの失敗、地価高騰による固定資産税、路線価の上昇に対応するため、「駐車場にでもしておくか」「駐車場にしかできない」という駐車場が、都心のオフィス街ばかりでなく、住宅地でも増えているという状況のレポート記事です。

ちなみに91年の記事中に「ヤングエグゼクティブ」なんて言葉を見つけました。若い読者はご存じないかもしれませんが、この言葉、「ヤンエグ」(バブル期の日本では、「大手企業に勤める若手社員」を指す)なんて略されて、バブル期当時は盛んに使われていた言葉なんですよ。
また93年の記事中には、「不況」という言葉が使われ始めています。すでにバブル崩壊後の経済の低迷を身に染みて感じていたようです。
本当にバブルって何だったんでしょうね。

災害:列島を襲う自然災害

1995年3月号

1995年3月号

1990年代の日本列島を襲ったのは大きな被害を伴った数々の自然災害でした。その結果、90年代の「JAF MATE」には、災害被害の生々しい様子を伝える写真と被災者の証言で構成されたルポ記事が目立っています。

「茂原竜巻のクルマ被害/竜が来た日」(1991年4月号)は、1990(平成2)年12月に千葉県茂原市を襲った、日本観測史上最大級(当時)の竜巻被害のレポート記事。マイクロバスを軽々ともち上げ、駐車中の数十台のクルマを瞬時にひっくり返し、アカマツの大木を幹の途中からへし折るなど、竜巻の威力を物語る描写が続きます。都内まで1時間半ほどの通勤圏で起きた前代未聞の竜巻被害は、それまでの自然災害と何かが違うことを予感させるものでした。

1993年4月号

「災害レポート①雲仙普賢岳/灰に埋もれた二年間」(1993年4月号)は、1991(平成3)年6月3日の火砕流で多くの犠牲者を出した、雲仙普賢岳の2年間を記録したフォトレポート。クルマで避難する際の問題点、降灰被害からクルマを守ることの難しさなど、被害体験者の多くの証言にはリアリティがあり、2022年の今読み返しても多くの示唆に富んでいます。

「災害レポート②釧路沖地震・震度六/よじれた道路と車」(1993年4月号)は、1993(平成5)年1月15日に釧路沖で発生したM7.8の関東大震災なみの巨大地震のレポート。
「後輪がパンクしたかなと思ってるうちに、全部のタイヤがパンクしたようになりました。その後は、ハンドルにしがみついて車を止めるので精一杯。地震だと気付いたのは止まってからですね」とは、走行中だったタクシー運転手の話。運転中にもし巨大地震に遭遇したら、自分はどのくらい落ち着いて行動ができるだろうか、と考えさせられます。

「奥尻島の教訓/大地震と車」(1993年10月号)は、1993(平成5)年7月12日に起きた北海道南西沖地震(M7.8)での奥尻島の津波被害のレポート。震源地に近かったこともあり、最大で10mを超える津波が3~5分後には島に到達したと伝えています。この記事では、「車を使っていれば逃げ遅れただろう」と語る人がいる一方で、「車で逃げたからこそ家族が無事に避難できた」と証言する避難体験者もおり、地震の際の避難行動の難しさを物語っています。

「阪神大震災/阻まれた緊急車両」(1995年3月号)は、27年前の1995(平成7)年1月17日に発生した、阪神・淡路大震災の緊急災害レポートです。公共交通は破壊され、道路網のほとんどが寸断された神戸市周辺では、傷ついた2本の国道にクルマが集中し、大渋滞が発生。被災者にとっての頼みの綱である救援活動を阻んだ震災渋滞の原因がマイカーだったことなど、戦後初めての大都市直下型地震が直面した数々の問題が記事からは見えてきます。

「阪神大震災/潰された日常」(1995年4月号)は、地震から数週間たった神戸市周辺の被災者の生活をルポした記事。当時避難所はもちろんのこと、避難所周辺に止めたクルマを生活の拠点にして暮らしている人々が存在していました。倒壊の危険がある自宅からの一時避難場所として、プライバシーが確保できる空間として、震災後の暮らしの中でクルマが果たした役割は決して小さいものではなかったことが記事にレポートされています。

「フォトレポート/クルマと水害」(1999年11月号)は、1998(平成10)年9月24、25日に起きた高知県中部の豪雨被害と、99年6月29日に起きた九州北部の豪雨被害を例に、都市を襲う集中豪雨の問題を扱った記事です。記事中には「地球温暖化」「ゲリラ的な集中豪雨」「都市化」など、現在ではすっかりなじみ深くなった言葉が出てきており、すでに異常気象や都市化の問題は顕在化していたことが確認できます。

読者投稿企画:たくさんの“JAFメイト”の声が聞こえる

1995年4月号

1995年4月号

90年代の「JAF MATE」は、読者投稿やアンケート集計による特集企画が花盛りでした。

「読者アンケート/道路いっぱいの迷惑」(1992年3月号)
「投稿特集/クルマのキズ直します」(1992年6月号)
「読者アンケート/私が見た事故現場 これが道路の危険因子」(1992年11月号)
「読者アンケート結果/誰でもできます! 車に乗って環境保護」(1992年12月号)
「読者アンケート特集/いやがらせストリート」(1993年1・2月号)
「読者失敗大全/克服! 料金所プレッシャー」(1995年3月号)
「誌上ライブ/車内の夫婦喧嘩」(1995年4月号)
「喜怒哀楽アンケート/ここが気になる! タクシー運転」(1996年1・2月号)
「脇見運転プレイバック」(1996年4月号)
「読者の購入体験/愛車が来るまで物語」(1996年6月号)
「体験集 運転心理サイエンス/交通怪談、ほんとうの話」(1996年8月号)
「路上の被害体験集/押し売りはクルマでやってくる!」(1996年11月号)
「読者アンケート特集/困ってます! そのアイドリング。」(1997年3月号)
「投稿特集/子供と一緒に買い物 車に乗せたままですか? 連れて行きますか?」(1997年5月号)
「迷子ドライバー脱出 どうしよう? 方向オンチ。」(1997年6月号)
「投稿特集/トンネルは苦手ですか?」(1997年12月号)
「〔投稿特集〕窃盗被害の防衛ノート 警戒! 車上ねらい」(1998年8・9月号)

1990年1・2月号の表紙の「JAF MATE」ロゴ下には、「670万人くるまなかま」とのキャッチコピーが入っています。増え続けるJAF会員の声をどのように誌面に反映させることができるのか、は当時の編集部の重要な課題のひとつでした。JAF会員の投稿というかたちでのご意見やアンケート回答をもとに記事を構成し、情報を会員の皆さまと共有するという意味からも、読者投稿・アンケート特集は意義のある企画です。
反響の大きかったいくつかの特集を簡単にご紹介します。

「読者アンケート特集/いやがらせストリート」(1993年1・2月号)は、読者であるドライバーが体験したあおり運転(この特集では「いやがらせ運転」と記述)の例を取り上げながら、防衛運転の方法などを紹介しています。

「誌上ライブ/車内の夫婦喧嘩」(1995年4月号)は、車内という閉鎖空間ゆえに起こりがちな夫婦喧嘩の実録体験集でした。
中からひとつだけを紹介すると、「運転上の注意をしたら、怒った妻は交差点で信号待ちの時、キーを抜き、運転席から立ち去った。現場に居合わせた人と残された助手席の私は、ただア然……」(北海道・29歳夫)。正しいご夫婦は絶対マネをしないでください!

「体験集 運転心理サイエンス/交通怪談、ほんとうの話」(1996年8月号)は、読者アンケートに寄せられた交通怪奇体験の数々。クルマに乗っていて起こる怪奇・心霊現象を科学の観点から読み解いています。けれど中には「夜、車内で友人数人と川沿いの道で仮眠を取っていた時のこと。『こんばんは』と言う女の人の声で目が覚めた。窓は数㎝開いていて、運転席のドアの外に女の人が立っているのが見えます。でも、声は車内からするんです。よく見ると運転席の所に女の人の頭だけが乗っかっている。もちろん全員が声を聞き、目撃した話です」という話が紹介されてたりして……。霊なんか信じないと思っていても、やっぱりちょっと怖いです。

1997年5月号

「投稿特集/子供と一緒に買い物 車に乗せたままですか? 連れて行きますか?」(1997年5月号)は、子供と一緒にクルマで買い物をするとき、子供を車内に残して用事をするか、連れて行くかを双方の言い分を取り上げながら、子供たちの立場に立って安全とは何かを考えた記事です。たくさんのお母さん方から(お父さんからも)反響がありました。

危険予知:1990年代に「危険予知」はスタートしました!

1991年4月号 P35 「危険予知」扉

1991年4月号 「危険予知」

「JAF MATE」といえば、まず「危険予知企画」のことを思い出すという読者の方も多いのではないでしょうか?
この「JAF MATE」のシンボル的記事は、1991(平成3)年4月号から連載を開始しています。当時は「このあとどうなる危険予知」という連載名でした。問題となる写真の状況から何に最も注意するべきなのかを、いくつかの注意する対象となる選択肢から選んで解答する形になっていました。

94年5月号からは「タイプ別危険予知」と連載名が変わり、ドライバー視点からの問題だけでなく、たとえば歩行者の立場からの問題なども出題されるようになりました。95年5月号からは再び連載名が「場面別危険予知」と変わり、運転する場面(たとえば高速道路の料金所付近など)が問題として出題されるようになりました。
現在のような出題形式の危険予知になったのは、96年1・2月号からで、かれこれ30年以上の歴史をもつ連載企画です。

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