文=島崎七生人

スバル360、キャロル、N360…マイカーの夢をかなえた車たち

昭和のすてきカワイイ軽自動車 1960年代

さまざまなクラスに分類され、数多くの商品があふれる自動車市場において、今や最も売れているクラスとなった「軽自動車」。この日本独自規格であるクルマが誕生したのは、戦後復興から高度経済成長期に至る昭和の時代。限られた物資や設備、予算という制約だらけのなかでメーカー各社が切磋琢磨(せっさたくま)し、創意工夫にあふれたクルマが世に送り出された。 そんな昭和のすてきカワイイ軽自動車を振り返ってみよう。前編では1960年代に発売されたモデルをご紹介。

島崎七生人のプロフィール写真

しまざき・なおと モータージャーナリスト、AJAJ会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。1958年、東京生まれ。大学卒業後、編集制作会社に勤務。1991年よりフリーランスでの活動を始め、さまざまな自動車専門誌やWebでも執筆活動を展開。クルマに対しては、あくまでも一般ユーザーの視点で接し、レポートすることを信条としている。クルマ以外にオーディオやカメラなどにも造詣が深く、1970年代から集めたカタログの山に頭を悩ませる今日この頃。

軽自動車誕生の背景

軽自動車。今では何気なく使っているコトバだが、この呼称は昭和24(1949)年の法改正で、小型乗用車と軽車両とを区別するために使われたのが最初だった。さらに翌25年には2輪車と3輪車もこの軽自動車に分類されるようになった。ちなみに昭和29(1954)年の法改正では、「排気量の上限が360cc以下」と定められたほか、「全長3m以下、全幅1.3m以下、高さ2m以下」とされている。さらに政府からも、「国民車構想」と言われた庶民のマイカーの夢の実現、同時に日本の自動車産業の発展を促進するための要綱案が示された。こうした流れを受け、日本の軽自動車の歴史が本格的に始まったのだ。

日本の国民車「てんとう虫」発進

1958 スバル360

1958 スバル360

昭和33(1958)年3月3日、初の「国民車」として富士重工業(当時)が世に送り出したのがスバル360だ。

全長は3mに満たない2,995mm、全幅1,300mmという、とてもコンパクトなボディサイズは「てんとう虫」の愛称でもおなじみの曲線基調のユニークなスタイル。この愛らしくも印象的なデザインのクルマには、スバルの前身である中島飛行機の技術がふんだんに投入されていた。

たとえばボディを薄い鋼板で作り、ルーフは強化プラスチック(FRP)として軽量化。エンジンは車体後部へ横向きに搭載し、スペースを犠牲にしない10インチの小さなタイヤを履かせるなどして、大人4人が乗車可能な室内空間をシッカリと確保するなど、シンプルだがアイデアの塊のようなクルマだった。

世代にもよるだろうが、このスバル360が昭和の街中を走るところを実際に見ていたという方なら、軽やかなエンジン音やタイヤが“逆ハの字”になった独特の後ろ姿を懐かしく覚えておられるかもしれない。昭和に生まれた日本の軽自動車の金字塔的存在である。

スタイリッシュなオートマ車の誕生

1960 マツダ・R360クーペ

1960 マツダ・R360クーペ

もう一台、昭和35(1960)年に東洋工業(現・マツダ)から登場したマツダ・R360クーペも忘れられないクルマだ。このクルマの特記事項といえば、マツダにとって初の4輪乗用車だったということ。「えっ!?」と思われるかもしれないが、それまでのマツダといえば昭和6(1931)年に発売した最初のDA型(※)以来、3輪トラックを主軸としていた。

  • DA型……3輪トラックのモデル名で、「D」は差動装置(ディファレンシャル)付き、「A」は型式を表す。

その流れの中で昭和34(1959)年に軽3輪トラックのK360の市販化に次いで登場させたのが、同じく軽自動車のR360クーペだったのである。しかも初の乗用車にしてクーペ(※)というところが、何とも粋であり心憎いではないか。

  • クーペ……自動車の形態のひとつで、1列もしくは2列シートを有する2枚ドアの箱型乗用車のこと。

実車のスタイルはとにかくチャーミングなものだったが、スバル360同様にエンジンは客室の後ろに搭載。シリンダーヘッド(エンジンの本体上側)をアルミ合金としたり、エンジン自体も静粛性や耐久性に優れた4サイクルエンジンを軽乗用車で初採用。さらには、これもまた軽乗用車で初のオートマ車(トルクドライブと呼んだ)もあった。この2ペダル車に特殊な運転装置を装備して、下肢障がい者向けの車両も発売された。斬新なスタイルだけでなく、メカニズムや装備も先進的なクルマなのだった。

1962 マツダ・キャロル

1962 マツダ・キャロル

そのマツダから昭和37(1962)年になるともう一台、キャロルが発売されている。R360クーペに続く乗用車だったが、今度はセダンタイプで、まず2ドアを発売し、追って軽乗用車では初の4ドアも発売。「クリフカット」と名付けられた、ほぼ垂直に立ったリアウインドーがデザイン上の特徴だった。

当時の若者を熱くしたFF・2ボックスカー

1967 ホンダ・N360

1967 ホンダ・N360

西暦でいうと1960年代後半、昭和にすれば昭和40年代にかけての軽自動車には、ほかにも忘れられないクルマがある。それが昭和42(1967)年に登場したホンダ・N360だ。ホンダはご存じのとおり2輪メーカーとしてスタートしたのが始まりだったが、昭和38(1963)年登場の軽トラックT360とオープンカーのS500という2台をもってセンセーショナルに4輪への進出を果たした。その後、昭和42(1967)年になり発売されたのが軽乗用車のN360だ。このクルマはホンダにとって初の量産乗用車でもあった。

イギリスのミニがそうだったように、横置きにしたエンジンと前輪駆動のメカニズムをクルマのノーズにひとまとめにし、残りを乗員の客室とトランクルームに使ったFF(フロントエンジン・フロントドライブ)・2ボックスカーは、大人4人が楽に乗れる客室空間を先に設計。大きくとった室内とは逆にコンパクトなエンジンながら、その性能の高さはさすがホンダといったところで、当時の若者から絶大に支持されたのだった。

まだまだある忘れじの軽自動車たち

そのほかにもスズキ・フロンテ(昭和42年)、三菱・ミニカ(昭和37年)やそのモデルチェンジ版のミニカ70(昭和44年)、ダイハツ・フェロー(昭和41年)、スバル360の後継車種として登場したスバル・R2(昭和44年)といったクルマたちも、昭和の日本の軽自動車シーンを彩ったクルマたちだ。

1967 スズキ・フロンテ

1967 スズキ・フロンテ

スズキは昭和37(1962)年にスズライト・フロンテを発売するも、昭和42(1967)年になり新設計のフロンテを登場させた。他車に差をつける3気筒エンジンをリアに搭載、駆動輪もリアという独自の設計と曲線的なスタイルを特徴とした。

1962 三菱・ミニカ

1962 三菱・ミニカ

三菱・ミニカも同社初の軽乗用車で、既存のライトバンのボディ後半を専用デザインに仕立てたクルマで、FR(フロントエンジン・リアドライブ)という点が特徴。

1969 三菱・ミニカ70

1969 三菱・ミニカ70

一方でミニカ70はグッと近代的な直線基調のスタイリングに改められ、走りの良さもアピールした若者向けクルマとなった。

1966 ダイハツ・フェロー

1966 ダイハツ・フェロー

ダイハツ・フェローも同社初の軽乗用車で、角形ヘッドライト、角形ボディが特徴。当時としてはクラス唯一の3段リクライニングシートや後席の乗り降りに便利なウォークインシステムなど、装備の充実度の高さをアピールした。

1969 スバル・R2

1969 スバル・R2

スバル・R2は、アルファベットのなかからイメージ豊かで語感のよい「R」、そしてスバル軽乗用車の2代目を表わす「2」を組み合わせたのが車名の由来。また前作360と同様RR(リアエンジン・リアドライブ)でもある。スポーティグレードのSSやスポーティDXなどを設定し、若いユーザー層を意識したクルマとなっていた。

こうして振り返ると昭和30年代半ばから40年代にかけての軽自動車は、黎明(れいめい)期らしい試行錯誤のなかにも各社各様の熱いアプローチがうかがえる。そして、だからこそ「個性的な市販車が誕生したのだなぁ」とあらためて感じ入ってしまうのだった。

後編では試行錯誤の黎明期を超え、新たな可能性にチャレンジし始めた1970年代の軽自動車を振り返ってみよう。

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