インジェクション、ターボ、ミニバン…心の琴線に触れるエポックメイキングな国産車
記憶に残る「時代を変えた」名車たち【1970年代〜編】1970年代後半から現在に至るまで約半世紀。国産車は多くの進化を遂げながら世界に通じるクルマへと成長してきた。その進化の過程には、時にクルマに対する考え方や接し方、クルマの存在意義すらも変化させるようなエポックメイキングな出来事もあった。本記事では、「時代の変化」を印象付けた象徴的な名車、機能をピックアップ。幼少時からクルマを愛し続けてきたモータージャーナリスト 高橋アキラ氏に、時代背景とともに紹介していただいた。
電子化に向けた大きな進化
キャブレターからインジェクションへ
1979年登場の日産・430型セドリック&グロリアに搭載されたL28Eエンジン。電子制御燃料噴射装置EGIを伴う、エンジン集中制御システムECCS(エレクトロニック コンセントレイティッド エンジン コントロール システム)を搭載。
今より数十年も昔の話。チューニング専門誌に在籍し、日夜クルマの原稿書きをしていたタカハシくんは、ある日予想だにしない出来事に出会った。「驚きは常に美しい」と、誰かが言っていたが、数年たってみれば青い思い出として記憶されていたのだ。
「俺のアメ車(マスタング351クリーブランド)、燃費悪くてさ」
はじまりは職場でのなんでもない会話だった。タカハシくんは、デザイン部にいる角界入りできそうな体格の同僚・下田に話しかけた。
「次のネタは燃費改善って企画にすれば?」
当時、アメ車やチューニングカーは燃費の悪さイコール「速さ」でもあって、燃費が悪いのは当たり前という潮の流れがあった。
「チューニングカーや大排気量車でも省燃費ってやったらウケないかな?」
それは確かに……。でもどうやって?
見た目は大ざっぱで細かいことがわからなそうな下田だが、こういう企画を思いつくあたり、デザイナーにしておくのはもったいない。ある意味無責任だから思いつくのだが。
するとベテラン編集者から
「インジェクション企画やればいいじゃん」という鶴のひと声。
「インジェクション?」
当時はまだキャブレター(電気を使わない機械制御による燃料供給装置)全盛の時代で、「ダウンドラフトだ」「ツインキャブだ」と言っていた時代。
「なんすか? インジェクションって?」
「勉強せい!」
口の中にピーマンのような苦味が広がった……。
その頃、欧州では、ボッシュが「Kジェトロニック」というインジェクションをすでに実用化していた。「機械式燃料噴射装置」と呼ばれるその仕組みは、吸入空気量を計測して燃料噴射量を決めるという方式だ。
「空気の量を測る……どうやって?」とキャブレターしか知らないタカハシくんは虚を衝(つ)かれた。ちなみにキャブレターは吸気の負圧で燃料を吸い出しニードルから噴霧という流れ。
ところが、その機械式燃料噴射装置は、吸入される空気がバタフライ・バルブを通過する際にできるカルマン渦の数を数えることで吸気量がわかるという仕組み。
むむっ、理解できぬ物理を魂で読み解くようなものだ。
「わからん……」
Kジェトロニックは国産車への採用はほぼ見なかったが、じつは国産車にはさらに進化したインジェクション(電子制御燃料噴射装置)を搭載しており、キャブレターを使っていたのは実用車系コンパクトカーや商用車で、スポーツカーやスペシャルティカーと言われた初代ソアラもフェアレディZ(S130型)もすでにインジェクション化されていたのだ。
当時のカタログのスペック表には「燃料噴射装置」という項目まであり、そこには「EFI」とか「EGI」とか記載されていた(メーカーによってインジェクションの呼称が違う)が、タカハシくんは先端技術に触れることなく「自分でいじれる」チューニングカーの世界に身を置いていたことから、「コンピュータ制御で走る」そうした解釈を求められるインジェクションの登場で挫折を味わうのだった。
電子制御化されたことにより、空気が薄い高所へ行ってもエンジン不調にならず、また燃費も良くなったのだが、キャブレターの吸気音がなくなったことに寂しさを感じたクルマ好きは多かったと思う。
この電子制御は現代でも制御ロジックは異なるものの、コンピュータを使っての燃料噴射方式は同じベクトル上にある。最新の制御はトルクオンデマンド式と呼ばれ、ドライバーが急いでいるのか、緩加速でいいのか、ドライバーの意思を読み解きながら燃料の噴射量を決めている。
1981年 日産・グロリア(430型)4ドアハードトップ 280Eブロアム。前型330型から一部グレードがインジェクション車へと切り替わったセドリック&グロリア。日本で初めて国産量産車にターボを搭載したことでも話題となった430型もインジェクションを採用。
1978年 日産・フェアレディZ(S130型)280Z 2by2。1978年8月のフルモデルチェンジにより登場したS130型フェアレディZ。前型S30型後半から採用されていたインジェクション式のエンジンを2L、2.8Lともに採用。430型セドグロと同じエンジン。
1981年 トヨタ・セリカXX(A60型)。セリカ リフトバックをベースに6気筒エンジンを積んだセリカXX(ダブルエックス)。初代(A40/50型)に続き2代目のA60型もインジェクションを採用。同じ6気筒エンジンを積むソアラとは姉妹車。
1981年 トヨタ・ソアラ(10型)。ラグジュアリーなソアラ、スポーティなセリカXXという位置付けで、セリカXXとは姉妹車だった初代ソアラ。デジタルメーターやオートエアコンなど最新装備を備え、若者が憧れるクルマだった。
ドッカンターボに若者が熱狂した
セダンもスポーツも関係ないターボ車の攻勢
1980年 日産・スカイライン(C210型)搭載 L20ETエンジン。1979年、セドグロ(430型)が乗用車初のターボ車として登場。日産車ではさらに、ブルーバード、スカイラインと続く。
そして、再び鈍器で殴られたような衝撃を味わったのは「ターボチャージャー」だった。HKS(自動車用チューニングパーツメーカー)製のボルトオンターボを搭載したS130型のフェアレディZ。それは当時のタカハシくんが所属していた編集部で企画したチューニングカーだった。
「おい! アキラ、クルマができたってHKSから連絡あったんで、取りに行ってくれ」と名物編集者から言われ山梨県上九一色村(当時)まで引き取りにいった。
HKSでS130Zを引き取り、中央高速を目指した。高速道路はガラガラに空(す)いている。
「ターボを付けたって言うけど、どんな加速するんだろう」という興味から、アクセルを少しだけ踏み込んでみた。
「が〜ん。視界が空〜! 前が見えん!」一瞬の出来事だった。
狂気の加速としか言い表せない。思わず天を仰ぐというが、本当に天を仰いでしまった。
当時のターボ車はターボラグが大きく、特に印象的だったのはスカイライン・ジャパンだった。ブーストがかかると急激に加速する「ドッカンターボ」で、「これが市販車でいいのか?」と思えるほどの加速をしていた。
チューニングカーのZはさらにそのさらに上をいくドッカン加速。青いタカハシくんの口の中には再びピーマンの苦味が広がったのだった。
1980年 日産・スカイライン(C210型)2000ターボGT-E・L。日産として4車種目のターボ車登場となったのが、C210型スカイライン、通称ジャパン。エンジンは直列6気筒2LターボのL20ET。最高出力は145馬力で燃費は9.8km/L(10モード)。
1984年 マツダ・ファミリア ターボ スポルトヨーロッパ。1980年登場の5代目ファミリアの赤いボディカラーは、「赤いファミリア」と呼ばれ、「陸(おか)サーファー」という言葉を生み出すほど爆発的なヒットとなったクルマ。1983年には1.5Lターボが追加された。
1983年 ホンダ・シティターボⅡ。1981年登場の初代シティは、ユニークな背高のシルエットや荷室に積める50ccのモトコンポの話題性もあり人気となったクルマ。1982年には100馬力のターボ、1983年にはオーバーフェンダー化し、インタークーラーも備えた110馬力のターボⅡ、通称「ブルドッグ」が誕生。エンジン回転が4,000rpm以下でスロットルを全開にした場合、過給圧が10秒間だけ10%もアップする「スクランブル・ブースト」という過激な装備も備えていた。
1983年 マツダ・サバンナRX-7(SA22C)。1978年に登場した初代のRX-7。発売当時はNAエンジンのみだったが、1983年のマイナーチェンジで、165馬力を発揮する2ローターシングルターボエンジンも設定された。
1984年 トヨタ・チェイサー(70系)。1984年に登場した70系のマークⅡ/チェイサー/クレスタ3兄弟。1985年には、1G-GTEUという2L直6ツインカム24バルブツインターボエンジンを投入。国産初のツインターボにより185馬力を達成した。
「乗る」クルマから「乗せる」クルマへ
ファミリーカー“ミニバン”
1990年 トヨタ・エスティマ(TCR)。従来までの商用バンベースの多人数乗車ではなく、乗用モデルとして開発され、内外装ともにスタイリッシュ。ミニバンというジャンルを確立したクルマ。
クルマといえばセダン、クーペ、ハッチバックといったスタイルが王道とされていた時代に、突如現れたのが「ミニバン」というワンボックスタイプのクルマだ。
「天才タマゴ」のキャッチフレーズでデビューしたトヨタ・エスティマや、ミニバンなのにスライドドアではないホンダ・オデッセイが人気になった。
とくにオデッセイはカスタム界でも人気に火が付き、大変な盛り上がりを見せていた。ミニバンは多人数乗車ができるという魅力がありながら、あえて巨大なスピーカーや水槽を載せ、2名乗車しかできないミニバンまで登場し、カスタム界はおおいににぎわった。ミーティングと呼ばれる「これ見て! 自慢会」もはやり、当時は日本独特のミニバンカスタマイズ文化があった。
そうそう、この頃にはデザイン部の下田も編集部に異動。ミニバン雑誌界に君臨し、ユーザーからは「親方」の愛称で親しまれていた(余談)。
1982年 日産・プレーリー(M10)1800 JW-G。エスティマ登場よりも8年も前にデビューしていた国産ミニバンの元祖的存在。両側スライドドアに加え、センターピラーレスという画期的装備も採用されていた。
1982年 日産・プレーリー(M10)1800 JW-G。商用車のようなチープな内装だが、3列シートで8人乗り。2列目は6:4分割され、両側スライドドア。さらにセンターピラーレスという乗降性の高さも魅力だった。
1994年 ホンダ・オデッセイ(RA1) L。1994年に登場した初代オデッセイ。ミニバンとしては低めの全高や、あえてのヒンジドアの採用により、多人数乗車だけれどもセダン的に使えるミニバンとして爆発的にヒットした。
1994年 ホンダ・オデッセイ(RA1) L 座席。全高は1645mmながら、室内高は1200mmと広々。3列目までスムーズに行き来できるセンターウォークスルーやフラットフロアによる快適さが人気の理由。後席にいくほどヒップポイントとフロアを少しずつ高くすることで、全席で良好な視界を確保していた。2列目シートの違いにより6人乗りと7人乗りを設定。
1994年 ホンダ・オデッセイ(RA1) L ダッシュボードまわり。直線を基調としたインパネ周り。現代のクルマに比べるとステアリング周囲のボタンも少なく、シンプルだ。1列目からのウォークスルーを実現するために、センターコンソールを持たず、シフトもコラム式を採用。デビュー当時の車両価格は184万8850円(消費税3%税込み)~。
1996年 ホンダ・ステップワゴン(RF1)G。エスティマ、オデッセイとともに、ミニバンブームをけん引したステップワゴンは1996年デビュー。シンプルで使いやすいスクエアな形状やFFレイアウトによる床の低さによる車内の広さがウケた。
1996年 ホンダ・ステップワゴン(RF1)G 内装。「クリエイティブムーバー(生活創造車)」というコンセプトを打ち立て、オデッセイを皮切りとしたホンダのミニバン・RV戦略。オデッセイ、CR-Vに続いて、1996年5月に登場したのが初代ステップワゴン。FF1.5BOXライトミニバンと称し、5ナンバーで最大クラスの室内空間を確保。
2002年 トヨタ・アルファード(10系) G MZ“G Edition”。ミニバンに“高級”というイメージを持ち込み、成功した初代アルファード。内外装に豪華装備を取り入れ、従来のファミリーカーにはなかった高級志向を演出した。
近年、ミニバンブームは下火になり、多人数乗車のファミリーカーとして正しいポジションに収まった気がする。そして今、天下を治めるのはSUVというわけだ。
SUVもまた、今“アオハル”を迎えている人にはエポックメイキングなクルマとしてメモリーされるのだろう。今やピーマンはおいしいのである。
後編では2000年代から現在までのエポックメイキングなクルマと出来事をじっくりと紹介。お楽しみに。
記憶に残る「時代を変えた」名車たち【2000年代〜編】
高橋アキラ
たかはし・あきら モータージャーナリスト、公益社団法人自動車技術会 モータースポーツ部門委員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、日本モータースポーツ記者会会員。やんちゃなチューニング全盛期の自動車専門誌編集者時代を経て、技術解説、試乗レポートなどに長けた真面目なジャーナリストに。Y30グロリアワゴン、マスタングなど愛車遍歴にはマニアックな車も多い。