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ピラードよりもピラーレスに憧れた、美しい4ドアハードトップ全盛期

セダンにはない麗しさ! 20世紀の名作4ドアハードトップ【前編】

高橋アキラ
2022.11.18

構成=ダズ/文=高橋アキラ(モータージャーナリスト)/下写真・1972年 日産・セドリック(230型)4ドアハードトップ2600GX

2022.11.18

構成=ダズ/文=高橋アキラ(モータージャーナリスト)/下写真・1972年 日産・セドリック(230型)4ドアハードトップ2600GX

4枚ドアの乗用車と言えば思いつくのはセダンだが、昨今、海外メーカーを中心にサッシュレス(窓枠がない)ドアを採用したクーペタイプの4枚ドア車が増えている。ウインドーを開けたときに窓枠がない姿は、確かにスタイリッシュでかっこいい。

ちなみに、今から40〜50年前には、窓枠どころかBピラー(ボディ側面、前部座席と後部座席の間にある柱)すらない「ハードトップ」というジャンルが存在した。前後のウインドーを全開にしたときの爽快感とフォルムの美しさは、さながらオープンカーのようだった。

本記事では、そんな時代を楽しく「乗り」こなしてきたモータージャーナリスト・高橋アキラ氏に、当時の熱量や思い出を振り返りながら、懐かしのハードトップ車とその魅力を紹介してもらう。

ピラーレスハードトップと言えば日産だった
日産・ローレル(C230)/日産・セドリック(330型)

1977年日産・ローレル(C230)4ドアハードトップ 2000SGL-E

1977年 日産・ローレル(C230)4ドアハードトップ 2000SGL-E

かつて、一世を風靡(ふうび)した「4ドアハードトップ」というデザインのクルマがあった。どんなデザインかというと、Bピラーのない4ドアのセダン。窓を全部開けるとオープンカーにハードトップを乗せたようなデザインに見えることから、「4ドアハードトップ」と呼ばれていた。

そもそも「ハードトップ」とは、オープンカーのソフトトップに対して、金属製のルーフのことを指す。4ドアのオープンカーにルーフを乗せたようなハードトップのデザインはとてつもなく斬新だった。

時代は1970年代まで遡る。

この頃の日産は、アメリカ車を目指していたのかもしれない。今風に言えば、アメリカ車をデザインにおけるベンチマークとしていたのかもしれない。セドリック、グロリアの「230型」と呼ばれるモデルは、窓を開け、屋根がついていないことをイメージすると、まさに4ドアオープンカーのようで、ホワイトリボンのタイヤを履いたアメリカンなデザインだった。この頃の日本車は、日産に限らず多くのモデルがアメ車を参考にしていたことは間違いないだろう。ただ、その中でも思い切ったデザインに挑戦した230型は、多くの人に受け入れられ、会社の社用車、役員用、もちろん個人所有としてもウケにウケた。

1975年 日産・セドリック(330型)4ドアハードトップ 2000SGL

1975年 日産・セドリック(330型)4ドアハードトップ 2000SGL

1975年 日産・セドリック(330型)4ドアハードトップ 2000SGLの車内

1975年 日産・セドリック(330型)4ドアハードトップ 2000SGLの車内

日産は、続く330型も4ドアハードトップデザインとし、この後の430型のセド・グロにも踏襲した。ちょっと調子に乗っているように思えるが、いずれのモデルも大ヒットを記録したのだ。

その後、4ドアハードトップは、230セドリックや330グロリアなどが中古車として出回るようになった頃から、再び若者を中心に流行した。僕、当時のタカハシくんもそのひとりだった。

なんでそんなに人気のクルマとなったのか、その背景はアメリカの存在だ。

クルマ好きの心に充満したアメリカへの憧れ
日産・グロリア(430型)

1965年 シボレー・シェベル マリブスーパースポーツ

1965年 シボレー・シェベル マリブスーパースポーツ

TVでは『刑事スタスキー&ハッチ』をはじめとするアメリカのホームドラマや刑事ドラマが人気を博し、サーフィンも流行りだした。多くの人がこぞってココナッツの香りがする芳香剤やパームツリー(ヤシの木)のフィギュアをクルマに乗せ、「KIKI」というホノルルのラジオ局のステッカーを貼った。当時の若者は、アメリカへの憧れを強く抱いていたのだ。

だからクルマも「アメ車」がカッコ良く、とくに70年代のマッスルカーには憧れた。コルベットやマスタング、カマロは正統派のお手本だったが、マリブやシェベル、グラントリノのリヤを持ち上げたホットロッドスタイルには、心臓がドキドキするほどときめいたものだ。まるでアイドルの水着写真でも見ているかのように興奮したのである。

しかし、いくらカッコ良くてもアメ車は買えない。高価だし、8,000ccのエンジンや幅2m、全長5m超えの車体は半端なく大きく、まるで天下を取ったようなクルマだったからだ。

1972年 フォード・グラントリノ スポーツ

1972年 フォード・グラントリノ スポーツ

そこで、みんなが目指したのは国産車のフラッグシップモデルだ。

「230(ニー・サン・マル)のセド・グロなら100万円くらいで買えるし良くねぇ? アメ車みたいだしさ」
「お〜いいね。リヤをシャックルで上げてホットロッドにしたらカッコいいよな」
「ホイールは絶対MK-1(マーク1)。フェンダーいっぱいまでサイズアップしようぜ」
「ホワイトパールでオールペンとかしたいよな」
当時はよくこんな会話をしたものだ。

もちろんこのときは「ダイナミック性能」なんて言葉すら知らない。ただ、見た目がカッコ良く、アメ車チックになればよかったのだ。

「マニュアルはダサいよな」(アメ車は全部ATだったというだけの理由なのだが……。)
「当然ATっしょ。できればベンチシートにコラムシフト*1がいいけど、日本車に少ないしな」
もっぱら、日本車はフロアシフト*2にセパレートシートで、ベンコラ車(ベンチシートにコラムシフト)の設定は少なかったと思う。セド・グロで言えば230型の途中から4ドアハードトップにもベンコラ車が設定されたと記憶しているが、王道は、高級感があるとされていたフロアシフトのATという時代だった。

  • *1コラムシフト……ハンドルの根本(ステアリングコラム)にシフトレバーが付いたもの
  • *2フロアシフト……運転席と助手席の間のフロア(床)にシフトレバーが付いたもの

1981年 日産・グロリア(430型)4ドアハードトップ ターボ ジャック・ニクラスバージョン(SGL-F)

1981年 日産・グロリア(430型)4ドアハードトップ ターボ ジャック・ニクラスバージョン(SGL-F)

1979 日産・セドリック(430型) 4ドアハードトップ 200E SGLエクストラの車内

1979 日産・セドリック(430型) 4ドアハードトップ 200E SGLエクストラの車内

この時代のクルマ選びで大事な要素は「クルマの大きさ」だった。基本、アメ車に憧れているから、できるだけ大きいクルマがいいのである。天下を取りたい……。いや、その気はまったくないが、必然的に国産のフラッグシップモデルに目が行き、人気は日産のセド・グロ、そしてトヨタ・クラウンだった。だが、クラウンにはBピラーがあり、完璧な4ドアハードトップとはならなかった。だから日産のセド・グロ230、その後の330、430が人気を博したのだ。

このブームはしばらく続き、さまざまな4ドアハードトップが各自動車メーカーからデビューしてくる。4ドアハードトップはBピラーがないのがデザインコンシャスでカッコよかったわけだが、斬新なデザインの代償なのか、弱点もあった。

タイヤ交換時にジャッキで持ち上げたり、修理工場のリフトに載せたりすると、ドアが開かない。地面に下ろすと正常に開閉できる、なんてことも経験した。

そう、ご想像のとおり、Bピラーがないため、容易にボディがゆがむんですね。結局ボディ剛性や安全性の課題からその後、次第にBピラーレスは消滅し、「ピラードハードトップ」というまた訳のわからんスタイルが主流になってくるのだ。

ピラーがあるハードトップ!? はぁ?
トヨタ・クラウン(120系)/日産・ブルーバード(910型)

1983年 トヨタ・クラウン(120系)4ドアハードトップ 2800ロイヤルサルーンG

1983年 トヨタ・クラウン(120系)4ドアハードトップ 2800ロイヤルサルーンG

1983年 トヨタ・クラウン(120系)4ドアハードトップ 2800ロイヤルサルーンGの車内

1983年 トヨタ・クラウン(120系)4ドアハードトップ 2800ロイヤルサルーンGの車内

もともとクラウンには、1974年登場の5代目(80系)で新設された4ドアハードトップの時からBピラーがあったので、この「ピラードハードトップ」は、クラウンがオーセンティックであった。正統派というのもなんだかな……なのだが、クラウンにはピラーはあるけど窓にはフレームがなく、ハードトップのようになっているという「サッシュレスデザイン」をしていた。

ドアを閉めた状態で窓を開けるとBピラーはしっかり存在し、どこにも4ドアハードトップ感はない。が、ドアを閉め窓も閉めるとBピラーが見えないので「4ドアハードトップ、かもしれない」という突っ込みを入れたくなるデザインだ。

このデザインは、230、330、430のセド・グロを見てきたタカハシくんたちには刺激が不足した。一方で、多くの人はこの洗練され、すっきりとしたデザインの「4ドアハードトップ」に魅力を感じ、80年代に入るとフラッグシップモデル以外にも展開され始める。コロナマークⅡやブルーバードなどにも4ドアハードトップが誕生してくるのだ。

1982年 日産・ブルーバード(910型)4ドアハードトップ 1800SSS-E

1982年 日産・ブルーバード(910型)4ドアハードトップ 1800SSS-E

しかし、Bピラーレスのカッコよさにハマった若者の根底にはいつもアメリカがあり、これらのモデルからはカリフォルニアの匂いは漂わず、ココナッツの香りはしないのだ。だから彼らはその後、本物のアメ車を購入するか、あるいは正しい大人に成長していくか(笑)のどちらかになった。一方で、多くの人から好まれた4ドアハードトップは市民権を得て大衆化していくことになるが、当時のタカハシくんは成長できずに72年式のマスタングを購入してしまうのだった。

後編は当時流行っていた美しきハードトップ車をじっくりと紹介します。

セダンにはない麗しさ! 20世紀の名作4ドアハードトップ【後編】

高橋アキラ

たかはし・あきら モータージャーナリスト、公益社団法人自動車技術会 モータースポーツ部門委員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、日本モータースポーツ記者会会員。やんちゃなチューニング全盛期の自動車専門誌編集者時代を経て、技術解説、試乗レポートなどに長けた真面目なジャーナリストに。Y30グロリアワゴン、マスタングなど愛車遍歴にはマニアックな車も多い。

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