町田そのこ 学校を休んだ日
「幸せって何だろう」は、小説家、エッセイスト、俳優、タレントなど、さまざまな分野の方にご自身の「幸せ」についての考え方や、日々の生活で感じる「幸せ」について綴っていただくエッセーです。 今回の執筆者は、『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞した、作家の町田そのこさん。 子供のころに母と過ごしたひとときの幸せ。娘の言葉をきっかけにその気持ちを思い出し、感じたこととは?
学校を休んだ日
学校を休むのは、体調が悪い日だけと決まっていた。
熱が37.5度以上あるとき、が基準だった。
そう何度も休んだわけではないが、子どものころを思うと必ず、休んだ日が蘇(よみがえ)る。
布団の中で、何度も時計を確認する。
あ、二時間目が終わったとこだ、ああ持久走出ないですんでラッキー、いまごろみんな何してるかな。
母の家事の気配を感じながら、そんなことをぐるぐる考える。
お昼ご飯はたいてい、母の作る柔らかいうどんだった。
ふわふわの卵入りのうどんを、母と一緒に『笑っていいとも!』を観ながら食べる。
その食卓には、いつもは当たり前にいる弟たちはいない。
ふたりきりだ。
何となくはしゃいでしまうわたしに「そんなに元気なら、学校行けたやろうもん」と母は顔を顰(しか)める。
「食べ終わったら布団に入って早く寝なさい、本は読んだらいけんよ」と小言も忘れない。
すでに布団に本を隠しているわたしはどきりとしながらも頷く。
それを見抜いているのか「隠れて本読んどったら承知せんけん」と母は凄(すご)んでみせ、わたしは水飲み鳥のおもちゃのように首を動かす。
日常から少しだけ離れた非日常のふたりだけの時間は、母がどれだけ怖い顔をしてみせようと、幸せだった。
あの時間を思い出すと、いつも微笑みたくなってしまう。
先日、卵を落としたインスタントラーメンを啜(すす)っていた娘が笑った。
うふふと笑った彼女は「私、こういう日大好き」と声を弾ませた。
37.8度の熱が出て学校を休んだ日の、昼食でのことだった。
「平日にママと一緒にいるって、すごい特別だもん。ただのインスタントラーメンがめっちゃ美味しい」
あんまりにまっすぐな言葉を受け止めきれずに、箸が止まった。
ふっと、あのころの自分を思い出す。
ああ、わたしもそういう風に言えればよかったなと思った。
もっと素直になればよかった。
「あらまあ。親子そろって、甘えんぼやねえ」
わたしの横でラーメンを食べていた母が笑った。
「あんたのお母さんも、休んだ日はそんな顔してご飯食べとったわ」
驚いたわたしに娘が「本当?」と笑いかけてくる。
その無邪気な顔から、母に視線を移す。
あのときとはまったく違う穏やかさなのに、でもどうしてだか同じ顔をしている気がした。
だから、「孫に甘すぎるんと違うかな」とぶっきらぼうに言ってしまった。
あのときも、いまも。同じような気持ちで食事ができるひとがいる。
優しい時間を共にできる。
これからも、そんな小さな幸せを重ねていきたいと願う。
本連載のウェブ掲載は今月が最終回となります。次回からは、冊子版『JAF Mate』(1月・4月・7月・10月発行)に掲載されますので、冊子版にて引き続きお楽しみください。
町田そのこ
まちだ・そのこ 作家。1980年福岡県生まれ。 2016年「カメルーンの青い魚」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。翌年、同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。2021年、『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞。 他に『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』『宙(そら)ごはん』「コンビニ兄弟」シリーズなど著書多数。 2023年2月に短篇集『あなたはここにいなくとも』を刊行。 写真提供=新潮社