ズラータ・イヴァシコワ 当たり前の幸せ

ズラータ・イヴァシコワ

「幸せって何だろう」は、小説家、エッセイスト、俳優、タレントなど、さまざまな分野の方にご自身の「幸せ」についての考え方や、日々の生活で感じる「幸せ」について綴っていただくエッセーです。 今回の執筆者は、戦火のウクライナから日本へ避難されたズラータ・イヴァシコワさん。突然奪われた日常と死と隣り合わせの日々、その先に思う今の幸せとは?

当たり前の幸せ

昨年の2月24日、私の人生は大きく変わることになりました。愛する故郷ウクライナがロシアからの侵攻を受けたことによって、普通の生活が立ち行かなくなってしまったからです。
それまでの私は、毎日何事もなく平穏に過ぎていく暮らしを特にありがたいとも思っていませんでした。それどころか、そんな日常に少々退屈し、いつか必ずここから羽ばたいて夢を実現させようと、そんなことばかり考えていました。自分に都合のよい変化を思い描いては「いつか今よりも幸せになろう」と胸を高鳴らせていたのです。
私の夢とは、故郷での基礎的な勉強を終えたら、大好きな日本に留学して漫画家になることでした。母に負担をかけないように自分で費用を工面できたら、いつかそんな日が来たら必ず実現させよう、それが私の心の支えでした。


“変化”は突然やってきました。ただし、それは私が想像していた類いのものではなく、不気味な空襲警報と爆撃音、死と隣り合わせの恐怖とともにやってきたのです。自分の人生が戦争と関わることになるなど、考えたこともなかった私は、今日一日の命があることの大切さを、初めて身をもって痛感したのでした。
それまで当たり前にあったものが一瞬で消え失せてしまいました。人は失って初めて、そのものの大切さに気づくといいますが、本当にそのとおりです。朝目覚めて学校に出かける。授業を受け、友達と笑い合い、帰宅して家族と過ごし、温かいベッドで眠る。ただそれだけの、あれほど退屈に思えた日常のどれもが、どれほどかけがえのないものだったか、どれほど素敵で恵まれたものだったか、身に染みてわかったのでした。
その後、母の後押しを受け、多くの方々の支援を得て、紆余(うよ)曲折のすえ、ポーランド経由で日本に避難できた私は、今、かつて夢見た日本での生活を送っています。思いがけない形ではありましたが、夢は徐々に叶(かな)いつつあります。けれどもその夢はかつてのようにフワフワしたものではありません。来るか来ないかわからない明日に幸せを託すのではなく、今日この一日を精一杯に生きることこそ幸せなのだと、今は痛いほどわかるからです。
かけがえのない人たちと一緒にご飯を食べ、学校へ行く。帰宅したら宿題を片付け、お風呂に入る。そんな毎日です。でも、眠るときに「明日も目覚められるかしら?」なんて心配はしなくてもよいのです。そんな当たり前の日々が、とてもありがたく、幸せなことに感じられます。


今この瞬間、瞬間を、精一杯自分を出し切って生きる。それができたならもう十分。それ以上に望むことなどありません。それが私にとっての幸せです。そもそも、生きていることそのものが「何ものにも代えがたい最大の幸せ」なのです。今の私は心からそう思っています。

ズラータ・イヴァシコワ

ウクライナ、ドニプロ出身の17歳(避難時は16歳)。2022年2月24日まで、美術を中心とした高専学校に通うごく普通の高校生だった。 13歳のときに日本の書籍と出会い、独学で日本語を勉強しているさなかにロシアからの侵攻に巻き込まれる。数えきれない困難を乗り越え2022年4月9日、日本へ。 その日々を描いた『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記』を上梓。 現在は美大への入学を夢見つつ、勉学と日本語の習得に励む毎日。

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