玄田有史 幸福と希望
「幸せって何だろう」は、小説家、エッセイスト、俳優、タレントなど、さまざまな分野の方にご自身の「幸せ」についての考え方や、日々の生活で感じる「幸せ」について綴っていただくエッセーです。 今回の執筆者は、経済学者の玄田有史さん。「希望学」の研究も行う玄田さんが見出した、幸福と希望の関係とは?
幸福と希望
二月三日は節分。
春の始まりを告げ、新たに福を迎える「幸せ」の日である。
十数年前、四十二歳の本厄(ほんやく)だったとき、「厄明けは節分の日なので、新年早々も車の運転など、油断せず、気をつけて」と、誰かに言われた気がする(ネットでみたら、厄は大晦日〈おおみそか〉で明けるという考えもあり、諸説あるようです)。
節分にせよ、正月にせよ、節目の日を迎えると、それまでどんなに辛(つら)いことがあっても、すべては今日限りで、「さあ、これからだ」と、フレッシュでちょっと幸せな気持ちになる。
暦(こよみ)やカレンダーは、洋の東西を超え、気分を新しく切り替えてくれる、もしかしたら人類最高の幸せの工夫かもしれない。
「人生、幸せでした。」そういって微(ほほ)笑みながら、静かにつぶやく高齢者がいる。
そしてつぶやいた高齢者は、これまでにどうしようもなく辛い出来事を経験していたりする。
大切な人や仕事を失ったり。
自身が病気やケガで苦労をしてきたり。
してはならないことをしてしまったり。
苦難を忘れることもできず、痛みをひそかに抱きつつ、それでもたまさか生き永らえてきた。
運命や偶然に対し、人は幸せという言葉を重ねることもある。
幸せは、バラ色とはかぎらない。
幸福と希望。
どこか似てるようで、異なっている。
車で大切な家族とたずねた先で、素晴らしい景色や美味(おい)しい料理に出会う。
「こんな幸せな旅、これから先もずっとしたいものだ。」
幸福はつねに持続してほしいという思いとつながっている。
希望は、少し違う。
今のやるせない状況を変えたい。新しい自分になりたい。
コトの大小を問わず、どちらかというと、変化や刷新を望む気持ちが、希望の奥底にはある。
人生という長く続く真っ暗なトンネルのなか、明るい出口にいつかたどり着くことを信じ、前に進み続けること。
そのこと自体が、希望だったりする。
ずっと守り続けたいもの。
新しく変えていきたいもの。
その両方があれば、幸福と希望は、意外とすぐそばにあったりする。
一昨年、昨年と、海の向こうの大谷翔平選手の投打二刀流の活躍に多くが元気をもらってきた。
ただ、選手に期待をする一方で、はたして自分はどうなんだろうか。
これからは自分もまた、ささやかながらでも幸福と希望の双方向で、毎日をすごしていければと、思ったりしている。
玄田有史
げんだ・ゆうじ 経済学者。1964年島根県生まれ。 東京大学社会科学研究所教授。ニートや就職氷河期など、若者の雇用問題などの他、希望と社会の関係を考える希望学を研究。主な著作に『希望のつくり方』など。