偏愛アカデミー

「義経の悲運が大谷翔平を生んだ!? 」松村邦洋先生の歴史に学ぶ生き方論

私の推し活語ります【後編】

松村邦洋
2022.10.21
2022.10.21
この記事のキーワード
この記事をシェア

お笑い芸人から俳優、ミュージシャン、文化人まで幅広いジャンルの著名人が「今、とくに夢中になっている趣味」をテーマに、まさかと思うような意外な偏愛嗜好について論じます。

第8回は芸能界ナンバーワンの歴史好きとの呼び声も高い松村邦洋さんに、好きな歴史上の人物についてお聞きしました。


天下人もタジタジ? 「火のある女性」とは?

まずは豊臣秀吉(とよとみひでよし)ですね。皆さんも知っているように草履(ぞうり)を温めていたような人が天下を取るという、人生のサクセスストーリーに夢がありますね。戦国時代に低い身分であった秀吉が、実力と運で出世を極める。立身出世して最高権力者となるというストーリーは好きな人も多いのではないでしょうか~。

ただ秀吉というと、同時にそばにいる女性の怖さも感じます。僕は秀吉の側室の淀(よど)殿は、「火を持っていた」と思います。というのも、淀殿は父・浅井長政(あざいながまさ)とお市(いち)の娘として生まれたのですが、居城の小谷城は、伯父(母の兄)である織田信長(おだのぶなが)との戦いで落城して火で燃え上がってしまったのです。その後、母のお市の方は柴田勝家(しばたかついえ)に嫁(か)し、淀殿ともども福井に移り住むのですが、そこも天正11年、勝家と秀吉の争いで北の庄城が燃えて落城。最後には大坂夏の陣で大坂城も燃える。なんの因果か住む城が燃えまくる。淀殿は生まれながらにして火を持つ女性だったのではないですかね。

これは余談ですけど、権力者は若い女性が好きですね~。昔から男というものは、上半身と下半身の考え方がまるで与党と野党ほど違いますよ。上半身が政権を取っているうちは良いけれど、下半身に主導権を握られてしまうと、恋は盲目という言葉があるように周りが見えなくなってしまう。怖いですね~(笑)。

義経と高校野球の意外? な関係

次は源義経(みなもとのよしつね)です。彼にはいろいろな説が残っていますね。たとえば平泉の「衣川館(ころもがわのたち)」で自害してはおらず北海道に渡ったのではないか。アイヌの人々の間では義経の来訪に関する伝承が残されているし、義經神社もある。他にも義経とチンギス・ハーンは同一人物だなんていう説もありますよね。

僕も義経についてある説を唱えています。義経が自害したとされる岩手県の平泉の近くから、ある有名人が誕生しているのをご存じですか? それは大谷翔平です。大谷選手のお父様は地元の奥州平泉にゆかりのある源義経の八艘飛び(はっそうとび)に由来して、「“翔”ぶ“平”泉」で「翔平」と名付けられたそうです。

大谷翔平が今これほどまでに活躍しているのは、義経が平泉で自害した無念を大谷翔平が800年たって晴らしていると思えるのです。

岩手県は大谷選手だけではなくて、花巻東高校だった菊池雄星選手がいる。「こんなすごいピッチャー、100年は出てこないぞ」などと言われていたのに、次の年には大谷選手が出てきた。さらに最近では大船渡高校から佐々木朗希選手です。また、これからが楽しみなホームランバッターだと言われる佐々木麟太郎君は花巻東高校の監督である佐々木洋氏の息子さんですね。

運という名のマイレージカード

このように岩手県に素晴らしい選手が誕生するのは、義経の運のマイレージがたまっているおかげだと思います。

義経は頭の良い軍略家でしたが悲運の英雄です。能力の高さと人格ゆえに実の兄に命を狙われることになる。このような理不尽を受け、‟運という名のマイレージカード”にポイントがたまっていた。生前にはうまく使えなかったマイレージが、800年たってこの地の若い人たちに受け継がれたのではないかと。

家康は部下思いの上司だった!?

そして最後は徳川家康(とくがわいえやす)です。

徳川家の繁栄については「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」という歌がありますが、僕は「頼朝がつき、尊氏がこねし幕府餅」もあるのではないかと思っています。

室町幕府や鎌倉幕府が失敗したことをやらずに260年も続いた江戸幕府。鎌倉時代を見ると、生まれた子供を縁組みさせて派閥を大きくして、自らがのし上がろうという下剋上が多いんです。しかし江戸時代には徳川家康が「貞観政要(じょうがんせいよう)」などの中国の書物によって勉強を重ね、クーデターのない、目上の人を大事にするという考え方を根付かせた。だからこそ15代も血筋が続いたと思います。それに家康は苦労人です。生まれてすぐに父親が亡くなり、母親とは離ればなれになって、今川義元(いまがわよしもと)に人質に取られ……父親も祖父も家来の人間に殺されているため家来に非常に気を使い生きてきた。今川義元が破れてようやく岡崎に戻り織田信長に近づいたけれど、年上の嫁は今川寄りだし、息子もまるで言うことを聞かなかった。

だけど家康がこのような苦労人だからこそ最後に天下を取れたのだと思います。やはり苦労はマイレージなのですね。理不尽もマイレージだと思ってがんばったのが徳川家康。味方にも文句ばかり言われながら気を使いながら動かしていく。これは並大抵のことではありませんよ。

そして家来も家康のことを愛していたんです。岡崎(三河)三奉行の一人、天野康景(あまのやすかげ)は、徳川家康を一度も裏切らなかったと言われています。家康が今川家に人質に取られたときも天野康景はずっと家康に付き従って、最終的に66歳で初めて1万石の大名になったんです。

それは家康がきちんと部下の声を聞いてあげられるトップだったからです。天野さんのような家康に愛情のある家来たちが育っていった。そんな家康を僕は尊敬します。そういえば、キャイ〜ンの天野さんも岡崎出身でしたね(笑)。

インタビューの松村邦洋さんの様子

「未来は読めない。過去には戻れない。だけど歴史は繰り返すので、過去を見ておくとパターンが見えてくる」と語る松村さん。

80年代は戦国時代、現代は江戸時代?

歴史は繰り返すことが多いんです。そう考えると今は江戸時代に似ているのかもしれないですね。現代はコンプライアンスとか規則とかに厳しい。江戸時代も武家諸法度が出て「集まって酒を飲んだり、遊びにふけったりしてはならない」「服装は身分に応じて区別すること」と大名の行動を取り締まった。政権維持のために作った法令が、長い平和をもたらしたという意味では良い時代だったかもしれないですね。

今は戦国時代のようなことをすれば叩かれます。たとえばTV番組も1980年代のように「面白ければ何をやってもいいんだよ」というわけにはいかなくなっている。信長、秀吉の頃は「面白ければOK」という時代だったけれど、やはり「武断政治」 から「文治政治」になっていくと「争いをしてはいけませんよ。とくに目上の人を倒してはいけませんよ」と下剋上はなくなる。ところで信長といえば、ビートたけしさんって信長じゃないかと思ったんです。なぜかって、たけしさんの隣に背の高いアフリカ系の人がいる。あっ弥助がいる! って思って、そしたらゾマホンだったんだけどもね(笑)。

足軽でもいい! 切腹はしたくない!

お笑い界も今は仲間内で楽しくやっているので江戸時代とか平安時代。今下剋上をやろうとすると秩序が乱れてしまいますね。ところで乱と呼ばれるものは必ず負けるんですよ。「本能寺の変」みたいに、変だと一回は成功する?

そういう意味でも今は平和です。こういう時だからこそみんなでディフェンスをしっかり行わなければならないんですよ。みんなのためのことを考えなければいけない時代。「俺が俺が」ではなくて、みんなが一つになれるように生きていかなければならないと強く思います。

自分の人生もそう。年とって幸せがくるのも良い。老いて経験つんで花が咲くのも良い。66歳で1万石の大名になった天野さんもいい。足軽でいいから生きたい。みんなが切腹を望んでいるわけない。そう思いますね。

松村邦洋

まつむら・くにひろ 1967年8月11日、山口県生まれ。TVと野球に熱中して育ち、ものまねを始める。大学時代に片岡鶴太郎氏との出会いがきっかけで芸能界入り。高田文夫氏のものまね「バウバウ」で人気となり、「進め!電波少年」「探偵!ナイトスクープ」などの番組に出演。阪神タイガースと大河ドラマをこよなく愛し、YouTube「松村邦洋のタメにならないチャンネル」で熱く語っている。
書籍『松村邦洋、鎌倉殿の13人を語る』(プレジデント社)好評発売中。

この記事のキーワード
この記事をシェア

この記事はいかがでしたか?