偏愛アカデミー

「石の上にも3イヤーズ」でつかんだ穏やかなる新境地……ルー大柴先生の茶道論

私の推し活語ります【前編】

ルー大柴
2022.09.07
2022.09.07
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お笑い芸人から俳優、ミュージシャン、文化人まで幅広いジャンルの著名人が「今、とくに夢中になっている趣味」をテーマに、まさかと思うような意外な偏愛嗜好について論じます。

第6回は50代から茶道を始めて17年、今では大柴宗徹として師範の免状も持つタレントのルー大柴さんに茶道の魅力について熱く語っていただきました。


きっかけはマネージャーの言葉だった

はじめまして。大柴宗徹(そうてつ)ことルー大柴です。

宗徹は、遠州流茶道の家元からいただいた茶名(ちゃめい)です。実は師範の資格を持っているのです。今日は私が偏愛する茶道の魅力についてお話ししようと思います。

まずは茶道とはどういうものか。鎌倉時代、栄西という僧侶が中国のお茶を日本に持ち帰ってきてみんなとコミュニケーションを取るために茶室を作った。それを現在のような文化として発展させたのが皆さんもご存じのサウザンド利休(千利休)です。
当時の武士が生きるか死ぬかの戦いのなか、心を落ち着けるためにドリンクしたという説もありますが、基本的には階級構わず武士でも商人でも一緒になってコミュニケーションを取るためお茶を点(た)てて楽しむ。世間話あるいは政治の話をする。そういう場だったのではないかなと思います。


そもそも私が茶道を始めたきっかけは50歳を過ぎてマネージャーが替わったことにあります。それまでの私は、皆さんもご存じのように大声を出すくらいしか芸がなかった。それを見かねた新しいマネージャーから「ルーさん、そろそろネクスト。もう少しスキルを増やしましょう」と言われたのです。


ネクストと言われても五十の手習いに何を始めたら良いのかわかりません。そこでまたマネージャーから助け船で「茶道なんてどうでしょう?」と勧められました。皆さんも感じていることと思いますが茶道の印象というのはとても堅いものがある。だから最初は冗談だろうと思いました。けれどよくよく考えてみると年を取ってからピアノや社交ダンスといった習い事を始めている人は周りにいましたが、茶道を始めた人はさすがにいなかった。そこで話題性も含めておもしろいと思い教室に通ってみることにしたのです。

ルー大柴さんお気に入りの犬山焼(いぬやまやき)の茶碗。犬山焼は愛知県が誇る華やかな焼き物のひとつ。こちらはロケで伺った僧侶の方から贈っていただいたもの。

茶道の教室は、ご多分に漏れず張り詰めた空気で何とも言えない緊張感があり、とにかく所作(しょさ)が難しいことこの上ない。何より正座が辛い。これは私には無理だなとすぐにやめようと思いました。


所作の難しさで言うと帛紗(ふくさ)というお点前(てまえ)でお道具を清めるのに使う道具があるのですが、それを扱うのが最初の壁でした。縫い目のない「わさ」を左にして人差し指と親指で帛紗の上の両角を持って広げる……なんのこっちゃでしょ? こういった折り方が非常に難しい。それから茶巾(ちゃきん)と言われる、お点前の際にお茶の粉がダマになったりしないよう、茶碗についた水滴を拭く白い布があって、それもお茶の種類によって折り方や置く角度があり何度も挫折(ざせつ)しそうになりました。


それでもやめなかった理由は、入会金と月謝をそれなりに払っていたので無駄にするのは嫌だなと思ったから。それとやめればマネージャーに責められることが容易に想像できたので……。消極的な理由ではありますがもう少し続けることにしました。

茶道に出会って心穏やかな境地を体験した

どんなに辛くても辛抱していれば、石の上にも3イヤーズという言葉があるようにやがて何らかの変化があるもの。少しずつ所作ができるようになってきてからは茶道がおもしろく感じるようになったのです。


私も意識が変わったなとはっきりと思うようになったのはアバウト3年くらい経ってから。お稽古でも着物を着るようになり所作を続けているうちに、芸能も茶道も動くという表現によって人に感動を与えるという点で少し似ているところがあると思うようにもなった。どちらも「魅する」ということでは同じだと。


これまで私は芸能の世界で「動」の表現をしていました。声を大きくしたり動きをオーバーにしたり。しかし茶道の場合は「静」の表現。喋ることもなくただお茶を点てることで私の中にある「静」の部分が見えてきた。それで茶道が好きになったのです。

お茶を点てる大柴宗徹さん

遠州流茶道の師範になって 8 年。茶の道は険しい。

驚かれるのはこの私がまるで喋らないこと。当たり前ですが、お茶を点てている間は、お茶に集中するので一切喋りません。茶道のお点前とは、召し上がってもらうまでの作法をお客様に見ていただくこと。合理的に計算されたお茶を点てる一連の流れを美しく見せながら、相手をおもてなしするのです。


茶道の作法は言葉の要らないコミュニケーションと言われることもある。それでもたまに少し「ルー語」が出てしまうときもあります。でも基本的には喋らない。


お茶は心を投影する鏡です。良いときも悪いときもある。良いお茶はあまり泡がなくてきれいな色になる。でも失敗しているときは茶筅(ちゃせん)を上げるときにうまくやらないと泡が大きくなってしまい、味も変わってきてしまう。そういうときは集中してなかったなと反省します。


私は茶道に出会って、非常に穏やかな気持ちが保てるようになりました。昔はもっと心の中がガチャガチャしていました。お茶を勉強したことで心が開けた、リトルビットそんな気がします。お茶を点てながら人とコミュニケーションを取って、心が通い合う。それが茶道なのです。

後編は、ルー大柴先生の考案された「ルー流茶道」についてお伺いします。

ルー大柴

るー・おおしば 1954年新宿生まれ。日本語と英語をトゥギャザーした話術を使う独自のキャラクターで活躍。芸能活動のほか、2007年NHK『みんなのうた』に採用された「MOTTAINAI」をきっかけに、富士山麓の清掃や地域のゴミ拾いなど環境活動にも積極的に取り組む。趣味はドジョウやメダカの採集、水墨画。遠州流茶道師範、山野美容芸術短期大学客員教授。

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