2トーンカラー、SUVやハイトワゴンでなぜ人気が復活した?
【前編】1960~80年代の第1期ブームを振り返るボディーカラーは、クルマの個性と商品性を高める重要な要素である。それは昔も今も変わらない。日本の場合、定番のボディーカラーはホワイトとブラック。だが最近はKカーやコンパクトカー、そしてSUVを中心に2トーンカラーが目立つ。一般的にクルマは個人の所有物としては、家に次いで大きなものであり、街の景観を左右する要素のひとつでもある。オーナーの個性を象徴し、街のイメージをフレッシュに彩る2トーンカラーの人気は大歓迎だ。
この 2トーンカラーは、日本ではいつから根付いたのだろうか? まずはその歴史をひもといてみたい。
欧州車で乗用車づくりを学んだ日産といすゞが牽引
日産独自開発の本格乗用車として大ヒットした初代ブルーバードは 1959年にデビュー。上級グレードのDXグレードにはおしゃれな2トーンカラーを設定していた。写真は1961年8月にマイナーチェンジされた後期モデル
日本に2トーンカラーのおしゃれな世界を紹介したのはアメリカ車だった。戦後、日本の道を大量に走り始めた占領軍が持ち込んだアメリカ車は、豊かさの象徴。伸びやかなデザインとカラフルなカラーで庶民を魅了した。美しく2トーンカラーに塗り分けられたクルマも多く、2トーンカラーは上質さを示す記号のような存在となった。
このようななか、日本の本格的な乗用車作りは1950年代にスタートする。トヨタがあくまで独自開発にこだわったのに対し、日産といすゞ(現在はトラックなどの商用車メーカーだが当時はそうではなかった)は、それぞれイギリスのオースチン、ルー ツ・グループと提携を結び最新技術を学ぶ道を選んだ。その成果として1953年からいすゞはヒルマンミンクスを、日産はオースチンA40を、1955年には後継のA50をノックダウン生産した。彼らの作るヒルマンミンクス、オースチンはボディーカラーにアメリカ車の影響を受けた2トーンカラーを設定しており、日本生産車にもそのまま2トーンカラーを用意した。
両車が日本生産2トーンカラー車のルーツであり、2トーンカラーに憧れを抱かせる契機となったのは間違いない。
日産自動車は1952年12月に英国のオースチン社と技術提携を結び、まずA40サマーセットのノックダウン生産を開始。1955年には写真のA50ケンブリッジにスイッチした
A50は英国仕様だけでなく日本生産車も2トーンカラーを設定。オースチンのノックダウン生産は、最新の乗用車技術の吸収だけでなく、2トーンカラーなどの最新ファッションの吸収にも役立った
かつてトラックなどの商用車だけでなく乗用車も手掛けていたいすゞは1953年に英国ルーツ・グループと技術提携を結び、ヒルマンミンクスのノックダウン生産をスタート。1956年にモデルチェンジした2代目のヒルマンミンクスは個性的な2トーンカラーが好評だった
日産を代表する乗用車だったブルーバードは1959年デビューした
セドリックは1960年にデビュー。ブルーバードとも上級グレードに2トーンカラーを用意し、おしゃれなイメージを訴求する
ノックダウンで技術に磨きをかけた日産、いすゞは独自開発の乗用車をマーケットに送り出す。日産は1959年にブルーバード、 1960年にセドリックをリリース。どちらも上級グレードのDXに2トーンカラーを用意した。また1961年にベレルを発売したいすゞも2トーンカラーで上級車ならではの雰囲気をアピールする。なお日産は、ライバルに先駆けて対米輸出を本格スタートしていたが、その輸出戦略モデルの初代フェアレディ(当初はフェアレデー)も2トーンカラーを採用していた。
いすゞ独自開発の上級サルーン、ベレルは1961年にデビュー。ボディーカラーにはもちろん2トーンカラーを設定。フォーマルカーな がらカジュアルな印象を訴求した。ベレルは国産乗用車初のディーゼルも用意された名車
現在のフェアレディの原点であるダットサンSPL212型は1960年に登場
この当時のフェアレデーは、基本的に輸出専用の左ハンドル仕様で4シーターのパーソナルオープンという性格。ボディーカラーは2トーンが標準だった
2トーンカラー人気はマツダやスバルにも
軽自動車初の4ドアモデルを設定し話題を博したマツダ・キャロルは1962年に登場。上級のDXグレードにはルーフを塗り分けた2トーンカラーが用意された。初代キャロルは360ccながら水冷4気筒エンジンを搭載する
日産といすゞが主導した日本車の2トーンカラーはマツダにも波及する。マツダはスバル360に続く本格乗用軽自動車として1960年に R360クーペ、1962年にキャロルを送り出す。両車とも上級グレードにはルーフを塗り分けた2トーンカラーを用意し、おしゃれな印象をアピールした。
1960年代後半から1970年代、いったん2トーンカラーは目立つ存在ではなくなる。ファッションにはやり廃りがあるように、ボディーカラーにも人気の周期があるようだ。もちろんボディーデザインが直線基調に変化したことなどやマーケティング手法の変化、メーカーが排出ガス対策などに忙殺されたことなども大いに影響しているに違いない。
新たな2トーンカラーの流れを提示したのは初代ソアラだった
1980年代に入ると2トーンカラーは再び脚光を浴びる。その先駆けとなったのが1981年に登場した初代トヨタ・ソアラだった。ソアラはボディー下側をダークカラーに仕上げる手法でシャープな造形を際立たせた
ボディー上面と下側でカラーを変える手法はスポーツモデルで定着。1983年にデビューしたホンダ・バラードスポーツCR-Xや“AE86“の型式名で知られるトヨタ・カローラ・レビン&スプリンター・トレノにも採用された
2トーンカラーが再び脚光を浴びるのは1980年代。その象徴は1981年に登場したトヨタの高級スペシャルティカー、初代ソアラだった。ソアラはボディー下側と上側を異なる色で仕上げた2トーンを採用。シャープなフォルムを一段と際立たせた。
1980年代、従来はメッキ仕上げだったバンパーがボディー同色となりデザイン的な一体感が高まったこともあり、この手法はスポーティーさを際立たせる手法として一般化する。その後、1983年に登場したAE86レビン&トレノやホンダのバラードスポーツCR-Xにもこの塗り分けは採用された。
1980年代は“豊かさ”を求めた時代。トヨタの上級サルーンとして人気を博したチェイサーはボディー中面と上下でカラーを変える凝った2トーンを設定。ラグジュアリーなイメージを印象づける。写真は1981年モデル
トヨタのマークⅡ、チェイサー、クレスタの3兄弟は、1980年代に“ハイソカー”と呼ばれ一大ブームとなった。その人気の背景には魅力的なカラーリングも影響していた。写真のクレスタは1984年モデル
スポーティーさだけでなく、上級さやパーソナルイメージを高める2トーンカラーも見直される。当時ハイソカーと呼ばれた上級サルーンのトヨタ・マークⅡやチェイサー、クレスタは凝った塗り分けの2トーンを設定。従来、商用車の派生車と見なされていた1BOX形状の3列シートワゴン、ハイエース・ワゴンや、本格4WDの三菱パジェロも2トーンカラーでパーソナルイメージを明確化した。1980年代は2トーンカラーが、ユーザーニーズの多様化、高級志向に応えた時代だった。
2トーンカラーの旧車については、こちらもチェック!
初代トヨタ・ソアラ(MZ11型)の魅力を、豊富な写真とともに紹介するフォトギャラリー。エクステリアやインテリア、走行性能、装備のディテールを写真で解説します。
イメージカラーの「トワイライトブルー2トーン」を身にまとったギャランΣハードトップ。レアなネオクラ車を維持するオーナーに、その魅力を聞きました。
R31型スカイラインは、TVドラマ「西部警察」で活躍したRS、レースで大活躍したR32スカイラインに挟まれるモデルですが、想像以上にスポーティーでした。特徴的な2トーンカラーのエクステリアは、こちらでご確認ください。
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