いすゞ・117クーペ(PA95型)。美しさと走りを併せ持ったグランツーリスモ #05
自動車ライター・下野康史の旧車試乗記かつて乗用車も生産していたいすゞの117クーペに試乗。カーデザイン界の巨匠、ジウジアーロが手掛けた117クーペの走りは、そのボディのように流麗なのでしょうか。自動車ライター・下野康史さんが懐かしい旧車のレンタカーや広報車などを借り受け、その走りをレポートします。
美しいクーペボディーの弱点は、“雨じまい”
雨の夜、50年前のいすゞ117クーペを借り出してきた編集部Nさんに「どお?」と聞くと、117クーペ初体験の彼は「難攻不落って感じですね」と答えた。
どれどれと、バトンタッチして走り出す。試乗車の年式の1974年といえば、Nさんはマイナス1歳だったそうだが、ぼくはその年に免許を取った。117クーペは81年5月まで生産されたから、現役の新車も運転経験がある。
だが、ほぼ50年の歳月はさすがに重かった。パワーステアリングではないから、覚悟はしていたが、それにしても、こんなにハンドルが重たかったっけ? とくに停車時の据え切りは重い。車庫入れではフーフー言ってしまう。
クーラーが付いていないため、全部の窓ガラスが曇っていた。リアウインドウにデフロスターは付いているが、スイッチに気づいたときは手遅れだった。とくに梅雨時は曇り止めのスプレーとウエスが必須である。
後ろが見えないので、運転席側のドアを開けて頭を出したら、雨水がドバドバッと落ちてきた。117クーペはボディーラインがすばらしくきれいだが、屋根の雨どいのつくりはよくない。そういえば、むかし“雨じまい”という言葉があったのを思い出す。
カメラやバスケットボールのデザインも手掛けるジウジアーロの、代表作のひとつ
117クーペはイタリアのジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたいすゞの2ドアクーペである。日本の発売は68年12月だが、“ギア・いすゞ117スポルト”の名で初お披露目されたのは、66年春のジュネーブショーだった。その後、カロッツェリア・ギアを離れてイタルデザインを創設したジウジアーロの初期の代表作のひとつである。
試乗車をレンタカーとして用意するのは、東京都羽村市にあるイスズスポーツ。2002年に乗用車生産から撤退したいすゞのクルマを販売・修理する専門店で、1日1万6000円のおてごろ料金でこの74年式1800XGを貸し出している。117クーペがほしいけれど乗ったことはないという人に“お試し”のチャンスがあるのはとてもよいことだと思う。
パワフルなエンジンは快調そのもの。リアシートも快適
天候に恵まれた翌日、街なかから高速道路、ちょっとした山道まで走ると、印象はすっかり好転した。
いま普段乗りするのに最適というコンセプトのもと、キャブレターをSUからソレックスに換え、点火系を強化するなど、イスズスポーツ流のモディファイを施していることもあり、1.8リッター4気筒DOHCは快調そのものである。
もともと低速トルクのあるエンジンだから、街なかでも扱いやすい。3500rpmも回せば、峠道をスイスイ上るし、そのへんまでの回転域なら音も振動も低い。100km/hは4速トップで3000rpmちょっとだから、高速道路を使ったロングドライブもまだ十分イケそうだ。
エイジレスな外観のためにフト忘れがちだが、基本設計は60年代の昔である。そんな国産オールドタイマーが今でもこれほどよく走るとは驚きだ。
クーペとはいえ、背もたれの寝たリアシートは意外や広い。実用性も犠牲にしないのは、初代フォルクスワーゲン・ゴルフを手がけたジウジアーロデザインの特徴だ。この日は幸いにして、そんなに暑くなかった。前席の三角窓を開け、後席窓ガラスのフラップを開放すると、走行風が車内を抜けて気持ちよかった。
21世紀になってもほれぼれする“デザイナーズカー”
117クーペは現役時代から美しさで一目置かれていた。21世紀にあらためて見ても、ほれぼれする。
後輪まわりからトランクにかけての三次曲面とか、ボンネット先端部の鉄板の折り方とか、いかにも人の手で描かれたカタチだ。思わずナデナデしたくなる。実物大のクレイ(粘土)モデルをつくることなく、コンピューターの中だけでデザインされるクルマが増えるいま、まさにこれぞ“デザイナーズカー”である。
屋根を支えるすべてのピラー(支柱)が繊細なほど細いのは、現在の衝突安全基準ではつくりたくてもできないだろう。「これがバンパーというものです」と訴えるようなメッキの金属バンパーも、樹脂バンパーを見慣れた目には新鮮に映る。
117クーペにこんな色あったっけ!? と思った藤色のボディーカラーは、モデル最終期に出た“ドーンラベンダー”という純正色だという。それは路肩に咲いていた紫陽花(あじさい)と同じ色だった。
下野康史
かばた・やすし 1955年、東京都生まれ。『カーグラフィック』など自動車専門誌の編集記者を経て、88年からフリーの自動車ライター。自動運転よりスポーツ自転車を好む。近著に『峠狩り 第二巻』(八重洲出版)、『ポルシェよりフェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)など。