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運転デビューはポルシェ911カレラとランドクルーザーから。松坂大輔の絢爛愛車遍歴

ベンツ、ベントレー、フェラーリ……数えきれない名車群と、車への思い

2024.02.17

取材・文=湯浅大(ENCOUNT)/撮影=鈴木大喜

2024.02.17

取材・文=湯浅大(ENCOUNT)/撮影=鈴木大喜

元プロ野球選手の松坂大輔さんは神奈川県横浜高校のエースとして1998年春・夏の甲子園大会を制し、数々のドラマを生んだことから「平成の怪物」として瞬く間にスター選手となりました。その年のドラフト会議で1位指名を受け、西武ライオンズに入団。数々のタイトルを獲得。2006年のオフシーズンに大リーグに移籍し、ボストン・レッドソックスの一員としてワールドシリーズで優勝するなど一時代を築いてきました。

2015年から日本球界に復帰し2021年に惜しまれながら現役引退。現在では解説者などとして野球の魅力を伝えています。そんな松坂さんが現役時代から現在に至るまで、いつもそばにいた愛車への熱い思いを語りました。

車は物心ついたときから
身近な存在だった

インタビューに応える松坂氏

――車好きの松坂さんが、車に興味を持ち始めたのはいつ頃からでしょうか。

父がトラックの運転手をしていたので、その影響はあるかもしれません。小さいときから、ずっと身の回りに車の形をしたクッションがあったり、ミニカーも好きでしたね。車関係のオモチャを買ってもらうことが多かったと思います。小学生の時にミニ四駆にもハマりましたし、物心ついたときから身近な存在だったと思います。父親が運転して、野球のグラウンドにも車で連れて行ってもらっていました。

――運転免許を取ったのはいつ頃でしょうか。

入団1年目(1999年)のオフですね。シーズンが終わって埼玉県内の教習所に通いました。

――当時は空前の「松坂大輔フィーバー」でした。大変だったのでは?

いえいえ、普通に行っていましたね。さすがに電車ではなく、タクシーを使っていましたけど。同僚も誘わずに一人で通っていました。合宿免許も考えましたけど、通いにしました。

――教習所でも周囲の視線を感じたのでは?

座学講義の時は一番最後に教室に入るくらいでしたよ。終わったら一番最初に教室から出させてもらうとかの配慮はしていただきましたけど、そこまで苦労した記憶はないです。あ、見られているな、というのは感じましたけどね(笑)。

――免許はすぐに取得できましたか。

ちゃんと取れましたね。1月には自主トレも始まってしまいますから。ちゃんと勉強していたので、学科試験は一発合格でした。

――教習所に通っている頃から最初に買う車は決めていましたか。

はい。小さいときからスポーツカーが好きだったので、プロに入ったらポルシェを買いたいと思っていました。ポルシェの911カレラです。

――では、最初のライオンズ時代(1998~2006年)のポルシェからの愛車遍歴を教えてください。

ランクル(ランドクルーザー)とポルシェを一緒に買いましたね。その後を言っていきますか? たくさんあるので思い出せるかな(笑)?

――できる範囲でお願いします!

ランクルとポルシェの次は、ゲレンデ(メルセデス・ベンツG-Class)ですね。そこからS55(同 S55 AMG)、SL55(同 SL55 AMG)、ランボルギーニを買って……。

――いきなりすごい車の数々ですね。

(2007年に)アメリカに行く前までには、ゲレンデを3回買いましたね。あとはベントレーのコンチネンタルGT、フェラーリの599を買って……。あれ、なにかほかにあった気もするな。

――もう十分です(笑)。最初に買ったランドクルーザーのお気に入りポイントはありますか。

免許を取って友達を乗せたかったんです。人をゆったり乗せられることができるという点が気に入っていました。オフにはゴルフを始めたので道具も積めました。

――何色だったのでしょうか。

正式な名称はわからないんですけど、ワインレッドのような色で、気に入っていましたね。好きな色だったんです。内装は、ベージュ系でまとめていました。とにかく全部がお気に入りでした。運転もしやすかったです。

――ポルシェは何色でしたか。

シルバーです。オーダーしてからすぐ納車できる車をお願いしたらシルバーだったと思います。

――憧れのポルシェに最初に乗った時は感慨深かったのでは?

ポルシェを手に入れることができたことはうれしかったです。好きだったスポーツカーにいつか乗りたいと思っていて、プロ野球選手になって、年俸も上がって買えた。目標の1つだったので、自分の中で達成感はありました。

妻の一言で
購入1か月のランボルギーニを買い替え

白球を見つめる松坂氏

――メジャー移籍前にゲレンデは3台乗ったとのことですが、どういった部分が好きだったのでしょうか。

僕を可愛がってくれていたチームの先輩(石井貴氏)が乗っていて、勧められて買いました。確かにカッコいいなと思っていて、先輩の真似をしたというのがきっかけですね。車だけではなく、乗っている姿もカッコよくて。

――3台も乗ったということは、乗り心地も良かったのでしょうか。

一番はデザインですかね。そこに一番惹かれました。正直、当時でいうと乗り心地はランクルの方が良かったかなと思います(笑)。最新のゲレンデはめちゃくちゃ運転しやすいですけどね。

――ランボルギーニもインパクトありますね。

これも一度は乗ってみたいと思っていた車です。共通の知人に、いろんなスポーツカーを乗っている人がいて、その方を通じてディーラーさんを紹介してもらいました。乗りやすいかと聞かれたら、あの頃(2000年代初頭)は、まだ乗りやすくはなかったですかね……。ポルシェのほうが運転しやすかったです。買ったばかりのときに、まだ結婚前の妻を職場に迎えに行ったんですけど、乗っているときに音の大きさで「頭が痛くなる」と言われてしまいました。エンジンが後ろに積んであるので……。そんな理由で1か月で手放しちゃいました(笑)。

――それはそれは……。

振動がすごかったみたいですね。スポーツカー好きからしたら、音やそういった振動も好きなので気にならなかったんですけどね。それでランボルギーニを手放して、購入したのがSL55だったと思います。

――お話を聞く限りではベンツが多いですが、ベンツの良さはどういった点でしょうか。

ゲレンデはちょっと違うかもしれませんが、基本的には扱いやすさです。運転しやすいし、乗り心地がいいんです。今も日本でも、アメリカでも乗っています。僕は運転するのが好きで、遠出をすることもありますが、渋滞も気にならないんです。

――フェラーリについてもお聞かせください。

やはりこれも「一度は乗ってみたい」が購入の決め手でしたね。ライオンズの先輩では清原(和博)さんや鈴木健さんが乗っていました。僕は白を買いましたね。ちなみにランボルギーニは黒でした。

――ではアメリカ時代(2007~2014年)の愛車も教えてください。

まずはベントレーのコンチネンタルGTを買って、ポルシェのカイエンターボ、その後はマセラティのGT(グラントゥーリズモ)ですね。あ、リンカーンのナビゲーターは家族用として買いました。

――まだ続きますか(笑)?

マセラティを手放して、ポルシェのカレラターボを買って、またそれを手放してポルシェのパナメーラターボを買って、またそれを手放してメルセデス・ベンツのGL550を買って……。GLの次はレンジローバースポーツを買って、その後にゲレンデG63(AMG)を買ったかな。これに家族用を加えたら、まだありますね……。

――凄すぎます……。

家族用はインフィニティ(日産)やレンジローバーのヴェラールを買ったり、グランドチェロキー(ジープ)のロング(L)を買いましたね。

――さすがに全部の思い出は聞けないので、特に好きだった車種を教えてください。

うーん、難しいですね。乗り心地が良かったのはベントレーですかね。パナメーラターボ(ポルシェ)、GL(ベンツ)も良かったですね。今乗っているのはゲレンデですが、新しいG63は乗り心地が良くなりました。初期のは家族からブーイングを受けることも多かったです。ドアが重たいし、開けるのが大変なんですよ。子供たちが小さい時は一人で開け閉めはできないので、文句を言われちゃっていました。今は何も言われないですね。

交通ルールに道路事情
アメリカでの運転生活は…

座ってこちらを見る松坂氏

――アメリカでの、左ハンドル右側車線通行には苦労しましたか。

僕は日本にいるときにもゲレンデで左ハンドルだったので、ハンドルに関しては違和感はありませんでした。ただ、右車線は慣れるまでは大変でしたね。交通ルールも少し違うんですよ。アメリカでは前方の信号機が赤でも、左からの車が来なくて安全か確認できれば基本的には右折していいんです。右折車線にいて、前が赤なので止まっていると後ろの車からクラクションを鳴らされて、「あぁ、行っていいのか」ということが最初は何度かありましたね。

――日本のルールとは違いますね。

アメリカで慣れちゃうと、オフに日本に帰った時に間違えそうになることもあります。右車線を走りそうになったり。アメリカに戻ったときに、その逆もありましたね。

――そのほかに印象的だったアメリカの交通事情はありますか。

信号が変わって、少しスタートが遅れただけで、すぐにクラクションを鳴らされますよ。

――アメリカの道路は壮大な景色の中を真っすぐ進むといったイメージがあります。

それはその土地によりますね。僕が今でも家族と住んでいるボストンは、そんなに道が整備されていないので、(車高の低い)スポーツカーは乗りにくいんです。たとえばカリフォルニアとかの広大な土地だと道も広いし、奇麗なので、スポーツカーも運転しやすいです。でも、ボストンはボコボコの道が多いから、必然的にSUVタイプの大きめな車を選ぶ感じになっています。レッドソックスにはそんな道を気にせずに車高の低い車を乗っている選手もいましたけどね(笑)。

――そうなんですか?

僕がいた時の主砲のパピ(デビッド・オルティス氏の愛称)なんかは、ランボルギーニに乗っていて、下を擦りまくっていましたよ。「直してもキリがないから、そのままにしている」と言っていました。

――当時は大リーグに行った日本人選手の車庫入れ技術が驚かれる、というエピソードもあったようですね。

確かに(笑)。アメリカってだいだい、車庫入れは前から入れるんですよね。それで、「バックで入れるのはアジア人」と言われるんです。スーパーに行って駐車スペースを少し通過して後ろから車庫入れしていると「ん?」って感じで見られますもん。今だにそうです。僕も「あれは、アジアの人だな?」と見てしまいます(笑)。出ることを考えたら、後ろから入った方が便利なんですけどね。でも、確かに縦列駐車が上手いと言われたことはありました。

――メジャー時代に車がカッコいいと思った選手はいましたか。

やはりレッドソックスに入ったときにパピのランボルギーニはそう思いましたね。彼は車好きなので、そのほかにもロールス・ロイスにも乗っていたし、SUVにも何台も乗っていました。それを自分仕様にカスタムしていましたね。パピにとっては世界で1台しかない車という感じだったんだと思います。
あとは、シアトルに行ったときにイチローさん(当時シアトル・マリナーズ在籍)がカレラGT(ポルシェ)に乗っていて、「すげぇ!」と思いました。カレラGTってすごいんですよ! 元々、台数も少ないし、ポルシェの中でも特別な車です。駐車場に停まっているのを見て、めちゃくちゃカッコ良くて、さすがイチローさんと思いました。

――松坂さんが車選びで大切にしていることはありますか。

ライオンズにいるときは東京から埼玉の所沢市まで通っていたので、やはり乗り心地の良さでしたね。あと、車の中で歌うことが好きなので、スピーカーはいい物をつけていました。今は純正でもいいスピーカーが付いていますけど、当時はそこまで良くなかったので。

――車内で熱唱するタイプですか。

そうですね。誰にも迷惑かけないので、大声で歌っていましたよ(笑)。だから渋滞も苦にならないんです。

――家族が増えたことで車選びの傾向は変わりましたか。

変わった部分はあると思いますよ。子供が3人いると、人数と荷物も多くなるので、必然的に大きくなりました。リンカーンのナビゲーターもロングのタイプを買いました。それでしっかり荷物を積めるな、という感じでしたね。しばらくは(その車種ごとに)一番大きいのを買っていましたね。

――アメリカはベビーカーも大きいですよね。

そうなんですよ。あとは子供が飽きないようにテレビを付けましたね。今は大きくなったので、そこまで考えなくてもよくなりました。

――子供を乗せることを念頭に選んでいたんですね。

はい。アメリカにもアルファード(トヨタ)とかあればいいんですけど、ないので……。基本的にはジープタイプで大きいのを選んでいましたね。

――メンテナンスはマメにしていましたか。

今でも洗車はよくしますよ。車が汚れているのは好きじゃないので。しょっちゅう、洗車しています。車内も自分で掃除機かけますよ。子供が小さいときはキリがないので、そのままにしていましたけど(笑)。

――スピーカー以外のこだわりのカスタムはありますか。

シートを変えていました。座り心地重視で、自分で柄をデザインして。スピーカーも通常のよりも多く付けてもらって。いいスピーカーをただ増やせばいい、というわけではなく、音響のバランスとかあって難しかったですね。

――日本でJAFには入会されていましたか。

最初は入っていたと思いますね。JAFさんマークのステッカーあるじゃないですか。あれが自分の車に貼ってあるのを見て、「父親の車に貼ってあるのと同じだ!」と思った記憶があります。

――では、今後、乗ってみたい車をお聞かせください。

ある程度の車には乗ってきたので、電気自動車ですかね。ハイブリッド車とかディーゼル車にも乗ったことはあるんですけど、完全な電気自動車は気になっています。僕のボストンの家には、充電スタンドがついているんです。ボストンでは多分、ほとんどの家についていますよ。

――最後に松坂さんにとって、車とはどんな存在か教えてください。

僕にとって、生活になくてはならない存在ですね。一人になる時間が好きなので、車を走らせなくても、駐車場で音楽だけ聴いたりもします。車そのものも好きですけど、車特有の空間は、欠かせないです。それは現役のときも、引退してからも。車の中の空間はリラックスできたり、考え事もできる大事な場所なのでなくてはならないですね。何も考えずに運転することも好きです。とにかく、僕の生活からなくなることは考えられないです。僕がちゃんと運転ができるうちはずっとそばにいたいですね。

こちらを見つめる松坂氏

松坂大輔さんがドライブで聞きたい5曲

季節によって違うからなぁ……。夏はアップテンポな曲が多くなりますね。冬はバラード系が多いですかね。夏2曲、冬3曲で選曲させていただきます。

  • ケツメイシ「夏の思い出」…妻も好きで、車乗るとよく「夏の思い出」かけて、とよく言われましたね。
  • 桑田佳祐「波乗りジョニー」…どこかに行くときにかけているイメージですかね。テンション上がるんです。

  • CHEMISTRY「You Go Your Way」…「My Gift to You」と悩みました。冬はCHEMISTRYさんをよく聞いています。
  • EXILE「Lovers Again」…ボーカルのEXILE ATSUSHI君は同い年で親交があるんです。彼のソロの楽曲も好んで聞いています。
  • ONE OK ROCK「キミシダイ列車」…ワンオクさんは季節に関係なく一年中聞いている感じですけど、この曲は歌詞が好きですね。登板前にも気分を高めるために聴いていましたね。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

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松坂大輔

まつざか・だいすけ 1980年9月13日東京都出身。横浜高校時代に「平成の怪物」として日本中から注目を受け、鳴り物入りで1998年にドラフト1位で西武ライオンズに入団。新人王、沢村賞、最多勝利や最優秀防御率などタイトルを多数獲得するなど活躍。2007年に海を渡り、レッドソックスやメッツで活躍した。その後は福岡ソフトバンクホークス、中日ドラゴンズを経て、2021年に古巣の西武でユニホームを脱いだ。引退後は野球解説者として活動中。YouTubeチャンネルも精力的に更新を続け、現役時代の裏側やプライベートな話題まで幅広く発信している。

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