全国で唯一! 津軽半島・竜飛崎の車が通れない“階段国道”
今回のテーマは「階段国道」です。階段国道とはその名の通り階段でありながら国道に指定されている区間で、当然自動車は通行できません。この稀有(けう)な道路は現在、青森県弘前市から津軽半島を縦断して外ヶ浜(そとがはま)町に至る国道339号の北端、竜飛崎(たっぴざき)に程近いところに1か所あるだけで、その存在は、国道マニアはもちろん、その珍しさから今では一般的にも広まって観光地としても知られています。 「日本と世界の道の雑学」では道路にまつわるさまざまなトリビアをお届けします。これまで何げなく利用してきた道路にちょっぴり興味を持ちながら運転を楽しんでもらえれば嬉しく思います。
国道339号・階段国道の基礎知識
階段国道の上部入り口。写真の案内図のほか広い駐車場やトイレもあるので、観光は上部からがおすすめです
階段国道は石川さゆりの大ヒット曲「津軽海峡・冬景色」にも歌われた竜飛崎(歌詞の中では竜飛“岬”)のそばから海沿いの竜飛漁港付近の集落まで一気に下りる362段の階段で、全長は388.2m、標高差は約70mあります。
階段自体はとてもよく整備されているので歩きやすく、途中にベンチも用意されているので体力に自信のない人でも上り下りするハードルはそれほど高くないと思います。自然豊かな緑の回廊や眼下に広がる津軽海峡を眺めるロケーションも旅のひとコマとして魅力的ですし、麓の出口付近では集落の狭い裏路地もあってノラ猫気分も楽しめます。
- ※出口付近では集落の生活圏を通り抜けるルートです。これから階段国道を長く楽しむためにもくれぐれもモラルをもって通行を楽しんでくださいね。
整備された歩きやすい階段が緑の回廊を抜けていきます
国道なのに、なぜ階段に?
麓の集落から見上げると山の中腹に階段国道が見えます
現在階段国道がある場所は、かつて狭く急な坂道でした。坂の上には竜飛小学校や病院、中腹には竜飛中学校があり、近隣には1960年代に始まった青函トンネルの工事に携わる関係者のための住宅もつくられてにぎわっていたそうです。そのような地域の生活道路だった坂道は1974年に国道に指定され、学校の通学路でもあった坂道は登下校時の安全を考え階段が整備されます。以降1993~1996年に青森県の整備事業としてさらなる整備が行われ、現在の姿になったとのことです。当初はこの区間を車道にする話もあったそうですが、周辺道路の整備が進んで階段部分の上と下は他の道路で行き来できるようになったこと、そして中腹の中学校が1984年に、小学校が1989年に閉校となり生活道路としての重要性も薄れ、車道として整備する緊急性も低くなってしまいます。
中腹にある竜飛中学校跡の石碑。このあたりにベンチや記念スタンプ台などが用意されています
記念スタンプ台はこんな感じ。筆者が訪れたときには専用の台紙も用意されていました
津軽海峡を眺めながら歩きます。眼下に見える海沿いの舗装道路は国道339号で、階段国道の続きとなります
一方で、青函トンネルの完成によって脚光を浴びた竜飛崎には観光客が増え、階段国道は車道となることなく現在の姿で人気の観光ルートとして今に至っているのです。ちなみに1960年代に工事が始まった青函トンネルは20年以上の歳月を経て1988年に供用開始されました。石川さゆりの津軽海峡・冬景色の大ヒットは1977年のことです。階段国道の上部にはボタンを押すとこの地の強風にも負けないような大音量で津軽海峡・冬景色が流れる歌碑(歌謡碑)もあり、こちらも人気のスポットとなっています。
津軽海峡・冬景色の歌謡碑(表記は「津軽海峡冬景色」)。中央の赤いボタンを押すと、ゴーゴーと吹き荒れる風の音に負けないような大音量で石川さゆりの歌声が響きます
- ※写真は全て2023年春に撮影。
高橋 学
たかはし・まなぶ 1966年北海道生まれ。下積み時代は毎日スタジオにこもり商品撮影のカメラアシスタントとして過ごすも、独立後はなぜか太陽の下でレーシングカーをはじめとするさまざまな自動車の撮影を中心に活動。ウェブ等でカメラマン目線での執筆も行いながら現在に至る。