写真・文=高橋 学

沖縄で見つけた「パイプライン通り」とは?

元をたどると、かつて鉄道が通っていました
高橋 学

今回のテーマは沖縄の県道「パイプライン線」です。正式な名前は県道251号/一般県道 那覇宜野湾線。沖縄本島の那覇市、浦添(うらそえ)市、宜野湾(ぎのわん)市をつないだ総延長約7.5kmの県道です。第二次世界大戦(以下大戦)終戦後、那覇軍港から嘉手納(かでな)基地までアメリカ軍が使用する燃料を輸送するための送油管(パイプライン)が埋設された土地を道路として利用してきましたが、1998年4月に一般県道那覇宜野湾線となりました。沖縄本島の大動脈、国道58号と国道330号の間に位置するこの道路は一見何の変哲もない一般道でありながら、実は沖縄の歴史がギュッと詰まっています。 「日本と世界の道の雑学」では道路にスポットを当てたお話をお届けしています。今回は大戦前後の沖縄をそこはかとなく感じられる一本の道を選んでみました。観光などで足を運んだ際には美しい海や大自然とはちょっぴり趣の違う沖縄を感じてみてはいかがでしょう。

目次

浦添市内の名称は「パイプライン通り」

浦添市内で見られる「パイプライン通り」という案内標識

浦添市内で見られる「パイプライン通り」という案内標識

アメリカ軍の送油管が埋設された土地は1980年代から順次我が国に返還され市道となります。中でも浦添市内の市道は1989年2月8日に正式な道路愛称として「パイプライン通り」と命名されます。現在、送油管埋設の面影は見当たりませんが、道のいたるところに道路愛称名を掲げた案内標識が設置され、この道路の歴史を今に伝えています。

かつてここに鉄道が通っていたことを示す軽便鉄道のレール

かつてここに鉄道が通っていたことを示す軽便鉄道のレール

2003年に「ゆいレール」が開通するまで沖縄には鉄道(モノレール)のない時代が続きましたが、戦前の沖縄本島には鉄道網が整備されていました。中でも沖縄県営鉄道によるものはレール幅が762mmと狭く軽便鉄道と呼ばれていたそうで、営業当時は沿線住民の足として、そしてさとうきびなどの農産物の運搬で活躍していたそうです。軽便鉄道は大戦で損壊して廃線となり、沖縄の鉄道はここで一旦その歴史の幕を閉じます。戦後その廃線跡には送油管が埋設され、現在のパイプライン通りとなるのです。つまりパイプライン通りの多くは軽便鉄道の跡地でもあるのです。現在も浦添市大平のパイプライン通りの歩道には、線路の一部が残されています。

宜野湾市のパイプライン

一般県道 那覇宜野湾線はその名前の通り那覇を起点に宜野湾市で終点となります。つまり県道251号線は嘉手納基地まではつながっていません。市内を通る県道34号線との交点、大謝名(おおじゃな)交差点が終点となり、その先は市道となります。県道の別名はパイプライン線となっていますが、宜野湾市では県道、市道ともにパイプラインと呼ばれているようです。ちなみに送油管は宜野湾市内にある普天間基地へもつながっていました。

なお、市道部分には沖縄の本土復帰後も続いた通行区分(車両の右側通行)時代のものと思われるガードレールが残っています。45年以上前、通行区分が本土と統一された1978年7月30日にすべての道路施設も本土と統一されたと思っていたので、最初に気づいたときにはとても驚きました。

逆目で取り付けられたガードレール

右側通行時代に設置されたと思われるガードレールが今でも残っています。現在わが国のガードレールは手前側のガードレールが上になるように重ねますので、このように鉄板の断面がが車と向き合うことはありません

また、市道部分には「軍油線道路 許可なき車の通行を禁ず」と記されたコンクリート製の標識も現存しています。すでに角が欠けた標識を見ると、当時の歴史を今に伝える痕跡は時とともにどんどん失われていくことを実感します。

軍油線道路であったことを示すコンクリート製の標識

この道が許可車両以外は通行できない軍油線道路であったことを示すコンクリート製の標識

パイプラインに点在したバルブボックスの跡

バルブボックスの撤去跡

バルブボックスの撤去跡。アスファルト路面に四角い跡が見えます

地中に埋められた送油管は、管理用のためにバルブボックスという大きな地上施設を備えていましたが、かなり大きなものが道路上に鎮座していたため、パイプラインを運転するドライバーにとってとても邪魔な存在だったようです。平成時代まで残っていたので、そんな思い出を持つ人は今でも少なくありません。宜野湾市の市道には比較的最後まで残っていたバルブボックスの跡がありますが、想像以上に大きく、確かに邪魔な存在だったことがうかがえます。

道路上に設置されていたバルブボックス

かつて道路上に設置されていた巨大なバルブボックス(1991年) 写真提供 =宜野湾市立博物館

バルブボックス撤去後の風景

バルブボックス撤去後の風景(2024年)

日本の中でも特異な歴史を持つ沖縄県。中にはその痕跡を消し去ってしまいたいと思う方もいるかもしれません。今回はそんな想いも頭によぎらせながらお伝えしてみました。

沿道には大きな観光施設や派手なショッピングモールがあるわけでもない、ごく普通の一般道です。観光にはちょっぴり不向きかもしれませんが、10kmにも満たないたった一本の県道に、昭和の頃の決して小さくない歴史が目いっぱい詰まっていました。

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高橋 学

たかはし・まなぶ 1966年北海道生まれ。下積み時代は毎日スタジオにこもり商品撮影のカメラアシスタントとして過ごすも、独立後はなぜか太陽の下でレーシングカーをはじめとするさまざまな自動車の撮影を中心に活動。ウェブ等でカメラマン目線での執筆も行いながら現在に至る。

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