滋賀県生まれの「とびだしとび太」くんに、もうあなたは会いましたか?
交通安全の看板が全国区のキャラクターに成長しました!今回のテーマは「とびだしとび太」くん(以下 とび太くん)。1960~70年代、日本のモータリゼーションは急速に発達し、それに伴い交通事故も急増しました。そんな時代に滋賀県の八日市市社会福祉協議会(現在の東近江市社会福祉協議会)が中心となって、子供の飛び出し事故防止の啓発活動が行われます。その一環として73年に考案された看板がとび太くんの原型となる「飛び出し坊や」です。 製作したのは、市内で看板製作をしている久田工芸さん。この坊やが少しずつ変化して黒目がちな現在の男の子の姿になります。この子こそが「とびだしとび太」くんです。 それから約半世紀。知る人ぞ知る人気キャラクターとして長年愛され続け、とび太くんは今でも故郷の滋賀で数多く見られます。2023年末には映画『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』でスクリーンデビューも果たし、滋賀を代表する全国区のキャラクターに成長しました。今では埼玉県からグッズを買いに来る人もいるそうです。 「日本と世界の道の雑学」では道路にスポットを当てたお話をお届けします。これまで何げなく利用してきた道路にちょっぴり興味を持っていただければ嬉しいです。
さっそくとび太くんに会ってきた
とび太くんは滋賀のいたるところで会えます
左向きだと角材が見えることが多いようです
横断歩道前にも多いとび太くん
これ、現実的にめちゃくちゃ危ないケース
昭和の高度経済成長期に生まれ、令和になった今また人気急上昇中のとび太くん。生まれ故郷の東近江市や近江八幡市周辺ではいたるところに設置されていますので、ぶらぶらとドライブ&散歩すれば探さなくても普通に出会えます。その姿はとび太くんの形にくり抜いた板材と地面に立てるための角材を組み合わせた、いたってシンプルなもの。表裏同じデザインのものが多く、角材が露出する側が裏だとすれば今回見たとび太くんはすべて右向きのデザインです。ドライバーから見て左側から飛び出してくるのが基本形のようです(もちろん実際には飛び出してきませんが)。
とび太くんの出没ポイント
どこでも出会えるとび太くんですが、よく見ると見通しの悪い交差点や塀の陰、駐車場の出口など実際に子供が飛び出しそうなところに多く設置されています。見通しがいい道路でも、横断歩道の手前などではよく見かけます。いずれもドライバーにとっては歩行者に注意を払う必要のある場所です。滋賀の超人気キャラクターとなった今でも、とび太くんは当初の目的を決して忘れることなく任務を遂行し続けているのです。
無表情のようでありながら、とても強い存在感を放つとび太くん
離れていても、よく目立ちます!
顔は黒目がち(というか、黒目のみ)の子供。赤い長袖シャツにオレンジのズボンが基本形。もっとリアルな子供を描いたり、立体化することも容易な時代ではありますが、実際に運転しているとこのシンプルすぎるデザインが絶妙で、その視認性の高さに驚かされます。これぞミニマリズム。柱や車の陰にいてもチラッと見えれば、「あっ! とび太くんだ!」とすぐに気づきます。とび太くんの生まれは古いけど、その効果は現代のフラットデザインのお手本のようでもあります。残念ながらとび太くん設置による事故率の減少に関する資料は見つかりませんでしたが、実際に走ってみると、その効果はしっかりありそうだと感じます。
今やすっかりご当地キャラクターとして全国区!
巨大とび太くんに、顔出しパネルなどなど、もはや滋賀のご当地キャラクターとしての存在感も抜群
今では、子供の飛び出し事故防止の啓発という本来の目的の殻を破り、滋賀の人気キャラクターとして存在するとび太くん。街ではいろいろなお店の看板としても活躍しています。どう見ても子供が飛び出してこないようなところにも、デザインにアレンジを加えたとび太くんが登場します。女の子もいます(女の子は当初からいたようですが)。定休日にはお店に引きこもって道路に現れないとび太くんもいます。とび太くんのキャラクターグッズも星の数ほど販売されています。実際にレアデザインのとび太くんはさまざまなウェブサイトにも紹介され、登場から半世紀経った現在、もはや滋賀県の子供観光大使のような存在とも言えそうです。ちなみに「とびだしとび太」くんは生みの親、久田工芸さんの著作物です。念のため。
スノーボードを楽しんでいます
薬局の駐車場から薬の袋を手に飛び出そうとしているのは女の子
横断歩道に織田信長?
ロープウェーにも乗ります
安全への意識を刺激されながら、どこかほのぼのとしてしまう「とびだしとび太」くん。その存在感は手作り感あふれるシンプルなデザインの魅力に満ちたもので、滋賀でのドライブを一層快適かつ魅力的なものにしてくれました。
高橋 学
たかはし・まなぶ 1966年北海道生まれ。下積み時代は毎日スタジオにこもり商品撮影のカメラアシスタントとして過ごすも、独立後はなぜか太陽の下でレーシングカーをはじめとするさまざまな自動車の撮影を中心に活動。ウェブ等でカメラマン目線での執筆も行いながら現在に至る。