23年ぶりにニューヨークを適当に回って少し自分を取り戻したよ
ヒャダイン以前、『前山田健一』が見た未来一人旅、家族や友達と行く旅、何かを訪ねるための旅……旅は目的によって得るものも違ってきます。今回、ヒャダインさんが訪れたのはニューヨーク。NYに住む友達に会いに行き、そこで出会ったものとは? なぜ人は旅に出るのか、という原点に返るような旅の思い出を語ります。
疲れた心を癒やすため。初夏のNYへ発つ
7月の頭に1週間の休みが取れたんです。しかし盆でも正月でもない。誰を誘えるわけでもないタイミングです。こりゃ一人旅だな、なんて考えていたんですが、最近旅行友達ができたせいか独りで大自然を見に行こうにも、「ああ、この景色を友達に見せてあげたかったな」となるだろうなと思ってしまったのです。では知らない都会に行くのはどうか、と考えたら7月の私、精神的に少し疲れていて新しい刺激を大量に浴びるのはまったく乗り気ではありませんでした。新しい刺激がうざったくて映画もドラマも観たくない状況でしたから。そんな八方塞がりの私、ふと思い出したんです。「そういえば友達が春からニューヨークで仕事を始めたって言っていたよな」と。その時は「会いにいくよー」なんて言っていたんです、私。今回行かなかったら、たぶん一生行かない。そして私は嘘をついたことになる。そんなの嫌だな、と思ってその友人に連絡してNY行きを決意しました。
行くと決めたら早いものです。旅行慣れとは恐ろしい。光の速さで飛行機と宿を予約、ESTAを取得しいざNYへ。片道約13時間弱ですが、食べて飲んで寝て、タブレットに入れていた漫画やYouTubeを観る、という自宅の暇なときと大体同じことをしているので苦ではなかったです。初夏のニューヨークは暑すぎず非常に過ごしやすい。1ドル=161円の円安最悪のときに行ったこともあり物価は日本の3倍ですが、まあいいんだよ。今回は心のための旅なんだ。
タイムズスクエアにもK-POP旋風。すごいね
マンハッタンをチャリでぐるり。思い出のあの地へ
友達にいろいろ案内してもらうといってもお仕事があるわけで、基本単独行動が主でした。NYマンハッタンは地下鉄が発達していますが、それ以上に街中にレンタサイクルのポートが多く、しかも自転車専用道路が整備されていて非常に運転しやすい。一方通行が多いので対向車が怖かったりもせず、ラクラク運転です。しかも電動。まあ価格はエグいんですけど初夏のマンハッタンを風切って駆け抜けるのは大変に気持ちいい。
こんな感じの専用道路
さてここで少しだけ私のマンハッタンの思い出を。2001年9月、大学3年生のときに初めての単独海外旅行、バイトで貯めたお金をはたいて2週間のニューヨーク旅でした。毎日ワールドトレードセンターの1階にあるTKTSというチケット安売りスタンドに通ってその日安くなっているミュージカルを観る、という気ままな旅でした。しかし日本に帰国する1日前、9月11日にそのワールドトレードセンターが攻撃され崩落するというテロが起きたのです。そこで私は1週間日本に帰れなくなり、その時に自分の夢「ミュージシャンになる」を決めたわけなんです。
当時ワールドトレードセンターから撮った写真だと思います、これ
さて、そんな人生を変えたマンハッタンの夏に23年ぶりに帰ってきたわけです。また独りで。相変わらず気ままな適当旅ですが一番最初に自転車で向かったのはもちろんワールドトレードセンターでした。今やグラウンドゼロという名前に変わり当時の痛ましい傷痕を忘れないようにメモリアルホールになっています。あの日ここがテロに襲われ、そして私は夢を決め、23年後その夢を叶えて随分大人になって帰ってきた。夢を叶えたんだよな、となんとも複雑な気持ちになって眺めていたら、「写真撮ってあげようか」と観光客に言われたので甘えることに。その人と少しWTCについて雑談もしました。
大人になったね
21歳の自分に立ち返り感傷にひたる
23年前の夢を叶えた、というのに何故か悶々としている心を抱えたままマンハッタンの街を自転車でコギコギ。そういえば昔もテロの後やることなくて、ブルックリンブリッジを見ながらベンチでぼーっとしていたな。その時ポータブルCDプレイヤーでミュージカルRENTのサントラを聴いていたな、なんてことを思い出し、正確な場所はわからないけどなるべくそれっぽいところまで行って、ベンチに腰掛けてRENTの代表曲「Seasons of Love」をスマホからBluetoothイヤホンで聴きました。力強く生きることの素晴らしさを説くボーカル、NYの空気、変わったもの、変わらないもの、そういったさまざまな事象が一気に自分に襲いかかり独り号泣です。周りのローカルにバレないようにシメシメ泣いてしまいました。何に対しての涙かまったくわからない。感情が意味不明なんですが、滝が流れるように雨が降るように自然に体を任せてただ泣きました。
このベンチに30分ほどいました
自分の足で漕ぎ回ったNYの街は意外と狭かった
さて、いつまでも泣いてもいられない。そろそろ動こう。電動なんでスイスイ行くのでこれは行けるところまで行ってやろうと決意、途中で何度か休みつつマンハッタンをぐるっと回ることにしました。昔は治安が不安視されて、行くのに少し勇気を振り絞ったハーレム地区まで行って折り返そう。すごく遠いイメージがあったんです、125st。しかしながら大人になって俯瞰できる目で電動自転車を漕いでいると「あれ、マンハッタンってこんな狭かったっけ」とイメージが百八十度変わっていきました。大人になって地元の公園へ行くとその小ささに驚くのと感覚は近いでしょうか。
ぐるっと
1時間ちょっとでいろいろ見ました。団地のような所からハーレムの住宅街、そこからの高級住宅街やセントラルパークの中など。あの頃よりもコンパクトに感じつつも21歳のときに感じた生命力は健在で、街からあふれるパワーに圧倒されつつもなにかを体内に吸収している感覚もありました。44歳となり肉体的にも精神的にも変革のお年頃。いろいろと自信をなくしたり落ち込んだりすることも増えていたのですが、「自分は自分でいいんだ」という自己肯定感をブーストしてくれる街でした。そして過去の自分がこの街で決めた目標を達成した未来に立っているという事実を実感、今はあの日夢見た未来なんだ、ということを思うと、この23年間の自分を褒めてやりたい気持ちにもなったのです。しかし今回は新しい夢を設定しませんでした。夢をがむしゃらに追いかけない人生も価値があるものに違いない。「自分が自分である」、それが重要なんだという気づきを得た旅でした。うん、少しだけ自分を取り戻しましたわ。ありがとうNY。
友達に誕生日を祝ってもらいました。独立記念日
ヒャダイン
音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名 前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。さまざまなアーティストに楽曲提供を行い、自身もタレントとして活動。「musicるTV」「久保みねヒャダこじらせナイト」「サウナを愛でたい」「おはよう朝日です」などテレビのレギュラー多数。