車のある風景

車の運転は松任谷さんに任せ、夜は毎晩婚活にいそしむKマネージャーって一体どんな人?

松任谷正隆さんが自らのカーライフについて赤裸々に綴るエッセー

松任谷正隆
2023.02.01

イラスト=藤井紗和

2023.02.01

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1年点検を受けると、だれにでもチャンス

音楽プロデューサーでありモータージャーナリストでもある松任谷正隆さん。無類のクルマ好きとして知られる松任谷さんのクルマとの深い関わりをエッセーでお届けします。今月のエピソードは、ちょっと変わり者だった松任谷さんのマネージャーの思い出について。


相棒

僕のマネージャーだったKの話をしよう。初めて知り合ったのは1970年だったか71年だったか。僕はバンドを組んでいて、当時は大風呂敷を広げるのが得意な別のマネージャーが一人で仕切っていた。


僕はこいつが嫌で嫌で、心の中ではいつも「バカヤロウめ」と思っていた。以心伝心とはよく言ったもので、こいつには何度も「おまえなんか干してやる」と言われた。確かに、バンド時代の後半では、他のみんなが出ているようなイベントでも、僕だけ呼ばれなかったりとか、そんな意地悪をされていた。Kはいつ来たのかは忘れたが、この嫌なマネージャーの使いっ走りみたいな感じで、知らない間に近くにいた。冗談ばかり言って周りを笑わすようなやつだった。干されているバンドマンと使いっ走り。まあ、似たような境遇に感じたからか、割合すぐに仲良くなった。


ある日Kに、あんなやつは顔も見たくないんだよね、と漏らしたら、Kも、実は僕も辞めようと思っている、と言った。そうか、一緒に辞めるか、といった感じで、二人でフェードアウトすることを決めた。カットアウトでなかったのは、半分自信がなかったことと、例えそれが嫌なやつでも、万が一仕事が来たらやろうと思ったからだ。これでやっていけるかどうか、なんて時はそんなものだ。


捨てる神あれば拾う神あり、で、僕を拾ってくれる神は割合すぐに見つかった。レコード原盤会社の社長で、学校の先輩でもあった。とはいえ、すぐに拾ってくれたわけではない。いくつかの仕事を通じて認められたのかどうか。とにかく彼によって編曲家への道は開かれたのだった。当時の僕の収入は演奏料が1時間6,000円。編曲料が1万2000円程度。だから1曲編曲して演奏すれば3万円くらいにはなる。今考えてみれば、これで将来やっていけると思ったこと自体不思議である。まあ、若かったということだろう。インペグ屋と呼ばれるミュージシャン手配師によって仕事後、ギャラは現金で支払われた。僕は毎回Kとお金を前に、これが僕の取り分、これが君の取り分、なんて分け合った。7:3だったか6:4だったか。そりゃあそうだ。仕事の依頼は僕に直接。最初Kはやっぱりただの使いっ走りだったから。


実際問題、どこに行くときも、僕がクルマを運転し、Kは助手席だ。ある日、これはやっぱり変だ、ということで、それじゃ免許を取りに行く、ということになった。僕の記憶が確かなら、取得のためのお金を払ったのは僕だ。お酒好きな彼は、教習所よりは飲みに行くことを優先するからなかなか取れない。ようやくギリギリのところでギリギリの点数で取得。危なっかしいことこの上ないが、どういうわけだか、彼の両親がお金を出してくれたらしく、クルマは新車で買った。初代アコード。ベージュの瀟洒(しょうしゃ)なクルマで、Kにはむろん似合うわけもなかった。Kは運転がひどく下手だった。新車はあっという間に傷だらけ。それを見る度、本人よりも僕の方が落ち込んだ。


少しずつ、僕の仕事が順調になっていくと、Kは嫁探しに毎晩のようにクルマで夜の街に繰り出した。僕が家でうんうん唸(うな)りながら譜面を書いている間、やつは嫁探し……うーん、正確に言うならナンパだ。ある日、候補が二人いるんだけど見てくれないか、というので場末の飲み屋みたいなところに見に行った。もちろん二人同時ではない。別の日に別の場所だ。どうやら彼のテクニックは、飲んでミック・ジャガーの真似なんかをして笑わせて、相手が油断したところで丸め込むらしい。確かにミックとは顔の系統は似ているものの、Kは完璧なニホンザル顔。飲まなかったら逃げられること必至だ。クルマは飲んだ翌日に取りに行っていた。飲み屋までは運転していっても置いて行かざるを得ないからだ。それでも当時の駐車料金はたいしたことなかったのだと思う。結局この二人の中の一人と結婚をし、まんまと尻に敷かれた。そのせいか、お酒を飲む量はどんどん増え、僕が会うときはたいていが二日酔いだった。酔うと吐くくせがあり、タクシーの中でも、バスの中でも、もちろん道ばたでも吐いていたらしい。最悪だったのは、ロサンジェルスでアメリカ人のエンジニアが奥さんにプレゼントしたばかりの新車の中で吐いたことで、現場にいた僕は平謝りに謝った。いったい僕はこいつの何なんだ、と思った。


まあ、そんな不摂生も祟(たた)ったのだろう。40代前半に食道がんにかかり帰らぬ人になった。あれは30年近く前、秋の終わりだったろうか。


この間、偶然初代アコードを見た。Kのと同じ色だった。ずいぶん小さかったんだなあ、と思ったと同時に、僕は彼の運転で、ちゃんと乗せてもらったことがなかったことに今さら気付いた。もちろん乗ろうとしなかったのは僕だ。もし乗っていたら、彼はどんな運転をしたのだろう。今なら、そこから彼の性格をもっと知ることができるかもしれない、と思う。

松任谷正隆

まつとうや・まさたか 1951年東京生まれ。作編曲家。日本自動車ジャーナリスト協会所属。4 歳でクラシックピアノを始め、20歳の頃、スタジオプレイヤー活動を開始。バンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」を経て多くのセッションに参加。現在はアレンジャー、プロデューサーとして活躍中。長年、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、自他共に認めるクルマ好き。

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