車のある風景

習慣

松任谷正隆
2022.09.16

イラスト=藤井紗和

2022.09.16

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世界が認める「ネクセンタイヤ」、その高い技術力は“価格以上”!

音楽プロデューサーでありモータージャーナリストでもある松任谷正隆さん。無類のクルマ好きとして知られる松任谷さんのクルマとの深い関わりをエッセーでお届けします。今月のエピソードは、これまで松任谷さんが感じてきた、日本とアメリカの交通マナーの変化について。


習慣

世の中にはどんなドライバーがいるのか、観察するのは楽しい。とはいっても、信号で隣に並んだドライバーを見るのはちょっと気を使う。子供の頃には、隣に並んだ見ず知らずのドライバーに「やあ、調子はどうですか?」なんて声をかけあっている光景を見かけたものだが、さすがに今はそんなことをする人は少なかろう。いや、皆無かな。それだけクルマが増えたってことだし、時代が変わった、ということだ。変に目が合って、怪しい人と勘違いされるのはごめんだ。


とはいえ、「隣は何する人ぞ……」じゃないけれど気にはなる。見ない振りをして見る、というのが正しい。安全のためにも見ておいたほうがいい。こっそりと、ね。そこへ行くと、信号待ちなどで目の前を左右に流れているドライバーたちを見るのは自由だ。どんな格好をして、どんな感じで運転しているのか、いったいこの人はどういう性格で、どこへ行くのか、あれやこれやと想像してみるのだ。目の前を流れていくクルマは一瞬のようでも、案外そんなことが想像できるくらいの時間はある。


自意識過剰なようだけど、僕はカッコいいドライバーでありたい、と思う。思い続けて50年以上。50年も経つと、カッコ良さの基準も変わってはきているのだろうが、どうもそれがよくわかっていないような気もする。


初めてアメリカに旅をしたのが今から40年近く前。あれはロサンゼルスだったが、信号が黄色になると急ブレーキをかけて止まるクルマがやたら多かった記憶がある。それほどまでに連中は律儀に信号を遵守(じゅんしゅ)したのだ。ほう、日本では考えられないな、と思ったのと同時に、これは日本に帰ってもやらなくちゃ、と思い、さっそく実践した。今までなら、行ってしまうようなシーンでもブレーキを踏む。後続のタクシーなどはびっくりするわけである。クラクションを鳴らされたこともある。でも僕はにっこり。だって、自動車先進国の連中がそうやって運転しているのだから、そっちのほうが正しいでしょ、ってなわけだ。僕がこれを実践していると、周りの連中も同じように止まるようになった。黄色はブレーキ、である。あたりまえじゃないか。まだ黄色でどんどん交差点に進入するクルマが多いのを鼻で笑いながら、まったくなっちゃないね、なんてどこかで優越感を持っていたりして。


それから毎年毎年、レコーディングでロスに行くようになるのだが、彼の地で感じるドライバーの姿勢というか、態度というか、そういうものに影響されていった気がする。当時、日本ではまだまだ意地悪が横行していて、合流では絶対に入れないやつ、なんてのがけっこういたのだが、ロスでは必ず交互に譲り合うわけである。うらやましいなあ、と思って帰国するとさっそく実践してみるのだが、なんだか違う。あんなに気分が良くないのだ。どうやら、こちらのことを合流できない下手なやつ、と思われるようだ。そうかと思えば、向こうでは無神経に割り込みをするやつもいるわけである。しかもフリーウェイで。日本ではかなり顰蹙(ひんしゅく)ものでも、向こうでは割合平気でやる。危ねえなあ、なんて思って見ていても、割り込まれた方も怒ってクラクション、とか煽(あお)り運転、なんてシーンにはお目にかかれない。なんだか基本的に考え方が違うようである。ドライなのだ。


ロス通いも20年くらい経って、ふと気付いた。あれ……黄色で急ブレーキを踏むやつがいない……。そう、交差点でのマナーが知らないうちに日本みたいになっていたのだ。一瞬、これは気のせいか、と思って観察するも、やはりそういうドライバーが極端に減っているのは事実だ。と、同時に日本に帰ると、トラックがハザードをつけてなにやら挨拶(あいさつ)をし始めているではないか。なんだこれは……と思っているうちに、それはトラックだけでなく一般車両にまで及ぶようになったから一大事である。このカルチャーを取り入れるべきか、どうするべきか。


アメリカかぶれの僕は悩むわけだ。初めて「ありがとうハザード」を路上で実践したときの、あの恥ずかしいような、誇らしいような、理解されているのか、されていないのか、なんとも複雑な気分は忘れられない。その後、きっとテレビやらなにやらでハザードの習慣が放送でもされたのだろう。あっという間にそれは広まり、今やご存じの通り。気がつくと、今やクラクションの音を聞く機会もほぼ皆無。日本はマナーのいいドライバーだらけになった。変わったものである。


ところで、ロスだけが外国ではない。イタリアにはイタリアの、フランスにはフランスのやり方がある。同じ気持ちで臨むと大変なことになる。もし、彼の地でスムーズに運転したかったら、交差点で行き交うクルマのドライバーウォッチングを勧める。なるほど、こういう顔で、こういう気分で運転しているのかと、きっと勉強になると思う。

松任谷正隆

まつとうや・まさたか 1951年東京生まれ。作編曲家。日本自動車ジャーナリスト協会所属。4 歳でクラシックピアノを始め、20歳の頃、スタジオプレイヤー活動を開始。バンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」を経て多くのセッションに参加。現在はアレンジャー、プロデューサーとして活躍中。長年、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、自他共に認めるクルマ好き。

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