車のある風景

クルマは被害妄想拡大装置!? ドラレコ普及であふれるあおり運転動画について考える

松任谷正隆さんが自らのカーライフについて赤裸々に綴るエッセー

松任谷正隆
2023.01.01

イラスト=HB Studio

2023.01.01

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1年点検を受けると、だれにでもチャンス

音楽プロデューサーでありモータージャーナリストでもある松任谷正隆さん。無類のクルマ好きとして知られる松任谷さんのクルマとの深い関わりをエッセーでお届けします。今月のエピソードは、ドラレコ動画の投稿に対して、松任谷さんが率直に思うところについて。


投稿

最近、かなりの頻度でSNSに交通トラブルの動画が現れる。たぶん、僕がそういうものを見てしまうために、次々と新しいものが流れ込んでくるのだろう。視聴頻度の高いものが自動的にカスタマイズされる時代になる、というのは20年以上前から言われていたが、本当にそういう時代なんだなあ、とつくづく感じている。今後、恥ずかしいサイトの広告が画面に出てこないことを祈るばかりだ。


ところでこの交通トラブル動画、少なくとも僕の所に来るものはお粗末なものばかり。ほとんどが誇大広告、というかタイトル倒れだ。そしてそれをアップする理由は、まあ人それぞれだろうけれど、ほぼ同様なマインドと言っていいのではないか。つまり、どこか仕返し的なものばかり。相手方のナンバーを隠さないものが多いのが何よりの証拠だ。晒(さら)しものにしたい、ということなのか。見ているこちらも胸が悪くなる。そんなことを言いながら、見てしまう自分はいったい何なのか。どこか少しでも共感できる部分があるということなのか。路上に出れば、誰でも知らず知らずのうちにフラストレーションが溜(た)まっているということなのか。


小学生の頃、「ディズニーランド」という番組があって、その中でもいまだにはっきり覚えているのが、アニメで、普段は小市民の紳士が、クルマに乗るとおよそ病的な乱暴者になってしまうというお話。60年以上も前の話だけれど、免許を取ってみて、それがはっきりと意識できた。クルマはある意味、人間拡大装置なのだ。どんなに小さいクルマでも自分を拡大してくれる。大きく立派なクルマになれば、さらに拡大してくれると思うのは当然である。アニメの紳士も大きなアメ車で、まるでサメの如(ごと)く周囲のクルマたちを食い散らかしていた。


僕もその自然な流れに乗って、30歳になるまでは大きな、立派なクルマを目指していた。強いものが路上では楽なはず、と思っていたからだ。しかしクルマがいくら強そうでも、自分はしょせん自分。クルマから降りたらもうそれは通用しない。きっとそのギャップに知らず知らずのうちに疲れていたのだろう。ある日、かみさんが作曲賞かなにかでもらってきた小さな国産車に乗って、なんて気が楽なのだろう、と思ってしまったのだ。どういう気分だったかと言えば、爪先立ちから解放された、といったらいいのだろうか。これは目から鱗(うろこ)だった。それ以来、小さなクルマを好むようになった。とはいえ、僕の場合、大きなクルマあっての小さなクルマ。なんだかんだ言っても、どこか強そうにしたい自分は捨てきれないのである。この矛盾。ここらへんに例の動画が溢(あふ)れる理由がありそうな気がする。


ドライブレコーダーの普及とともに、もっとも多い投稿が煽(あお)り運転関係である。それも、最後に覆面パトカーが現れて、煽り運転を退治してくれる、というようなものがやたら目に付く。自分に代わって正義の味方が悪いやつを成敗してくれる。パトカーが正義の味方かどうかは置いておいて、もし、それが本当なら確かにすっきりするかもしれない。しかし、だ。その煽り運転は本当に悪意があってのことか、と思うと、どうも判然としない。


もしも、だ。家族の誰かが急病で急いでいたとしたら? 電車や飛行機の時間に間に合わないかもしれない、と思って急いでいたとしたら? もっと言えば、煽られたクルマは、追い越し車線をゆっくりと走っていたかもしれない。気付かぬうちにブレーキペダルの上に足を置いて、後続車を慌てさせたかもしれない。クルマは人間拡大装置かもしれないが、同時に被害妄想拡大装置でもある。バックミラーに近づいてくるクルマの顔は確かに恐怖だが、必要以上に敏感になって、おかしな行動に出たりしたら、妄想がそれこそ現実になってしまう。動画たちの中にはそんなことを連想するものも多い。まず、走行車線を変え、それでも執拗(しつよう)に煽られたら、そのとき危険信号だと思えばいいのではないか。


そんなこんなしていたら、今度は弁護士が投稿しているスレッドがあった。特定のクルマのナンバープレートを公開し、人を無許可で撮影し投稿したらどうなるのか、というもので、どうやら肖像権やらいろいろと問題があるらしい。場合によっては相手方に裁判を起こされても仕方ない、とあった。そういえば、街中でスナップを撮影するのにも慎重にやらないとダメな時代である。いやはや、がんじがらめの面倒な時代になったものだ。


で、僕は思うのだが、これからは鈍感力の時代なのではないか。何にでもルールを作って縛るのではなく、いい意味でいい加減になる。丸く収まるのならそれでいいじゃないか、的な発想になる。実はそれでほとんどのことが解決してしまうような気がしている。

松任谷正隆

まつとうや・まさたか 1951年東京生まれ。作編曲家。日本自動車ジャーナリスト協会所属。4 歳でクラシックピアノを始め、20歳の頃、スタジオプレイヤー活動を開始。バンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」を経て多くのセッションに参加。現在はアレンジャー、プロデューサーとして活躍中。長年、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、自他共に認めるクルマ好き。

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