イラスト=唐仁原教久

芋虫

松任谷正隆

音楽プロデューサーでありモータージャーナリストでもある松任谷正隆さん。無類のクルマ好きとして知られる松任谷さんのクルマとの深い関わりをエッセーでお届けします。今月のエピソードは、芋虫が苦手な松任谷さんを襲った出来事について。


芋虫

蝶(ちょう)と蛾(が)。似ているけれど僕にはものすごく違う。善と悪くらい違う。蝶が飛んでくると美しいな、と思い、蛾が飛んでくると怖いから逃げる。よくよく考えてみると変な話だ。違いといえば、蝶は基本的にボディが細く、とまるときに羽を立てる。蛾はボディが太く、とまるときには羽を寝かせる。ん?……これでいいんだっけ? 昆虫のことをあまりよく知らずに書いているのでちょっと自信がなくなってきたぞ。とにかく、そんなに違いはないはず。なのに、これほどまでに違いを感じるというのはいったいどういうことか。


70歳になるまでこの矛盾が解明されていないのが不思議だ。蝶は基本的に昼間に活動し、蛾は夜活動する。まあ、例外もあるだろうが、これはほぼ確かだろう。大昔は東京にももっと蛾がいて、夜になると電球の明かり目指して飛んできて、僕は逃げ回っていた記憶がある。そしてさらに謎なのは幼虫のときだ。いわゆる芋虫、毛虫。幼虫のときには蝶も蛾も見た目はほとんど変わらないではないか。いや、変わる。蛾の幼虫は明らかに幼虫の頃からグロテスクだ。見るだけで気持ち悪くなるくらい派手で、特にスズメガの幼虫などは、イギリス軍の戦闘機の羽についたマークのような模様で異常な雰囲気を醸し出している。ああ、思い出しただけで怖い。のそのそと動き回るだけなのに怖い。


あれは僕が大学1年の頃だったか。つまり1969年あたり。おやじは胃潰瘍(いかいよう)で、なぜか神奈川県の戸塚にある病院まで僕の運転で通っていた。僕は多分免許取り立て。正確に言えば、16歳で軽免許は取ってはいたのだが、実際にマイカーが我が家に来たのは18歳のときだから、新米もいいところだ。病院に行く日は朝が早い。たぶん6時過ぎに起き出して、7時前にはうちを出るためにいろいろと準備をしていた。トイレに行って、昨日の一昼夜、物干し竿に干してあったジーパンを穿(は)いて、ちょっとだけパンをかじって、みたいな感じ。それでもおふくろに急かされてクルマに乗る。遅れてもいないのに、いつも急かされるのだ。


2ドアのカローラスプリンター。記念すべき我が家の1号車である。胃の具合の悪いおやじは後ろの席。おふくろは助手席。眠い目を擦(こす)り擦り、クルマを発進させる。眠いからクラッチのつなぎかたが下手だ。すかさずおふくろが言う。「もっとそっと動かしてよ」いやいや、そんなに下手ではないのである。タクシーだってこの程度だぞ。細い路地を出て、今で言う環八へ。当時はまだセンターラインが引いてあるだけの片側1車線の道。朝の渋滞はこの頃からあった。「間に合うかしら」とおふくろ。そっと動かせ、と言ったり、早く行けと言ったり、まったくいい加減にしてほしいものだ。ふと左膝の横あたりがムズムズとした。


僕は子供の頃から皮膚が弱い。ジーパンの刺激だけで痒(かゆ)くなることがあるのだ。無意識にぽりぽりと掻(か)く。ジーパンはサイドに継ぎ目があってごわごわとしている。でもこの日のごわごわ具合はちょっと違った。中で継ぎ目の布きれがおかしな事になっているのかな。と思いつつ、でも急げという母親の命令に従って黙々と運転をする。ふたたびモゾモゾ……。嫌な予感はしたのだ。嫌な予感が当たらないように、今度はそっと手を触れる。ん? 何かが動いた気がする。いやいや痒みというのはそういうものだ。そんなわけない。どんなわけだかわからないけれど、頭の中はちょっとしたパニックだ。あれだったらどうしよう。もしあれだったら僕は気絶するかもしれない。で、信号待ちの間、僕はふとジーパンのムズムズするあたりにほつれを見つけ、神に祈るような気持ちで、そこをビリッと破った。もちろんそっと、である。強く押してあれだったらとんでもないことになるから。ああ、あのときのショックは僕の文章力では表現不可能だ。僕の皮膚が見えるはずのその隙間には、あのイギリス軍の丸いマークのようなものがウネウネと……。もちろん叫んだ、と思う。ゴキブリが苦手な女子にゴキブリが襲いかかったときのような声で。


そのあとの数分間は覚えていない。いい加減にしろ、と後席から怒鳴られたような気もする。それでも運転は続けた。どこかに停まってジーパンを脱ぐなりなんらかの方法はあったのだろう、と今なら思う。でもパニックというのはそういうことだ。つまり何もできない。何もアイデアが浮かばない。それまでやっていたことを続けるしかできないのだ。引きつる左足でクラッチを繋(つな)ぎ続け、信号で停まる度に母親は僕のジーンズを破り、ついには太くて恐ろしいやつを車外に追放した。そしてその先、病院までのことも、もちろんその帰りのことも何も覚えていない。おやじは結局この後手術する羽目になるのだが、このときの出来事がだめ押しになったのは間違いない。


渋滞で変な動きをするクルマを見る度、僕はいつもあのときのことを思い出す。芋虫……? かもしれない、と。 

  • 車のある風景の挿絵を描いていただいていた唐仁原教久さんがご逝去されました。これまで掲載させていただいた作品の数々に感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

松任谷正隆

まつとうや・まさたか 1951年東京生まれ。作編曲家。日本自動車ジャーナリスト協会所属。4 歳でクラシックピアノを始め、20歳の頃、スタジオプレイヤー活動を開始。バンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」を経て多くのセッションに参加。現在はアレンジャー、プロデューサーとして活躍中。長年、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、自他共に認めるクルマ好き。

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