【1962年9月20日】日本初の本格レーシングコース「鈴鹿サーキット」が完成!|Today's memoriesあの日の記憶
1963年5月に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリ自動車レース大会の様子
文=津島 孝

本田宗一郎の夢が現実になった日。鈴鹿サーキットが日本を世界へ導いた

1962年、鈴鹿サーキット誕生が日本の自動車産業とモータースポーツの未来を変えた

鈴鹿サーキットは、日本初の本格的な常設舗装サーキットとして誕生。丘陵地を生かした立体交差や複合コーナーは独創的で、世界からも注目を集めた。技術開発や安全教育などの施設も備え、日本のモータースポーツ文化を大きく前進させた。

【1962年9月20日】
日本初の本格レーシングコース「鈴鹿サーキット」が完成!

1962年11月に鈴鹿サーキットで開催されたオープニングレース「第1回全日本選手権ロードレース大会」の様子

1962年11月に鈴鹿サーキットで開催されたオープニングレース第1回全日本選手権ロードレース大会の様子

1962年9月20日にオープンした鈴鹿サーキットは、日本のモータースポーツ文化と自動車産業の発展を大きく前進させた施設である。

高度経済成長が進み、自動車・二輪車メーカーが世界進出を本格化させていた当時の日本。しかし、国際レースを開催できる常設舗装サーキットが存在せず、高速走行を安全に試験できる環境が不足していた。こうした状況を変えるべく、ホンダ創業者の本田宗一郎は「レースをやらなければクルマは良くならない」として、国際規格のサーキット建設を決断する。

建設地の選定では、水田案を「大切な米を作る田んぼをつぶしてはいけない」と却下し、起伏のある丘陵地帯を採用。この地形が、後に鈴鹿の象徴となる立体交差や複合コーナーを生み、世界でも珍しい“8の字レイアウト”を実現することにつながった。

日本初の常設サーキットとなった鈴鹿サーキットは、全面舗装の本格レーシングコースに加え、観客席・ピット・管理棟を併設。同年11月の「第1回全日本選手権ロードレース大会」には2日間で約27万人が来場し、日本のモータースポーツ文化が一気に開花した。

また、現在では安全運転講習施設や交通教育施設もあり、正しい運転技術を学べる環境を整備。モータースポーツだけでなく、社会的な交通安全教育の拠点としても大きな役割を果たす。

その後はF1日本グランプリの開催地として世界的な知名度を獲得し、日本の自動車産業が世界レベルへ到達する基盤となった。技術開発・安全教育・レジャーを兼ね備えた“モビリティ文化の中心地”として、今も日本の自動車史に深く根を下ろしている。

1962年の鈴鹿サーキットのグランドスタンド。上部はVIP席

鈴鹿サーキットは、日本のモータースポーツを支えた国際レーシングコース。写真は1962年当時のグランドスタンドと熱狂する観客。写真の中央にあるのはVIP席だ

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