なぜ日産は銀座を選んだのか? “日産の顔”となったギャラリー誕生秘話
ブランド戦略の中核を担った銀座日産ギャラリー。半世紀近く愛されたランドマークの原点1970年、銀座5丁目のサッポロビル内に「銀座日産ギャラリー」が開設された。1階展示場と2階商談室から成る上質な空間は、日産のブランド発信拠点として機能。銀座のランドマークとして半世紀近く親しまれた。
【1970年8月10日】
銀座に「日産ギャラリー」がオープンと発表!
半世紀近くにわたり親しまれた銀座の日産ギャラリーは、2016年9月24日に「NISSAN CROSSING」 (ニッサンクロッシング/写真)としてリニューアル。現在も銀座のランドマークとして存在し続けている
1970年8月10日のニュースリリースで、日産は東京・銀座に新たな企業PR拠点として「銀座日産ギャラリー」を開設し、同年8月12日から業務を開始すると発表した。
場所は銀座4丁目交差点付近にある完成したばかりのサッポロ銀座ビル内。それまで三愛ドリームセンターに設けていたギャラリーを移転し、より人通りの多い銀座の中心でブランド発信を行う体制へと踏み切った。
新ギャラリーは1階が車両展示場、2階がレストルーム(商談室)という構成。面積は1階165㎡、2階33㎡とコンパクトながら過度な装飾をさけ、最高級ショールームにふさわしい落ち着いた雰囲気で、銀座の街並みに調和する上質な空間づくりが意識されていた。天井装飾は彫刻家・向井良吉によるもので、「無限の宇宙空間に浮かぶ巨大な昆虫のモチーフ」という独創的なテーマが与えられている点も特徴的だった。
ギャラリーには常時8名のミス・フェアレディが勤務し、来客の案内を担当。1960年代から続く“日産の顔”としての役割を、この新しい銀座拠点でも継承していた。
高度経済成長の勢いが続く1970年当時、銀座は国内外のブランドが集まる最先端の商業地だった。そこに日産が本格的なショールームを構えたことは、単なる展示スペースの拡大ではなく、「日産ブランドを都市文化の中心で発信する」という戦略的な意味を持っていた。