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国産コンパクトホットハッチ特集イメージ写真
構成=ダズ/文=繁 浩太郎

シティターボⅡ、ジェミニ、マーチ ターボ、スターレット 1300ターボS…ホットハッチと呼ばれた国産コンパクトのスポーツグレード

昭和〜平成初期に人気を博したモデルを一挙紹介!

軽量でコンパクトな3ドアハッチバックのコンパクトカーは、80年代を中心に実用性、経済性、そしてカッコ良さからわが国の大衆車として人気を集めた。そのスポーツグレードはさらにクルマとしての運動性能が高められていて、キビキビと駆ける熱い走りをしてホットハッチと呼ばれた。昭和の後期から平成初期に一世を風靡(ふうび)したそんなクルマたちを、モータージャーナリスト・繁 浩太郎さんが一挙紹介!

目次

国産ホットハッチはその性能とカッコ良さから、一大ブームとなった

日産・マーチR(1988年)

全日本ラリー選手権を走る「マーチR」。同車のスーパーチャージャーとターボチャージャーの2つを装着したスーパーターボエンジンは、1年後「マーチ スーパーターボ」に受け継がれる

戦後の高度経済成長とともに、日本のモータリゼーションが大衆化し拡大していく過程で、クーペ的なカッコ良さと使い勝手の良さをもったハッチバックに高性能エンジンを搭載して、若者を中心に人気を集めたカテゴリーが生まれた。それがホットハッチだ。


国産車は60年代から70年代初めにかけては、3ボックスのフォーマルなFRセダンが主流で、ブルーバード、コロナを中心として、いすゞ・ベレット、三菱・コルト1000などの名車が生まれた。

70年代に入ると、まず日産チェリーがFFでセダンに続いてクーペを発売したが、そもそものセダンタイプのチェリーもトランクがほぼなく、その形は当時ファストバックと呼ばれるなど、ちょっと独創的だった。

ただ、チェリーはセダン・クーペともに新開発のFFで、室内は1Lクラスとは思えない広さがあり好評を博した。しかし74年にその役目を終えて、82年のマーチへとつながった。

さらに72年には初代FFシビックが登場した。形自体はそれまでの2ボックスだったのだが、時代を超えた性能でFFにより小型でも室内は広く、またファッショナブルなカッコ良さもあり若者を中心に評判がよかった。その姿形はハッチバックと言われ主流になっていく。マツダのファミリアなどは、FRのままハッチバックとするなど、急速にハッチバックは伸びた。

ハッチバックは元来横置きエンジンのFFで室内が広く、リアシートを倒すことにより大きなかさばる荷物も載せることができるなど、ユーティリティーに長けながら、日常生活にもカッコ良く使えるクルマという位置づけだった。しかもセダンのトランク部分がないことから運転しやすく、ベストユーティリティーカーとしてマーケットでの存在感を増した。

基本的にはFFが故のユーティリティーの高さがハッチバックの良さ。だが、パワートレインをFRからFFに方式変更するのは、設計ノウハウから工場設備まで造り方を変える必要があり、そんなに急には変えられなかったので、縦置きエンジンのFFなどが過渡期には存在した。

これらのハッチバックに新技術を投入し高馬力エンジンにしたスポーツモデルが派生して追加されだし、若者のスポーティーで活動的なクルマとして一つのカテゴリーとなり、「ホットハッチ」として受け入れられた。

一般的には、わが国でのホットハッチの元祖は74年に発売されたシビックRSと思われる。エンジンはターボではなくNAで6000rpm まで回すことで76psまで出力を上げ、5速MTを搭載していた。まさにキビキビとした走りが若者に支持され、さらには中年層にまでホンダのクルマは良く走るというブランドイメージを植え付けた。小型車領域の走行性能はホットハッチによって進化していったと言える。

懐かしの国産コンパクトホットハッチを一挙紹介!

マッチョなことからブルドッグと呼ばれた

ホンダ・シティ ターボⅡ(1983)

ホンダ・シティターボⅡ(1983)

ボンネットバルジとブリスターフェンダー、四隅踏ん張りタイヤと、当時のホットハッチ最高峰のルックスとそれからくる走りは、ブッチギリだった

1981年に発売されたホンダ・シティの大ヒットを受けて、ターボ車からオープンカーまで派生展開された。1982年秋にターボを追加し、83年にはインタークーラー付きでさらに高出力化した「ターボⅡ」が発売された。インタークーラーがボンネット内に収まらず出っ張り、また足回り強化からトレッドを広げたために、そのルックスは当時の若者憧れのブリスターフェンダーをまとって、かなりマッチョなルックスとなった。結果ブルドッグと呼ばれた。

ホンダ・シティ ターボ(1982)

82年秋登場のシティ ターボは、翌年登場のマッチョなブルドッグとは異なり、スマートでありながら俊足なのが良かった

シティメーター表示

スピードメーターは、ターボ加給圧に連動して表示が末広がりに広がるギミックを採用していて、視覚的に面白かった

ホットなエンジンで、カローラらしくないカローラ

トヨタ・カローラFX 1600GT(1984)

トヨタ・カローラFX 1600GT(1984)

Bピラーより前はカローラ セダンと基本的に変わらないが、全体的に違和感はなく、バランス良くハッチバックのデザインに仕上げられている

私の世代では、トヨタの全体的イメージは走りよりも乗り心地であり、ホットハッチと言われてもピンとこない部分があるが、このカローラFX 1600GTは、ちょっと異なった。MR2と同じDOHC16バルブ1.6Lエンジンを搭載した結果、このFX 1600GTは紛れもなく、ホットハッチでトヨタの本気が見えた。エンジンだけでなく、その外観デザインもサイドシルや前後バンパー下部が張り出したエアロデザインで、リアガラスには、「FX-GT TWINCAM16」と大きな文字で書かれていて、ただのカローラじゃないホットハッチ感を醸し出していた。走りは太いトルクでグングン引っ張った。

とうとう本気のDOHCエンジンを搭載したスポーツグレード

ホンダ・シビック Si(1984)

ホンダ・シビック Si(1984)

ホンダ・シビック Siは、ロングルーフ・デザインと呼ばれていたが、後ろをスパッと切ったようなデザインは、誠にスッキリとした新しさがあり数々の賞に輝いた

ホンダは70年代の厳しいアメリカの排ガス規制対応エンジンとしてCVCCを開発し世界を驚かせたが、さらにホンダのエンジニアは、排ガス規制を乗り越えると、ただ回るだけの高出力DOHCエンジンでなく、時代的には扱いやすい太いトルクを特徴とするDOHCエンジンが求められていると定めて、開発を急ぎ、まずはCR-X、次いでシビックSiに搭載した。CR-Xは言うまでもなくスポーツカーだが、そのDOHCエンジンを3ドアのシビックに載せて、シティのブルドッグのようなムキムキでなく、センスの良い知的なホットハッチとして大きな評価を得た。

ベストセラーのファミリアもホットハッチに参戦

マツダ・ファミリア 1500XG-R(1983)

マツダ・ファミリア1500XG-R(1983)

スッキリとした外観デザインでヨーロッパの香りを強く感じさせる、スマートなホットハッチだった

ベストセラーに輝く5代目ファミリアにターボエンジンを搭載した「1500XG-R」は、その性能と、リアスポイラーやワイドなサイドシルなどを装着したエアロデザインが、まさにホットハッチだった。エンジンは1.5Lのインジェクション仕様にターボチャージャーを組み込んで、最大パワーは115ps/5800rpm。最大16.5kgmを誇るトルクは特に2500rpmあたりから盛り上がり6000rpm少々までキープ、太い中・低速トルクとレスポンスの良さを特徴とした。

スーパーカーメーカーと造ったイタリアンテイスト漂うツワモノ

ダイハツ・シャレード・デトマソTURBO(1984)

ダイハツ・シャレード・デトマソTURBO(1984)

エンジンからシャシー外装、内装の多岐にわたってオリジナルシャレードを再構築していたので、赤いテーマカラーとともにイタリア車の雰囲気を漂わせていた

デ・トマソといえば、日本ではスーパーカーであるデ・トマソ・パンテーラが有名なイタリアのカーメーカーだが、ダイハツとの協業で2代目シャレードをベースにホットハッチを造った。1L直3 SOHCターボユニットを搭載し、外観デザインは前後のエアダムスカートにサイドスカート、リアスポイラーなどのエアロパーツで補強されて、ピレリP8とカンパニョーロ製マグホイールを装着し、さらに専用シートとモモ製ステアリングホイールを装着するなど、イタリアンテイストをプンプンに漂わせていた。

これがかっとびスターレット

トヨタ・スターレット 1300ターボS(1986)

トヨタ・スターレット 1300ターボS(1986)

ルーツはパブリカ(FR)というスターレットは、3代目で横置きエンジンの前輪駆動を採用した。前輪駆動であっても速いということを言いたくてかっとんだのか?

「韋駄天(いだてん)ターボ」や「かっとびスターレット」というフレーズがご記憶にあるだろうか? 外観デザインは、フロント&リアのエアロバンパーと幅広サイドシル、ボンネットのバルジと人並みのホットさだが、4気筒SOHC12バルブエンジンに、空冷式インタークーラー付きターボを装着し過給圧は高低2段階に調整できる「2モード・ターボシステム」を採用して人並みを遥かに超えていた。
105ps/5600rpm、15.2kgm/3600rpmというスペックもすごいが、それ以上に790kgの軽量ボディによってものすごく速かった。

派手さはないが、本格的な走り志向でスパルタンな印象

スズキ・カルタスGT-i(1986)

スズキ・カルタス GT-i(1986)

北米で提携先のGMブランドでも販売されていたカルタスはベーシックなクルマだったが、カルタス GT-iは紛れもなくホットハッチの存在感があった

スズキ・カルタス GT-iは、1300ccクラスでは初となる16バルブDOHCエンジン(97ps)を搭載しホットハッチの仲間入りをした。走りに大きく影響するトランスミッションをクロスレシオの5速MTに設定し、レーシング的な走りをもたらした。また、ドライバーを支えるシートもバケットシートを採用した、より本格的な走り志向のクルマだった。その後エンジン出力を110psまで上げてさらに走りは向上した。外観的には、エアロパーツは効果的な範囲にとどまっていて派手さはなかったが、それがかえってよりスパルタンな印象を持たせた。

アウトバーンを俊足で駆け抜けるゴルフGTIがホットハッチの元祖!?

フォルクスワーゲン・ゴルフGTIはハッチバック車ながら、速度無制限のアウトバーンをスポーツカーに負けることなく速く駆け抜けてホットハッチの代名詞となった。

高速道路を速く駆け抜けるためには、エンジン出力だけでなく高速域のスタビリティやブレーキといった走りを「支える部分」の性能が大切だが、FFハッチバックの形でそれらを具現化していたことは、相当走りを研究し造り込んでいると感じさせた。

外観デザイン的には、黒を基調として赤いラインを周囲に施したフロントグリル、さらにホイールアーチのオーバーフェンダー、一文字の前後バンパー等、シンプルが故に凝縮感があり、よりスパルタンな走りのイメージを強調していた。

フォルクスワーゲン・ゴルフ GTI

外観デザインはシンプルですっきりしているが、スポーツカーに負けないアウトバーンでのGTIの走りは秀逸だ

国産ホットハッチの元祖は74年登場のシビックRSか!?

ホンダ・シビック RS(1974)

シビックRSは、ツインキャブでホンダらしくよく回るエンジンで、スタイルからは想像できないくらい速く小気味よく走った。残念なのは排ガス規制が1年後に厳しくなり、シビックは全車CVCCとなって高出力エンジンは廃止、シビックRSは1年足らずの短い生涯となった

イルムシャーがサスチューンを手掛けたホットバージョン

いすゞ・ジェミニ イルムシャー(1986)

いすゞ・ジェミニ(1987)

フロント、リアのボディ同色バンパーと同色のフルホイールカバー、リアウイングにより特別仕様感を出し、さらに写真では見えづらいがボンネットフードにはエアインテークを設けていた

ジェミニは、1985年にFRからFFに変更されたが、西ドイツ(当時)のチューナーであるイルムシャー社がサスペンションをチューニングした「ジェミニ イルムシャー」というホットバージョンが86年にいすゞから追加発売された。手動で過給圧をHIGHとLOWに切り替えられる2ウエイターボモードシステムを採用し、HIGHモードで120ps(ネット)と18.5kgmを発生した。外観デザインの特別感だけでなく、インテリアもレカロ製シートや、MOMO社製ステアリングホイールで走り志向を強調していた。

三菱のお家芸、サイクロンエンジンを搭載

三菱・ミラージュ サイボーグ(1987)

三菱・ミラージュ サイボーグ(1987)

サイドの面処理は波のようなスムーズな凹凸で、空気抵抗少なく走ってくれそうなデザインになっていた

最強モデルである「CYBORG DOHC 16V-T」は、1.6L 直4 DOHC16バルブにインタークーラーとターボを装着し、最高出力145ps/6000rpm(ネット)と最大トルク21.0kgm/2500rpmを発揮していた。その走りは、2000回転台後半からターボが効き始めると、MAX回転数の7700rpmまではあっという間だ。外観デザインは、前後バンパーとサイドシルをスムーズなエアロパーツで構成。何と言ってもリアスポイラーはリアフェンダーからお尻をぐっと囲むように取り付けられていて、いかにもこれがないと走りが安定しないだろうと感じるものだった。

アルトワークス、ミラターボ、ミニカダンガン
軽のハッチバックでもホットモデルが盛り上がっていた

80年代後半は「24時間戦えますか」というすさまじいCMコピーまで出てくるほど、世の中の誰もが頂点を目指していた時代だった。そんななか、軽自動車の世界でも、すさまじい「パワー競争」が繰り広げられていた。

スズキ・アルトワークスは3気筒DOHC12バルブにインタークーラーとターボを装着して64ps、7.3kgmと頂点を極め、ダイハツ・ミラターボTR-XXも64ps/7.7kgmを達成し、三菱ミニカダンガンのエンジンは馬力競争の果てに、軽自動車の小さなピストンに気筒あたり5バルブという複雑で精緻なメカニズムに行き着いた。こうなってくると日本人のDNAなのか、いわゆる「採算度外視」の世界であると思われるが、技術によって頂点を目指したのだ。これをバブルだったで済ませていいのか、彼らの目標に向かって努力する姿こそ今の日本がなくしてしまったものではないか。言葉は悪いが「技術バカ」は尊い。

スズキ・アルトワークス(1987)

スズキ・アルトワークス(1987)。外観デザインは、パッと見で「そういうクルマ」とわかるものでパワーの塊だった。「本性むき出しのデザイン」で気持ち良くカッコよかった

ダイハツ・ミラターボ TR-XX(1987)

ダイハツ・ミラターボ TR-XX(1987)。当時は競合車を見ながら開発競争となるので、ミラターボTR-XXもスズキ・アルトワークスに勝るとも劣らない、本性むき出しデザインだった

三菱・ミニカ ダンガンZZ(1989)

三菱・ミニカ ダンガンZZ(1989)。クルマの名称まで「本性むき出し」になったが、頂点を目指す意気込みが伝わる。こうやってできたクルマは、一部のユーザーに今でも愛されて続けている

マッチのマーチも、ホットハッチ化

日産・マーチ ターボ(1985)

日産・マーチ ターボ(1985)

マーチ ターボはその710kg/85psというパワーウエイトレシオから、キビキビとした走りで、当時の走り屋の支持も大きかった

歌手で俳優のマッチこと近藤真彦氏がイメージキャラクターの初代マーチ。排ガス規制を乗り越えたパワーアップ競争のなか、1985年にターボが装着された。NAエンジンから28psアップの85psという、すさまじいものだった。
キャブレターに代わって電子制御のECCSを使用し、よりきめ細かな制御ができるようになり、ターボの性能を引き出した。この頃になると、排気効率アップとともに、排気音チューニングも盛んになってよりホットになった。外観デザインでは、フロントに丸型フォグランプが埋め込まれ、これがなかなかカッコ良くNAのマーチとは差別化されて、マーチターボのアイデンティティーとなった。

ニッサンマーチスーパーターボ(1989)

1989年に登場した「マーチ スーパーターボ」は、前年に登場したラリーベース車「マーチR」で高性能を実証したスーパーチャージャーとターボチャージャーの2つを装着したエンジンを搭載し930㏄で110馬力を誇る、まさにホットハッチなモデル

日産の本腰が入ったパワートレインを投入

日産・パルサー ハッチバック ミラノX1ツインカム(1986)

日産・パルサー ハッチバック ミラノX1ツインカム(1986)

ターボエンジンを搭載せずに、4バルブ化したり、クロスレシオミッションにしたり、きちんと技術に向き合ったホットハッチを目指していたように思える

2代目パルサーまではターボでスポーツグレードを構成していたが、3代目は「ミラノX1ツインカム」として、1.6L直列4気筒DOHC16V、120ps/6400rpm 14.0kgm/5200rpmというスペックのエンジンが開発されて、日産小型FF車初のDOHCユニットとなった。外観デザイン的には、大きなリアスポイラーが特徴的だが、他モデルとの目立った差別化はされていない。1990年発売の日産・パルサーGTI-Rは、WRCに参戦し、勝つために開発されたことから、そのスペックをグンと上げた。排気量1998ccの直列4気筒DOHCターボエンジンで230ps (169kW)/6400rpm、 29.0kgm (284Nm)/4800rpm。路面や走行状況に応じてトルクを制御する四輪駆動システム「ATTESA(アテーサ)」も搭載された。外観デザインは、スポーツ感を盛り上げるというよりも、機能上必要だったボンネットパワーバルジで差別化できる程度の徹底したレース仕様だった。しかし、レースでは結果を残せなかった。

日産・パルサー GTI-R(1990)

90年登場のGTI-Rはホットハッチの究極の姿というか、これはもうレーシングカーというレベルだ

もう既に、マーチではなくなるほどの変身ぶり

日産・マーチ スーパーシルエット(1982)

日産・マーチ スーパーシルエット(1982)

これだけ、サイドシルが出っ張ったりしていると、ドアはついていても乗り降りは大変な作業になる

近藤真彦氏のために「スーパーシルエット(Gr. 5)」レース仕様を模して製作されたプロモーションモデル。エンジンはチューンされたE15型 (直4・OHC) 1487cc、160ps(118kW)/8000rpm、17.5kgm (172Nm)/6400rpmが搭載されている。それぞれ、回転数の高いところで、最高値が出ているのは、高回転型のレーシングエンジンということだ。外観デザインも、内装も100%レーシング仕様、つまりカッコ良くみせるデザインでなく、速く走るためのデザインだ。それだけに、迫力があり憧れる人は多い。

フォルクスワーゲンが、ビートルの進化版として試行錯誤の末にゴルフの開発に成功し、続けて大衆車でもアウトバーンを疾走したいという思いから、76年にゴルフGTIを発売した。アウトバーンでの疾走は高級車かスポーツカーの領域だと思っていたユーザーはGTIの速く走るだけではない、スタビリティからブレーキまでその性能の高さに驚いた。
その後、ここに市場性を見いだして後に続くクルマが多く発売されホットハッチという市場ができた。
日本でも、74年にホンダ・シビック1200RSを皮切りに、「ホットハッチ」が脚光を浴びたが、北米で70年にマスキー法が提案され、各社開発のメインが環境車に移り変わっていった。ホンダでもCVCCエンジンに変わっていき1200RSは姿を消した。
その後、80年あたりからターボ技術が一般的になり、「ホットハッチ」は息を吹き返した。
しかし、その後さらにクルマの性能は飛躍的に向上し、小さなクルマも大きなクルマもスポーツカーも、その走行性能(最高速度や加速性)は充分高くなり、ホットハッチの意味がなくなり、日本の多くのユーザーの価値観から走行性能への憧れは消えていった。
それとともに、高性能なスポーツカーなども憧れではなくなり販売量を下げていった。
最高速度をセールストークに使える時代は終わった。
当然ホットハッチは、ユーザーが望むものから企業の単なる収益モデルに成り下がり、風前の灯火(ともしび)となっている。
まさに、本田技研工業の副社長だった藤澤武夫氏がよく言っていたが「万物流転」だ。
しかし、車種としてはなくなっても、あの時の技術者の高性能車を造るんだという精神や情熱は後輩の技術者に引き継いでいってほしいと思う。

繁 浩太郞

しげ・こうたろう 京都市出身。ホンダにおいて四輪設計者から開発統括へと企画開発畑を歩き、開発リーダーを務めたクルマの数は自称世界一。その中で代表作は「Honda・CR-X デルソル」。現在はモータージャーナリストとして活躍中。クルマ遍歴はホンダ車以外の古い輸入中古車多数、退職とともにまともなドイツ車に。趣味はオタクなグループサウンズ(GS)で、「GSバンド」を作りリードギターを担当。

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