ビークロス、エレメント、ネイキッド、セラ… 今見ても斬新過ぎる昭和・平成のクルマたち
早過ぎたデザインやコンセプトは、時代を先取りし過ぎていた!?新型車開発は水モノとよく言われる。別の言葉で言えばバクチだ。売れるかどうかの予想が難しいものに莫大な開発費をかけて作り、世の中へと送り出す。見事ヒットさせることができれば見返りは大きい。そうなると、一発を狙うモデルも出てくるわけで……。今回はそのなかでも、比較的短命で終わってしまったモデルたちを集めてみた。今あらためて見ると、当時にしか実現できなかった個性派揃いだ。
バブル景気を背景に一発狙いのクルマが続々登場!?
昭和の後期から平成前半にかけての自動車業界は、大きな発展時期だったと言っていい。バブル経済によって個人消費が旺盛で、それが呼び水となってメーカーに潤沢な開発費をもたらした。正確には1990年代前半にはバブルははじけていたが、実際の経済への影響は遅れてあとから徐々にという感じだったし、自動車の開発というのは長い年月をかけるため、バブル時代に開発されたクルマが1990年代半ばになって発売されたという例も多かった。
理由はどうであれ、作り手も買い手も浮かれていた時代だ。そうすると「今までにない新しい価値観やデザイン、ジャンルを創造しよう」ということになる。
本特集では時代を代表してヒットしたクルマの陰に隠れた、実は今思い返すと実に個性的な数々の名車たちにスポットを当ててみたい。単純に斬新すぎる、個性的なクルマたちと言ってしまえばそれまでだが、大きくは3つのパターンに分かれるようだ。もちろん各パターンの要素が組み合わさっていることもある。それぞれについて振り返ってみよう。
1.デザインコンシャス部門
デザインは時代を映す鏡であるが、先取りが早過ぎると…
デザインには流行があるので、先取りすべく、デザイナーたちは頭を悩ませ続けている。また、時代を反映するのもデザインの特徴。景気が良ければ華やかで自由なデザインが増えるし、逆もしかりである。バブルはまさに華やかなデザインが見事に結実した時代。あらゆるジャンル、テイストのデザインが模索されたが、なかには時代を先取りし過ぎてユーザーを置き去りにしてしまったものも。また、本来はデザインスタディーの場であるはずのモーターショーのコンセプトカーが、ほぼそのままのイメージで市販されることもあった。もちろんそれがヒットするとは限らないのは難しいところである。
四半世紀前では斬新過ぎた
今でこそ流行りのスタイリッシュなクーペSUV
いすゞ・ビークロス(1997)
1993年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「ヴィークロス」を市販化したモデル。1997年の発売当初はコンセプトモデルそのままで登場と言われたが、サイズも含めてかなり違ったものだった
躍動感のあるボディー、無塗装の樹脂で覆われたボディーの下部とオーバーフェンダー、スペアタイヤが内蔵されたリアドアなど、スタイリッシュで洗練されたデザインだった。コンセプトカーは乗用車のジェミニをベースとしていたが、市販化にあたってはクロカンのミュー/ウイザードをベースに開発された。
ボディーはいま見るとコンパクトだが、当時はSUVの需要は限定的で大ヒットとはならなかった。そもそも3ドアだけに、実用性はあまりなく、デザイン好きが買うにとどまった。すでに乗用車部門からの撤退が決まっていたいすゞの意地と熱意が詰まっていたのは確かだけに残念。
3ドアのSUVというのもとてもユニーク。スペアタイヤ部分にバックカメラが内蔵されていたのは先進的だった
高嶺の花だった
ジウジアーロがデザインした流麗なパーソナルクーペ
スバル・アルシオーネSVX(1991)
海外をターゲットにしたモデルで、発表はデトロイトショーで行われた。高速走行に対応するため、Cd値も0.29と好数値だった
ジウジアーロがデザインを手掛けた流麗なクーペ。バブルの好景気を受けて登場しただけに質にこだわり、どこを見ても贅沢なものだった。ヘッドライトは開発段階ではリトラクタブルだったが、固定式で市販。それ以外はほぼデザインスケッチのままで、ジウジアーロが驚いたというエピソードもある。エンジンもSVXのためだけに設計されたEG33型水平対向6気筒が搭載された。足回りも大容量のビルシュタインのショックアブソーバーを採用するなど、専用品が多かった。
バブルの頃よくあった、ふんだんに予算をかけたクルマではあったが、だからといって車両価格が399.5万円(バージョンL)は当時としては高額過ぎた……。また、デザイン優先ゆえ、サイドウインドーは全開にできないなど、使い勝手の悪さも販売数の伸び悩みに拍車をかけたようだった。
サイドウインドーは小さな窓のような部分が開くのみだった。とにかくデザインコンシャスにこだわったモデルだった
コンセプトにかなり無理があった?
スポーツワゴンWRXのSUV化
スバル・インプレッサスポーツワゴングラベルEX(1995)
ベースとなったインプレッサのスポーツワゴンにいろいろと付けてSUVにした感が強かった。しかもWRXというのがスバルらしくはあった
初代GF型インプレッサ スポーツワゴンWRXをベースに、車高を30mmほど上げ、ツートンカラーのボディー、フロントのバンパーガード、ルーフレール、リア背面タイヤを装着して、アウトドアの雰囲気を強調したモデル。1995年に登場した。グラベルとは未舗装路のことで、オフロード性能、悪路走破性を高めることを指していた。ハイパワー仕様のエンジンを搭載し、オンロードでもハイパフォーマンスぶりを示した。
と、マルチなコンセプトに思えるが、実際はスポーツワゴンWRXにグリルガードや背面タイヤを付けた無理やり感があっただけに、さすがのスバルファンも敬遠……。ただし、このグラベルEXの「乗用車をSUVに仕上げる」手法は、レガシィ アウトバックやクロストレックに今なお受け継がれている。
大き過ぎ&タフなギア感がアダとなった…
USAデザインの逆輸入的SUV
ホンダ・エレメント(2003)
デザインはアメリカのスタジオが担当しただけにボリューム感を強調していて大胆な感じ。全長は4300mmながら、全幅は1815mmで個性的なフォルムをアピール
アメリカホンダで開発され、2003年にわが国へ上陸したクロスオーバーSUV。ベースとなったCR-V同様、エレメントはボディーサイズが大きく、リアのテールゲートを開ければ、大人2人が腰掛けられるベンチとしても使えた。
サーフボードを気軽に積めるレジャービークルを想定し、ピラーレスで両側観音開きのサイドアクセスドア、汚れたままの道具も積める水ぶき可能なラゲッジフロア、防水シート表皮、撥水ルーフライニング、キズに強い無塗装樹脂製のクラディングなどを採用、タフギアのように使えるのが魅力だったが、当時の日本人には安っぽく見えたのか、販売は伸びなかった……。しかし、今になってその珍しいエクステリアに注目が高まったのか、中古車市場で人気車種となっている。
余裕たっぷりのボディーサイズだけでなく、センターピラーレスかつ観音開きで側面の開口部が広く、荷物や人が乗り降りしやすいなど、使い勝手はかなり工夫されていて先進的ではあった
その名の通り
むき出し感あふれる“素”なスタイル
ダイハツ・ネイキッド(1999)
むき出し感が最大の魅力。ビスやボルトがそのまま外から見えるのがポイントで、ドアは実際に外から外すことができた
1997年の東京モーターショーに参考出品され、反響が大きかったことから市販化されたアウトドアテイストの軽自動車。ミラをベースに、ボルト止めされたバンパーやフロントグリル、ヒンジむき出しの前後同形ドアなど、武骨で道具感あふれるコンセプトが新鮮だった。
エクテリアのパーツは簡単に取り外せるなど整備性もよく、実用的でもあったが、市場はまだこういったギア感を前面に押し出したデザインを受け入れなかったようだ。早すぎたコンセプトはいま、タフトで花開いている。
若者に向けた新ジャンルの提案 ドイツではベストセラーだった
ホンダ・HR-V(1998)
ホンダが当時提唱していた「若者をターゲットにかっこよく楽しい」をキーワードにしたJ・ムーバーの第2弾モデル。ちなみにJはジョイフルの頭文字となる
SUVのようでもあり、背の高いハッチバックのようでもある。それでいて乗用車のような独特ないでたちで1998年に登場したコンパクトSUVが、ホンダ・HR-V。小型車「ロゴ」をベースにした軽快でスリムなボディー、車高を上げたハイランダー的なスタイルが特徴で、既存のカテゴリーには収まらない革命的なクルマと言われた。コンセプトカーそのままで発売されたこともあって、デザイン優先で新鮮ではあったが、タイトな室内空間と使い勝手のよくない3ドアが課題で、慌てて5ドアを追加したが時すでに遅しだった。ただし欧州、とくにドイツでは人気が高くベストセラーとなり長く販売された。
2.コンセプト部門
今までにないコンセプトは新たなユーザー層を掘り起こせるはずだが…
本来は既存のユーザーが喜ぶクルマ、満足するクルマを発売するのがマーケティングの基本だが、1990年あたりでは、果たしてそこにいるかわからないユーザーに向けた「今までにないコンセプト」で発売することも多かった。それでいいのかというと、「ユーザーに対して新しい価値観を提案し、掘り起こすから問題はなし」という考え方があったのだろう。うまくすれば新たな価値観のユーザー層を堀り起こせたが、まったくそこにユーザーがいなければ、ただ斬新なだけの一発屋グルマのでき上がりだった。
未来的で抜群の開放感は今でも魅力だが
断熱ゼロで暑過ぎ、ガラス張りで見え過ぎが課題に…
トヨタ・セラ(1990)
現在の技術なら断熱ガラスが使えるだろうが、当時はなく、夏の炎天下では乗るのは苦痛なほど。よく出したな、というモデルだ
1990年に登場した3ドアクーペ。スターレットをベースに、ボディーの上半分をガラス張りとし(グラスキャノピー、グラストップ)、バタフライドアを採用した、遊び心のある斬新なモデル。
そのコンセプトは未来的で開放感にあふれていたが、夏場には温室効果で室内は極めて暑く、また外から丸見えの気恥ずかしさもあるなど、課題も多かった。ただそのコンセプトは今なお魅力的で、熱線反射ガラス、UVカットガラス、マジックミラーガラスの開発が進んだ今なら……。いずれにしても先進過ぎた。
超小型ボディーに高性能を凝縮したマイクロカー
トヨタ・IQ(2008)
ステアリングラックの位置など実験的な要素もあった。開発責任者はのちに副社長となる中嶋裕樹氏
2008年に登場したマイクロコンパクトカー。超が付くほど短い全長とすることでシティーコミューターとしての役割をもたせるというのがコンセプトで、海外ではスマート・フォーツーが注目を集めていたこともあり、その流れに乗って、IQは超小型ボディに高性能を凝縮して大きな話題を呼んだ。
しかし、日本では税制面でも交通法規上でも優遇はなく、ユーザーメリットを感じさせる部分が小さかった。最小回転半径3.9mの取り回しの良さ、小さなボディーで4人乗り(事実上は2名プラス1名乗車)を可能としたパッケージは見事だったが、パーソナルカーとしては軽自動車がある日本では維持費などでメリットがあるわけでもなく、評価されずじまいだった。
読めない車名だけでなく
遊びゴコロ溢れるスタイルも裏目に
三菱MIRAGE XYVYX(1987)
ホイールもスチールだし後ろ半分はただの箱。見た目は商用車だが、実際は遊びのためのスペースだった
XYVYX の読み方は「ザイビクス」で、1987年、3代目ミラージュに設定されたユニークなモデル。リアのサイドウインドーを現金輸送車のようにボディーと同色に塗りつぶし、実用重視のハッチバックとして後部座席はなくし、まるでバンのようないでたちで登場。インテリアはシンプルかつ質素で、トランスミッションは5速MTのみだった。
室内を趣味の場所として、「自分流にクルマを作って、自由に遊んで欲しい」というコンセプトだったが、その難解なモデル名とともに、市場ではその意図がよく理解されなかったようだ。
セダンとミニバンの機能がクロスオーバー!
マルチパワー、マルチユースの意欲作のはずが…
日産ルネッサ(1997)
EV化を想定しているなど意欲的ではあったが、肝心の使い勝手がよくなく、販売は芳しくなかった
1997年に登場したセダンとミニバンを融合したクロスオーバーモデル。メーカー自身が「新感覚セダン」と称していたが、既存のジャンルにすんなり収まらない不思議なモデルだった。もともとEV用に床下にバッテリーを搭載できる高床プラットフォームを採用して、長いホイールベースとともに優れたパッケージングを実現し、車名もコンセプトの「“パッケージルネッサンス” ~車輪の上の自由空間~」から名付けられたほど、車内空間にこだわりを見せていた。
後にEVバージョンも設定するなど意欲作だったが、高床構造なゆえに車高は高いのに室内高はそれほどでもなく、マルチユースビークルとしては使い勝手に疑問符がついた。それでもこの経験が、後のプレサージュなどミニバン開発に生かされていった。
日産ルネッサEV(1997)。EVとしてはかなり先駆けで、技術的にもリチウムイオンバッテリーを採用するなど先進的だった。航続距離は230kmと優秀
流行りだった異業種コラボで誕生したWiLLプロジェクト
「カボチャの馬車」をモチーフとして、クリフカットと呼ばれるリアウインドーが後傾した形状が特徴だったWILL Vi
トヨタ、パナソニック、花王、アサヒビール、近畿日本ツーリスト(のちにコクヨ、江崎グリコも参画)が共同で新しい市場創出を目指した異業種合同プロジェクト「WiLL」。トヨタからは、女性や若者などをターゲットにしたデザインコンシャスなモデルが3台登場した。今となっては、たとえばViではかぼちゃの馬車をデザインに落とし込むなど、コンセプトを拡大解釈しすぎの印象もあり、どれもヒットしたとは言いがたかった……。
また、WiLL CYPHA で初めて採用された現在のTコネクトの始祖となるG-BOOKなどの通信技術や現在のサブスク「KINTO」の先駆けともいえるP-wayなど、不評ではあったものの、のちの自動車開発には意義はあったのも事実ではある。
トヨタ離れが進んでいると言われる30代独身男性をターゲットとしたもので、デザインモチーフはステルス戦闘機だったWILL VS
テーマはネットワーク社会とクルマを融合するサイバーカプセル。Tコネクトの始祖となるG-BOOKなどの通信技術も取り入れていたWILL CYPHA
3.凝り過ぎメカ部門
どんなに素晴らしい機能でも、ユーザーニーズがそれほどでもないとすると…
自動車本来の価値は走行性能にあるが、ユーザーの潜在的な要望は多岐にわたる。アナログ時代はやろうとしてもできなかったことは多かったが、1980年代に花開いたのがクルマのデジタル化。当時の言葉で言えば、マイコン(マイコンピュータ)搭載だ。もちろん性能は低かったが、やれることはいろいろと増えた。また1990年代に入ると既存の実用装備はやり尽くした感も出てきたことから、付加価値的な機能も登場してきた。ただし、すべてが受け入れられたわけでもなく、たとえば電動メタルトップで見ると、ソフトトップのように開閉するものは定着したし、後述するCR-Xデルソルのトランストップのように打ち上げ花火で終わったものもあって、その境界線がどこにあるのかは難しい。どんなジャンルもなにが当たるかわからないから、とりあえず出しておけ、というのが1990年から2000年あたりということになる。
ミッドシップエンジンの軽SUV
凝りすぎたメカはまるでスーパーカーのよう
ホンダ・Z(1998)
今で言うところのSUV的なスタイルなのに、ミッドシップというのがミソ。しかもサイドにエアインテークを設けるために3ドアにせざるを得ず、使い勝手は劣る
スーパーカーの資質のひとつがエンジンを真ん中に搭載するミッドシップ。通常は2シーターかつ、その後ろにエンジンを搭載することで回頭性うんぬんというのがミッドシップにはつきものだが、2代目ホンダZはそのミッドシップをSUVテイストをもった軽自動車に取り入れた。具体的には商用軽自動車アクティの基本構造を活用したもので、エンジンを後席下に搭載して4輪を駆動する「ミッドシップ4WD」という凝ったパッケージ。
ただし、走りや衝突安全性に優れるという先進的なコンセプトが当時の市場では受け入れられず、人気は出なかった。
コンセプトは痛快だったが
2名乗りに割り切りすぎた
スズキ・ツイン(2003)
性能やパッケージングはもちろんのこと、デザインもポップで可愛らしさ全開。ちなみにハイブリッドは300台売れたのみだった
シティーコミューターが注目されていた2003年、軽自動車よりさらにコンパクトなコミューターとして登場。しかも軽自動車初のハイブリッドも用意されていた。「軽に2名以上が乗車することは極めて少ない」というデータから、車名が示すとおり、2名乗車に割り切り、全長2,735mmという超コンパクトボディーで高い機動性と燃費性能を実現したスズキの意欲作。
しかし……、一般的な使い方ではメリットが少なく、いざというときのために、荷物も置ける後席があったほうが便利という声も多かった。
前代未聞、斬新&複雑なメカのメタルトップを採用
ホンダ・CR-Xデルソル(1992)
初代、2代目とFFライトウェイトスポーツの代表格として君臨してきたのが、3代目で軟化したのは戸惑いだった
2ドアFFライトウェイトスポーツとして確固たる人気を得ていたCR-Xが、パワーやスピードだけでなく、気持ち良さや楽しさを追求して、クーぺとオープンカーを1台で楽しめるクルマに変身してファンを驚かせた。注目されたのが複雑なメカニズムのメタルトップ。「トランストップ」と呼ばれる電動開閉式ルーフは、せり上がったリアトランクリッド下にルーフが迎え入れられ、その後一緒に降下してトランクに格納されるという、極めてロボット的なギミック。当時、折りたたむメタルトップはまだなく、人力でルーフを取り外し、トランクにしまうものばかりで、それを自動でやるのが画期的だった。
ただ複雑な機構ゆえに重く、故障も多かった。また、それまでのライトウェイトスポーツからの路線変更もあって発売時の人気は今ひとつだった。それでも他の自動車メーカーに与えた影響は大きかったはず。
後部のトランク部分からステーがせり出し、ルーフを迎えにいって収納するという複雑なギミックだった。何事もチャレンジというのが時代の機運だったのだろう
メタルトップなので、閉めるとコンパクトなクーペとなった。ボディーカラーも明るいものが多かった
欧州から1,500台限定で逆輸入
小型車でオープントップに挑戦
日産マイクラC+C(2007)
実用車のマーチがスタイリッシュに変身。1,500台の限定発売で、欧州名のマイクラのままなのは改修コストをかけないため
07年にイギリスから1,500台限定で逆輸入されたクーぺカブリオレ。当時、欧州でメタルトップのオープンカーが人気で、そのブームに乗って登場。コンパクトなボディーサイズの中にメタルトップルーフを組み込み、高いボディー剛性で欧州仕込みのしっかりした走りを実現していた。マイクラはマーチの欧州名で、このクルマは欧州日産によって企画され、そのルーフのシステムはドイツ架装メーカーのカルマン社によって開発された。
物珍しさはあったものの、日本向けのユーザー層が明確ではなかった。マーチに比べると価格も高く、実用性を求めるマーチユーザーにはあまり響かなかったようだ。
コンパクトカーなのにメタルトップを採用しているのが斬新だった。 開閉は電動で22秒でできた
横から見ると2シータークーペのようにも見えるが、実際は小さな後席が用意されていて4人乗りだった
車名の通りメガサイズが魅力だったが
さすがに乗用には大きすぎた
トヨタ・メガクルーザー(1996)
写真を見ただけでもその大きさが伝わってくるほどで、実際に乗っても取り回しはかなり気を使った
軍用車をルーツとしたアメリカ車の「ハマー」がブームになっていた1996年に登場。陸上自衛隊向けの高機動車の民生モデルで、その名のとおり、ボディーもメガサイズだった。リアに油圧式の4WSを装備しており、最小回転半径は5.6mと乗用車並みの性能を誇った。
だが、全長5090mm/全幅2170mm/全高2075mmというボディーサイズは、いかんせん国内では誰にでも扱えるものではなかった……。和製ハマーとして人気を博したが、トヨタ・センチュリーとほぼ同じ価格だったこともあり、いわゆる一般向けのSUVとしての需要は低く、2001年に販売を終了した。
一発屋と言ってしまえばそれまでだが、改めて振り返ってみると単純に楽しいクルマがいっぱいという印象だ。確かに一発で終わって消えてしまったものもあるが、そういったモデルの中には時代の先取りが早すぎたというものもあるだろう。なかには、人気が得られなかった苦い経験とノウハウが、その後人気となるモデルに多く反映されたクルマもある。
今回取り上げたクルマたちの中には、時代が進んだことでコンセプトが受け入れられるようになり、その希少性ゆえに現在の中古車市場で人気となっているモデルもあったりする。装備やコンセプトでワクワクするクルマが、今後も登場することを期待したい。
懐かしの自動車特集の数々が公開中です!
近藤暁史
こんどう・あきふみ 学習院大学・文学部国文学科卒。ファッション誌から転身して、自動車専門誌の編集部へ。1990年代をリアル体感。独立後は国内外の各媒体で編集・執筆、撮影、動画制作などを手掛ける。新車、雑ネタを中心に、タイヤが付いているものならなんでも守備範囲。AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員。