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N360、ジムニー、アルトワークス、オートザムAZ-1…軽自動車の歴史を変えた名車13選

商用車・ファミリーカー・趣味グルマなど役割多彩

2024.05.04

構成=ダズ / 文=高橋陽介

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1年点検を受けると、だれにでもチャンス

排気量は660㏄以下。全長3.4m・全幅1.48m・全高2.0m以下。海外にはない、日本独自の車両規格「軽自動車」は、1949(昭和24)年に誕生。その後数年間は毎年のように規格が変更され、量産体制で本格的に販売が開始されたのは、1955年のスズキ・スズライトが最初と言われています。本企画では、海外輸出を前提としていないクルマとして、日本国内の需要のみに合わせて進化してきた「軽自動車」の歴史を振り返ってみました。

日本独自の自動車の規格
「軽自動車」という言葉は75年前に誕生した

走行中のスバル・360(1958年)

車体サイズや排気量など、さまざまな制約がある軽自動車。この制約こそが、今日の進化を支えてきた原動力となっています

その語感から「Kカー」という愛称で呼ばれるほど、身近な存在として親しまれてきた軽自動車。この軽自動車という名称が初めて誕生したのは終戦から4年後の1949(昭和24)年のこと。GHQによる乗用車生産制限の完全解除を受け、自動車に関する法律が改正。「小型自動車」の枠組みが、「小型自動車」と「軽自動車」に分割されたことが始まりと言われています。黎明(れいめい)期の軽自動車の排気量が360ccと定められたのは1954(昭和29)年。これに先がけ、1952(昭和27)年の日本オートサンダル自動車のオートサンダルや、1953(昭和28)年の日本自動車工業のNJ号など360ccエンジンを搭載した乗用モデルが発売されていますが、いずれも大量生産には至らず、当初は軽3輪トラックがその主流とされていました。

1955(昭和30)年5月には通産省(現在の経済産業省)が自動車産業の振興や自家用車の普及を視野に入れ、「4人乗り、最高時速100km以上」などさまざまな定義をまとめた国民車構想を発表。同年10月には鈴木自動車工業(現スズキ)から日本初の軽自動車、スズライトが発売されました。

しかしながら、戦後の経済復興に沸く当時の国内において軽自動車市場をけん引していたのは、やはりダイハツ・ミゼットやマツダ・K360など商用メインの3輪トラック。乗用タイプの軽自動車が普及するにはまだしばらくの時間を要しました。そんな中、自家用車としての市場を切り開く起爆剤となったのが1958(昭和33)年に登場したスバル・360。装備はいたって簡素なものでしたが緻密な設計レイアウトにより4名分の乗車スペースが確保された車内や、42万5000円という価格を武器に大ヒット。さらに1962(昭和37)年にはマツダ・キャロル、スズキ・スズライトフロンテ、三菱・ミニカなど、各メーカーの意欲作が続々と登場。普通乗用車の保有台数の増加に引っ張られる形で、軽自動車人気に拍車がかかることになりました。

1960年代半ばには日本初の高速道路となった名神高速道路が全線開通。国内における交通インフラの整備も飛躍的に進み、運転免許保有人口も増加。のちに「マイカー元年」と呼ばれる時代が到来します(1966〈昭和41〉年)。そんな市場環境の成長が広がりを見せる一方で、1973 (昭和48)年のオイルショックを境に自動車の排気ガスによる大気汚染や交通事故死者数の増加といった社会問題も表面化してきました。その対策への取り組みの一つとして行われたのが軽自動車の規格変更でした。

まず1976(昭和51)年1月には排気量が550ccへと引き上げられ、外寸もそれまでの全長3.0m・全幅1.3mから全長3.2m・全幅1.4m以下へ拡大されました。また、エンジン形式についても初期の軽自動車が多く採用していた2サイクルから、厳しい排ガス規制への対応を見据えた4サイクルへの移行が進められました。この550cc時代が14年ほど続いた後、1990(平成2)年には全長が10cm延長されるとともに排気量が660ccに。そして直近では1998(平成10)年に排気量はそのままで全長が3.4mに、全幅も側面衝突時の安全対策強化を主な理由として1.48mへと拡大。この規格が現在まで継承されています。

出典:軽自動車検査協会「軽自動車の基礎知識」

本格的4輪軽自動車の誕生
国産初のFF車で15馬力の3人乗り

スズキ・スズライト(1955年)

スズキ・スズライトSS(1955年) 

スズキ・スズライトSS(1955年)
同年には住江製作所のフライングフェザーも発売されているが量産までには至らず。スズライトは事実上、初めての量産軽自動車となった

国民車構想が発表される前年1月に研究を開始。2台の試作車が作られた後、翌55年10月に発売となった、国内初の量産軽自動車。写真の3ボックスセダンの他、ハッチバック風のSL、後方が荷台となったピックアップのSPなど複数のボディー形状を設定。前輪を駆動するエンジンは空冷2サイクル直列2気筒で、最高出力は15.1馬力。コイルスプリングによる4輪独立懸架式サスペンションやバックボーン型モノコックボディーなど、先進的な技術が採用されていた。

スズキ・スズライトバンTL(1959年) 

スズキ・スズライトバンTL(1959年) 
商用ユースに絞ったTL。エンジンは圧縮比アップなど改良が施され、21馬力に強化。発売から3か月後には月産200台に達した

戦後復興の街中輸送に大活躍
発売3年で10万台売れた3輪トラック

ダイハツ・ミゼット(1957年)

ダイハツ・ミゼット MP5型(1962年) 

ダイハツ・ミゼット MP5型(1962年) 
1959年以降に販売されたMP型は、2人乗り。1972年の生産中止までの間、ミゼットは31万7152台生産された

DK型、DS型と呼ばれる初期モデルはオートバイのようなバーハンドルを備えた1人乗りで、キャビンも左右ドアのない幌型とするなど、極めて簡素な作りがなされていた。エンジンは軽自動車規格よりさらに小さな249cc単気筒を搭載。1959年には丸型のステアリングやドア、2眼ヘッドライトなどを備えたMP型へと進化。小回りの利く小型商用車としてヒットを飛ばし、軽自動車の普及に多大なる貢献を果たした。その後、1996年には同車をオマージュしたミゼットIIも発売されているが、こちらは4輪車となっていた。

てんとう虫と呼ばれた4人乗り
モータリゼーションを推し進めた国民車

スバル・360(1958年)

スバル・360(1958年) 

スバル・360(1958年) 
こちらは最初期モデル。車体は当初からモノコック構造を採用。ルーフパネルには強化プラスチックが用いられていた

かわいらしいスタイルから、1958年の誕生後65年以上が経過した現在でも根強いファンを持つスバル・360。その曲面主体のボディ形状には薄い鉄板の強度を保つために平面部分の使用を減らすという、同社の前身である中島飛行機で培われた航空機の機体設計技術が生かされている。同車の特徴ともなっているリアエンジン方式は、広い室内スペースを確保するために採用されたもの。前後のトーションバースプリングも室内へのサスペンション部分の張り出しを抑えるとともに、快適な乗り心地をもたらした。

スバル・360カスタム(1963年) 

スバル・360カスタム(1963年) 
スバル・360の後部座席を取り去り、車両後方をキャンバストップ化した「コマーシャル」に代わり、車体のリア部分をハッチゲート付きのカーゴスペースに作り変えたライトバンモデルがカスタム。後部座席は折りたたみ式で、4名乗車時でも150kgの積載量を確保していた

31馬力で走りも良かった
軽自動車初のフルオートマチック採用

ホンダ・N360(1967年)

ホンダ・N360(1967年) 

ホンダ・N360(1967年) 
「Nっコロ」の愛称で当時のカーマニアの間でも人気を集めたN360。後にツインキャブのスポーツタイプも追加発売された

2シータースポーツカーS500とピックアップトラックのT360で自動車メーカーの仲間入りを果たしたホンダが初の軽乗用車として開発したのがN360。フロントに横置き搭載される強制空冷2気筒エンジンは軽自動車初のOHC方式を採用。31万3000円という思い切った価格設定(埼玉県狭山工場渡し)も話題を集め、ライバルであるスバル・360からベストセラー軽自動車としてのポジションを奪い取った。デビュー翌年にはオートマチック車やサンルーフモデルも追加されている。

ホンダ・LN360(1967年) 

ホンダ・LN360(1967年) 
N360の発売3か月後に追加されたライトバンモデルがLN360。リアの開口部は上下開きの他、右ヒンジの片開き式の2種類が用意されていた

今も続くロングセラーの人気車
軽自動車初の本格的クロカンだった

スズキ・ジムニー(1970年)

スズキ・ジムニー(1970年) 

スズキ・ジムニー(1970年) 
市場では乗用タイプが主流とされる中、唯一オフロードメインの性格が与えられていたジムニー。車名はJeep、Mini、Tinyという言葉からの造語と言われているが、公式ウェブサイトでは、発音のしやすさ、覚えやすさから作った造語とされている

頑丈なラダーフレームシャシーや当時の軽自動車としては大径の16インチタイヤ、後輪駆動と全輪駆動を切り替えるトランスファーを備えたパートタイム4WD方式の採用など、現代にも受け継がれるメカニズムをすでに備えていた初代ジムニー。エンジンは同社のキャリイ用をベースとした2サイクル359cc空冷2気筒を搭載。ルーフは幌のみという簡素な作りだったが、軽快な操縦性と機動力の高さは営林・土木関係者からも評価された。

スズキ・ジムニー55(1976年) 

スズキ・ジムニー55(1976年) 
550ccエンジン搭載車であることをネーミングに取り入れたジムニー55。フロントグリルが縦スリットとなったのはエンジンが水冷化された1972年のLJ20から

キャッチコピーは「愛らしく、小粋に。」
パーソナル志向のスポーツクーペ

スズキ・セルボ(1977年)

スズキ・セルボ(1977年) 

スズキ・セルボ(1977年) 
前身のフロンテクーペ同様、車体後部にエンジンを搭載するRR方式を踏襲。CX-Lという女性ユーザーをターゲットとしたグレードも追加された

1976年は軽自動車の進化における過渡期で、新規格版の車体に対し550ccエンジンの開発が間に合わず、470ccや490ccといった旧規格の改良版とも言える排気量のエンジンを搭載した車両も存在したが、77年になると三菱・ミニカアミ55(6月)、スズキ・フロンテ7-S(6月)、ダイハツ・MAXクオーレ(7月)など、車体・エンジンともに新規格仕様となったニューモデルが続々登場。そんな中、お洒落なスペシャルティカーとしてスズキが10月に投入したのがセルボ。スタイルは360ccのフロンテクーペのワイド版とも言えるものだが、全高は10mm高められ、リアガラスは開閉が可能なハッチゲート式となった。

スズキ・マイティボーイ(1983年) 

スズキ・マイティボーイ(1983年) 
1982年にFFハッチバックとなった2代目セルボのリア部分をピックアップトラックに作り替えたユニークなモデル。ベーシックグレードは47万円の設定で話題を呼んだ初代アルト(1979年)よりさらに安価な、45万円というプライスが付けられていた

昔、軽自動車に車検はなかった

自動車の総保有台数内に占める割合が低く、交通社会への影響が少ないとの理由から、軽自動車に対する車検制度は昭和27(1952)年に一時廃止。その後、20年という期間を経たのち、昭和47(1972)年の車両法改正により検査実施が復活。同年には軽自動車に限定した検査(車検)を行う「軽自動車検査協会」が設立。翌年から業務が開始されている。

出典:軽自動車検査協会「軽自動車の基礎知識」

商用車から始まった
初の電動サンルーフ付き軽

ホンダ・トゥデイ(1985年)

ホンダ・トゥデイ(1985年) 

ホンダ・トゥデイ(1985年) 
設定は商用車ながら、ホンダ独自のM.M思想(マン・マキシマム、メカ・ミニマム)に基づいたパッケージングにより、優れた居住性も備えていた

エンジンの水平マウント化により長さを切り詰めたノーズ部分や全高を低く抑えたロングルーフデザインなど、オーソドックスな2BOXのハッチバックスタイルが主流とされていた中で異色の存在感を放っていたトゥデイ。カテゴリー的には4ナンバーの商用車ながら、その特徴的なルックスから一般ユーザーからの人気も高く、専用のボディーカラーやブロンズガラスを備えた特別仕様車も追加された。

ホンダ・トゥデイ(1988年) 

ホンダ・トゥデイ(1988年) 
1988年のマイナーチェンジでエンジンが3気筒に変更。5速MTの電子制御インジェクション車は44馬力の出力を発揮した。贅沢なアウタースライド式電動サンルーフの装着車も設定されていた

軽初のツインカムターボ搭載
自主規制いっぱいの64馬力へ

スズキ・アルトワークス(1987年)

スズキ・アルトワークス(1987年) 

スズキ・アルトワークス(1987年) 
フォグランプを備えたフロントバンパーやボンネットのエアスクープ、ボディサイドのストライプなど、迫力満点の外観を持つ初代アルトワークス

1984年発売の2代目アルトのマイナーチェンジ時に追加されたホットモデル。軽自動車初のターボは三菱・ミニカに先を越されてしまったが(83年3月)、こちらはインジェクション式の4バルブDOHCターボにインタークーラーを装備。最高出力は64馬力を発生した。外観も大柄なスポイラーが備わり、駆動方式もビスカスカップリング式4WD(RS-Rグレード)を採用するなど、最強のスポーツ系軽自動車として人気を集めた。

スズキ・アルトワークス(1994年) 

スズキ・アルトワークス(1994年) 
好評を博した2代目のスタイルをリファインされた外観を持つ3代目ワークス。エンジンは軽自動車初となるオールアルミ製K6A型3気筒DOHCターボを搭載。姉妹車としてSOHCターボのie/sも設定された

ターボ搭載のコンバーチブル

ダイハツ・リーザスパイダー(1991年)

ダイハツ・リーザスパイダー(1991年) 

ダイハツ・リーザスパイダー(1991年) 
フルオープン化に伴い、各部に補強材を追加。ビスカスLSDやリアスタビライザーも標準装備されていた

ホンダ・ビート(91年5月)、スズキ・カプチーノ(同年11月)と、オープンスポーツタイプの軽自動車が相次いで登場する中、ダイハツから発売されたのが前席を重視した独特のキャラクターを持つリーザをベースとしたリーザスパイダー。エンジンは660ccの3気筒12バルブ・SOHCターボのみで、規制値いっぱいの64馬力を発生。とはいえ、こちらは走行性能よりファッション性を重視した性格で、人工皮革の表皮をあしらった専用シートやMOMOステアリングなど高級志向のアイテムが与えられていた。

ダイハツ・リーザスパイダー(1991年) の内装

ダイハツ・リーザスパイダー(1991年) 
1989年の東京モーターショーで展示されていたプロトタイプは4人乗りだったが、市販モデルでは広い面積の幌を収納するため2人乗りに変更された

ガルウイングのMRスポーツ

マツダ・オートザムAZ-1(1992年)

マツダ・オートザムAZ-1(1992年)

マツダ・オートザムAZ-1(1992年)
改めて見直しても「スゴイ!」という言葉しか出て来ないAZ-1のスタイル。新車販売台数自体が少なかったことから、中古車市場でもプレミアム価格での取引が行われている

バブル絶頂期の1989年に行われた第28回東京モーターショーのマツダ(当時はオートザム)ブースに参考出品されたAZスポーツ・タイプA〜Cという3つの軽自動車。タイプCは当時のグループCレーシングカーのデフォルメ版、タイプAはガルウイングのスーパーカールックで、市販の可能性が最も高いのはクラシックスポーツ的なタイプBだと思われていたが、3年後にAZ-1の名で登場したのはまさかのタイプA! ヘッドランプはリトラクタブルから固定式に変更されていたが、ガルウイング式ドアはそのまま採用され、自動車ファンに衝撃を与えた。

マツダ・オートザムAZ-1 マツダスピードバージョン(1993年)

マツダ・オートザムAZ-1 マツダスピードバージョン(1993年)
マツダスピードの専用エアロパーツを備えた特別仕様車。性能面に変更は加えられていない。同様の限定モデルとしては90年代初頭、東京・世田谷に拠点を構えていたマツダの商品企画部門M2が開発したM2-1015が有名

今なお人気の2シーターミニマムカー

スズキ・ツイン(2003年)

スズキ・ツイン(2003年)

スズキ・ツイン(2003年)
正直、発売当時はヒットには至らなかったものの、「ミニマムな移動手段」という提案はある意味、時代を先取りしていたのかも?

車名の通り、定員を2名に割り切ることで全長3m以下、最小回転半径3.6mという省スペース性を実現したツイン。デザインは1999年の東京モーターショーに出品されていたコンセプトカー、「スズキ・Pu3コミュータ」がベースで、斜め後方の視界を確保すべくクォーターウインドーが追加されている。市販の量産軽自動車としては初となるハイブリッドシステム搭載車も設定されたが、49万円からという戦略的なガソリン車の価格に対し、こちらは129万円から(エアコンなし)と割高感は否めず、販売はガソリン車が主体となっていた。

スーパーハイトの元祖的モデル

ダイハツ・タント(2003年)

ダイハツ・タント(2003年)

ダイハツ・タント(2003年)
「驚きの広々空間」を実現したスーパーハイトワゴンの元祖的存在。1725mmという全高は、それまでのハイトワゴンに比べ、100mm近く高かった

アイポイントの高さがもたらす運転のしやすさや優れた乗降性など、いわゆるハイトワゴンの代名詞といえばスズキ・ワゴンRだが(ホンダ・ライフステップバンという意見もあるが)、そのメリットをさらに伸ばし、驚異的とも言える室内空間の広さを実現したのがタント。当時の軽自動車クラス最長の2440mmというホイールベースの採用により、ミドルクラスセダンに匹敵する2000mmの室内長を確保。左右分割式で、リクライニングとスライドが可能なリアシートも大きなセールスポイントになっていた。

ダイハツ・タント(2003年)の内装

広大なガラスエリアが特徴のタント。初代のリアドアはヒンジ式だったが、次のモデルではセンターピラーレスの斬新なスライドドアが採用された

EVモデルも登場した
リアエンジンの個性派モデル

三菱・i(2006年)

三菱・i(2006年) 

三菱・i(2006年) 
タイヤを車体の四隅ギリギリまで追いやったことで、余裕の居住スペースを確保。普通車並みのホイールベースながら、最小回転半径は同社のFF車(eKシリーズ)と同等に抑えられていた

スズキ・ジムニーや三菱・パジェロミニなど一部車種を除けば、ほとんどがフロント横置きエンジン・フロントドライブのFF方式を採用する中、後輪車軸の前にエンジンを搭載したリアミッドシップレイアウトを特徴としていたのが三菱・i(アイ)。ホイールベースはダイハツ・タントをしのぐ2550mm。バンパーラインよりせり出した前後のフェンダーアーチを持つタマゴ型のデザインも、近未来カー的な雰囲気を漂わせていた。

三菱・i-MiEV(2009年)充電シーン

三菱・i-MiEV(2009年) 
昭和22年(1947年)の東京電気自動車製「たま号」を除くと、量産車初の電気自動車となったi-MiEV。初年度は法人、自治体向けのリース販売が基本で、一般ユーザーに向けての販売開始は2010年から。性能は200Vで満充電まで約7時間、10・15モードでの走行距離は160kmとされていた

軽自動車の保有台数は
全体の4割を超える

1980年代においては全自動車保有台数の中で2割+αという水準で推移していた軽自動車の保有台数だが、近年では全体の4割を占めるまで広まった。その中でも2021年4月〜2024年3月までの3年間、国内新車販売台数No.1という圧倒的な強さを誇っているのがホンダ・N-BOX。日産の電気自動車サクラも好調で、近距離使用における電気自動車の利便性の高さをアピール。軽自動車税の値上げや保管場所の届出義務地域の拡大など、軽自動車を取り巻く環境は変化を見せつつあるが、シェア拡大の勢いは今後も続きそうだ。

出典:全国軽自動車協会連合会「軽三・四輪車および全自動車保有台数の車種別推移」

かつては青白い煙を吐きながら懸命に走る姿が街のあちこちで見受けられた軽自動車ですが、それは遠い昔の話。今や走行性能面はもとよりエアコンやカーナビといった装備面に加え、安全性においても普通車との格差は縮まり、ファーストカーとしての需要にも応えられるだけの実力が備えられています。世の中的に「ガラパゴス化」という言葉にはどこかネガティブな印象もあるようですが、日本人の目線に立ち、国内における利便性をいちずに追求した軽自動車は、ガラパゴスな環境だからこそ生み出すことができた、英知の結晶と言えるかもしれません。

高橋陽介

たかはし・ようすけ 雑誌・Webを中心に執筆をしている自動車専門のフリーライター。子供の頃からの車好きが高じ、九州ローカルのカー雑誌出版社の編集を経て、フリーに。新車情報はもちろん、カスタムやチューニング、レース、旧車などあらゆるジャンルに興味を寄せる。自身の愛車遍歴はスポーツカーに偏りがち。現愛車は98年式の996型ポルシェ911カレラ。

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