ジュニアスポーツ車、スポーツ自転車、ママチャリ! 昭和生まれの自転車たち
【後編】1970年代初頭、前編で紹介した「エレクトロボーイZ・ブラックマスク」をはじめとする“フラッシャー付き自転車”がブームになるかたわらで、多様な個性を持つ自転車が次々と登場していた。 後編では、前編に続きフラッシャー付き自転車コレクター・七宮賢司さんのお宝マシン紹介とともに、七宮さんのもう一つのコレクションである“自転車カタログ”から、懐かしのモデルを見せてもらった。 記憶の片隅に眠っている、お父さんやお母さん、妹、弟、近所のおじさん、おばさんが当時こぞって乗っていた自転車が、きっと出てくるはず。懐かしいあの頃へこぎ出そう。
- 七宮賢司
ななみや・けんじ 1962年生まれ。イラストレーター、細密画家。東京都東村山市にアトリエを置き、動植物・自然全般の標本画、資料画、イラストレーション制作をはじめ、教育関係図書などの図版、CMイラストなども手がける。本職とは別にフラッシャー付き自転車をはじめ昭和生まれの玩具なども多数コレクションしている。
ナショナル自転車から、豪華エレクトロメカ・初代「エレクトロボーイZ」登場!
1973年にナショナル自転車から登場した「エレクトロボーイZ」。販売当時の価格は3万9900円。
前編で紹介した「エレクトロボーイZ・ブラックマスク」(1974年モデル)の先代となる「エレクトロボーイZ」は、1973年に登場した。
それは、5灯式のフラッシャーを荷台に搭載した、日米富士自転車「富士ハイフラッシャー」が少年自転車業界に登場(1969年)したのを皮切りに、自転車メーカー各社が、次々とフラッシャー搭載の自転車を投入しはじめた時期のこと。日本を代表する家電メーカー・松下電器の傘下にあるナショナル自転車(現・パナソニック サイクルテック)が世に送り出したものだ。
1969年に日米富士自転車から登場した「富士ハイフラッシャー」。販売当時の価格は5段変速が2万9900円、10段変速が3万1800円。
「当時、フラッシャーを搭載した自転車がたくさん出てきましたが、僕はこの『エレクトロボーイZ』一択でした。デザインのかっこよさもさることながら、松下電器だけに電装系は他社の追随を許さなかったのではないかと思います。子供ながらに『NATIONAL』のロゴに憧れがありましたよ」と七宮さん。
シリコントランジスタを採用した耐熱性の高いフラッシャー。ナショナル自転車のフラッシャーはここから始まった。方向指示器の役割を果たすフラッシャーの下には、2つの丸いブレーキランプを装備。
フロントライトとフロントフラッシャーのコンビネーションが目を引く。ライトの上には警告音を発するホーンスピーカーが装備されている。
緩やかなM字が特徴のセミドロップハンドルは、この手の自転車の基本パーツだった。ハンドルにはフラッシャーの操作スイッチが備え付けられている。奥のボタンを押すと警告音が鳴り響く。
オプションパーツのスピードメーター。時速60kmまで計測できる。
ギアコンソール。大きめのシフトレバーで5段変速。
シートチューブに施された「ELECTRO BOY」のロゴと「Z」のエンブレム。
フレームの随所に配されたエンブレム。
朱色に浮かぶ「Z」の文字が少年たちの心をひきつけた。
七宮さんに見せてもらった「エレクトロボーイZ」のサイクルショップ向けカタログにはこんなことが書かれている。
ここにきて、スポーツ車の需要層が急激に拡大しています。これまで、普通の子供車を乗りまわしていた小学校低学年のチビッコたち。が、カレらはそれに満足せず、“カッコいいスポーツ車”を求めています。いわばニュー・ジュニアの台頭ーー。こうしたことから<エレクトロボーイZ>、登場!ペンタゴン、電子フラッシャー、数々の豪華エレクトロメカ搭載の24型スポーツ車です。
うたい文句からも、メーカーの“ニュー・ジュニア市場”への期待と熱い想いが伝わってくる。
当時少年コミック誌にはフラッシャー付き自転車の広告が多数掲載されていた。左から:ミヤタ自転車から登場した「ミヤタ・サリー」/ブリヂストン自転車「アストロG」/スズキサイクル「インパルス」/富士自転車「エスパトロン5」
自転車メーカー各社の力の入り具合は、少年コミック誌からもうかがうことができる。『少年ジャンプ』や『少年マガジン』などの裏表紙には、フラッシャー付き自転車の広告が毎週のように掲載され、昭和少年たちの物欲を大いに刺激した。コミック誌の広告やサイクルショップで手に入れたカタログを、枕元に置いて見ていたという読者諸兄もいるのでは?
ついにはディスクブレーキ搭載モデルまで!
1973〜74年頃には、初代「エレクトロボーイZ」の後続車となる「エレクトロボーイ NEW Z」が登場した。
土手や町中を疾走する少年が多かったのだろうか。この「エレクトロボーイ NEW Z」には、少年たちの安全を願い、彼らの好みに合った機種を開発しようとした技術者たちの努力の結晶である「ハイマディスクブレーキ」が自転車にはじめて搭載された。現在も多くの自転車で採用される、安定した高い制動力で軽く握っても十分な制動力が得られるディスクブレーキの登場は、安心と安全をもたらすスポーツ自転車の核として、当時話題を集めた。
1973〜74年頃に登場した「エレクトロボーイZ」の後続車「エレクトロボーイ NEW Z」
シリコントランジスタ11石を採用した豪華設計(初代は9石)。ジェット機のテールをイメージしてデザインしたという一対の丸いランプも、こうして見るとなるほど、確かに。荷台のピカピカのフレームもクール!
五角形のダブルヘッドランプ、通称“ペンタゴン”に組み込まれたフラッシャー。メタリックブルーの縁取りもなんとも憎い演出。「Z」の文字が誇らしげに鎮座している。
ナショナル自転車独自開発の「ハイマディスクブレーキ」を搭載。ノンショックでストップし、従来のブレーキに比べて6倍もの制動力を発揮するのだとか。
「河原を自転車でシャーーーっとかっとばして、時速何km出るかをひたすらやっていました。だけど『エレクトロボーイZ』はいろんなものを搭載しているから、とにかく重かったなあ(笑)」と七宮さん。
セミドロップハンドルに取り付けられたスピードメーターとリモートスイッチ。ギアは5段変速で、オートマのスポーツカーを思わせるデザインのコンソールボックスがなんともカッコいい!
ライトにフラッシャー、スピードメーターなど機能を盛りだくさんに搭載しているのに、正面も後ろ姿もほれぼれする美しさ。
絶妙なさじ加減でデザインされたことがうかがえる。
小学5年生で憧れの自転車「エレクトロボーイZ」を手に入れた七宮少年。さぞや大事に、末長く乗ったことだろう……と思いきや、こんな答えが返ってきた。
「実は当時は、1年乗ったか乗らなかったという感じでした。カッコいいんだけど、とにかく重いんですよ。それと、学年が上がって少しずつ世界が広がっていくと恥ずかしくなってきちゃって(笑)。当時、小学5、6年生がフラッシャー付き自転車に乗っていることが多かったようですが、仲間内からも『中学に上がる頃にはもう、フラッシャーを取って乗っていた』という話もよく聞きます。
おそらく僕が中学校に上がって少しした頃には、フラッシャー付き自転車ブームは終わりを迎えていたように思いますね。当時、フラッシャー付き自転車は最終的には10万円くらいまで価格も高騰して、とてもじゃないですけど子供用には買えなくなってしまったこともあると思います」
良くも悪くも世界観をはっきりと持っていた、フラッシャー付き自転車。七宮少年のように、興味の対象も広がり始める中学生の頃には、フラッシャー付き自転車を卒業した少年が多かったようだ。また時代背景として、第一次オイルショックで消費行動全体が落ち込み、子供に高額な自転車を買い与える家庭が少なくなったことも、ブーム終焉(しゅうえん)の一因だったのだとか。一世を風靡(ふうび)したフラッシャー付き自転車だったが、いつの間にかサイクルショップからも姿を消し、そのブームは静かに幕を閉じたのだった。
乗ってた! 欲しかった! 昭和自転車いろいろ
後編最後は、1970年代の自転車カタログから選(え)りすぐった懐かしの昭和自転車を紹介!
スポーツ車
フラッシャー付き自転車を卒業した少年たちの次の憧れ自転車は、バイクのようないでたちの「モトバイク」(写真・右上)やドロップハンドルが目を引くスタイリッシュな「ロードマン」(写真・右下)などのスポーツ車だった。颯爽(さっそう)と町を走るスポーツ車を横目に、フラッシャーを外した少年も多くいたことだろう。
自転車カタログにはこんなコピーが躍っている。「みかけの豪華さはないが“名”より“実”をとった本格派スポーツ車! 今日もいい日だ! 軽快にこぎだそう!」と……。ついさっきまで「豪華エレクトロ電子機器搭載!」と声高にうたっていたのだけれど。
幼児車
補助輪をつけて乗っていたという記憶のある人も多いのではないだろうか。幼児向け自転車は人気キャラクターを前面に押し出したモデルや、キュートなかわいいデザインが多く見られた。
ジュニア車
「フラッシャーは恥ずかしい……」、「フラッシャー付き自転車は高額すぎる……」という少年少女の繊細なニーズをくんだかのようなジュニア向けのスポーツ自転車。多段変速にセミドロップハンドル、フロントライトはフラッシャー付自転車の流れをくんでいる。
婦人車
初めて自転車に乗る人に配慮し、フレームサイズ、サドルの高さ、車輪の大きさすべてが、万人向けに設計された婦人用自転車。“タウンミニ”という車輪が小径で低重心の、お買い物にうってつけのモデルも登場した。
カタログに掲載されていたうたい文句はこうだ。
日頃あまり口をきかなかった団地の奥さんたちがサイクリングを計画。1日一緒にペダルを踏み、汗を流し合ったところ、次の日から朝夕の挨拶が生まれる。自転車にはそんな良さがあるのです!
紳士車
堅牢(けんろう)性と取り回しやすさを追求した、質実剛健な中高年向け自転車。カタログには「自転車通勤時代!1日のはじまりを軽快に乗り出そう!」「会社・商店にぜひ1台! 合理的にビジネスを展開します」などと記載されており、ビジネスシーンでの自転車需要アップを狙っていたことがうかがえる。
健康美容車・特殊車
「一家の輪の中に! 家族みんなでレッツ エクササイズ!」と、運動の一環に自転車を取り入れたモデルも登場。また、ファッションアイテムとして、二人乗り自転車や、イギリス発祥の前輪が大きな“ペニーファージング”タイプの自転車も発売されていた。
前後編にわたって紹介してきたフラッシャー付き自転車、そして昭和生まれのユニークな自転車たち、いかがでしたでしょうか。
ブーム自体はほんの2〜3年と短い期間でしたが、七宮さんのコレクションを間近にしてみると、50年という時を経てなお、パーツ一つひとつから作り手の熱を感じ、当時の子供たちがフラッシャー付き自転車に熱狂した理由も納得でした。
現代ほどには技術がまだ成熟していなかった時代。フラッシャー付き自転車はきっと、少年たちの期待に応えよう! という、当時の開発者のみなさんの熱い想いがカタチになったものなのでしょう。