懐かしの「昭和カルチャー探検隊」

バニラにかき氷、棒アイスにコーン系! 名作揃いの“昭和アイス”が生まれた日

アイス編 【前編】

2022.09.06

協力(50音順)=赤城乳業、井村屋、江崎グリコ、協同乳業、クラシエフーズ、フタバ食品、明治、森永製菓、森永乳業、雪印メグミルク、ロッテ/文=忍 章子

2022.09.06

協力(50音順)=赤城乳業、井村屋、江崎グリコ、協同乳業、クラシエフーズ、フタバ食品、明治、森永製菓、森永乳業、雪印メグミルク、ロッテ/文=忍 章子

世界が認める「ネクセンタイヤ」、その高い技術力は“価格以上”!

子供の頃の楽しかった記憶をたどると、毎日のように食べ親しんだ、ひんやり甘〜いアイスのことが浮かんでくるーーそんな方も多いのではないでしょうか?
そんなアイスをこよなく愛し、大人になった今もなお、年間1,000種類以上のアイスを食べているという、アイス評論家のアイスマン福留さん。
今回の「昭和カルチャー探検隊」では、「アイスの世界は想像以上に奥深い」と言うアイスマン福留さんに“昭和アイス”の世界を案内してもらいました。

前編では、家庭にアイスが普及し、さまざまなジャンルが次々と登場してきた“昭和アイス”の変遷をご紹介します。
さらに後編では「こんなアイスがあったんだ!?」と驚くユニークなアイスも登場。それでは、懐かしの“昭和アイス”の世界へタイムトリップ!

※社名は現在の社名です。掲載商品は一部を除き現在は販売していません。

あいすまん・ふくとめ 1973年生まれ。アイス評論家。東京都出身。年間1,000種類以上のアイスクリームを食し、2010年からコンビニアイス評論家として活動をスタート。2014年、アイスクリームすべてのジャンルを盛り上げていくことを目的に一般社団法人 日本アイスマニア協会を設立し、情報サイト『コンビニアイスマニア』の運営、商品監修、業界専門紙でのコラム執筆など、アイスクリームを軸に幅広く活動。著書に『日本懐かしアイス大全』『日本アイスクロニクル』『日本ご当地アイス大全』(辰巳出版)などがある。

アイス評論家のアイスマン福留

日本の夏の風物詩に“バニラアイス”が君臨!

「それまでレストランでしか食べられなかったアイスクリーム*が、家庭でも食べられるようになったのは、1920年代に工業化がスタートしてからです。1930年代には、自転車にアイスボックスをのせてチリンチリンと鈴を鳴らして売り歩くアイスキャンディー屋が町のいたるところに現れたそうです」と、アイスマン福留さん。

1920年に冨士食料品工業(現・冨士森永乳業)がアメリカ製アイスクリーム製造機を導入し、生産を開始。

これに極東練乳三島工場(現・明治)や自助園牧場(現・雪印メグミルク)などが続き、日本におけるアイスクリーム普及の幕が開いた。

  • *アイスクリーム……厚生労働省が定める規格。「アイスクリーム」は乳固形分15%以上(うち乳脂肪8%以上)、「アイスミルク」は乳固形分10%以上 (うち乳脂肪が3.0%以上) 、「ラクトアイス」は乳固形分3.0%以上入っているもの。「氷菓」は乳固形分がラクトアイス未満または入っていないもの。

バニラブルーやイタリアーノなど昭和生まれのバニラアイスの集合

1.森永アイスクリーム 10%・16%[1971年/森永製菓] 2.雪印バニラブルー[1974年/雪印メグミルク] 3.スカイ[1973年/江崎グリコ] 4.明治クイーン[1975年/明治(旧・明治乳業)] 5.雪印12%アイスクリーム[1940年/雪印メグミルク ※写真は発売当時ではありません] 6.イタリアーノ[1972年/ロッテ] 7.バニラメイト、ツインメイト[不明/協同乳業 ※写真は1977年当時] 8.雪印メロリー[1973年/雪印メグミルク] 9.グランド8%バニラ[1975年/クラシエフーズ]

「カップ入りバニラアイスの口火を切ったのは雪印です。1930年代に、雪印がカップ充填(じゅうてん)機を導入し、紙カップに入ったバニラアイスを販売しました。当初“青カップ”として登場し、ヒット。これが後の『雪印バニラブルー』になりました。バニラアイスのパッケージに青色が使われているものが多いのは、この青カップの影響が大きいのだと思います」

雪印に続き、各メーカーから紙のカップに入ったバニラアイスが続々と登場してカップアイスが定番化。このころから日本人にとってアイスが身近なものになっていった。



「1960年代後半からは、乳脂肪分の高さを競い合う時代に突入します。というのも、それまで日本のアイスは他国に比べて乳脂肪分が低いものが多かったのです。大阪万博(1970年)を契機に、乳業メーカーが中心となって、乳脂肪分を高めたアイスを続々とリリースしました」

8%、10%とパッケージに銘打ち、乳脂肪分の高さをアピールするバニラアイスが続々と登場。中には、16%というハイグレードなバニラアイスも現れた。

そんな各メーカーが動物性脂肪にこだわっていた市場に、“太陽のデザート”をコンセプトに、“植物性脂肪使用”を打ち出したバニラアイスがすい星のごとく現れる。

「ロッテから発売された『イタリアーノ』です。当時、100円が主流だったバニラアイス市場で50円という価格で、後味の心地いい満足感の高いバニラアイスが登場しました」

植物性脂肪使用というヘルシーさも、世の中の健康志向と相まって大ヒット。『メロリー』や『スカイ』『バニラメイト』などがこれに続いた。

プラスチックカップの登場で普及した“かき氷系アイス”

暑い日には、アイスクリームよりもガリガリの氷でキーンとしたい!という人も多いのではないでしょうか。

「かき氷系アイスの草分けは、1964年に発売された『赤城しぐれ』です」

赤城しぐれやしらゆきなど昭和生まれのかき氷の集合

1.カリッポ[1981年/江崎グリコ] 2.フロート[1976年/江崎グリコ]3.森永みぞれ[1970年/森永乳業] 4.赤城しぐれ[1964年/赤城乳業] 5.氷いちごバー[1981年/フタバ食品] 6.シャーベット[1983年/フタバ食品]7.雪印しらゆき[1966年/雪印メグミルク]

1960年代に入りアイス界でもプラスチック製カップが用いられるようになる。

「それまで、かき氷といえば甘味処や大衆食堂などで食べられてきたものでした。そこに登場したのが『赤城しぐれ』です。カップの側面に凹凸をつけて、カップの中で氷が回らないようにしたタイプは、この『赤城しぐれ』が初です」

家で食べられる手軽なカップ入りかき氷はヒットし、『雪印しらゆき』や『森永みぞれ』など各社から続々と登場。

「大手、中小メーカーが入り乱れての“かき氷競争”が起こって、1966年に迎えた猛暑の夏には、どこも品薄状態になるほど爆発的に売れたそうです。こうしてカップ入りかき氷は夏の定番アイスに定着しました」

1975〜76年にかけては『フロート』を筆頭に、かき氷の真ん中にアイスクリームが入ったフロートタイプの商品が次々と発売される。『フロート』は当時、トップアイドル・榊原郁恵さんをCMに起用し大ヒット。

80年代には、さらに進化して、ワンハンドで食べられる『シャーベット』や『カリッポ』が登場。

「チューブ型の容器に入った氷菓を、下からグイっと押し出してかじりつくタイプのアイスです。先に味の濃厚な部分だけ吸っちゃうと、後半は味気のない氷になっちゃったりしませんでした?」

ワンハンドスイーツの元祖“棒アイス”

昨今、スイーツ界で注目を集めている“ワンハンドスイーツ”。片手で持ち、気軽に食べることができると若い人を中心に人気だ。

そんなワンハンドスイーツの元祖といえば…… “棒アイス”なのではないでしょうか。

「棒アイス普及のきっかけは、1955年に発売された『アイスクリームバー』です。銀色の包装紙に包まれた、角柱型のアイスクリームです」

ホームランバーやみぞれバーなど昭和生まれの棒アイスの集合

1.花束[1977年/赤城乳業] 2.ホームランバー[1960年/協同乳業] 3.みかんチョ[1977年/赤城乳業]4.ナッチョコ、ジャムンチョ[1976年/森永乳業] 5.パレード[不明/フタバ食品] 6.みぞれバー[1973年/森永製菓] 7.BLACKEY[1978年/赤城乳業]8.ニューゴールド[1973年/フタバ食品 ※写真は1976年当時]

1955年に協同乳業が酪農先進国のデンマークからアイスクリームバーマシンを輸入。これにより、アイスの棒を挿す作業や包装作業が機械化され、1日フル回転で20万本の製造が可能となった。

「『ホームランバー』はアイスクリーム史上初の当たりくじを付けて、子供たちのヒーロー・長嶋茂雄さんを広告に起用して登場。1本10円という安さもあって空前の大ヒットとなったそうです。これに続いて他メーカーも製造機械を導入。棒アイスの工場生産が急伸していきます」

そして1960年代中盤に入り、冷凍ショーケースが小売店に普及し始めると、個性的な棒アイスが次々と登場する。

チョコレートがひんやりアイスになった、チョコ好きにはたまらない『BLACKEY』。

アイスをチョコでコーティングしてくれるだけでもうれしいのに、アイスの中にいちごジャムソースも入れてくれた『ジャムンチョ』。

バニラだけでなくチョコアイスと合わせた2層のアイスをナッツ入りチョコでコーティングした『ナッチョコ』。

“○○○チョ”のヒットにあやかったのか……『みかんチョ』という商品名を冠したアイスも登場。つぶつぶミカンが練り込まれたフルーティーなアイスだった。

クロキュラーやうまか棒など昭和生まれの棒アイスの集合

1.ネオ[1980年/フタバ食品] 2.ダブルソーダ[1983年/森永乳業] 3.里のくり[1982年/フタバ食品] 4.里もなか[1983年/フタバ食品] 5.うまか棒[1979年/明治(旧・明治乳業)] 6.クロキュラー[1983年/ロッテ] 7.3色トリノ[1978年/フタバ食品]

「チョコ、バナナ、いちご、3種類の味を一度に楽しめるお得感満載の『3色トリノ』。ミルクアイスを、香ばしいナッツとチョコでコーティングした丸棒のロングタイプアイス『うまか棒』。ばってん荒川さんのテレビCMがとても印象に残っていませんか?」

ばってん荒川さん扮(ふん)するおばさんと、キャラクターのひげのおじさんが締めに「うまっかぼ〜」と出てくるあのテレビCMは、“チョコナッツ味”の小気味よいナッツのカリカリ食感とともによみがえってくる人も多いのでは。

栗風味のアイスに、とろっとした栗あんを入れ、クリーム全体に栗の粒をまぶした『里のくり』は、本格志向ながら50円という価格で登場。“ふる里シリーズ”として『里もなか』『里のいちご』『里あずき』なども展開されていることから、その人気ぶりがうかがえる。

「黒いアイスの中に、真っ赤なアイスが現れるという奇抜なアイス『クロキュラー』は記憶に残っている人も多いのではないでしょうか? 食べて黒くなった舌を、友達とベーっと見せ合うのがお約束。アイスクリーム市場に“色の革命”をもたらした商品です」

棒が2本ついていて、パキッと割って、分けて食べられる棒アイスもあったような……。

「『ダブルソーダ』ですね。あれって、きれいに半分に割れました? どっちかが絶対に大きく割れて『僕、こっちがいい!』『私もこっちがいい!』って取り合いになりましたよね」

アイス界のニューウェイブ“コーン系アイス”

アイス黎明(れいめい)期の1960年代。新規参入を図っていたグリコは、これまでにないタイプのアイスの開発に着手。アメリカのジョリ・ガルプ社のコーンタイプのアイス『ジェットコーンタイプアイスクリーム』(包装した形がジェット機に似ていることに由来)に感銘を受け開発したのが、1963年に登場した『グリココーン』だ。

アイスとコーンを組み合わせた“コーン系アイス”がここに誕生した。

エルコーンやジャイアントコーンなど昭和生まれのコーンアイスの集合

1.雪印ピンクル[1970年/雪印メグミルク] 2.ロングコーン[1977年/赤城乳業] 3.エルコーン[1980年/フタバ食品] 4.ミラノアイス[発売年不明/フタバ食品] 5.ジョイス[不明/クラシエフーズ] 6.チョコナッツコーン[不明/クラシエフーズ]7.手造りソフト[1978年/赤城乳業] 8.ジャイアンツコーン[1966年/江崎グリコ]

「ただ、『グリココーン』の当時の販売価格は20円。5円のアイスキャンディーが主流の時代だったため、当初は思うように売れなかったそうです」

その後、モナカ専門メーカーと共同で、湿気(しけ)てもおいしい“セミ・シュガーコーン”を開発し、1966年に商品名を新たに『ジャイアンツコーン』として再デビュー。これが大ヒットし、各社が続き、アイスとコーンを組み合わせた“コーン系アイス”が次々と登場した。

「その後、イタリアンジェラートをイメージした『ミラノアイス』や、ソフトクリームのような形状の『手造りソフト』『ロングコーン』などが発売され、ここから“手づくり風ソフトブーム”が起きます。波打ち模様のアイスと、アイスの水分でふにゃふにゃになったコーン。そのふにゃふにゃコーンの下から垂れてくるアイスを吸うようにして食べませんでした?」

『エルコーン』はカップを外すと、たいていアイス部分がカップについてきてしまい、コーン部分と分断するも、カップからアイスとコーンを無理くり押し出して、それぞれを別々に楽しんだ。

ビッグコーンやダブルソフトなど昭和生まれのコーンアイスの集合

1.ビッグコーン[1986年/ロッテ] 2.アメリカンコーン[1980年/クラシエフーズ] 3.パリパリコーン[1986年/森永製菓] 4.ダブルコーン[1980年/赤城乳業] 5.クリスピーナ[1981年/森永乳業] 6.スーパーソフト[1985年/赤城乳業]

「80年代に入ると、コーンタイプのアイスもバラエティに富んだ商品が次々と出てきました。バニラ味とストロベリー味のソフトクリームが2本のって100円だった『ダブルコーン』やビッグサイズな『スーパーソフト』、細いスティックを持って食べる『アメリカンコーン』など、ユニークなコーンアイスもいろいろありましたね」

ほかにも、製菓メーカーならではの製造技術を生かした“パリパリ食感”が斬新(ざんしん)だった『パリパリコーン』やコーンアイスの形は円錐形が主流だった当時、平べったい形で登場した『ビッグコーン』なども。

ザクザク食感の香ばしいコーンとアイス、チョコが絶妙にマッチした『クリスピーナ』は、光GENJIをCMに起用したことでもひときわ話題を集めた。

CMやポスターで推しメンバーが手にしているフレーバーを買っていたという女子も多いのでは?

アイスマン福留が選ぶ、昭和エポックメイキングアイス

前編の終わりに、カップアイス、棒アイス、コーンアイスの中から、アイスマン福留さんの記憶に強く残る“昭和アイス”5つをセレクトしてもらった。

キャデリーヌやバニラエイトなど昭和生まれのアイスの集合

1.キャデリーヌ[1984年/江崎グリコ]

「コクのあるミルク味のアイスキャンディーの中に、板状の本格チョコレートを閉じ込めたアイスで、“センターチョコアイスバー”の歴史はここから始まりました。アイス部分には北海道産の濃縮乳を使用、チョコレート部分は空気混入比率を引き上げたふわりとした食感で製菓メーカーの技術を生かした、江崎グリコならではのアイスでした。松田聖子さんをCMに起用して大ヒットしたことも記憶に残っています」

2.スーパーマンロケット[1978年/マーメイド]

「映画公開に合わせて大人気ヒーローがアイスになって登場。個人的にとても強く印象に残っているアイスです。駄菓子屋でよく買って、ものすんごく食べました(笑)。スーパーマンのイラストの紙の裏には当たりくじ付き。『エルコーン』と同様これも、ふたを取るとアイスとコーンがどうしても真っ二つに分かれちゃいました」

3.森永バニラエイト[1969年/森永製菓]

「“乳脂肪分8%”がそのまま商品名になったアイスです。業界の乳脂肪分8%ラッシュのタイミングで生まれたのですが、『バニラエイト』は“高脂肪分=おいしいアイス”というイメージを具現化して確立させたという意味ではエポックメイキングだと思います」

4.ジャイアントクリーム[不明/江崎グリコ]

「『ジャイアントクリーム』も個人的にとても印象深いアイスです。コンビニエンスストアが急速に店舗数を増やして、24時間365日アイスを楽しめるようになった時代に登場しました。バニラアイスが長方形の箱に詰まっていて、ミシン目に沿って箱を破りながら食べるという斬新な商品でした。当時はまだ珍しかった天然バニラビーンズ入りで、これでバニラビーンズの存在を知ったという人も多いのではないでしょうか」

5.BOB[1970年/クラシエフーズ]

「大阪万博(1970年)の開催で日本中が熱気に包まれた時代に登場した棒アイスです。当時は若者をターゲットにしたアイス市場がヒートアップしていて、キャッチーな商品名、オシャレなパッケージ、ユニークな形状のアイスが増え、アイスのファッション化が進んでいました。『BOB』は食べ歩きシーンを想定した長いスティックの筒型、スタイリッシュなデザイン。現代に通ずる“映える”スイーツの草分け的なアイスです」


“昭和アイス”の世界、いかがでしたでしょうか?
近年は消費者の好みが細分化し、そのニーズを満たすべく、コンビニやスーパーには次々と新しいアイスが登場しては瞬く間に消えていきますが、私たちが子供の頃を過ごした1970・80年代は、誰もが知っていて、みんなが食べているアイスがたくさんありました。

後編では、

ぜひぜひお楽しみください。

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