懐かしの「昭和カルチャー探検隊」

見るなら今! 建築ジャーナリストが教える 全国“昭和レトロ建築”7選

2022.08.08

取材・文=寺田剛治 撮影(人物)=土橋位広

2022.08.08

取材・文=寺田剛治 撮影(人物)=土橋位広

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戦後、民主主義の台頭とともに数多く建設された昭和の名建築たち。前編では建築ジャーナリストの磯達雄(いそ・たつお)さんとともに、その歴史を振り返りつつ、東京・八王子にある吉阪隆正+U研究室設計の大学セミナーハウスを巡った。現代の価値観からすると異様にも見えるその意匠には驚かされるばかりだが、そこには名建築家のこだわり、そして当時の人々の想いや時代背景までが垣間見えた。

後編も引き続き磯さんのガイドで、全国7つの名建築を解説してもらいながら、昭和レトロ建築の魅力に迫ります。

磯 達雄さんの写真

いそ・たつお 1963年生まれ。建築ジャーナリスト。1988年名古屋大学卒業。1988~1999年『日経アーキテクチュア』編集部勤務後、2000年に独立。2002~2020年3月フリックスタジオ共同主宰。2020年4月から宮沢洋とOffice Bungaを共同主宰。2001年~、桑沢デザイン研究所非常勤講師。2008年~、武蔵野美術大学非常勤講師。著書に『昭和モダン建築巡礼』『ポストモダン建築巡礼』『菊竹清訓巡礼』『日本遺産巡礼』(いずれも宮沢洋との共著)、『634の魂』などがある。

北海道
“古き佳き”建築資材のレンガで装飾
北海道博物館(旧・北海道開拓記念館)

昭和45(1970)年竣工
設計:佐藤武夫設計事務所
所在地:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌53-2

北海道博物館の正面写真

真四角な建物を75万個もの赤レンガで装飾!
写真提供=北海道博物館

前編で、機能的・合理的な造形理念に基づいた建築理念“モダニズム建築”について解説したが、この北海道博物館は、その反動として現れた“ポストモダニズム建築”の先駆けともいえる作品のひとつ。

磯:“ポストモダニズム建築”を象徴するのが、内外の仕上げに用いた赤レンガによる装飾。明治時代、西欧から学び広まったレンガを用いた建築ですが、この北海道博物館の建つ昭和45(1970)年には、個性的な装飾を施せる“古き佳き建築資材”として受け止められるようになっていました。

北海道と縁の深い建築家・佐藤武夫は、この建物の依頼を受けた際、即座に「単純な四角い建物にすること」「大量の赤レンガを用いること」を決めたといわれている。実際、建材には野幌(のっぽろ)丘陵の土を材料にした75万個ものレンガを使用。レンガを長手と小口を交互に並べて凹凸をつけて装飾する「フランス積み」を用いて、デザイン性のある壁面に仕上げている。

フランス積みのレンガ壁写真

フランス積みのレンガがおりなす造形が美しい。写真提供=北海道博物館

磯:同じく佐藤武夫が手がけた旭川市庁舎(昭和33年竣工)にも赤レンガが用いられているのですが、こちらはコンクリートのフレームに赤レンガが面一(つらいち)に収まっています。これは、建物の表面凹凸をできるだけ抑えることで、凍結による外壁の破損や雪解けによる汚れを防いでいるのです。

同じ赤レンガを用いていても、アプローチは異なるようだ。北海道博物館にもさまざまな装飾が見られる。なかでも、記念ホールの壁には、馬の蹄鉄(ていてつ)の装飾があったり、グランドホールの床にはライラックの花びらをモチーフにしたモザイクタイルがあしらわれていたりする。こうした建物のそこかしこに見られる装飾や芸術家による作品は、設計の段階から計画されており、建築と芸術が渾然(こんぜん)一体となった魅力がある。

ライラックの花びらをモチーフにしたモザイクタイルの写真

グランドホールの床に敷き詰められているモザイクタイルは矢橋六郎の手によるもの。写真提供=北海道博物館

磯:実は佐藤武夫の作品には必ずといっていいほど塔があるのですが、ここにはそれがありません。ですが、400mほど離れたところに高さ100mの「北海道百年記念塔」が建っています。佐藤自身はこの塔を設計していないのですが、コンペの審査員長としてその誕生にはかかわっており、北海道博物館でもこの塔を意識した設計がなされています。訪れた際は、少し足を延ばして見てほしいですね。

北海道百年記念塔の写真

北海道博物館から徒歩5分の場所にある「北海道百年記念塔」。
写真提供=北海道博物館

宮城県
風呂敷を広げたような吊り屋根の妙
大崎市民会館(旧・古川市民会館)

昭和41(1966)年竣工
設計:武基雄研究室
所在地:宮城県大崎市古川北町5-5-1

大崎市民会館の正面写真

四方に配置された三角形の壁が特徴。
写真提供=大崎市教育委員会

平成18年、古川市、松山町、三本木町、鹿島台町、岩出山町、鳴子町、田尻町の1市6町が合併し、大崎市が誕生。それまで「古川市民会館」の名称だったが、「大崎市民会館」と改称した。902席の大ホールを備えたこの施設を手がけたのは、長崎水族館、仙台市公会堂などの建築作品で名を馳せた建築家、武基雄(たけ・もとお)だ。

磯:まず目を引くのが、大ホールの四方に配された三角形の壁柱。実はこの壁柱で大ホールの屋根を、あたかも広げた風呂敷を四隅から引っ張るようにして吊っているのです。

弧を描くように垂れ下った屋根は鉄筋コンクリート製。こんな巨大、かつ重量のあるものをどのように吊っているのだろうか。調べてみると、まずケーブルを掛け渡して配筋した後、下から引っ張ってコンクリートを打ちつけた後の荷重が掛かった状態にし、さらにラス金網(コンクリートのはく落を防ぐ建築資材)を敷いて、その上に固練りのコンクリートを打つ……という、パッと説明を見ただけでは想像もつかないほどの非常に手の込んだ工事が施されていた。

大ホールと三角形が繋がっていない様子

大ホールのある母屋と三角形が、それぞれ独立していることが見て取れる。
写真提供=大崎市教育委員会

磯:以前、取材でこの屋根に上ったことがあるのですが、そこはまるで“巨大なクレーター”のようになっていました。人工的な美しさを感じるだけにとどまらず、地形のようなスケール感がありましたね。

大崎市民会館大ホールの写真

大ホール。吊り屋根のため、天井がたわんだように見える。
写真提供=大崎市教育委員会

磯:実はこの設計の2年前に、同じ吊り構造の名建築物として多くの人に知られる国立代々木競技場が完成しています。設計者は、あの丹下健三(たんげ・けんぞう)。同時代に生きた武基雄は、丹下に敬意を表しながらも、まったく異なる吊り構造を完成させたのでは!? と想像しています。

愛知県
技術の粋を集めた14本の列柱
蒲郡(がまごおり)市民体育センター 競技場

昭和43(1968)年竣工
設計:石本建築事務所
所在地:愛知県蒲郡市緑町3-69

蒲郡市民体育センター 競技場の写真

14本の巨大な柱が連なる。まるで巨大怪獣の化石のようにも見える。
写真提供=蒲郡市教育委員会

磯:続いて紹介する「蒲郡市民体育センター」も、吊り屋根構造の建築です。それを実現したのが、豪快に張り出した14本の柱。見るものを圧倒するその列柱が、中央部の湾曲した鉄骨屋根を持ち上げています。

この構造は、蒲郡市の地場産業である「織物」を意識。織物を染色して干すときに両側に棒を通して引っ張ると、この吊り屋根のようなカーブを描く……その様を吊り屋根で表現したというわけだ。

上空うからの蒲郡市民体育センター 競技場の写真

上から見た屋根。確かに、織物を吊っているように見える。
写真提供=蒲郡市教育委員会

設計した石本建築事務所が当時の建築雑誌に書いた文章によると、蒲郡市はホール機能を持つ市民会館を別に予定していたため、体育センターは純粋なスポーツ施設として計画。“屋外空間的な市民の運動環境”というコンセプトに基づき、この吊り屋根構造により柱のない大空間を館内に実現したという。

内部から見ると、中央下がりの天井が、まるで宙に浮かんでいるようだ。また、支柱が壁の外側にあるため、すべての壁面にガラス窓が配され、自然光が差し込むようになっている。競技者はもちろん、観客も心地よい空間で競技に向き合えるようにした設計だ。

明るい体育館の様子

四方にガラス窓を配しているため、ふんだんに自然光が館内に差し込む。
写真提供=蒲郡市教育委員会

磯:ダイナミックな建築ですよね。こうした構造体を“あえて見せる”建築を「構造表現主義」と呼びます。ダイレクトに建築技術を表現することで、新たな美的価値を創出しようとしたものです。日本が高度経済成長期にあった1960年代には、こうした建築デザインが花開きました。

兵庫県
長年、作者不明だった名建築
若人(わこうど)の広場公園

昭和42(1967)年竣工
設計:丹下健三+都市・建築設計研究所
所在地:兵庫県南あわじ市阿万塩屋町2658-7

若人の広場公園の上空写真

瀬戸内海を望む岬の尾根にたたずむ「若人の広場公園」。
写真提供=南あわじ市役所

淡路島の南端、瀬戸内海を見下ろす岬の突端にあるこの施設は、第二次世界大戦のなか、学業の道半ばに命を落とした14歳から22歳の若者たち、約20万人余を追悼するために建設されたもの。

しかし、残念なことに平和が当たり前となった平成6(1994)年、入館者の減少により閉鎖。その直後に阪神・淡路大震災に見舞われたこともあり、長い間、放置されていた。しかし、その後南あわじ市が買い取り、再整備。平成27(2015)年に「若人の広場公園」としてリニューアルオープンした。

三角形の記念塔の写真

学生に因んで、記念塔のデザインをペン先のようにしたのでは? という説に関して磯氏は否定的だ。写真提供=南あわじ市役所

磯:外階段で屋上に上がると、瀬戸内海の絶景を眺められる展望台に。そこから真っすぐに延びる通路の先に、HP(双曲放物面)シェル構造の記念塔が建っています。その下部には「若人よ 天と地をつなぐ灯たれ」などと記された基壇、その上には地元の若者が採火した「永遠の灯」が灯っています。

永遠の灯の写真

尖塔(せんとう)の下に灯る「永遠の灯」。
写真提供=南あわじ市役所

磯:設計したのは、先ほども登場した丹下健三。建築にあまりくわしくないという方でも、この建築家の名はご存じなのではないでしょうか。国立代々木競技場をはじめ、東京都庁舎、広島平和記念資料館、フジテレビ本社ビルなどを設計したことで有名ですよね。ですが、実は彼がこの「若人の広場」を設計したことは、ある政治的な理由もあり、長く非公表だったのです。一般に公開されている施設なので、何も知らずしてここを訪れた人は、この建築のすごさに驚いたことでしょうね。

磯:公表されたからこそ言えるのかもしれませんが、丹下らしさは、そこかしこに見つけられます。先に記したHPシェルの記念塔は、代表作の東京カテドラル聖マリア大聖堂、塔へ至る真っすぐな通路は丹下の初期作品の広島ピースセンターを想起させ、共通性を感じます。

管理棟全体を覆う石垣も特徴的だ。実は丹下作品の多くは打ちっ放しコンクリートの仕上げがされているのだが、ここでは壁が石で覆われている。これは、この敷地が瀬戸内海国立公園にかかっていることもあり、意識的に建物を隠すことによって、自然の景観に配慮したからだという。

管理棟全体を覆う石垣の写真

丹下が今治城を意識したのでは? と磯氏が想像する石垣。
写真提供=南あわじ市役所

磯:この石垣は自然の景観に配慮したと言われていますが、丹下の生い立ちを調べると、彼は小学2年から中学卒業までを愛媛県今治市で過ごしており、子供の頃、今治城の城址(じょうし)公園で遊んでいたそうです。「若人の広場」の設計を引き受け、瀬戸内海を眺めているうちに、ここで今治城の石垣を再現したくなったのではないかーーと、私は想像しています。

鳥取県
鳥居に用いられる「組み柱」の技術を活用
皆生(かいけ)温泉 東光園

昭和39(1964)年竣工
設計:菊竹清訓建築設計事務所
所在地:鳥取県米子市皆生温泉3-17-7

皆生温泉 東光園の写真

要塞(ようさい)のような見た目の日本旅館。

全国に数々の名湯があるが、温泉に加えて、建築好きな人にぜひ訪れてもらいたいのが、皆生温泉にある東光園。なんとこの施設、その見た目からは想像つかないかもしれないが、江戸東京博物館の設計や愛知万博の総合プロデューサーも務めた菊竹清訓(きくたけ・きよのり)が設計した老舗旅館なのだ。

磯:まずは誰もが、要塞のような外観に圧倒されると思いますが、よく見ていただきたいのはその構造。1階から3階まで建物があり、4階がぽっかり抜けて、その上に5、6、7階があるのです。なぜそのようなことをしたかというと、客室を和風にするにあたって、鉄筋コンクリートの太い柱や梁(はり)が見えないようにするため。そのために、5、6階は7階に通している太い梁に“吊る”ように設計したのです。さながら“空に浮かぶ客室”といったところでしょうか。

本館「天台」の和室の様子

本館「天台」の和室。名建築に抱かれながらくつろげるのはまさに至福のひととき。

磯:それを支えるのが、神社の鳥居などに用いられる「組み柱」。切り込みを入れた部材をつなぎ合わせ、立体に組む、日本の伝統的な建築技術のひとつです。組み柱の真ん中の主柱と、それをサポートする3本の細い柱が貫(ぬき)でつながっており、それが6組、建物の4階まで貫き、5階以上には主柱だけがのびているのです。この組み柱は外観だけでなく、ロビーでも見られるので、ぜひ確認してください。

東光園のロビーの写真

ロビー奥に組み柱の構造が見て取れる。

では、ぽっかりと空いた4階は何になっているのか。実は、壁がなく柱だけで構成されるピロティ状の空中庭園が広がっており、名峰・大山や日本海を望むことができる空中庭園が広がっているのだ。地上にも世界的彫刻家・流政之(ながれ・まさゆき)が作庭した日本庭園があるなど、見どころは満載。訪れた際はくまなく館内を“建築探訪”してほしい。

空中庭園の写真

4階に設けられたピロティ状の空中庭園。

高知県
2つの構造体を対にして「二枚貝」を表現
土佐清水市立竜串(たつくし)貝類展示館 海のギャラリー

昭和41(1966)年
設計:林 雅子
所在地:高知県土佐清水市竜串23-8

土佐清水市立竜串貝類展示館 海のギャラリーの写真

「ウルトラホーク1号のようにも見える」と磯さん。
写真提供=NPO竜串観光振興会

画家の黒原和男(くろはら・かずお)が収集したおよそ3,000種、5万個もの貝殻を展示するこの施設は、女性建築家のパイオニア的存在、林雅子(はやし・まさこ)の作品。一見すると、鉄筋コンクリートの折板(せっぱん)で壁と屋根をつくった単純な構造だが、よく見ると、中心にスリットが入っている。

磯:実はこの建物、展示物に即して、「二枚貝」をモチーフにした構造なのです。何をもって二枚貝なのか? それは屋根の中心を貫くように天窓がはめられ、スラブ(床版)や妻側(屋根勾配を横から見て三角になっている部分)の壁にもガラス製のブロックが挟まっているところを見れば、理解できるでしょう。つまり、この建物は対になった2つの構造体で、まさに二枚貝のように組み合わされているのです。

2階の展示室の写真

2階の展示室。中央にスリットが入っているのがわかる。
写真提供=NPO竜串観光振興会

磯:建築だけでなく、展示方法も斬新です。2階に展示されているガラスケースの底面が1階の天井を構成しており、見上げると、さまざまな貝が光の中に浮かび上がって見えて、とても幻想的。2階の展示室も、青く染められた室内に、天窓からの自然光が差し込んでガラスケースを照らすのですが、まるで、グラスボートに乗って浅瀬の海を見ているような感覚になりますよ。

1階からみた2階の展示の様子

1階の様子。2階に展示されている貝をガラス越しに見ることができる。
写真提供=NPO竜串観光振興会

読者のみなさんにも訪れてほしい名建築だが、四国の最南端、足摺岬(あしずりみさき)の近くに位置し、空港から遠く、高速道路も走っていない場所にあるため、訪れる際には余裕を持って出かけてほしい。

沖縄県
“批判的地域主義”を表した市庁舎
名護市役所

昭和56(1981)年竣工
設計:Team Zoo(象設計集団+アトリエ・モビル)
所在地:沖縄県名護市港1-1-1

名護市役所の写真

沖縄の風土を知り尽くした建築家らが設計。
写真提供=名護市

一見、東南アジアの遺跡のようにも見えるが、これは沖縄県の北部、山原(やんばる)と呼ばれるエリアにある名護市の市庁舎。昭和53(1978)年、建設にあたって公開コンペを実施。308組もの応募の中から選ばれたのが象設計集団とアトリエ・モビルの共同体「Team Zoo」。彼らは、前編で紹介した大学セミナーハウスを手掛けた建築家、吉阪隆正(よしざか・たかまさ)氏の事務所から独立したメンバーを中心としたグループだ。Team Zooはコンペが行われる8年も前から何度も沖縄を訪れ、集落調査をしていたこともあり、名護市役所のそこかしこに“沖縄らしさ”を感じさせる設計が見られるという。

磯:もっとも特徴的なのが、「アサギテラス」と名づけられている半屋外空間。“アサギ”とは沖縄で、集落に設けられた神様が降りてくる場所のことで、通常は壁がなく、方形の屋根が架かっているのですが、そのイメージを市庁舎に採り入れたのです。

アサギテラスの写真

アサギテラス。こうした空間がそこかしこに設けられている。
写真提供=名護市

磯:残念なのは、2019年、市庁舎の南側に配置されていた56体ものシーサーが、台風や塩害の影響で破損、落下した状況を踏まえ、撤去されたこと。瓦職人が一体一体手づくりしたこともあり、それぞれ表情もしぐさも異なっていて非常にユニークだったのですが、致し方ないことですね。

シーサーで装飾されている写真

シーサーで装飾されていたころの姿。
写真提供=名護市


磯:外装に使われている材料は、沖縄の建築によく用いられるコンクリート・ブロックです。戦後、米軍が駐留した際、その製造機を持ち込んで基地の施設や住宅を建設したのを機に、コンクリート・ブロックが普及したのですが、設計を手掛けたTeam Zooは“地域性を表現する材料”として、それを選んだのです。

磯:この建築は沖縄の伝統だけでなく、新たに広まった文化も取り入れています。くしくも名護市庁舎の完成と同じ年、建築界で「批判的地域主義」という言葉が生まれているのですが、その代表作と言ってもよいのではないでしょうか。


全国の“昭和レトロ建築”探訪。外観のデザインはもちろん、建築の意図やつくられた背景などを知ると、その多様性に驚いたのではないでしょうか。

もちろん、ここで紹介したものは、まだまだほんの一部です。多くの名匠が手掛け、戦後の日本の近代化を推し進めた“近代建築”。本当になくなってしまう前に、すばらしい“昭和レトロ建築”を見に、ぜひ全国でドライブを楽しんください。

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