「まだ間に合う!」 いま見ておくべき昭和レトロ建築 東京・八王子に鎮座する、大地に突き刺さる逆ピラミッドの学舎へ
建築家・黒川紀章(くろかわ・きしょう)設計のもと、昭和47(1972)年に建設されたメタボリズム建築*の代表格「中銀カプセルタワービル」が老朽化のために解体されるというニュースが、2022年春、全国的に報じられた。こうした昭和を代表する名作といわれる建築が、なぜ保存・改修されることもなく、解体されてしまうのかーー。建築ジャーナリスト・磯達雄さんに話を聞くと、当時から愛されてきた昭和レトロ建築の多くが同じような状況にあるという。
そこで「まだ間に合う!」 いま見ておくべき全国の名建築をジャーナリストの視点で厳選してもらった。この夏、建築ドライブ探訪に出かけてみては?
*メタボリズム建築……建物を生命体のように新陳代謝させる建築運動
- 磯 達雄
いそ・たつお 1963年生まれ。建築ジャーナリスト。1988年名古屋大学卒業。1988~1999年『日経アーキテクチュア』編集部勤務後、2000年に独立。2002~2020年3月フリックスタジオ共同主宰。2020年4月から宮沢洋とOffice Bungaを共同主宰。2001年~、桑沢デザイン研究所非常勤講師。2008年~、武蔵野美術大学非常勤講師。著書に『昭和モダン建築巡礼』『ポストモダン建築巡礼』『菊竹清訓巡礼』『日本遺産巡礼』(いずれも宮沢洋との共著)、『634の魂』などがある。
民主主義を体現した昭和レトロ建築の魅力
磯 達雄(以下、磯):「中銀カプセルタワービル」は銀座8丁目という東京の中心に建てられており、多くの人に知られた存在だったので話題になりましたが、昭和の名建築が解体されることは、今に始まったことではありません。むしろ長い間、そうした建物の保護は蔑(ないがし)ろにされてきたといっても過言ではないでしょう。
磯:著書の『昭和モダン建築巡礼』などのシリーズを執筆し始めたのも、明治、大正期の建築はありがたがられて保存・改修・復元される傾向にあるのに、戦後の“近代建築”が消えていくという逆転現象があったからです。
磯:まずは近代建築とは何か、わかりやすく説明しますね。明治、大正期の建築、たとえば東京駅や旧帝国ホテルには、装飾的な要素が多く、どこか偉そうというか、威厳じみたものを感じませんか? それは明治維新後、西洋建築の建築様式を模倣したというのもありますが、いちばん大きな理由としては、当時の社会情勢がまだまだ現在の民主主義のそれとはほど遠いものであったからだと思います。
“東京駅の顔”丸の内駅舎。2007〜2012年に行われた保存・復原工事で創建時の姿となった。
磯:しかし戦後になると、フランスの建築家、ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」を設計に盛り込んだ建物がつくられるようになります。5原則とは、「ピロティ*」「屋上庭園」「自由な平面」「自由な立面」「独立骨組みによる水平窓の連続」のこと。この5原則が意味するものは、“建物のカタチによる民主主義の表現”です。
- *ピロティ=フランス語で杭の意味。 建物においては、壁がなく柱だけで構成された吹き抜けの空間を指す
磯:たとえば、香川県庁舎には約100㎡に及ぶピロティが設けられています。これは建設当時の金子正則・香川県知事の願いを受けた建築家・丹下健三が“民主主義を体現し、行政の近代化を進めるための建物”とすべく設計したものです。誰もが自由に出入りできるオープンスペースのピロティを設ける=多くの人の意見を行政に取り入れる、という姿勢を建築で示したのです。
香川県庁舎。1階部分にオープンスペースのピロティがある。
磯:こうした意味を持つものもある昭和の建物ですが、機能的・合理的な造形理念に基づいた “モダニズム建築”のため、見た目は無機質。その価値は一般には伝わりにくかったのでしょう。結果、地震国・日本ならではの“スクラップ&ビルド”という発想も手伝って、次々に解体されていったのです。
磯:仕方がない部分もあります。古い建物は、機能や環境性能の面では新しい建物には遠く及びません。それに耐震性の問題も。特に昭和43(1968)年に起きた、十勝沖地震の被害を受けて、昭和56(1981)年から新しい耐震基準が適用されますが、それ以前に建てられ建物は地震の際、安全性に難ありとされました。たとえ、それが名建築だとしても……。
磯:もちろん、所有者も遺(のこ)したいという思いはあるのですが、管理するだけでも莫大な費用がかかる。どうしたらいいか所有者は皆、悩んでいるんですよ。そんななか、近年ではSDGsの機運が高まっていることもあり、古い建物をリノベーションして活用するといった動きもあるので、新たな使い道を提案するという動きも出ています。
磯:最近、話題になっている事例で言えば、建築家の丹下健三が設計した旧香川県立体育館。吊り屋根構造の体育館で、空間のボリュームが小さく済んだこともあり空調費を抑えられるとして、当時は大歓迎された建物です。しかし、高さが抑えられているがために、現在のルールに即したバレーボールの公式戦もできない……といった問題もあり、平成26(2014)年に閉鎖。使われなくなって長いのですが、ここにきて建築を評価する団体などから「遺すべきだ」という声があがり、新たな使い道を公募で探っています。
その見た目から“船の体育館”の愛称で親しまれてきたが、老朽化、耐震性の問題もあり、閉鎖されている。
磯:必ずしも再生されるわけではありませんが、昭和を代表する建築が何の議論もなく壊されていく時代ではなくなったのはうれしいですね。とは言っても、まだまだ昭和の名建築は、時代の流れの中で消えていく可能性が高いものばかり。今回、全国各地の“いま見ておくべき”昭和レトロ建築を、数ある中から厳選しました。まずは現地に足を運んだ、「大学セミナーハウス」から紹介しましょう。
東京都
合理性と非合理性が融合した逆三角形の名建築
大学セミナーハウス
昭和40(1965)年竣工
設計:吉阪隆正+U研究室
所在地:東京都八王子市下柚木1987-1
建物にあってしかるべき「垂直」がどこにも見られない!
ピラミッドを逆さにして地面に突き刺したような、この異様な建築物。実は全国の大学が垣根を越えて運営に参画する研修施設として建てられたものなのだ。東京郊外の豊かな自然の中で、教員や学生らが相互交流する場なのだが、なぜこのカタチになったのだろうか?
磯:これは先述したフランスの建築家、ル・コルビュジエの教えを受けた吉阪隆正(よしざか・たかまさ)という有名な建築家が設計したものです。“大地に知の楔(くさび)を”というコンセプトのもと、この本館は設計されたのですが、聞くと基本設計がほぼ決まった段階になって、模型をヒョイと逆さにしたことをきっかけに設計をやり直した……という逸話があります。固定観念に縛られない発想ですよね。
窓の形状もさまざま。上部にある三角形のくぼみ部分には“あるデザイン”が施されている。
近未来的ともいえる見事な造形美。『ウルトラマン』の科学特捜隊基地のモチーフになったともいわれてもいます。
磯:1966年のテレビドラマ『怪獣ブースカ』にも出てきますよ。最終回でロケットの打ち上げに失敗したカミナリ博士がパラシュートで落ちてくる場所が、この大学セミナーハウスの本館でした。博士の研究所という設定で、ちょっとエキセントリックな科学者のすみかとしてぴったりだったんでしょうね。
三角形のくぼみにあしらわれたデザインは、なんと巨大な目!
一見しただけで手の込んだ建物だということがわかるが、これは建築費もとんでもないことになったのでは? 聞けば「意外とそうでもない」と磯さん。
磯:確かに人の手はかかっていますが、材料に高いものを使っているわけではありません。今でこそ人件費は高くつきますが、1960年代はそうでもなかった。材料は安価に抑えて、熟練の職人を多く動員することで、良いものをつくったのです。加えて、建築費を抑えるために、そもそも建材を減らすための工夫も詰まっています。なるべく壁を薄くしたり、柱を減らしたり、それでも大丈夫なように構造デザインを考えたことで“普通ではあり得ないカタチ”となったのです。
入口のひさしもユニーク。あたかも鳥の嘴(くちばし)のよう。
磯:外壁も特徴的です。コンクリート打ちっ放しの建物はいくらでもありますが、私はこの荒々しいテクスチャーが、この建築における一番の魅力だと思っています。日本一、いや世界一といっても過言ではないですね。
荒々しい外壁のテクスチャー。幾何学的な目地のデザインが、それを引き立たせる。
コンクリート打ちっ放しの建物の多くはのっぺりとして平坦なもの。この建物ではなぜ、ややもすると荒廃したようにも見えてしまうザラっとしたテクスチャーにしたのだろうか?
磯:人工的なイメージのあるコンクリートを“自然の土”とする考え方があるんです。表面をザラつかせることで、自然な材料であることを表現したんですね。一方で、幾何学的な線をあしらうことで、コンクリートの人工的な側面も表しています。何の合理性もないのですが、建築家のこだわりを感じますね。
外観だけでも語るところは山ほどある。となると、やはり内部も気になるところ。そこで本館1階にある夜間通用口から入ろうとしたところ、扉に手をかけて驚いた。なんと、取っ手も“異様”だったのだ。
夜間通用扉の外側に付けられた取っ手は、バルブのハンドルような形状。
内側は渦を表現したデザインとなっている
磯:ユニークなデザインですよね。吉阪隆正は、この形状、傾きが握りやすいと考えたのでしょう。
こうした細かい部分のこだわりは、階段の手すりにも見て取れます。ちょっと通常の手すりとは違うのでわかりづらいかもしれませんが、写真右の斜めに付いた厚い板です。存在感がすごくないですか? 彫刻的なデザインだったりするのですが、これも単に格好がいいからというわけではなく、しっかりと握りやすく、なおかつ美しいものを……と、一つひとつ何度もスケッチを繰り返して、考えているのです。
手すりは、現在の建築基準法ではあり得ない、かなり低い位置に設置されている。
階段を上がり、3階のラウンジ、そして4階へと歩を進めた。どちらも四方の壁が斜めに屹立(きつりつ)しており、まるで異次元に迷い込んだような感覚に。
ラウンジの奥にある階段が当初は象徴的な存在だったが、今は新たな手すりが加えられている。
壁に小さな窓をいくつも取り付けて、採光がとられている。光の幾何学模様となって美しい。
磯:この場所は、今では多目的ホールとなっていますが、昔は食堂として使われていました。大学セミナーハウスで研修をしていた教師や学生たちが食事をとっていたんです。いろいろな人たちの宿泊研究施設として使われ続けていますが、こんな名建築で学べる経験は、ほかでは決して得られない。この建物のように“常識にとらわれない”知識を身に付けてほしいですね。
上部に広がるように壁が傾斜しているので閉塞(へいそく)感がない。
やはり斜めに設置された窓からは、多摩丘陵の自然が見渡せる。
天窓から自然光が差し込むので、開放感がある。
ちなみにトイレの壁も斜めになっている。
……と、ここで取材はひと通り終わったかと思いきや、まだ見どころがあると磯さん。実は本館の周囲にはいくつも研修施設があり、その多くが、やはり傑作だという。なかでも磯さんが、読者にぜひ一度は見てほしいと考えるのが、松下館、中央セミナー室、長期館、そして、なぜか風呂場だ。
広大な敷地の中に、さまざまな研修施設が点在する。
磯:この大学セミナーハウスは、一度につくられたわけではありません。昭和40(1965)年、本館竣工(しゅんこう)の1期工事に始まり、昭和64、平成元(1989)年、記念館竣工の8期工事まで、実に24年にもわたって吉阪と、共同する事務所の設計によって開発が進められました。
多摩丘陵らしさを感じる勾配(こうばい)のある敷地内を進むと、見えてきたのが松下館。松下電器(現・パナソニック)の創業者、松下幸之助(まつした・こうのすけ)の助成を受けて建てられた施設だ。宿泊施設(1人部屋9室、2人部屋1室、3人部屋1室)と定員15人のセミナーハウスがあるのだが、驚くべきは、まるでスケートボードのコースのようにうねった屋上だ。
松下館のバルコニー。双葉をイメージした柵(さく)がカワイイと、ファッション誌の撮影で使われる。
コンクリートが波打つ屋上。右奥に見えるのが「真理の鐘」だ。
磯:地上レベルから連続しており、そのまま歩いて渡れるようになっています。残念ながら今は老朽化のため閉鎖されていますが、たとえるなら“地形化した建築”といったところでしょうか。その端には「真理の鐘」と名づけられたベルがあるのですが、これも吉阪建築の特徴のひとつ。彼は鐘や風見鶏といったオブジェを好んで設置する傾向があったんです。こうした建築家の癖を探すのもおもしろいですよ。
続いて紹介するのは、中央セミナー室。本館と対照的なピラミッド型の建物だ。ここには防音設備が整っており、心おきなく音を出せるとあって、合唱部や吹奏楽部、演劇部の学生が練習場として使っているという。
『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する第5使徒・ラミエルのよう。当然、変形はしない。
磯:本館と対照的なピラミッド型の建物です。最近の学生さんなら、エヴァの使徒にたとえそうですね(笑)。
下の長期館は、15〜25人の単独グループが利用できる宿泊室。一見、ただの客室のようだが、よく見てもらいたい。部屋と部屋の間に仕切りがないうえ、それぞれがらせん階段でつながっているのだ。
紺色で統一されたA棟。黄色や赤の棟もある。
らせん階段の踊り場に部屋があるイメージ。方向感覚がわからなくなるのもおもしろい。
磯:立体迷路のようでしょう。中央の柱が中空になっているうえに窓も設けられているのも特徴です。
最後に訪れたのは、交友館1階にある風呂場だ。いったいなぜ、お風呂?
磯:タイルの装飾が美しいんですよ。こんなお風呂はレトロな銭湯でもなかなかお目にかかれません。ここも壁を傾斜させているのがポイントです。絶対に斜めにする必要がないのに! 合理的でないところに美しさを感じられるのも、昭和レトロ建築のおもしろさだと思いますね。
インスタ映えを探し歩く女子の間で、まだ話題になっていないのが不思議。
学舎だけでなく、くつろぎの場にも、建築家の常識にとらわれない発想を見せつけられる大学セミナーハウス。一般の人も利用できるので、ぜひ今こそ、実際に訪れてみてほしい。
戦後、近代化を推し進め、民主主義を体現するかたちで数多く建てられた昭和の名建築たち。前編では建築ジャーナリストの磯達雄さんとその歴史を振り返りつつ、東京・八王子にある「大学セミナーハウス」を歩いた。一見奇抜にみえる意匠も、建築家たちがデザインに込めたさまざまなメッセージを読みといていくと、当時の人々の想いや時代の流れが見えてくる。いま急速に解体が進んでいる昭和のレトロ名建築たち。今のうちに訪れて、デザイン一つひとつに込められた意味を、自分なりに考察するのも楽しいかもしれない。
後編では、全国7つの名建築を磯達雄さんに解説してもらいながら、昭和レトロ建築のさらなる魅力に迫っていく。