大谷亮平、レクサスからBMW X3へ。クルマ選びは「顔」で決める。次の憧れはレンジローバー
心に残るカーライフの思い出は「誰とどこへ行ったか」2006年に韓国で俳優としてのキャリアをスタートし、16年からは日本でも活動。ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』『まんぷく』『ノーサイド・ゲーム』など数々の作品に出演してきた俳優・大谷亮平さんが、芸能活動20周年、日本デビュー10周年を迎えました。そんな大谷さんのカーライフもまた、ソウルで始まっています。右側通行の街で初めてハンドルを握り、日本帰国後はレクサス、BMWとSUVを乗り継いできました。20年の芸能生活と愛車の思い出をたどりながら、今後についてもお話を聞きました。
ソウルでスタートしたカーライフ
韓国と日本の運転事情の違いに苦戦
──まず、運転免許を取ったのはいつごろでしょうか。
18歳ですね。確か取得できる年齢になって、かなり早い段階で取ったと思います。ただ、「早くクルマに乗りたい」という感じではなかったんです。大学生活が始まる時に、先輩たちから「早めに取っておいたほうがいい」と言われて、周りのみんなも取っていたから、自分も取りに行ったというくらいでした。
──大阪から大学進学で東京へ出てきて、東京で免許を取ったのですね。
そうです。でも、その頃は運転する機会もほとんどなかったですね。
──実際に日常的にクルマに乗るようになったのはいつ頃からですか。
かなり後です。韓国に行ってからですね。友達から「家の駐車場を1台分貸してほしい。その代わり、月に何回かクルマに乗っていいよ」と言われたのが、よく乗るようになったきっかけでした。
──大谷さんのカーライフは、日本ではなくソウルで始まったんですね。
韓国はタクシーも安かったので、近場ならタクシーで十分だったんです。最初に乗っていたのも、韓国車でヒョンデかキアだったと思うんですけど、もう車種も覚えていないくらい(笑)。
──韓国の道路事情や運転事情は、日本と比べていかがですか。
韓国は、アメリカなどと同様に自動車は右側通行です。右折の仕方も違って、右折専用信号がない交差点では、赤信号でもいったん止まって安全を確認した上で右折できる場合があるんです。左から来る直進車や歩行者を見ながら入っていく感覚なので、最初は戸惑いました。次第に慣れていったのですが、日本に帰ってきた時に、その感覚で曲がりそうになったことがあって。「あ、ここは日本だ」と。クルマの運転って、無意識のうちにその土地のルールや感覚が体に入っているんだなと思いました。
──クルマ選びで、何かこだわっていることはありますか。
エンジンがどうとか、ホイールがどうとか、そこには全然興味がないんです(笑)。結構、「顔」で決めています。フロントを見て、「顔がいいな」と思えるかどうか。後ろから見て「お尻がいいな」と思うことは、僕はあまりなくて(笑)。フロントと内装ですね。
──日本に戻ってきて、最初に購入したクルマは?
レクサスのSUVです。日本で最初に何に乗ろうかなと考えたとき、住んでいた自宅の駐車場にサイズ制限があったんです。あまり大きなクルマは停められなかった。それと、韓国にいた頃にレクサスの広告の仕事をしたことがあったんです。CMというより、ストーリーのあるムービーのような、かなり大がかりな撮影でした。撮影後に「乗ってみてください」と言われたんですけど、その頃の僕はほとんどペーパードライバーだったので、「この状態でレクサスに乗るのは怖いな」と(笑)。
道もよくわからなかったので、その時は断ったんです。でも、撮影しながら「すごくすてきなクルマだな」と思っていたので、日本でクルマを買うとなったときに、「じゃあレクサスにしよう」と。仕事でお世話になったという縁もありましたし、自分のお金で買ってみようと思ったのがスタートでした。
──どのくらい乗りましたか?
3年くらいだと思います。ちょうど、もう少し大きなクルマにも乗ってみたい時期になって、自然と乗り替えました。
──次の愛車は何を選ばれたのでしょうか。
BMWのSUVで、X3です。
──X3を選んだのも「顔」ですか?
そうですね。韓国にいた頃、仲の良かった友達がBMW X5に乗っていて、そのクルマでよく遊びに行っていたんです。BMWのフロントがすごく好きでしたし、内装もおしゃれでかっこいい。「いつか乗りたいな」と思っていました。
クルマは「大切な空間」
移動手段としてではない楽しみ方
──BMW X3は現在もお持ちですか?
いや、引っ越しをきっかけに、駐車場の問題があって売ってしまったんです。だから、早くまた環境を整えて、新たなクルマを買いたいと思っています。
──クルマがなくなって、不便さを感じますか?
すごく感じます。もともと親も運転が好きで、子供の頃はいろいろなところへ連れて行ってもらいました。韓国にいた頃も、僕が外国人だからということもあって、周りの友達がよくクルマに乗せて、いろいろなところへ連れて行ってくれたんです。
僕は今もバレーボールをやっていて、練習や試合へ行くことが多いんですけど、クルマを持っていたときは誰かを乗せて帰ったり、一緒に試合会場へ行ったりするのが好きでした。今は逆に、先輩が家の前まで迎えに来てくれて、練習会場まで乗せて行ってくれます(笑)。だから余計に、「クルマがあったほうがいいな」と思いますね。自分で運転してどこかへ行くこと自体が好きなので、早くまたカーライフを楽しみたいです。
──ドライブそのものを目的に出かけることはありますか?
あまりないですね。何か用事があって使うことが多いです。遠くに住んでいる友達の家へ行ったり、バレーボールの練習や試合へ行ったり。大きな大会だと埼玉まで行くこともあります。
──大谷さんにとって、クルマとはどういう存在ですか。
よく言われることですけど、ただの移動手段だけじゃないというか、その空間を楽しむというのは共感できます。特に自分が運転する・しないにかかわらず、外にいて、家を出てものすごくホッとできる空間というと、やっぱりクルマが浮かぶんですよね。本当に自分だけの空間で、運転してちょっと疲れたときは寝るもよし、休むもよし。
一度、韓国で記録的な寒波に当たったことがあるんですよ。ソウルでも氷点下十数度まで下がるような、とんでもなく寒いときで。運悪くそんな日の深夜の撮影に当たってしまって。シャツ1枚の格好で、廃墟で長い銃を構えるような撮影でした。もう地獄で「マジで誰か死ぬんじゃないか」というくらい薄着で。カットが終わるたびにクルマに入っていく。あのときは、本当にクルマに助けられた瞬間というか。あの温かい空間に助けられた瞬間として一番に思い浮かぶのが、あの日の撮影なんです。
もちろん、とんでもなく暑いときにクルマに戻ってクーラーをガンガン効かせたら本当に安らぎますし、そういう意味でも「移動手段だけじゃない、自分にとって大切な空間」だと思います。
芸能活動20周年
「日本で活動を始めてからの10年はあっという間」
──その韓国で俳優としてスタートして、今年で芸能活動20周年です。振り返って、いかがですか。
あっという間だった気もするし、長かった気もします。ただ、韓国と日本に分けると、感覚が全然違うんですよ。2006年に韓国でドラマデビューしてからの10年間は、すごく長く感じました。2016年に日本で活動を始めてからの10年は、ものすごくあっという間です。同じ10年とはまったく思えないですね。
──なぜ、それほど違うのでしょうか。
ソウルでは言葉もしゃべれないし、母国語でもない。芸能界に入るということ自体も、それまでの僕にとっては普通のことじゃなかった。カメラを向けられて話すことも含めて、一つひとつの「初めて」の衝撃が大きすぎたんだと思います。日本でそれまで生活してきた世界とは、まったく別の世界でしたから。最初の2、3年は特に長く感じましたね。慣れてくると時間は流れるように過ぎていくけれど、最初の何年かは毎日が衝撃的で、楽しくてしょうがなかったです。
──言葉もわからない状態で韓国へ行かれました。それでも、大きな挑戦をしているという意識はなかったのでしょうか。
全然なかったです。「チャレンジしよう」とか、「自分を奮い立たせて」とか、そういう要素はゼロに近い。ノンプレッシャーでしたね。日本で何かを背負っていたわけでもないし、行き当たりばったりでした。
──韓国では語学学校にも通っていたそうですね。
最初は行ったんですけど、本当にわからなさすぎて(笑)。クラスには留学生が多くて、みんな自国である程度勉強してから来ているから、もう韓国語を話せるんですよ。僕だけ本当に何もわからなくて、毎回韓国語で「わかりません」と言っていました(笑)。
でも、クラスメートから「6か月たったら聞こえてくるようになるから、それまで耐えてください」と言われて。本当に半年たった頃から、言葉が耳に入るようになったんですよね。そこからは早かったです。音として耳に残るようになると、意味を聞いて理解すれば覚えられるようになりました。
──今では韓国語も完璧なのでは?
全然ですよ(笑)。韓国のテレビもほとんど見なかったし、ドラマも見なかった。外で友達と遊びながら覚えた言葉や、仕事現場で必要になって自然に覚えた言葉だけなんです。だから、政治のニュースなんて今見ても全然わからないです。かなり偏った韓国語ですね(笑)。
──2016年からは日本で活動を始めました。これはどういったきっかけからだったのでしょうか。
今の事務所の方と、当時のソウルの事務所の社長が映画祭などで会っていて、話が進んでいたみたいで。ある日、ソウルのジムで着替えていたら連絡が来て、「日本のドラマに出るぞ」と(笑)。20代の頃にも日本の事務所とやりとりしたことはあったんですけど、その時はいい契約には結びつかなかった。今振り返ると、「あの時、無理に契約しなくてよかったな」と思いますね。
──芸能活動20周年、日本デビュー10周年を記念して、1st写真集『ROAD AHEAD』が10月17日に発売されました。撮影地は、俳優としての原点でもあるソウルですね。
昔住んでいた場所や、よく行っていたところを回りながら撮影しました。20周年だから過去を振り返るというだけではなくて、今の自分で改めてそこへ行く、という感覚でした。
──タイトルの『ROAD AHEAD』には、どんな思いを込めたのでしょうか。
以前は、過去を「懐かしむ場所」として、自分の中で今の自分と無意識に切り離していたところがあったんです。でも、過去も現在も未来も、切って分ける必要はないんじゃないかと思うようになりました。ずっと一本の道が続いていて、たまたま今、自分はここにいるだけ。これから先も、その道を楽しく進んでいく場所なんだ、という思いを込めたタイトルです。
──20年を経て、これから先の俳優人生について考えることはありますか?
難しく考えようと思えば、いくらでも考えられるんでしょうけど、あまり考えすぎないようにしています。これから50代へ向かっていくわけですけど、仕事って、自分が強く思ったからどうにかなるものでもないということは、もう十分わかっています。強すぎる思いを持つと疲れてしまう。あまり考えすぎないほうが、その時、その時で、「こんなチャンスがあったんだ」「こんな出会いがあったんだ」と、新鮮に受け止められると思っています。
──では、20年を経て大切になってきたものはどういった部分ですか。
やっぱり、人間関係ですね。現実的なことを抜きにすれば、この先、自分の価値観としてものすごく大事になると思っています。僕は、作品の視聴率や興行収入だけに、自分の価値を見いだすこともできないんです。
自分一人だけが何かで飛び抜けたとしても、それが僕にとってものすごく大きな喜びになるかというと、そうでもない。それより、その作品で「誰と何を話したか」「どんな時間を過ごしたか」のほうが残る。最後に振り返ったとき、「誰とどう楽しめたか」「撮影時間をどう過ごしたか」ということのほうが、大切なんじゃないかと思っています。
──まさに「ROAD」という言葉が、大谷さんの20年にもカーライフにも重なりますね。
今日、こうしてクルマのことを振り返ってみても、クルマそのものより、「誰とどこへ行ったか」ということのほうを覚えているんですよね。これからは、そういうクルマでの思い出をもっと作っていきたいなと思いました。
今のペースでいくと、人生で何十台もクルマを乗り継ぐタイプではないと思うんです。だったら、一台一台に思い入れが欲しい。今は次に何を買おうかと真剣に悩み始めているんです。サイズが大きいので、都内では駐車スペースに苦労しそうですけど、レンジローバーはいつか乗りたいと思っています。
大谷亮平さんがドライブで聴きたい5曲
- 藤井フミヤ「Life is Beautiful」…秋にぴったりでしっとりしていてお気に入りです。
- Mary J. Blige「Family Affair」…気分を上げたいときに聞く一曲です。
- エンヤ「Flora's Secret」…癒やしの曲です。テンポがおしゃれで心が落ち着きます。
- ビートルズ「In My Life」…学生時代に友人とよく聞いていた思い出の曲です。
- Ennio Morricone「Love Affair」…仕事でパリに行ったときにずっと流れていて聞いていたので、パリが恋しくなる曲です。
(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)
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大谷 亮平
おおたに・りょうへい 1980年10月1日、大阪府生まれ。2006年に韓国で俳優としてのキャリアをスタート。約10年にわたって韓国で活動した後、16年から日本での活動を本格化。ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』、NHK連続テレビ小説『まんぷく』、『ノーサイド・ゲーム』、映画・ドラマシリーズ『ゴールデンカムイ』などに出演。26年に芸能活動20周年、日本デビュー10周年を迎え、10月17日に1st写真集『ROAD AHEAD』(光文社)を発売。写真集は俳優としての原点であるソウルで撮影され、韓国時代からの友人である映画監督シム・ヒョンジュン氏との対談、韓国・日本での20年を振り返るロングインタビューも収録されている。主演映画『遥かな町へ』も公開中。
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