ヤマザキマリ “幸せ”は人それぞれ
「幸せって何だろう」は、小説家、エッセイスト、俳優、タレントなど、さまざまな分野の方にご自身の「幸せ」についての考え方や、日々の生活で感じる「幸せ」について綴っていただくリレーエッセーです。 今回は、『テルマエ・ロマエ』の作者で漫画家・随筆家のヤマザキマリさんに、自身の人生経験から導き出した「幸せ」に対する考え方を綴っていただきました。
“幸せ”は人それぞれ
漫画がヒットした頃、出会う人々から「ヤマザキさん、嬉しいでしょう、幸せでしょう」とよく言われることがあった。確かに世間的な尺度で捉えれば、若かりし頃の貧困画学生時代が報われる漫画のヒットも、イタリアという国での暮らしも“幸せ”の一般条件を満たすものかもしれない。しかし、こうした“幸せ”の感覚が、果たして万人が共有できるものなのかというと、それは違う。
私は幼少期から今に至るまで、乗り越えるのが困難な経験をいくつか経てきたために、なかなか素直に“幸せ”という感覚を受け入れられない質になってしまった。子供の頃から“幸せ”な気配を察知すると、咄嗟にブレーキを踏んで猜疑心で包んでしまう、その傾向は今も変わらない。家庭環境も特殊だったので、期待の持ち過ぎが苦しさをもたらすこともわかっていた。
17歳で単身でイタリアに渡ったことも、家族を持ったことも、漫画のヒットも、理想を抱くことに怯えていた自分の意思とは無関係だったから、達成感的な“幸せ”を感じたこともない。世界の国々を転々としてきたことも夫の仕事が理由だった。自分の生き方や人間関係における様々な問題のみならず、シリア在住時の友人たちは紛争が始まってから皆行方不明になってしまったし、結婚式をあげたエジプト・カイロのイタリア領事館はその後テロで爆破されて粉々になってしまった。社会におけるそうした凶暴な側面と正面から対峙してきたことも、さらに手放しで“幸せ”を受け止められなくなってしまった理由のひとつかもしれない。
ヤマザキさんって見た目は鼻息が荒くてエネルギー旺盛なのに、意外にネガティブ思考な人なんですね、などと思われてしまいそうだが、とはいえ、そんな私であっても、これほど容赦無い世界に生きていても、喜びや嬉しさに満たされることはそれなりにある。
面白い本や映画に出会えた時。大好きな音楽を聴いている時。友人と気兼ねなくお喋りをしている時。日当たりの良い場所で寝ている猫の顔を見ている時。地面に立派な根を張り、枝いっぱいに葉を生い茂らせている木々の間を歩いている時。抜けるような青空を見上げる時。海に潜っている時。旅の先々で地球を美しい惑星だと感じる時。そんな時、私はたとえ「死」という前提があっても、命を授かってよかったなと思う。束の間であってもこの地球という惑星に生息するという体験ができてよかったな、と感じる。
この世には、家族や帰る家のあることこそ幸せだと捉える人もいれば、束縛のない自由奔放な風来坊的暮らしが幸せだと感じる人もいる。名誉や物欲を満たすことで幸せだと感じる人もいれば、戦火から逃れ、命があるだけで、生き延びられるだけで究極の幸せを感じる人もいる。生きることに挫けないために人間がそれぞれ生み出す“幸せ”は、果てしなく多様であり、そしてその価値観は、押し付けるものでもなければ、押し付けられるものでもないのである。
ヤマザキマリ
漫画家・文筆家。1967年東京生まれ。 84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。 著書に『スティーブ・ジョブス』(ウォルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『たちどまって考える』『ヤマザキマリの世界逍遥録』『ムスコ物語』など。